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闇底の白衣  作者: S.U.Y
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悪意の胎動

 東地区の診療所は、質素なものだった。診察室と、患者を寝かせておくための寝室、そして生活のための居間兼台所兼寝室、というスペースがある程度だ。負傷した男を寝室へ寝かせたバルドレイクとシャルロッテは、一息つく間もなくやってきた衛兵に事情を訊いていた。

「あの男は、ブランケット商会の荷運びだ。性格はいたって真面目で、十年間商会に勤めている。それが今日の夕刻、いや、夜か。突然叫び出して、ナイフを自分の腹に突き立てた。目撃証言をまとめると、そういうことになる」

 衛兵はバルドレイクがヒューリックの名を出すと、隠すことなく捜査情報を話し始めた。ヒューリックは衛兵に大きな影響力を持つ貴族で、友人のバルドレイクも衛兵とは顔見知りである。

「彼には、何か病癖があったのでしょうか」

 バルドレイクの問いに、衛兵は首を横へ振る。

「いや、商会に勤めて以来、風邪一つひいたことのない頑健さだよ。もちろん、精神的にも問題の無い人物らしい。同行していた彼の同僚によれば、だが」

「……何か、変わったことは無かったのですか?」

「思い当たることは、無いとのことだ。今日は彼らの久しぶりの休日で、市場に酒と肴を求めて来たらしい。そこで、あのような事態になった。彼の、容態はどうなっている?」

「幸いナイフの刃は内臓を傷つけることは無かったので、傷口を縫合して処置完了としました。麻酔が切れれば、話をすることは可能でしょう。もっとも、しばらくは寝台から動かさないほうが良いですけどね」

 バルドレイクの診立てに、衛兵はうなずいた。バルドレイクの腕が並みでないことは、衛兵が身をもって知っている。

「それでは、彼が目を覚ましたあと、事情聴取しても?」

「問題はないでしょう。彼が正気であれば、ですが」

 バルドレイクは居間に衛兵を待たせ、シャルロッテと寝室へ行った。木で作られた簡易寝台が四つ、並んだ部屋だ。左から二番目の寝台に寝かされた男が、目を閉じて浅い呼吸を繰り返している。

「……目が覚めたら、暴れたりしないでしょうか、先生?」

 衛兵との話を聞いていたシャルロッテが、不安そうに言った。

「そうならないように、処置が必要かもしれないね。シャルロッテ、灯りを用意してくれるかい?」

 シャルロッテがいったん寝室を出て、戻ってくる。手には大きめのランタンを携えていた。万一、目覚めた男が暴れ出したときに、蝋燭では心許ない。

 ランタンを天井へ吊り下げて、バルドレイクは男の診察を始める。上半身を裸にして、指を当てて診てみるが、異常は見られない。腹の傷は包帯できっちりと保護してあり、そうそう破れる心配は無かった。

 仰向けの姿勢から、背中側を見ようとバルドレイクが男のうしろ首に触れ、動きを止める。

「先生、どうしたんですか?」

「……見つかったよ、シャルロッテ」

 バルドレイクは男の首に指を触れたまま、言った。

「まずは、裏返さないとね。手伝ってくれるかい、シャルロッテ。そっと、やるんだ」

「はい、先生」

 シャルロッテの手を借りて、バルドレイクは男の身体をうつ伏せにする。

「見えるかい、シャルロッテ?」

 男の首を指して言うバルドレイクに、シャルロッテが息をのんだ。首の皮膚が、青紫に腫れている。そして、大きなコブのように膨れ上がっていた。

「先生、これは……」

「人間にとって、重要な器官である脳。そこから、いろんな伝達を通して、人の身体は動いている。もし、その伝達機関の中間に、別の意思を持つものが寄生したら、どうなるか……なかなか、陰湿なことを考えるものだね」

 言いながらバルドレイクはカバンの中から小刀と、消毒の薬を出してゆく。

「切るんですか、先生?」

「もちろん、そのつもりだよ、シャルロッテ。こいつを切除しないと、彼は狂った命令を自分の身体に送り続け、死んでしまうからね。神経の集まる場所だから、少し難しい治療になる。今夜は、眠れそうにないね。シャルロッテ、薬の調合をお願いできるかな」

「……はい、先生」

 うなずくシャルロッテに、バルドレイクは笑顔を向ける。それから男の首筋に目を戻し、丸メガネを外した。

「いつもの傷薬に、僕が言う通りのものを混ぜていくだけでいい。正確に、分量も計って」

 緊張した面持ちのシャルロッテが、カバンの中から薬鉢と傷薬を取り出した。居間へ行って湯を沸かしてもらう間に、バルドレイクは麻酔薬の調合を終える。濃度の濃いものを、小刀の刃に塗り付けた。

