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闇底の白衣  作者: S.U.Y
13/36

それから 苦悩するシャルロッテと変わらずの医師

 朝日の出る少し前に、シャルロッテは目覚める。井戸に水を汲みに行き、それから朝食を作りつつ双子を起こす。朝食はソラマメのスープで、以前と変わらないものだ。薄い塩味が、今日も良い塩梅に仕上がっていた。

 このところ、身体の調子が変だ。双子と朝食を共にとりながら、シャルロッテは思わずにはいられない。不調、というわけではない。むしろ、良すぎるくらいなのだ。

 初めは、バルドレイクが朝食に混ぜていた野草のおかげと考えていた。だが、バルドレイクとの朝食からもう半月ほどが過ぎていた。孤児院のお財布事情は再びかさんでいる薬草費に圧迫され、安価なソラマメのまとめ買いによって窮地をしのいでいる有様だった。

「おいしいね」

「今日も、元気になれるね」

 言い交わすミルとメルの双子の顔にも、栄養の足りない兆候は見えない。むしろ、血色が良く肌は艶やかになってさえいる。鏡が無いのでわからないが、きっと自分もそんな顔になっているのだろう、とシャルロッテは確信していた。

 やはり、あの悪夢を見た日、何かあったのだろうか。疑問はあったが、答えはどこからも得られないでいた。バルドレイクに訊いても、困ったような笑みを浮かべるだけだった。そしてメルに質問しても、

「せんせいと、メルのひみつだもん。シャルロッテお姉ちゃんにも、おしえられない」

 となぜか悪戯っぽく笑って教えてはくれなかった。いつか機会を作ってバルドレイクを問い詰めなければ、と思いつつ、できないまま半月を過ごしてしまったのだ。その理由は、シャルロッテのもう一つの変化に起因していた。

 仕事抜きで、バルドレイクと居ると息苦しさのようなものを覚えるようになっていた。気分が悪くなる、ということではない。だが、妙に落ち着かなくなってしまうのだ。思考の乱れが、シャルロッテから質問の言葉を奪ってしまっていた。

 体調と心境の変化に戸惑いながら、シャルロッテはカルテを読み勉強をしていた。怪我や病気を負ってここを訪れる人を治したい、という思いだけは、変わらないものだった。

 その日は、バルドレイクが来る前に患者が到来した。腰痛を抱えた老婆で、半月前にも来た患者だった。

「おはよう、シャルロッテちゃん。バルドレイク先生は、まだ来られていないみたいだねえ」

「おはようございます、ロゼリアさん。今日も、お腰の具合が?」

 シャルロッテの問いに老婆は首を横へ振り、肩をさする。

「いんや、今日は肩の調子がアレでねえ。いやねえ、年なんか、取るもんじゃないよう」

 受付前の椅子に腰かけようとする老婆を止めて、シャルロッテは診察室の扉を開けた。

「先生が来られるまで、たぶん時間がかかりますから。中で待ってましょう」

 老婆を診察室へ招き入れて、寝台へと座らせる。

「しんどいようなら、横になっていてください」

「ありがとうよう」

 老婆は仰向けに横になって、大きく息を吐いた。

「……肩が、どんなふうに痛むんですか?」

「そうだねえ、もやもや痛い、かねえ」

 老婆の言葉と息遣いに、シャルロッテの頭で何かが閃いた。

「このへんとか、痛みます?」

「ん、そのへん、かねえ。肩のあたりまで響くよう」

 シャルロッテが軽く指を当てたのは、右胸の少し上のあたりだった。

「先生が、お薬作ってくれますので、それまで辛抱していてくださいね」

「あいよう」

 微笑むシャルロッテに老婆は笑い返し、寝転がったまま目を閉じた。

「なんだかシャルロッテちゃん、綺麗になったねえ」

「そ、そうですか?」

「ああ、そうだよう。お肌の張りとか、顔つきも優しくなって、とっても素敵になったよう」

「あ、ありがとうございます」

「もしかして……バルドレイク先生と、何かあったのかい?」

 老婆の言葉に、シャルロッテは心臓が飛び上がるのを感じた。

「まさか! な、何にもあるわけないじゃないですか!」

 裏返ったような声で、シャルロッテは胸の前で両手を振って否定する。

「そうかい? あたしの思い違いかねえ。女が変わるのは、だいたい男がらみなんだけど。あたしも若い頃はねえ……」

 遠くに語り掛けるような老婆の言葉は、シャルロッテの耳には入っていなかった。ぶんぶんと頭を振って、浮かんだ邪念を吹き飛ばす。そんな様子に頓着することなく、老婆は自らの半生を彩ったスペクタクルを語り続けた。

