シャルロッテと謎の御曹司
差し込んだ朝日が、孤児院を照らす。窓から初めの光が訪れたとき、それはやってきた。双子と朝食の準備をしていたときのことである。玄関口の戸が激しく叩かれ、揺れた。
「だれだろ? ミルが出ていい?」
玄関へ行こうとするミルを止めたのは、シャルロッテの右手だ。
「私が出るわ。ミルもメルも、ご飯の支度、お願いね?」
はあい、と声を揃える双子を背に、シャルロッテは乱暴に叩かれる玄関の戸へと向かう。閂を外して戸を開けると、その先には肩をいからせて立つ執事服の若い男がいた。
「ここは病院であると聞いた。怪我人だ、手当を依頼する」
男は一方的にまくしたてると、シャルロッテを押しのけるように中へと歩を進めた。
「わかりました。診察室へお通しします」
慌てて後を追ったシャルロッテが、診察室の扉を開けて中に入った。続いて男が入り、そのあとに戸板に乗せられた貴族風の青年が運ばれてくる。高級そうな仕立ての服の足元には、泥のような汚れがあった。
「うう、痛い、痛いぞ!」
青年に意識はあるようで、右足の痛みを訴えている。戸板を運ぶ使用人のような男たちに、ひとまず寝台へと下ろすように言った。
「さあ、早く治してくれ」
執事服の男が、青年の足を指して言う。青年のズボンの裾をまくりあげると、脛のあたりの足の外側に、ぽつんと赤く腫れた部分があった。
「どこでお怪我を?」
「井戸の前を歩いていたら、突然若様が怪我をなされたのだ。おそらく、こんなうらぶれた通りを歩いてしまったので、おみ足が穢れてしまったのだろう」
執事の無茶苦茶な説明を、シャルロッテは聞き流して患部を調べる。腫れた部分の中心に、小さな点が二つ、並んでいた。
「どんなふうに、痛いですか?」
目の端に涙を浮かべる青年に、訊いた。
「じんじんする……ああ、痛い!」
青年は大仰に痛がってみせ、じたばたと手足を動かしてもがいた。シャルロッテは青年の足を放し、息を吐いた。
「静かになさい。男の子でしょう?」
青年の目を見て、言った。青年の動きが、ぴたりと止まる。
「お薬を塗りますから、そのままおとなしくしてなさい。できるかしら?」
シャルロッテの言葉に、青年はこくりとうなずいた。シャルロッテはにこりと笑い、虫刺されの薬を患部に塗布する。ものの数秒で、処置は完了した。
「はい、おしまい。しばらくすれば腫れも引いて、跡も残らないはずよ。よく頑張ったわね、えらいわ」
シャルロッテの手が、青年の頭を撫でる。さらさらと手入れの行き届いた金髪は、触れると心地よい感触があった。
「き、貴様、若様になんということを!」
執事が大声をあげた。シャルロッテは手を引っ込めて、青年から飛びのく。
「良い」
シャルロッテを睨み付けて何かを言おうとした執事を、青年は片手を上げて止めた。
「若様! しかし、平民ごときが……」
「このまま、歩いても?」
半身を起こした青年が、シャルロッテに訊いた。
「え、ええ。問題ない……です」
「ありがとう。ゆっくりとお話をしたいけれど、少し急ぎの身でね」
青年は立ち上がると、シャルロッテの手を取って握る。
「私は、ギルバート。次に会うまでに、覚えていてくれると嬉しいな」
困惑するシャルロッテを置いて、ギルバート青年は手を離す。診察室にいる執事と使用人を従えて、そのまま颯爽と出て行った。部屋には、シャルロッテとギルバートを乗せていた戸板だけが遺された。
「何だったのかしら……?」
首をかしげながら、シャルロッテは診察室を出た。受付には、五枚の金貨が置かれていた。先ほどの治療費にしては、多すぎる額だ。シャルロッテは金貨を手に玄関を出て、通りを見回した。だが、ギルバート一行らしき姿は、どこにも見えない。
「シャルロッテお姉ちゃん、どうしたの?」
孤児院の中から、メルが顔をのぞかせて言った。
「……ちょっと、ね。メル、ご飯の支度はできたかしら?」
「うん。あとはお姉ちゃんがくれば食べられるよ」
くう、と可愛らしくメルのお腹が鳴った。
「そう。それじゃあ、ご飯にしましょうか」
