シャルロッテとバルドレイク ある日の朝
朝食に、あまり贅沢をすることはできない。孤児院の財政状況は、決して上向きとはいえないからだ。まして、昨日のように思わぬ出費がある。だから、今朝の食事はソラマメの薄い塩味スープのみだった。
「いただきます」
メルとミルの双子が、シャルロッテと一緒に手を合わせ、祈りを捧げてから言った。ほっくりとしたソラマメと薄い塩味を、時間をかけて堪能する。双子が一杯ずつおかわりをすると、鍋の中身は空っぽになった。
「それじゃあお姉ちゃん、行ってきます」
「たくさん野草、採ってくるから」
野草狩りに出かける双子を見送って、シャルロッテは病院の受付に座った。バルドレイクが来るまで、前任のシスターマリアが遺したカルテを、片っ端から読んでいく。高価な医学書などには手が出ないので、シャルロッテにとってはそれが教科書となっていた。
三枚目のカルテに目を通し始めたところで、玄関の戸が開いた。
「やあ、おはようシャルロッテ。今日も熱心だね」
顔をのぞかせたのは、医師のバルドレイクだった。
「先生、今日は珍しく早いですね。雨でも降るかしら?」
いつもなら、バルドレイクは昼前に来る。そうして、患者を待たせることばかりだった。
「珍しいのは、僕じゃない。今日の薬の材料だよ」
皮肉は通じなかったらしく、バルドレイクは軽い足取りで入ってくる。手に持っているものを、シャルロッテの目の前に掲げて見せた。
「……なんですか、それ」
シャルロッテは受付の椅子から腰を浮かせ、一歩足を引いた。バルドレイクの手には、大きなトカゲのようなものが握られている。
「イモリだよ。おっと、心配しなくていいよ。今日のは、タダで貰ったものだから」
掌に余るくらいのサイズのイモリに、シャルロッテはさらに一歩下がった。
「た、タダで……? そ、そんなもの、どうするんですか?」
シャルロッテの顔から血の気が引いていく。イモリは、見るだけでもあまりいい気分にはならない。悲鳴を上げたい気分ですらあったが、バルドレイクに隙を見せたくない一心でなんとかこらえていた。
「焼いて、粉末にするんだよ。こいつには、薬の効果を高める力があるんだ」
「焼く……? ま、まさか、それを台所で焼くんですか?」
「診察室で火を熾すわけにもいかないからね。頼めるかい、シャルロッテ?」
ずい、と目の前にイモリが突き出される。シャルロッテが、一歩後ろへ下がって首を横へ振る。
「だ、ダメです、先生」
「かまどを少し使わせてくれるだけでいいんだけど?」
ずい、とバルドレイクが歩を進めてくる。イモリが、また目の前にやってきた。
「に、庭で、庭で焼いてください!」
「庭はダメだよ。薬草を育てているからね、メルとミルが。だからさ、頼むよ」
シャルロッテが後退し、バルドレイクが追う。奇妙な攻防戦の末、シャルロッテはかまどの前まで追いつめられた。
「せ、先生、後生ですから、どうか他で焼いてください!」
かまどの前に立ちふさがるシャルロッテに、バルドレイクはじっと視線を送る。
「……もしかして、シャルロッテ。君は、コレが苦手なのかな?」
悪意のない、純粋な問いかけだった。シャルロッテは、咽喉に詰まったような声を上げた。
「は、はい……苦手、というか、大嫌いな、生物です……」
重い沈黙の末、シャルロッテは絞り出すように答えた。情けない、と笑われてしまう。目を閉じて悔しがるシャルロッテの頭に、ぽん、と手のひらが乗った。
「悪かった、シャルロッテ。君にも、苦手なものがあるんだね。半年間も一緒にやってきたのに、僕は何も知らなかった」
「先生……きゃああ!」
目を開けたシャルロッテの目の前に、イモリの胴体があった。思わず、悲鳴と共に空の鍋を投げつけてしまう。
「わっと、すまないシャルロッテ! 悪気は無かったんだ! ああ、包丁はやめてくれ、危ない! そ、外で、外で焼くから!」
