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闇底の白衣  作者: S.U.Y
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シャルロッテとギルバート

 昼食に出てきたものは、どれもシャルロッテの食べたことのないものだった。焼いた肉に、香辛料が使われている。ほんの少しの味付けが、素材に彩りを与える。素直に驚きを顔に出すシャルロッテを、ギルバートは楽しげに見つめていた。

 食後にギルバートに連れてこられたのは、屋敷の客間だった。大鹿のツノ飾りや、巨大な剣などが壁に飾られている部屋である。柔らかな絨毯を踏みしめながら、ギルバートはシャルロッテに剣の来歴について語っていた。

「私の祖先が使っていたものなんだ。馬上で振るうための剣だよ。馬の突進力でもって、敵をへし切ることを主眼に置いた武器なんだ」

 説明を聞き流しながら、シャルロッテはギルバートを見つめていた。大げさな身振りと芝居がかった声は、ギルバートを一層軽薄に見せていた。彼の家が騎士の出である、と言われても、華奢な彼には武門の血が感じられない。まだ、バルドレイクのほうが強そうに見えるくらいだ。常に白衣を身に着けているおかげで、医師の面だけが見えているが、時折見せる何気ない所作は力強さを感じさせてくれるものがあった。

「……失礼、医師の君には、武器の話はつまらなかったかな?」

 ぼんやりしているところへ、ギルバートの声がかかった。

「あなたは、騎士には見えないわね」

 返事の代わりに、シャルロッテは言った。ギルバートは自身の身体を見下ろして、小さく笑った。

「私の家が騎士だったのは、何代も前の話だよ。それに私は生まれつき身体が弱くてね、馬にもろくに乗れないと親にはよく叱られているんだ」

 気弱な笑みのまま、ギルバートが小さく咳をした。

「大丈夫?」

「ああ、心配ないよ。ありがとう。少し、はしゃぎすぎたみたいだ。君と、一緒にいられるなんて、夢みたいなことだからね」

 そう言ってギルバートは、にっこりと笑顔を作って見せた。先ほどの気弱な笑みではない、しっかりとした表情だった。

「君の話を、聞きたいな。あの孤児院で暮らしているっていうことは、君は……」

 ギルバートが何かに気付いたように、言葉を切る。

「ええ。まだ生まれたばかりの頃に、あの孤児院に捨てられていたの。つまらない、話よ?」

「悪いことを、聞いてしまっているのかな」

「別に、気にしてはいないわ。孤児院でマリア姉さんに育てられて、私は幸せだったもの」

「お姉さんが、いたんだね」

「血は繋がっていないけれど、姉だったし母でもあったわ。そして、腕の良い医師でもあった」

 シャルロッテの目が、遠い日の幻を追うように宙を彷徨った。

「私は姉さんの手伝いをしながら、自分より小さい子の世話をして過ごした。もう、妹二人しか残っていないけれど」

「どうして、いなくなったんだい?」

「……流行り病が、あったでしょう? 半年ほど前の。あのときに、姉さんも、他に十人いた弟や妹も、みんな死んでしまったの」

 シャルロッテはうつむいて、浮かび上がろうとするものを抑え込んだ。

「すまない。酷なことを、思い出させてしまったようだね」

 気遣うギルバートの声が、まるで遠くから響くように感じられた。

「私に、もっと知識があれば、姉さんもみんなも、救けてあげられたかもしれない。後悔で頭がいっぱいだった。どうしてもっと、姉さんに教えてもらわなかったんだろうって。双子の妹を抱えて、暮らしに困っていたところで、ヒューリック様が助けてくださったの。お金を援助してくださって、それから、医師を一人、派遣してくださった」

「それが、バルドレイクだね。あの、いい加減そうな」

 ギルバートの言葉に、シャルロッテは小さく笑った。

「ええ。先生はいい加減そうに見えるわね。実際だらしない所はあるし、私も初めて会ったときは不安しかなかったもの。でも、バルドレイク先生は、医師の腕は確かなのよ?」

「どうやら、そうみたいだね。君の様子を見ているとそう思えるよ」

 シャルロッテはギルバートと目を合わせ、笑みを交わす。

「さて、そろそろティータイムだ。シャルロッテ、君のために、とっておきのお茶を……」

 そこまで言って、ギルバートが激しく咳き込んだ。身体をくの字に折って、そのままうずくまる。

「ギルバート! しっかりして!」

 駆け寄るシャルロッテの目の前で、ギルバートが口から大量の血を吐いた。上等な仕立ての服を、そして絨毯を汚し、赤黒い染みが拡がっていく。

「ギルバート様!」

 シャルロッテの叫びを聞いた使用人が、泡を食って駆けて来た。

「私のカバンと、お湯を用意してください! 早く!」

 ギルバートを横向きに寝かせ、シャルロッテは使用人に指示を出す。かしこまりました、という声を背中で聞きながら、ギルバートの口の中を覗き込んだ。

「服を脱がすわ、ギルバート」

 返事は無かったが、構わずシャルロッテはギルバートのシャツを脱がせた。あばらの浮いた細い体が、露わになる。胸に耳を当てて、呼吸の音を診た。

「持ってきました!」

 使用人が戻り、シャルロッテはカバンを受け取る。カバンの中から小型の薬鉢と、薬瓶をいくつか取り出した。

 バルドレイクと共に調合した薬の効能、そして投入する薬の順番。それらを思い起こしながら、シャルロッテは手早く薬鉢をかき混ぜる。倒れたギルバートの様子から見るに、時間はあまり無い。