「じゃあ、いくよ。混ぜながら、黒陽丸を三粒。潰しながら混ぜ入れて」

 黒陽丸は解毒の薬である。雑菌による、化膿止めにもなる。ごりごりと鉢を混ぜる音を聞きながら、バルドレイクは小刀をコブに沿って走らせた。切り裂いた肉を、鍼で固定する。流れてくる血の量は、少なかった。

「混ざって深緑色になったら、今度は小竜草を、一束入れるんだ」

「はい、先生」

 バルドレイクの指示に、シャルロッテの手が干した草束を薬鉢に投入する。束にしていた糸を、解いて外すことも忘れない。

「草が溶けるまで、混ぜていてほしい」

 指示を出しながら、バルドレイクは手を動かす。肉の間、コブの中から出てきたのは、赤紫色の菌糸のようなものと、鱗の付いた小指大の果実のようなものだ。小刀に麻酔薬を付け直し、まずは菌糸に刃を入れていく。神経に繋がる血管の表面に、菌糸は張り付いている。刃が少しでもぶれれば、大惨事になるだろう。じりじりと少しずつ、バルドレイクは小刀を動かしていた。

「先生!」

 ぱちん、と果実のようなものの表面に亀裂が走り、中から液体が飛び出してくる。バルドレイクの眼に、液体が入り込んだのを見てシャルロッテが悲鳴を上げた。

「大丈夫。ただの悪あがきだよ」

 眼を閉じることなく、バルドレイクは菌糸の切除を完了した。切り取った果実を、カバンから出した空の瓶へと収納する。じゅくじゅくと黄色い粘液を垂れ流しながら、果実のようなものはしばらく蠢いていた。

「草が溶けたら、青の溶液を。分量は、ソラマメスープの塩加減くらいでいいよ」

「はい……それで、いいんですか、先生?」

「うん。いつも、いい塩加減だと思うよ、シャルロッテ」

 言いながら、バルドレイクは患部をさらに診る。あの果実のようなものより小ぶりなものが、二つあった。こちらはまだ幼体らしく、菌糸も一本ずつ出しているだけだった。

「溶液を入れたら、あとはゆっくりと混ぜるんだ。容積が少なくなっていくけど、気にせずに。たぶん、三分の一くらいになるまで混ぜたら、完成だよ」

 菌糸を切り取り、小さな果実を瓶の中へ収める。神経に傷をつけないように成し遂げるのは、バルドレイクにしてみても至難の業だった。額に流れる汗を、シャルロッテが調薬の合間に拭ってくれた。

「ありがとう、シャルロッテ」

「礼には及びませんよ、先生」

 にこりと笑い、シャルロッテは再び薬鉢をかき混ぜる。やがて薬鉢の中が、うっすらと発光し始めた。

「……先生、これは」

「ランタンの光が反射しているだけだよ、気にせずに」

「中から、光っているように見えるんですけれど?」

「そうかい? それはきっと、君の信心によるものだね」

 光始めたのであれば、薬の完成だった。薬鉢に匙を入れて、切り裂いた首の肉の断面へと塗っていく。少量を、血管に塗っておくのも忘れない。それから、固定していた鍼を外して縫合すれば、終わりだった。首の肉が癒着し始めたのを確認してから、バルドレイクは素早く包帯を巻いた。

「先生、今の薬は……」

「必要な時が来れば、教えるよ。それまでは、誰にも言わないように。いいね?」

 シャルロッテの目を見つめて、バルドレイクが言った。頬を少し赤く染めて、シャルロッテがこくんとうなずく。

「これで、終わりだね。あとは彼が目覚めたときに、詳しい話を訊こう。お疲れ様、シャルロッテ」

「はい、お疲れ様です、先生」

 丸メガネを掛けなおし、バルドレイクはシャルロッテを伴って居間へと戻った。

 男が目を覚ますのは昼頃になりそうだ、と言うと衛兵は引き上げていった。聞き込みをしている同僚と合流して、情報を集めるとのことだった。治療をしている間に夜が明けてしまい、バルドレイクはシャルロッテに居間の長椅子を使うことを勧めて床に寝転がり仮眠を取ることにした。誰かが来れば玄関の呼び鈴を鳴らすので、問題は無い。そう伝えると、疲労の色の濃いシャルロッテは素直に眠った。

 静かなシャルロッテの寝息を確認してから、バルドレイクは身を起こす。水場へ行き、丸メガネを外して左目を冷たい水で洗った。あの果実のようなものから、液体を浴びせられた場所である。ごろごろとした、痒みのような感覚がわずかにある。周りの皮膚が、少し熱を持っているようだった。目を洗いしばらくすると、その感覚も薄れていった。

 すやすやと安らかな寝顔を見せるシャルロッテに微笑みながら、バルドレイクは再び床に寝転がった。そうして、目を閉じてから間もなく、玄関の呼び鈴が鳴る。ちりん、ちりんという涼やかな音に背を押されるように、バルドレイクはのろのろと立ち上がった。

「……長い、一日になりそうだね」

 呟いて、バルドレイクは苦笑した。

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