シャルロッテの失われた記憶と双子の進路
目覚めると、身体の両脇で温かいものがもぞもぞと動いていた。
「おはよう、ミル、メル」
いつの間に寝台へ潜り込んできたのだろう。シャルロッテはぼんやりと考えた。だが、よくよく見ればそこは自分の寝台ではない。ミルとメルのものだった。他の子供たちがいなくなってから、双子は大きめの寝台で一緒に眠る。そこへ、自分が乱入したらしかった。
うう、と唸って双子がシーツに丸まった。その光景に目を細めながら、シャルロッテは起き上がり、寝台を下りて自分の恰好を見る。なぜか、仕事着のままだった。髪も後ろで結わえたままである。昨夜のことを思い出そうとしたが、上手くいかなかった。
台所へ行き、顔を洗う。水汲みへ出かける前に、診察室をのぞいた。寝台にはバルドレイクが仰向けになって倒れていて、静かな寝息が聞こえた。
昨夜は、バルドレイクと一緒にクラッチレイ家から頂戴した酒を飲んでいた。夜になってからのことだ。診察室で、飲んでいた。うっすらと思い出せたのは、カップを手にして微笑み合った時までだった。
酒を嗜むのは、初めてのことだった。国の法律ではシャルロッテは成人であり、飲酒には何の問題もない。だが、孤児院の財政状況が、酒という嗜好品を遠ざけてしまっていたのだ。何となく頭に残っているのは、美味しい、ということと楽しい、ということだけだ。
考えながらも身体を動かし、朝食の準備は整った。ミルとメルが貰ってきた魚は塩漬けにしてあり、そのまま骨を取って炙る。ソラマメのスープを作れば、完成だった。
「いただきます」
起き出してきた双子とバルドレイクと共に、手を合わせて唱和する。
「先生、昨日のこと覚えてますか?」
スープに匙を入れながら、シャルロッテは訊いた。
「ああ、昨日のことだね。……覚えて、いないかい?」
魚の身を口に入れながら、バルドレイクが逆に問い返した。シャルロッテは首を振り、スープを口に入れる。薄い塩味が、口の中に流れ込んできた。
「しばらく飲んでいたんだけれど、寝てしまったんだ。だから、寝室へ運んだんだよ、シャルロッテ」
「す、すみませんでした、先生」
「気にすることはないよ。疲れが、溜まっていたんだろうね、きっと」
恐縮して頭を下げるシャルロッテに、バルドレイクは鷹揚にうなずいた。
「それはそうと、大事なお話があるんだ」
食事をほぼ終えたとき、バルドレイクが切り出した。空の皿をまとめて重ねていたシャルロッテは、動きを止めて椅子に座る。皿を洗い場へ持って行ったミルも、戻って椅子へ腰掛けた。
「おはなしってなあに、せんせい?」
メルが、バルドレイクを見上げて訊いた。
「うん。ミルと、メルのことなんだけれど」
バルドレイクは真剣な顔になり、先を続ける。
「まず、ミルなんだけれど、一昨日行った薬草園に、しばらく通ってみる気はないかい? 仕事の覚えが早くて、助かったらしくてね。ミルさえ良ければ、働いてみないか、ということなんだ」
「先生、ミルはまだ子供です」
横合いから、シャルロッテは声を挟んだ。だが、隣のミルがシャルロッテの袖を引く。
「おねえちゃん、ミル、はたらいてみたい」
ミルの目を、じっと見つめた。幼いながらも、瞳の中には決意と期待のいろがあった。
「ミル、遊びに行くのとは、訳が違うのよ? お仕事なんだから、辛いこともたくさんあるの」
「うん、だいじょうぶ。ミル、はたらきたいの」
見つめ返す強い視線に、シャルロッテは言葉を飲み込んだ。小さいながらも、孤児院の財政状況を慮っているのだろう。そう思うと、胸に小さな痛みが走った。
「送り迎えは、あの子がすることになってる。食事も付くし、悪い話ではないと思うよ?」
食後の白湯をすすりながら、バルドレイクが言う。
「わかった。せんせい、よろしくおねがいします!」
笑顔で言うミルの頭を撫でるしか、シャルロッテにはできなかった。
「ねえ、メルは?」
対面に座るメルが、声を上げる。
「そうです、先生。メルは、どうするんですか?」
問いかけると、バルドレイクは少し考えるようにうつむいた。
「メルは……ヒューリック家に、行儀見習いへ出そうかと思う。まだ正式な話ではないけれど、たぶん承諾は得られるはずだよ」
