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闇底の白衣  作者: S.U.Y
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不穏な夜

 バルドレイクが孤児院を出たのは、日が沈み星空が顔を見せてからのことだった。背後で戸に閂が掛けられるのを確認してから、歩き出す。ふらふらとした足取りで向かうのは、繁華街の酒場通りだ。にぎにぎしい喧騒の中を漂いながら、バルドレイクはひとつの気配を感じていた。

 看板も見ずに、適当に足の向いた店へと入った。酒のボトルの並んだ棚をバックに、初老のマスターが声をかけてくる。

「いらっしゃい。こんな時分から珍しいね、お医者さん」

「たまには、ここで飲みたい気分なんだ、マスター」

 カウンターの一番奥に腰掛けて、バルドレイクは酒を頼んだ。カウンターに置かれるのは、琥珀色のワンショットグラスだ。中身を、一口含んだ。

「いい酒だね、マスター」

「十年物だ。こないだの礼を含めて」

 グラスを磨くマスターが、口ひげを歪ませて言った。

「その後、胃の具合はどうかな」

「もう何ともなっちゃいない。前より、丈夫になったみたいだよ」

 酒場の中には、バルドレイクの他に客はいなかった。グラスを口にするバルドレイクの前に、乾きものの小皿が置かれた。

「サービスだ。酒だけ飲むのも、味気ないだろう」

 バルドレイクは礼を言い、皿の木の実を口にする。香ばしく固い食感が、酒と混じり合い見事なハーモニーを作り出す。静かな時間が、流れた。

 バルドレイクが伸びをして、目じりを指で揉んだ。

「お勘定、ここに置いておくよ、マスター」

「毎度あり、お医者さん。このボトルは、取っておくから」

 ほかの客が入口へ姿を見せたのを皮切りに、バルドレイクは腰を上げた。三枚の銀貨をカウンターに置いて、店を出る。よたよたと歩く酔客に混じって、バルドレイクもねぐらへ向かった。後をつける気配は、もう消えていた。

「おかえり、竜にいさん」

 ねぐらには、少年の姿があった。

「やあ、ただいま。それで、どうだった?」

 挨拶もそこそこに、バルドレイクは問いかける。

「竜にいさんの見立て通り、アレはホウケダケの一種だったよ。しかも上等な」

「そうか。それならしばらくは、麻酔に困るということはないか」

「そうなるね。加工のほうは、俺がやっとこうか?」

「格安で頼むよ。持ち込んだのは、僕の伝手だ」

「ヒューリックに送られてきたって言ってたね。もしかして、送り主は例の奴?」

「確証はない。だけど、間違いでもないだろうね。僕になら簡単にわかるものだし、ヒューリックと僕の繋がりは、この前の事件の時に知られただろうから」

「じゃあ、あのホウケダケを寄越した貴族を調べれば、奴の居場所もわかるってことか」

 少年の言葉に、バルドレイクは首を横へ振る。

「そう簡単でもないんだ。クラッチレイ家は古い大貴族で、力も強い。人一人を隠すことは、朝飯前にやってしまえるだろうから」

「正攻法じゃ、難しいってことか」

「そうだね。こっちにできることは、相手の出方を待つしかない。何か事を起こそうとすれば、動きが出る。そこを、捕まえる」

「それまで見張りをすればいいんだね。任せてよ」

 どん、と少年が胸を叩いた。

「危険はある、と思う。前みたいな、いや、前よりも酷い手段を用いてくるかもしれない」

「失敗から学ぶこともあるよ、竜にいさん」

「アニーに、もう会えなくなるかもしれない」

「……そうならないためにも、俺はうまくやる。あいつに、あんなことしやがった奴を、俺は許さない」

 少年の瞳には、静かな怒りの炎があった。

「……わかった。それじゃあ、お願いするよ。でも、もう深追いはしないように」

「大丈夫だよ、竜にいさん。俺も、同じ失敗は二度としないから」

 にやり、と少年は笑う。

「それから、もう一つ。気になることがあるんだ」

「奴関連のこと?」

「いや、別件だよ。今日の昼前、孤児院に出勤したときのことなんだけど」

「うん。孤児院の姉ちゃんにでも怒られた?」

「そのシャルロッテが、口説かれていたんだ」

「へ?」

 少年の口から、間抜けな声が漏れた。

「相手は貴族っぽい恰好で、まだ若い男だった」

「ああ、貴族様に見初められたってとこ? まあ、姉ちゃんも着るもの着せりゃ上玉だもんね」

「……そうだね。怒った顔以外あんまり見たことがないから、僕には何とも言えないけれど」

「竜にいさんはいい加減に見えるからね。すぐに笑って誤魔化すし」

「……僕のことは置いておこう。問題なのは、その貴族だ」

「何が問題なの?」

「あの界隈に、貴族が偶然通りかかるかな? そして、孤児院のやっている病院に来た理由もわからない」

「スラムに貴族……掃き溜めに鶴っていうんだっけ」

「僕はヒューリックと付き合いもあって、彼ら貴族の生態をある程度は知ってるつもりだ。貴族が、好んであの界隈に近づくとは思えない」

「変わり者なんじゃないの?」

「そうかもしれないし、もしかすると何かの目的があってシャルロッテに近づこうとしているのかもしれない」

「その、貴族の名前は?」

「ギルバート。家名は名乗っていなかった。それも、怪しいところだよ」

「もしかすると、家なんて関係なく姉ちゃんとお付き合いしたいだけの変わり者の純情貴族かもよ?」

「それを、調べてほしいんだ。奴の件と関わりがあるのかどうか。優先順位としては低いから、もののついでで構わないけれど」

「……調べて、もし純情貴族だったらどうするの?」

「……どうも、しない。僕がどうこうする問題でもないし」

「そこは、『こいつは俺の女だ、近づくと痛い目に遭わせるぞ』くらいは言ってもいいんじゃない、竜にいさん?」

 にやにやと、少年が笑顔で言う。

「僕に、そんなつもりは……」

「ない、って即座に言いきれないところが、竜にいさんの甘い所だね。いいよ、ギルバートって男のことも、調べておくよ。ついで、なんて言わないで、本腰入れてさ」

「……お願いするよ。ただ、危険を感じたら、すぐに手を引いて構わない。こちらの件は、あくまでついでだから」

「危険? お坊ちゃん貴族について調べるだけだよね?」

「実は、今日孤児院を出てから尾行があったんだ」

 バルドレイクの言葉に、少年は少し考え込む。

「尾行、ね。奴の差し金とは……考えられないか。竜にいさんの素行を調査するよりも、やることはありそうだし。となると……」

「憶測だけれど、直近の心当たりはギルバートという貴族しかいない。何が目的で、どんな手段を使ってくるのか。未知数の相手だから、慎重に行ってほしい」

「任せてよ、竜にいさん。ばっちり調べておくから、大船に乗ったつもりでいなよ」

 どん、ともう一度少年が胸を叩いてくるりと背を向ける。戸に手をかけて、少年が首だけで振り向いた。

「ああ、それと竜にいさん。たまには姉ちゃんたちを食事にでも連れて行ってあげたら? あんまり何もしないと、純情貴族にかっさらわれるかもよ」

 言い捨てて、少年は姿を消した。ベッドに腰掛けて、バルドレイクは息を吐く。蝋燭の火が、ゆらりと揺れる。

「食事、か……」

 呟くバルドレイクは、揺れる火をしばらく眺め続けていた。

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