にっこりと笑いあい、シャルロッテはメルと手を繋いで台所へと戻った。
朝食の後、シャルロッテは薬の配達のため孤児院を出た。裏通りの家へ薬を届け、立ち話をしていると陽が中天に差し掛かっていた。
「あ、そろそろ行かなくちゃ。それじゃあ、お大事に」
まだまだ話し足りない様子の奥方を置いて、シャルロッテは帰路を歩いていた。
「やあ、御機嫌よう。太陽の下で見る貴女は、一段と輝いて見えるね」
横合いから、そんな声が聞こえた。芝居の練習でもしているのか、そう思い、シャルロッテは歩を進める。
「ま、待ちたまえ。私をお忘れか、お嬢さん?」
追いすがってきた声の主に肩を掴まれ、振り向いたシャルロッテの視線の先には眉目秀麗な貴族の青年が立っていた。
「あら、あなたは今朝の……」
「そうだ。私だよ、ギルバートだ。どうやら、思い出していただけたようだね」
「虫刺されであんなに騒ぐ人なんて、めったにいませんから」
「あなたの献身的な治療のお陰をもって、この私の大地を踏みしめるべき両の足は自由を取り戻したのです。ああ、素晴らしい」
歯をきらりと光らせて、ギルバートは片膝をついてズボンの裾をまくってみせた。薄い毛の生えた脛には、まだ少し赤い跡が残ってはいたが問題はなさそうだった。
「よかったですね。それでは、これで」
青年の大仰な物言いと動きに、シャルロッテの本能は関わり合いにならないほうが良い、と告げる。だが、別れの会釈をするシャルロッテの腕を、青年が捕らえた。
「待ちたまえ。私が執事と取り巻きを撒いてこの裏通りに来たのは、訳がある」
「はあ……」
足を止めて向き直ったシャルロッテの前で、ギルバートはズボンの裾をもどし、襟を正した。
「お嬢さん、よろしければ私に、麗しいお名前をお聞かせ願えないだろうか」
ギルバートが右腕を胸の前に添えて、優雅に問う。
「シャルロッテ……です」
「シャルロッテ! なんと美しい……ではシャルロッテさん。今朝のお礼に、ランチを共にしないかい?」
ギルバートはひざまづいて、指先をシャルロッテへ投げかけるようなポーズで言った。貴族の館であれば一枚の絵にもなるような、見事な所作だ。
「結構です。孤児院で、仕事しなくちゃいけないので。それに、お礼のお金は頂きました。多すぎるくらいでしたけど」
固まったように動かなくなったギルバートを置いて、シャルロッテは再び歩き始める。
「待ちたまえ! では、ではディナーであればどうだろう!」
駆けて来たギルバートが、シャルロッテの横に並んでまくしたてる。
「夕食は妹たちと一緒に食べることにしているんです」
「構わないとも。みんな屋敷に招待しよう」
ギルバートの言葉に、シャルロッテはヒューリック家の屋敷を思い浮かべる。
「お断りします。貴族様のお屋敷なんて、息が詰まりそうだもの」
「では、では……」
ギルバートが言葉を詰まらせているうちに、孤児院の前に到着した。道の向こうから、歩いてくるバルドレイクの姿も見える。
「やあ、おはようシャルロッテ……その方は?」
「先生、もうお昼前なんですけど、いま来られたんですか? この方は、ギルバートさんといって」
「シャルロッテさんと健全なお付き合いをすべく、こうして口説いている者です」
「……僕は、お邪魔かな、シャルロッテ?」
「いいえ。しつこくって困ってたんです。私は、ランチもディナーも興味ありません。どうぞ、お引き取りください」
腰に手を当てて決然と言い放つシャルロッテに、ギルバートは涼しい顔で笑った。
「わかりました。お食事はまた、ご都合のよい日を選びましょう。いずれ、近いうちにまた会いましょう、シャルロッテさん」
優雅に一礼をすると、ギルバートは背を見せて颯爽と歩き始めた。
「変わった知り合いができたんだね、シャルロッテ」
ぽつり、とバルドレイクが言う。
「……今朝、うちに来たんです。虫刺されで。詳しいことは、中で話します、先生」
バルドレイクとシャルロッテは、孤児院の中へと入って行った。孤児院の前の道を、悪童たちが騒ぎながら通り過ぎていく。執事服を身に着けた男が、その後を追うように早足で歩いて行った。