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闇底の白衣  作者: S.U.Y
10/36

夕闇の竜門

 バルドレイクが目を覚ましたのは、昼を少し過ぎたくらいの時分だった。寝台で眠っているところを、少年に揺り起こされた。

「んん、ああ、おはよう」

「おはよう、竜にいさん。この大変な時に、よく寝てられるね」

 寝台の傍らに立っていた少年が、起き出したバルドレイクに苛立った口調で言った。

「どうしたんだい?」

「悪い知らせが、ふたつあるんだ」

 枕もとの丸メガネを装着して、少年に向き直る。少年の顔にあるのは、焦りの表情だ。

「聞かせてくれないか」

 姿勢を正すバルドレイクに、少年は指を一本立てた。

「まず、ひとつめ。孤児院のちびの片方が、いなくなった」

「ミルかい? それともメル?」

「孤児院の姉ちゃんが探しながら呼んでたのは、メルって子だよ」

「シャルロッテが、探し回ってる?」

「そう。あっちこっち、手あたり次第って感じだね。竜にいさんに会いに孤児院行ったら、ミルって子が留守番してたよ、ひとりで」

 いやな予感が、バルドレイクの胸の中に広がっていく。

「僕も孤児院へ行ったほうがいいな」

 白衣を羽織ってカバンを手にするバルドレイクを、少年が手のひらで制止した。

「もうひとつ、あるんだ。これを見てよ」

 少年が懐から羊皮紙を取り出して、バルドレイクに渡した。開くと、直線的な記号のような文字が書かれていた。

『夕刻、竜門にて待つ』

 羊皮紙には、それだけが書かれていた。

「これを、どこで?」

「ヒューリック家の屋敷で。今日の未明に、例の貴族の屋敷に手入れがあったんだ。そのとき、屋敷の二階で見つかったんだって。執事のおっさんが言ってたよ」

 ヒューリックは、どうやら晩餐会の直後に動いたようだった。もしかすると、晩餐会ですでにあの屋敷の主人を取り押さえたのかもしれない。

「できるだけ迅速に、とは言ったものの……さすがに手早すぎるね、ヒューリックも」

 羊皮紙を折りたたんでカバンに入れて、バルドレイクは外へ出た。

「君は孤児院へ。シャルロッテが帰ってきたら、メルは必ず僕が連れ戻すから、と伝えておいてくれないか」

 続いて出てきた少年に言って、バルドレイクは表通りへと向かう。

「にいさんは、どこ行くのさ」

「ヒューリックの屋敷だよ。詳しいことを、聞いておく必要があるから」

 少年の問いに答えると、バルドレイクは駆け足で通りを抜けて行った。


 町の東西南北には、それぞれ大きな門がある。そのうち、西にある門はドレイク門、と呼ばれていた。門の両脇に、巨大な竜の彫像があるのが、名前の由来である。門の裏手には階段があり、その上はちょっとした展望台になっていた。

 夕刻になって、門が閉じられようとしていた。階段を登るバルドレイクは、幾人かとすれ違う。上の展望台は子供たちの遊び場や、老人の憩いの場として住民に愛されている。だが、それも夕刻を過ぎて日の沈もうとする時間になれば、家へ帰るのだろう。バルドレイクが展望台にたどり着いたときには、誰もいなくなっていた。

 ヒューリックの屋敷で、思わぬ時間を取られてしまっていた。ヒューリックは襲撃した貴族の屋敷で、多くの書物を押収していた。その中で、虫に関する文献を仕分けして、火にくべていったのだ。書物の中には、税の不正に関する帳面などもあった。それは燃やすわけにはいかないので、一冊一冊丁寧に確認しなければならなかった。

 ヒューリックの話によれば、衛兵を率いて突入したとき、メイドや使用人の男たちから激しい抵抗があったようだった。彼らを鎮圧し、取り押さえて話を聞いてみれば、何故暴れたのか、一様に覚えてはいなかった。そして、バルドレイクが白い覆面の男について質問すると、そんな男は見かけなかった、とヒューリックは答えたのだった。

 そうして、バルドレイクが展望台にたどり着いたのは夕日の沈もうとしている時刻だった。夕闇が、まるで生き物のように町を覆いつくそうとしている。バルドレイクの眼下には、そんな不吉な光景が広がっていた。

「遅かったな、竜安。いや、ここではバルドレイクだったか」

 展望台の柱の陰から、男が姿を現した。黄色い服と、白い覆面姿のその男は、昨夜屋敷に忍び込んだときに眠らせたあの男だった。そして、男の腕の中には幼い少女の姿がある。

「バルドレイクせんせい!」

 メルが、甲高い声を張り上げた。後ろ手に縛られて、もがくメルを男は片手で難なく捕らえている。

「おっと、動くな。抵抗すれば、この子の命はない」

 男はメルをひょいと持ち上げて、展望台の縁に立たせる。展望台は高く、さらに門前は石畳でできていた。突き落とされれば、メルの命はない。バルドレイクは、近づこうとした足を止めざるを得なかった。

