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闇底の白衣  作者: S.U.Y
33/36

大事なこと

 診療所の居間にある窓から、光が差し込んできた。昼の太陽は周囲の建物から照り返し、行き交う雑踏の声と風を運んでくる。

 目を覚ましたシャルロッテは、長椅子から起き上がり手水場で顔を洗う。包みからいつもの作業服を出して、着たままだったブラウスとスカートから着替えた。

 診察室前の受付には、怪我を負った患者が列を作っていた。受付で対応している少年が、シャルロッテに気付いて立ち上がる。

「おはよう、姉ちゃん。具合はどう?」

「ええ。良い目覚めだったわ。もうお昼だけれど。先生は、中に?」

 診察室を指して、シャルロッテが問う。うなずく少年の横を抜けて、シャルロッテは診察室に入った。

「やあ、おはよう、シャルロッテ」

「おはようございます、先生。患者さんが来たなら、起こしてくださっても良かったのに」

 笑顔で顔だけ向けてくるバルドレイクに、シャルロッテは真顔で応えた。

「体調はどうだい、シャルロッテ?」

「問題ありません、先生」

 短い受け答えをしてから、受付の少年に患者を中へ入れるよう伝えた。包帯を巻くバルドレイクの隣で、別の患者に傷薬を塗っていく。薬の調合は、シャルロッテが診察の合間で行った。

 一時間後には、患者の列は無くなっていた。唸りながら肩を回すバルドレイクに、茶のカップを渡す。

「ありがとう、シャルロッテ。どうやら、大丈夫みたいだね」

「あまり心配されると、不安になります、先生。何か、副作用でもあったんですか、あの薬」

「理論上は、無いよ。でも、何しろ初めてだったからね、あれを使うのは」

 困ったような笑顔で、バルドレイクが言って茶をすすった。シャルロッテは小さく息を吐き、バルドレイクの正面、診察用の椅子へ座った。

「それじゃあ、診てみますか、先生?」

「そうだね……ああ、服はそのままでいいよ、シャルロッテ」

 バルドレイクの手が、シャルロッテの腕を取った。手首に指が触れる。それから、下まぶたをずらして眼を診せて、口の中も調べて貰った。医師としての事務的な手つきであったが、指から伝わる真摯な思いにシャルロッテは温かいものが胸の中へ広がっていくのを感じた。

「うん。問題は、無いみたいだね」

 バルドレイクの手が、身体を離れる。少し残念に思いながら、シャルロッテはうなずいた。

「竜にいさん、片付いたよ……って、何やってんの?」

 受付からやってきた少年が、シャルロッテの背後から声を出した。

「副作用が無いかどうか、調べていたんだ。問題は、無かったよ」

「……問題は、大ありだと思うけどね、俺は」

 少年の出した低い声に、シャルロッテは向き直った。少年の瞳は、真っすぐにシャルロッテを捉えていた。

「何か、問題があるのかしら」

「人間じゃ無くなって、化け物の仲間入りをしたってのに随分余裕あるんだね、姉ちゃんは」

 冗談めかした口調だったが、少年は笑ってはいない。シャルロッテは見つめてくる少年の目を、見返した。

「先生の隣で助手をしていたら、大抵のことには驚かなくなるわ。それに、望んで薬を飲んだんですもの。私に後悔は無いわ」

「普通の人間じゃなくなるってこと、わかってる? 双子のちびたちとも、違う生き物になっちゃったんだよ?」

「覚悟はしたわ、昨日の夜に。それに、あの子たちとずっと一緒でいられないのは、薬を飲まなくても変わらないことよ」

 シャルロッテが思い浮かべるのは、母であり姉であったマリア、そして亡くなった弟妹の姿だった。不変というものは、無い。生きていく限り。シャルロッテの根底に芽生えた思いが、覚悟を支えていた。

「それにね、目の前で苦しんでいる患者を見捨てるなんて、出来ないわ。私も、先生も、医師だもの」

 バルドレイクに振り向くと、静かなうなずきが返ってきた。それは昨夜、薬を飲んだときに見せた、達観を思わせるものだった。


 手にした竜血丸を、シャルロッテは飲んだ。バルドレイクの説明を受けて、飲まない理由は見つからない。だから、ためらいなく薬を飲み込んだ。

「シャルロッテ、君は……」

「先生、大丈夫です。私は、後悔したりはしませんから。切羽詰まった状況だから、よく考えなかったのでもないです。私は、もう、決めたんです」

 見上げたバルドレイクの顔が、深くうなずくように動いた。同時に、シャルロッテの身体に異変が起こる。ふつふつと湧き上がってくるような感覚が、全身でいっぺんに駆け上がる。薬が全身を駆け巡っているのだ。ほどなく、シャルロッテはしゃがみ込み、大量の血を吐いた。