「それでねえ、あたしは言ったんだよう。この宿六が、国へ帰れって……」

 老婆の話が佳境に差し掛かった頃合いで、診察室の扉が開いた。

「やあ、おはようシャルロッテ。それにロゼリアさん」

「先生! おはようっていう時間、もう過ぎてると思うんですけど……今度は何を、買ってきたんです?」

 姿を見せたバルドレイクの右手を指差して、シャルロッテは表情を険しくした。バルドレイクが持っているのは、うねうねとした草の植えられた鉢植えだった。

「ああ、これかい? 凄いんだよ、こいつは丸々一本が薬になるっていうもので」

「お金は? 払ってきたんですよね?」

 ずい、と詰め寄るシャルロッテに、バルドレイクはじりりと後退する。

「て、手持ちが、なくて」

「……いくら、だったんですか?」

「き、金貨、二枚なんだけど……」

 シャルロッテは、孤児院の金庫に残ったふたかけらの財産に思いを馳せた。ヒューリック家から怪我人の治療費として貰った報酬の、全額がこれで無くなることになる。諦めたように、息を吐いた。

「……立て替えて、おきます。それより先生、ロゼリアさんの診察を。肩がもやもや痛むそうです。あと、胸の上あたりに気になる場所がありました」

「へえ、シャルロッテ、君が診察を?」

 バルドレイクの丸メガネが、バルコニーの日光を受けて光った。

「ええ。先生が来る前に、少しだけ。……いけませんでしたか?」

 おずおずと聞くシャルロッテの頭に、バルドレイクの左手がポンと置かれた。

「いや、いい傾向だ。僕も楽をさせてもらえるね。シャルロッテ」

「はい、先生」

「あとは僕が診るから、お湯を沸かしてきてもらえるかな?」

 はい、と返事をして、シャルロッテは台所へと向かった。診察室の扉が閉まる直前、先生も隅に置けないねえ、と老婆の声が聞こえてきたが、努めて考えないようにする。やかんを火にかけて、待つ間に金庫の袋から最後の二枚の金貨を取り出して、玄関へ行った。

「毎度、姉ちゃん」

 計ったようなタイミングで、少年が手を突き出して待っていた。

「今日も元気そうね。二枚で良かったかしら?」

「うん。俺もオマケしてあげたいとこなんだけど、これも商売ってやつでさ」

 ちゃりん、と音立てて金貨が少年の手に収まった。

「あなた、本当に頑丈なのね。あの時、あれだけ血を流していたのに」

「いつの話だよ、姉ちゃん。あんたこそ、死にかけてたんだぜ」

「ねえ、ちょっとお話していかない? 訊きたいことがあるんだけれど」

 シャルロッテの問いかけに、少年は身を翻す。

「俺も忙しいから、もう行かなきゃ。それに」

 にやり、と少年は不敵な笑みをみせた。

「先生のことなら、先生に訊いておくれよ。それじゃ、またのご利用を」

 突風のような勢いで、少年は駆け去っていった。見送ってから、台所へ戻ってみると湯は沸いていた。

「先生、お湯の用意はできました」

「うん、ありがとう。それじゃあ早速調薬にかかるから、必要なのを持ってきてもらえるかい?」

 バルドレイクの指示で、バルコニーの薬草干場から数種類の薬草を用意する。バルドレイクは調薬鉢の中へそれらと少量のお湯、そして今しがた持ってきた植物の先端を入れて練り混ぜる。

「先生、その薬って、肺の……」

 言いかけたシャルロッテの唇に、バルドレイクは人差し指を当てる。

「ロゼリアさんの、お薬だよ」

 真剣な表情で言うバルドレイクに、シャルロッテはうなずいた。バルドレイクは指を離し、調薬に専念し始める。触れられた部分が、熱を持ったようになっている。それは、シャルロッテのまだ知らない感覚だった。

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