デートと調査
短い仮眠を取った後、シャルロッテはバルドレイクと仕事に取り掛かった。東地区の診療所には、朝から怪我人が訪れていた。荷運びの最中に荷物に潰され、腕の骨を折った者から喧嘩による負傷、腰痛や脱臼など様々な怪我人がいた。バルドレイクが監督して、シャルロッテは診断を下していく。ざっくりと切れた傷口に糸を通し、縫い合わせもした。
シャルロッテが若い女性ということもあって、患者の評価は悪いものではない。交易所や倉庫で働いているのは大抵が男性なので、少しきつい印象ではあるが美人の部類に入るシャルロッテに診察をされるのは彼らの望むところである。
昼に休憩を少し挟み、シャルロッテは治療を続けていった。バルドレイクが口を挟むことは無く、大量の患者がはける頃には寝室で仮眠を取ったりしていた。
「はい、これでもう、大丈夫ですよ。あとは、食後にお薬を飲むのを、忘れずに」
「へい、ありがとうございます、先生」
添え木で固定した左腕を愛おしそうに撫でながら、最後の患者が礼を言って立ち去った。痛み止めの薬を調合して手渡すと、もう待合室には誰もいない。シャルロッテは居間へ行き、長椅子にもたれかかる。重い疲労が、頭痛になって襲い掛かっていた。自分で診断するまでもなく、睡眠不足だった。すぐにでも眠りたかったが、食事をしていないために胃痛もあり、先ほどまでの治療行為で神経もまだ昂ってしまっていた。
目頭を指で揉み、長椅子へ横たわる。睡眠薬でも調合してしまおうか、とシャルロッテが考えていたところへ、呼び鈴が鳴らされた。両手で頬を叩いて気合を入れ直し、ふらふらと玄関へ向かう。
訪ねてきたのは、昨夜に会った衛兵だった。
「バルドレイク医師に、会いたいのだが」
衛兵は手に持つ酒瓶を掲げながら、言った。
「先生なら、寝室におられますけれど……」
シャルロッテが衛兵を案内し、寝室へ向かおうとしたとき、寝室の扉が開いた。出てきたのは、昨夜運び込まれた男と、バルドレイクだった。
「やあ、昨日ぶりですね。ごらんのとおり、彼は無事ですよ」
朗らかな声で、バルドレイクが衛兵に挨拶をした。衛兵も、その場で敬礼をする。
「ご苦労。それでは事情聴取のため、彼を引き取っても?」
衛兵の言葉に、男がバルドレイクを振り向いて見つめる。バルドレイクは男の肩を叩き、大きくうなずいてみせた。
「構いませんよ。怪我に障らない程度であれば。あとは、この痛み止めを食後に飲ませてあげてください」
バルドレイクが小さな薬包を、衛兵に手渡した。衛兵は男を従えるように先に立ち、診療所を出て行った。
「先生、ありがとうございます」
「しばらく仕事は休んで、安静にしているんだよ、グエン君。僕から、ブランケットさんには伝えておくから」
男に声をかけて、バルドレイクは玄関に向かう二人を送り出した。バルドレイクと並んで見送っていたシャルロッテは、バルドレイクの手にいつの間にか衛兵の持っていた酒瓶があることに気付いた。
「先生、それ……」
バルドレイクが、困ったような笑顔を浮かべる。
「君も飲むかい、シャルロッテ?」
「仕事中です、先生」
「患者なら、今日はもう来ないよ。ここの医師は老齢だから、あまり遅くまで診療所を開いていないんだ」
「少し飲んだら眠って、それから出かけよう」
「どこへ行くんです?」
「大商人ブランケットの経営する、衣料店に行くんだ。さっきの彼、グエン君の休業も伝えなければいけないし」
衣料店、と聞いてシャルロッテの心は浮き立った。普段から仕事着の着た切り雀のシャルロッテではあるが、衣服に興味が無いわけではない。
「それじゃあ、今から行きませんか、先生?」
「僕は仮眠をたっぷり取ったから大丈夫だけれど、疲れていないのかい、シャルロッテ?」
「一日徹夜したくらいなら、まだ大丈夫です。それに、今眠ったら夜まで寝てしまいそうですから」
「君がそう言うなら、行こうか。ただし、無理は禁物だよ?」
シャルロッテを見つめ念を押すバルドレイクに、うなずいて笑顔を見せる。