据わった眼で包丁を握りしめるシャルロッテに、バルドレイクは背を向けて玄関へ走っていった。
それからしばらくして、診察室でゴリゴリと何かをすり潰す音が聞こえてきた。結局、孤児院の前で火を焚いて、イモリは黒焼きになったようだった。玄関から診療室に入るバルドレイクを、シャルロッテは包丁を構えたまま見つめているだけだった。
「本当……信じられない」
イモリへの嫌悪もあったが、シャルロッテを苛むのはバルドレイクに見せてしまった自身の醜態だった。思えば半年間、バルドレイクにはあまり感情を見せてはいなかった気がする。思考の海にシャルロッテが浸っていると、玄関の戸が叩かれた。
「先生、約束通り、薬を取りに来たよ」
言いながら入ってきたのは、若い女だった。胸と腰にわずかな布を巻き付けただけの恰好をしていた。
「い、いらっしゃいませ。先生に、御用の方ですか?」
女の恰好に何となくドギマギしてしまい、うわずった声でシャルロッテが聞いた。
「そうよ。先生は、どこかな?」
女が答えると同時に、診察室の扉が開いた。
「やあ、約束通り来てくれたんだね。こっちへ入りなさい」
バルドレイクが顔を出して、女を手招いた。思わず、シャルロッテも女の後に続いて中へ入る。
「今ちょうど、薬の調合が終わったところだよ。具合はどうだい?」
入ってきた女に椅子をすすめて、バルドレイクが尋ねた。女が、腹に巻いていた布を少し下にずらした。
「少し、熱っぽいかな。でも、痛みはほとんど無くなったよ、先生」
バルドレイクが、女の腹に手を当てる。よく見ると、小さな縫合跡があった。
「先生、この人は……?」
シャルロッテが、問いかけた。
「うん。ちょっとした縁で、治療した患者さんだよ」
「どうも、アニーです」
陽気な笑顔で、女が頭を下げた。
「ど、どうも、看護師のシャルロッテです」
会釈を返したシャルロッテは、戸惑いながら言った。
「可愛い子だね。もしかして、先生のコレ?」
小指を立てて、アニーがバルドレイクに訊いた。
「いや、仕事仲間だよ。彼女は、優秀な看護師だ」
アニーの腕を取って指を当てながら、バルドレイクが答える。優秀な看護師、という言葉に、なぜか先ほどの醜態を思い出し、シャルロッテは顔を赤くした。
「うん、脈は正常だ。ところで、アニー。何か変なものを食べたりしなかったかい? ここ数日で」
バルドレイクに問われて、アニーは可愛らしく唇に指を当てて小首をかしげた。
「うーん、わかんない」
にっこりと、笑ってアニーが言った。
「そうかい。それじゃあ、もういいよ。家に帰って、薬を飲んでくれ。それから、たくさん便が出るから、水分はしっかりと取るんだよ」
「はあい、ありがと、先生」
アニーはバルドレイクにぺこりと頭を下げ、薬の包みを受け取った。それから、ぴょんと立ち上がってシャルロッテにウインクを寄越してくる。
「頑張ってね、シャルロッテちゃん」
はい、とも言えず、シャルロッテは出て行くアニーを黙って見送った。
「シャルロッテ、ちょっといいかい?」
呆然と立っていたシャルロッテに、バルドレイクが声をかけた。
「は、はい、先生?」
振り向いたシャルロッテの視界には、寝台に横になるバルドレイクの姿があった。
「すまないが、患者が来るまで寝かせておいてくれないかな? 昨日から寝てなくてね」
言うが早く、返事も聞かずにバルドレイクは寝息を立て始めた。
「先生……寝てないって……ええと」
シャルロッテの脳裏に、バルドレイクと陽気なアニーの笑顔が映った。強く頭を振って、あらぬ妄想を追い出す。
「とりあえず、患者さんが来たら起こしますからね」
言い置いて、診察室の扉を音立てないようそっと閉じ、受付に戻った。
再びカルテを読み始めたが、内容はあまり頭に入ってはこなかった。