バルドレイクの言葉に、シャルロッテは驚きの目でメルとバルドレイクを交互に見やった。
「ヒュ、ヒューリック様の家に? メルが、ですか?」
「うん。メイドさんとかのお仕事を手伝ったり、ヒューリック夫人の相手をしたり、かな。メルは、最近字を覚えたよね? もう少し、本格的に勉強してみたくはないかい?」
バルドレイクの質問に、メルは頭をうつむかせてうーんと唸った。
「お屋敷に住み込みになるから、シャルロッテとミルとは離れ離れになるけれど、同じ町の中だからね。僕も、毎日とは言えないけれど、様子を見に行くから。どうだろう、メル?」
メルの肩に手を置いて、バルドレイクが訊いた。
「せんせいが、きてくれるの?」
ゆっくりと、メルが顔を上げる。上目遣いの瞳は、きらきらとした輝きがあった。
「うん、もちろん」
大きく、バルドレイクがうなずいた。
「じゃあ、いく!」
元気よく、メルもうなずきを返す。
「メル! そんな簡単に決めて……」
「ごめんなさい、おねえちゃん。でも、メル、がんばるから」
きっぱりと言い切ったメルの目に、迷いはなかった。大きく、息を吐いて、シャルロッテはメルを見つめた。
「わかった。メルの、好きにしなさい。私もミルも、できるだけ様子を見に行くから。ヒューリック様に、失礼の無いようにするのよ?」
はあい、と答え、メルがにっこりと笑う。
「よかったね、メル」
「うん、ミルも、よかったね」
双子は笑みを交わし合い、抱き合って喜びを分かち合う。横目で見やり、シャルロッテはバルドレイクに視線を戻した。
「先生、ということは、今日は」
「うん。ヒューリックの屋敷へ、出かける。メルを連れてね。君には、留守を頼むよ、シャルロッテ」
「……わかりました。メルを、お願いします、先生」
話は終わり、シャルロッテはミルとメルと一緒に朝食の片づけをする。三人揃っての家事は、これで最後になるかもしれない。そう思うと、シャルロッテの胸に強い感情がこみ上げてくる。双子はいたって暢気で、くすくすと囁くように笑いながら皿を片付けていた。
玄関の戸が叩かれ、少年が姿を見せた。ミルを迎えに来た、という声に、外出着を身に着けたミルがとてとてと駆けてくる。メルに手を引かれたバルドレイクも、見送りにやってきた。
「いってらっしゃい、ミル。辛かったら、いつでも言うのよ?」
「心配しすぎだぜ、姉ちゃん。ちびは、ちゃんと一人前にするから安心してなって」
心配顔でミルを抱きしめるシャルロッテに、少年が軽い口調で言った。
「いってきます、シャルロッテおねえちゃん、メル、せんせい」
笑顔で手を振って、少年に伴われてミルは去って行った。ミルの姿が消えるまで、シャルロッテは裏路地の遠くをずっと見つめていた。
「それじゃあ、僕たちも行こうか、メル」
「うん、せんせい」
聞こえた声に振り返ると、白衣を羽織りカバンを手にしたバルドレイクと、外出着のメルが立っていた。
「もう、行くんですか、先生?」
「昼には、戻ってくるつもりだからね」
「シャルロッテおねえちゃん、しんぱいしなくても、だいじょうぶだよ。メルも、お休みとかもらえたら、かえってくるから」
笑顔で言うメルを、シャルロッテは強く抱きしめた。
「いってらっしゃい、メル。寂しかったら、いつでも帰ってくるのよ?」
シャルロッテの頬に、熱いものが流れた。合わせたメルの頬からも、滴が落ちる。しばらく抱き合ってから、シャルロッテはメルの頬を袖で拭った。
「いってきます、シャルロッテおねえちゃん」
「留守は頼んだよ、シャルロッテ」
バルドレイクに手を引かれたメルの背中が、小さくなっていく。孤児院の前に立って、シャルロッテはそれを飽くことなく見送り続けていた。やがて、曲がり角に二人の姿が消える。それでもシャルロッテは動けず、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「シャルロッテちゃん、いいかい?」
声をかけてきたのは、腰痛と胃痛で悩む中年の患者だった。
「は、はい!」
涙を拭って振り向いて、シャルロッテは患者と共に診察室へと入って行った。