「はい、先生!」
昨日バルドレイクから贈られた帽子をかぶり、シャルロッテは軽い足取りでバルドレイクと一緒に診療所を出るのであった。
ブランケット衣料店、と看板のかかった店舗は、東地区の中心にあった。棚には多くの服が飾られていて、シャルロッテは小さく歓声を上げながら、店内を見渡していく。
「何か、欲しいものはあったかい、シャルロッテ?」
一通り店内を回ったシャルロッテに、バルドレイクが声をかけてきた。
「それは、欲しいものはありますけれど……」
シャルロッテは顔をうつむかせる。ミルとメルのぶんの食費が浮いている現状ではあったが、それでもシャルロッテの財布の中身は増えるわけではない。孤児院兼診療所の運営にほぼ全財産を投じている身としては、無一文にほど近いものだ。お洒落なドレスなどは贅沢品であるし、替えの衣服にしても新品の服は随分と高価だった。
「お金は心配しなくていいよ。僕が出すから」
顔を曇らせるシャルロッテに、バルドレイクが笑顔で言った。
「そんな、先生に出していただくわけには」
「立て替えて貰っていた薬代の、お返しにね。それに、ブランケットさんに会うにしても、お店に来たんだから何か買ってからのほうがいいから」
シャルロッテはしばらく考え、それから店内を物色し、白いブラウスと腰に大きなリボンのあしらわれたピンクのスカートを持ち出した。
「と、とりあえず、これだけで……」
「うん、いいよ」
バルドレイクは値札も見ずに店員を呼び、購入する旨を伝える。
「こちらで、お着替えなさいますか?」
女性の店員が、シャルロッテに訊いた。
「は、はい、お願いします」
緊張の面持ちでうなずくシャルロッテを、店員が試着室へと導いた。白衣を脱いで、ぼろ布然とした衣服を着替える。スカートのリボンは背中側にあるため、店員に結んでもらう。リボンを取り外せば、仕事にも使えそうだった。
姿見の前で、くるりと回ってみる。ふわりと足元で布が柔らかく広がる。鏡に向かってにこりと微笑む。うなずいて、シャルロッテは試着室を出た。
「どうですか、先生?」
待っていたバルドレイクの前で、一回転。
「うん、よく、似合っているよ、シャルロッテ」
バルドレイクの賛辞は、お世辞ではないように思えた。笑顔のシャルロッテの首に、バルドレイクがケープを巻いた。
「これは、僕からのプレゼント。受け取ってもらえるかな、シャルロッテ」
「はい、ありがとうございます、先生!」
シンプルな意匠のケープは、今の服にとてもよく合っている。試着室へ戻り、姿見の前に立ってシャルロッテは色々なポーズを取ってみた。ポーズの参考にしたのは、ヒューリック家でのメルである。
身に着けていた白衣と衣服は、店員が包みに入れてくれた。
「それじゃあ行こうか、シャルロッテ」
支払いを終えたらしいバルドレイクが、シャルロッテの手を取って言った。衣料店の前に停められている馬車に、二人で乗り込む。
「どこへ、行くんですか、先生?」
尋ねるシャルロッテに、バルドレイクは笑顔で応じる。
「せっかく綺麗な服を着たんだから、洒落た所で食事でも。お腹は、空いているね?」
バルドレイクの答えに、シャルロッテのお腹がくうと鳴った。
「……は、はい、先生」
うつむいて赤くなるシャルロッテの手を引いて、バルドレイクは馬車の中へ入った。
「それでは、参りましょうか、バルドレイクさん」
中には肥った中年の男が一人、すでに座っていた。対面に二人が座ると、馬車は静かに走り始める。
「こちらは、僕の助手の医師で、シャルロッテと申します、ブランケットさん」
「シャ、シャルロッテです……」
「これは、美しいお嬢さんですね。私はブランケット。大商人、と呼ばれておりますよ」
ほっほっほ、と笑うブランケットの笑みには、人を安心させるようなものがあった。シャルロッテも一礼して、笑みを返す。
「二人で、行くんじゃなかったのね……」
ブランケットに笑顔を向けたまま、シャルロッテは心中でそっと呟くのであった。