「……何が望みなんだ」

 低い声で、バルドレイクが問う。男は焦らすように、含み笑いをしながらメルの手から伸びる縄を柱に縛り付けていく。

「お前の存在は、邪魔になる。今回のことで、それがようくわかった。王宮薬師として、虫を開発したお前が、何のつもりで人助けなんぞをしているのかは、知らないがな」

「……僕を、殺すつもりか」

「そうだ。お前を殺し、今度は別の貴族に取り入って、この町を疫病の災禍で包み込むのだ」

「なんのために、そんなことをする」

 バルドレイクの言葉に、男は怪鳥のようにけたたましい笑い声をあげた。

「お前が聞いても、仕方のないことだ。ここで、お前は死ぬ」

 言いながら、男はメルを縁から突き落とした。悲鳴を上げながら、メルは空中に投げ出され、そして止まる。手を縛り付けた縄が、強く引かれて柱を締め上げ軋んだ。

「やめろ! メルは、僕とは関係ない!」

 手を伸ばし近寄ろうとするバルドレイクに、男はナイフを出した。

「近づくな、と言ったはずだ。この縄を切れば、この子はどうなるか? それがわからぬ訳ではあるまい」

 ナイフを持った右手で、男は縄に刃先を当てる。鋭利な刃が少し、縄に食い込んだ。

「……どうすれば、いいんだ」

 足を止めたバルドレイクに、男は封をした薬瓶を放り投げた。

「中身を、飲み干せ。それは王国で新たに開発した、毒薬だ。製法も何もかも、お前の知る王国の技術より進んだものだ。飲めば、お前は死ぬ」

 バルドレイクは瓶の封を抜き、中を見た。どろりとした、紫色の液体が入っている。

「さあ、早く飲め」

 男のナイフが、縄を押した。ぶちぶちといやな音が、今にも聞こえてくるようだった。

「わかった。僕が飲んだら、その子を離せ」

 言って、バルドレイクは瓶の中身を一息に飲み干した。酷く苦く、甘辛いような味が舌に広がっていく。舌から咽喉にかけて、焼けつくような痛みが走った。

「ひゃははは、馬鹿め! つまらぬ子供の命と引き換えに、猛毒を呷るとはな!」

「な、縄を、切るのを、やめろ……」

 腹の中で、熱いものが暴れまわっている。感覚に耐えながら、バルドレイクは必死に声を上げた。

「お前がそれを飲めば、この子に用はない。さらばだ竜安。哀れな負け犬よ」

 男は、縁に足をかけて門の内側へと飛び降りた。バルドレイクは、全身を痙攣させながらメルをつなぎとめる縄を掴む。

「せんせい! こわいよう!」

「も、もう、大丈夫、だよ……」

 渾身の力を込めて、バルドレイクは縄に倒れかかった。体重で縄は引かれ、メルの身体が縁へと引き戻される。

「せんせい、どうしたの! しっかりして!」

 耳元で、メルの声が聞こえた。霞んでいく視界の中で、バルドレイクはメルの縄をなんとか解いた。

「これで、安心だ、メル……」

「せんせい!」

 大の字になって、バルドレイクは展望台の床に倒れ込んだ。全身に、汗が流れていた。心臓の音が、やけに大きく聞こえる。

「メル……いいかい、よく聞いて……」

 掠れた声で、バルドレイクが言う。メルの返事は、バルドレイクの耳には届かない。それでも、すがりついてくる体温は、感じることができた。

「目を、閉じていなさい……」

 ゆっくりと、バルドレイクは待った。メルの姿は、ぼやけていてほとんど見えない。だが、動きが止まっていることは、解った。

 バルドレイクは、顔に手をやって、丸メガネを取った。真上にある展望台の屋根の底が、バルドレイクにはくっきりと見えた。バルドレイクは、しばらくそのまま動かなかった。

「……もう、大丈夫だよ」

 しっかりとした声で言い、バルドレイクは身を起こす。上に乗っていたメルが落ちそうになるのを、右手でそっと抱き留める。

「せんせい……?」

 両手で目をふさいでいたメルが、手をどけてうっすらと目を見開いた。

「もう大丈夫だから、帰ろう、メル。シャルロッテとミルが、心配しているよ」

 涙目になったメルを抱くバルドレイクの顔には、丸メガネが再び付けられていた。

「うん、せんせい!」

 泣き笑いの顔で、メルはうなずいた。

 帰り道を、メルとバルドレイクは手を繋いで歩いた。時折足をふらつかせるバルドレイクを、メルが心配そうに見上げてくる。バルドレイクは笑顔で応じ、孤児院への道を歩く。

「ねえ、せんせい。リュウアンって、だあれ? せんせいのこと、あいつ、そう呼んでたよね」

 問いかけるメルの口に、バルドレイクは人差し指を当てた。

「メルは、知らないほうがいいことだよ。また、怖い人が来るかもしれない」

「……うん。それじゃあ、せんせいとメルのひみつにしておくね」

 そう言って、メルはにっこりと笑った。ほのかな月の灯りの中で、親子のような二人は微笑みを交わしあう。やがて、行く手に孤児院が見えた。

「さあ、もうすぐだよ、メル」

「うん。かえろ、せんせいもいっしょに!」

 手を繋いだまま、メルは駆けだした。引っ張られるようにして、バルドレイクも足を速める。玄関の戸に手をかけて、メルが元気よく引っ張った。

「ただいま、シャルロッテお姉ちゃん、ミル!」

 元気いっぱいのメルの声を受け止めたのは、診察室の扉の前にもたれかかるように倒れるシャルロッテとミルの姿だった。

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