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闇底の白衣  作者: S.U.Y
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温室

 バルドレイクは一人、クラッチレイ家の屋敷の広い庭を歩いていた。綺麗に整備された植木をぬって進むと、やがて行き着いたのは庭の南側にある、ガラスで仕切られた部屋だった。

 陽光を取り入れるためか、天井も透明に近いガラスでできていた。入口にある戸を引くと、鍵は無いらしく、簡単に開いた。

 部屋の中は暖かく、湿気が多い。床は土がむき出しになっていて、色とりどりの植物が植わっていた。

「まさか、ここへ来るとはな、竜安」

 部屋の中央に、覆面をつけた男が立っていた。横に置いてある籠に、植物の葉などが入っているところを見ると、手入れをしていたところらしかった。

「昼間に会うのは初めてだね。それと、僕はバルドレイクだ」

 バルドレイクは両手を上げて害意の無いことを示し、微笑んで言った。男は覆面の奥から、鋭い視線を送ってくる。構わず、バルドレイクは周囲を軽く見回した。

「すごいね、ここは。懐かしい植物がたくさんある」

「……クラッチレイに作らせた施設だ。この国では、温室、という」

 男は服の中から、短いナイフを取り出して言った。

「温かい部屋、温室か。いい施設だね。季節を問わず、薬草が採れる」

 対峙するバルドレイクが、丸メガネを外した。男は気圧されたように半歩下がり、開いた片手で薬瓶を取り出し中身を飲み干した。

「あの奇妙な術を使うつもりなら、そうはいかん。対処策はすでに練っている」

「何も怖がることはないよ。今日は、僕は手ぶらだからね」

「……カバンは、どうした?」

「助手に預けた。今はここの御曹司と昼食を愉しんでいるだろうね」

「そうか。ならば、今の貴様を殺すことは、容易いことだな、竜安」

 言って男は、ナイフの刃に液体を垂らし、塗り付けた。銀色の刃が、紫色の粘液に包まれていく。

「やっぱり、毒か。それで、どうするつもりだい?」

 挑発するように、バルドレイクは両手を拡げて男に歩み寄っていく。

「心の臓へ、直接毒を流し込む。いかな貴様とて、生きてはおれまい」

 男が腰を落とし、ナイフを構える。バルドレイクが、足を止めた。

「僕が聞きたいのは、この温室で育てた毒物を使って、どうするか、なんだけれど?」

 微笑みを絶やさず、バルドレイクは首を傾げて訊いた。

「どうせ、ここで死ぬ身だ。知っても意味はあるまい」

 男は笑みを返し、足を踏みしめる。

「言いたくはない、といったところかな。大体の見当は付いているけれど」

「ほう、ならば、遺言代わりに聞いてやろうか。ここの植物を使って、何ができるのかを。それと、時間を稼いでも無駄だ。ここへは、誰も来ない。俺が呼ばない限りはな」

「大貴族のクラッチレイ家から、病を拡げていく。人間の身体の中で病毒を培養して、使用人、出入りの商人を経て感染させる。そして、疫病が流行し町全体の脅威になる。この国の医師には、おそらく手に負えないだろうね。特殊な薬が、必要になるだろうから」

 バルドレイクは側にあった植物の葉を一枚手に取り、眺めた。

「ここの薬草を使えば、病の特効薬になるだろうね。栽培法も薬草の精錬法も、君しか知らない。君は英雄になれるだろう。だが、君の目的は富や名声を得ることじゃない。僕にわかるのは、そこまでだよ」

「充分だ。貴様の予測は正しい」

 男が、踏み込んできた。縮めていたバネを伸ばすように、男はナイフを一直線にバルドレイクの胸に突き立てる。音を置き去りにするような男の一撃は、吸い込まれるようにバルドレイクの胸の中央を貫いた。大きな衝撃があった。

「ぐ、な、何が目的だ……? や、病を、拡げて」

 ナイフの柄をえぐるように動かそうとする男の手を押さえ、バルドレイクは訊いた。じんわりと、赤いしみが白衣を汚していく。

「不治の流行り病は、人間に恐怖を生む。恐怖は、病より早く広まっていくだろう。死をもたらす病への恐怖だ。俺の目的は、そこにある」

 凄絶な笑みを浮かべ、男は言った。

「きょ、恐怖……」

「この町から広がる恐怖は、やがて国を越え、陸を伝い、大陸全土に広がっていくだろう。そうなれば、俺は……」

 バルドレイクの身体が、仰向けに倒された。胸に刺さったナイフが抜き取られ、男が去って行く気配があった。指一本、動かすことのできない痺れにバルドレイクは苛まれた。背中に触れる柔らかな土の感触が、遠のいていく。

 目を閉じたバルドレイクの身を、浮遊感が包んだ。誰かに、運ばれている。あまり丁寧でない運搬方法だったが、今のバルドレイクには抗する術はない。暗闇に閉ざされた思考の中で、バルドレイクはゆっくりと数を数えた。百二十五。そこまで数えてから、バルドレイクは中指と親指を合わせ、鳴らした。

 衝撃があった。地面に手をついて、バルドレイクは身を起こす。頭を振りながら目を開けると、屋敷の入口あたりの風景が見えた。

「やあ、ご苦労様。人を運ぶときは、もう少し相手に気を使ったほうがいいね」

 傍らに棒立ちになっている男の肩を叩き、バルドレイクは言った。呆けた顔をしていたその男が、はっとなってバルドレイクを見る。

「う、あ、ああ? お、お前、なんで!」

 眉の無い男の顔に、驚きの表情がいっぱいに浮かぶ。

「昨夜ぶりだね、君とは。少しばかり、顔色が悪いようだけれど」

「ば、ばかな、大先生が、始末したって……」

「あいにく僕の身体は少しばかり頑丈でね。そうそう死んだりしないんだ。それはそうと、君には助けられたことになるね。お礼に、これを」

 大口を開けてのけぞる男の口に、白衣のポケットから出した丸薬を投げ込んだ。男は目を白黒させて、咽喉を押さえてしゃがみ込む。

「な、何を飲ませた!」

「睡眠が足りていないようだったから、よく眠れる薬を処方したんだ。おやすみ、良い夢を」

 もがくような男の動きが鈍くなり、やがてうつ伏せになった男はいびきをかいて眠りについた。バルドレイクは白衣の襟を引いてしわを伸ばしつつ、空に目をやった。中天近くにあった太陽が、西の空へと沈み始めている。

「そろそろ時間だね。シャルロッテを迎えに行かないと」

 呟いて、バルドレイクは屋敷の入口へと入って行った。

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