「シャルロッテ!」

 狼狽して大きな声を上げるバルドレイクの唇に、シャルロッテは人差し指を当てて微笑んで見せる。

「先生、患者さんが起きてしまいますよ」

 血を吐き終えて、シャルロッテは立ち上がった。身体が、軽い。頭の中は澄み渡るような感覚があり、蝋燭の光が無くとも倉庫の隅まで見渡すことができた。

「……もう、大丈夫なのかい?」

 心配そうな顔をするバルドレイクに、シャルロッテはうなずいた。

「大丈夫です、先生。むしろ、何だかスッキリしました。それより、今は」

 横たわる四人の患者に目をやると、バルドレイクも彼らに向き直る。

「そうだね。今は、こっちに集中しようか、シャルロッテ。調薬は、君に任せるよ」

「はい、先生!」

 倉庫の薄闇の中で、バルドレイクの顔には複雑な表情があった。


 昨夜の記憶をシャルロッテが思い返していたのは、わずかな時間だった。少年は、バルドレイクとシャルロッテの横の床に座った。

「姉ちゃんの選んだ道なら、俺からはもう何も言わない。竜にいさん共々、長い付き合いになると思うけど改めてよろしく」

 にっと、少年が笑いかける。シャルロッテも、少年に不敵な笑みを向けた。

「ええ、よろしく。ところで……竜にいさんって、先生のこと?」

 問いかけると、少年はあっさりとうなずいた。

「そうだよ。竜にいさんはこの国へ来て名を捨てて、バルドレイクって名乗ってる。俺も呼び方変えなくちゃいけないんだけど、ずっとそう呼んでたから癖が抜けなくってさ」

「昔は、何て名前だったの?」

「竜安。竜を安んじる者っていう意味だよ。竜にいさんは、故郷では腕の良い宮廷付きの錬金……」

「そこまでだ、アル。僕の過去は、今はどうでもいいことだよ」

 少年の言葉を、バルドレイクが遮った。

「シャルロッテ、この子は、僕の故郷から連れてきた従者で、アルというんだ。僕の故郷の言葉で、数字の2を意味する。この子は……」

「竜にいさん、今は、しなきゃならない話をしようよ」

 今度は、バルドレイクの言葉を少年が遮った。

「従者……?」

 眉を寄せて、シャルロッテは考える。バルドレイクと少年は顔を見合わせ、あああ、と大声を上げる。

「い、今はどうだっていいだろ、姉ちゃん。大事なことは、そう、フラットの居場所がわかったってことで」

「うん。今は、僕たちのことは忘れていい。フラットを捕まえて、クラッチレイ家の夫人を助け出すことが先決だよ」

「……そうですね。今は、ですけど」

 横目でじっとりとした視線を二人に送った。

「それで、竜にいさん? 計画はあるの?」

「うん。夜に乗り込んで、かたをつけるつもりだよ。ブランケットさんとヒューリックに協力を依頼して、逃げられないようにする。そうしたら、正面から行く」

「……竜にいさん、それは計画って言っていいの?」

 呆れたような少年の声に、バルドレイクは自信ある表情でうなずく。

「倉庫の持ち主であるブランケットさんに許可は貰っているし、こっちに後ろ暗いことは何もないからね。堂々として行けばいいんだ」

「ヒューリック様への連絡は、どうするんですか?」

「それは、俺に任せてくれよ。手下を使えば、夜までに準備できるから」

 シャルロッテの問いかけに、胸を張って少年が答える。

「そうだね、アルに任せればいい。僕とシャルロッテは夕方まで、薬の準備だよ」

 名を呼ばれた少年の顔が、一瞬曇りを見せたように思えた。

「それじゃあ、俺は手下に指示してくるから。今夜、例の倉庫の前で落ち合おう」

 少年は言って、診察室のドアを開けて姿を消した。

「……あの子は、名前を呼ばれるのを嫌うんだ。覚えておくようにね、シャルロッテ」

「は、はい、先生」

「うん、良い返事だね。それじゃあ、薬を作ろう。準備は、できるだけしておかないとね」

 ぽんぽん、とバルドレイクの手がシャルロッテの頭の上で動いた。

「……先生」

「うん、何だい、シャルロッテ?」

 薬鉢の中をかき混ぜながら、シャルロッテが問う。

「いつか、先生のこと、教えてくれますか?」

 見返すバルドレイクの眼に、薄い自嘲のいろが浮かんだ。

「……うん。いつか、僕がしっかり過去と向き合える時が来たら、話すよ。君が聞きたいと言うのなら、ね」

「はい、先生……」

 いつか、という日が来ることを祈りながら、シャルロッテはバルドレイクと共に調薬を続けるのであった。

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