「……粉になっていて、よかった」

 イモリの黒焼きを砕いた粉を、鉢に入れてさらに混ぜる。どろりとした、緑色の粘液が出来上がった。

「カップに、お湯を」

 使用人が湯の入ったカップを差し出してくる。受け取って、薬を溶かし入れた。

「ギルバート、しっかりして。今、薬ができたわ」

 苦しげに呻くギルバートの口へ、シャルロッテはカップの中身を流し込む。ギルバートの咽喉が大きく動き、薬を飲み込んだ。

「……苦い」

「我慢しなさい。男の子でしょう? 頑張って、全部飲んで」

 三杯分の薬湯を、シャルロッテは流し込んだ。それで、薬は無くなった。顔じゅうをしわにした表情で、ギルバートはなんとか薬を嚥下したようだった。

「あとは、少し眠ったほうがいいわ。寝室へ運ぶのは、やめておいたほうがいいわね」

 客間にあった長椅子に、使用人の手を借りてギルバートを寝かせる。別の使用人が毛布を持ってきて、そこへかぶせた。

「……すまない、シャルロッテ。私は」

「大丈夫。お薬が効いてくれば良くなるから、しばらく寝ていなさい」

 目を閉じたギルバートの髪を、シャルロッテは優しく梳いた。

「シャルロッテ……?」

「なんだか、弟みたいね、あなた。手間のかかるところはそっくりだわ」

「弟、か……はは」

 小さく笑い、ギルバートは眠り始めた。シャルロッテはギルバートの手を握り、子守歌を口ずさむ。しばらくの間、そのままでいた。

 夕日が客間を照らす頃、ギルバートが目を覚ました。

「おはよう、シャルロッテ。これは、夢なんだろうか?」

「おはよう、ギルバート。もう、大丈夫みたいね」

 シャルロッテは言って、ギルバートの手を離す。名残惜しげに、ギルバートの手が宙を掻いた。

「君が来てくれて、本当に嬉しかった。シャルロッテ」

 長椅子の上で半身を起こしながら、ギルバートが言う。

「それだけ口が動くなら、本当に大丈夫ね。気分はどう? 息苦しくないかしら」

「もう平気だ。私は、男の子だからね」

 にこりと笑ってから、ギルバートが真剣な表情になる。

「シャルロッテ、君の素晴らしい腕を見込んで、頼みがある」

「頼み?」

「私の両親を、診てほしい。最近、病を得て寝込んでしまっているんだ」

 ギルバートの言葉が終わると同時に、客間のドアが開いた。

「そろそろいいかな? シャルロッテ」

「先生!」

 開いたドアの先には、白衣の胸に血の染みを作ったバルドレイクが立っていた。

「ギルバート君は、無事のようだね」

 毛布で身を隠すように小さくなるギルバートを見下ろし、バルドレイクは笑顔で言った。

「先生、それ、どうしたんですか?」

 シャルロッテがバルドレイクの胸を指差し、言った。バルドレイクは困ったような笑顔を浮かべ、首を横へ振る。

「ああ、何でもない。ちょっと、一仕事しただけだよ。それよりギルバート君、君の両親のことなんだけれど」

「お前には関係……いや、そうだな。シャルロッテが、信じる医師だからな。バルドレイク、それからシャルロッテ、改めて頼みたい。私の、両親の病を、治してはくれないか?」

 言って、ギルバートは頭をゆっくりと下げた。シャルロッテはバルドレイクの顔を見る。バルドレイクは、うなずいてみせた。

「いいよ、ギルバート君。僕もそのつもりだったし、シャルロッテも賛成のようだし、ね。ところで、僕からもひとつ、お願いしていいかな?」

「ああ。両親を救けてくれるなら、何でもする」

 そうか、とバルドレイクがうなずく。

「それじゃあ、お酒を用意してもらえるかい? なるべく良いものを」

「……先生、お酒って、何に使うんですか?」

 首を傾げて問うシャルロッテに、バルドレイクは笑顔で答える。

「お酒は、飲むものだよ、シャルロッテ?」

 シャルロッテは、少しの間を置いて呆れた顔になった。

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