前兆(2)
グラニとともに、森を駆けるノォトは、ふとフィオネのことを思い出した。
後ろに誰かを乗せたのは、リィンを除いては彼女だけである。こうして森の中を行くのも、彼女を思わせる一因だった。
落ち着きがなく、好奇心旺盛な彼女であったが、ともに旅をした心地よさは多くあった。
道連れとしてはこの上ない存在だっただろう、とノォトは述懐する。
「……ノォト?」
リィンがそう声をかけた。ノォトは少しだけ振り向く。
彼女の腕の力が、少しだけ強くなった気がした。
「どうした?」
「ぼうっとしているように見えて。大丈夫ですか?」
「問題ない。だが、こんな奥にまでシーナが来ているのかは、不思議に思ってな」
ノォトとリィンは、シーナのものと思える足跡を見つけていた。けれどもその足跡が続いてるのは、普段は誰も入らないほどに森の奥深くだった。
ともすれば、そこは獣と精霊の領域である。人の身で踏み込んで、無事に済むとは思えなかった。まして、シーナはリィンをして賢いと言わしめる子である。うかつにこんな深くへ入っていくとは考えにくかった。
「ですけど、シーナもまだ幼く、いろんなものに興味を持つものです」
「それもそうか……。俺はあまり、興味というものを持ったことがなかったからな」
鉄を打ち、鋼を振ってきた幼少時代だった。わからぬことなどないほどに、養父は様々なことを教えてくれていた。
本質を知れば知るほどに、果てがないことを知っていったが、身を滅ぼすほどの興味を持ったことはなかった。
「私たちに子ができたら、どんな子になるのでしょうね」
リィンが言った。ノォトは、それには答えずに笑うのみだった。
彼女があえて明るく言っていることがわかったからだ。
「だが、もしかすると、シーナは何かに追われて奥へと逃げていったのでは?」
「熊か猪でしょうか?」
その疑問に答えるかのように、森に気配が満ちた。
ノォトはその気配の正体を知っている。いいや、経験したことがある。
獣とは異なる、生命の森においてはあまりに異質で、けれどもそこらにあるもの。
すなわち、死の気配だ。
わらわらと姿を表したのは、屍だった。以前は骨の軍勢であったが、今回は違った。腐りつつあったが、それでも人の形を保っているものばかりであった。
彼らは手に剣や槍を持っている。けれども、戦士たちのような切迫した気配はなく、ただただ、静かであった。
「これは……ヘル様の軍勢? どうして、こんなところに!」
「リィン、先を急ぐぞ!」
ノォトはグラニの腹を蹴った。嘶いて、森の中を疾走する。
魔剣〈憤怒の剣〉を引き抜いた。丸腰のリィンは、人差し指に魔力を灯す。
やつらの足は遅かった。けれども数によってそれを補うのを知っているから、ノォトは踏破することを選んだ。
リィンが刻印術で風を生み出し、活路を作っていく。
「もしかするとシーナは」
「ああ、こいつらに追われていたのかもしれない」
二人の間に、絶望感があった。
戦う力を持たないシーナでは、彼らの手から逃げ切ることは難しい。足は遅くとも、体格が違えば、やつらは底なしだった。
もはや、生きているのか、どうか。いまは祈ることしかできなかった。
魔剣で一払いする。屍を三倒せば、五やってくる。きりがない。
死者の軍勢は絶えることなく現れる。まるでいままで死にいったものすべてが敵であるかのようであった。
「くっ、ヘルめ……性懲りもなく」
「ひとまず、村へと引き返しましょう。皆を私たちの城へ避難させることが先決です」
リィンの言葉にノォトは頷く。確かに、あの城であれば、素人だけでもしばらく持ちこたえることができる。自分とリィンが力を合わせれば、数だけの軍勢など相手ではなかった。
しかし、それは一時的なことだろうとも思った。この先にすべきことは……。
「……歌が」
「え?」
「歌が、聞こえる」
リィンがつぶやいた。ノォトは一瞬、戦いを忘れて耳をすませた。
死者のさまよう森に響いている、風が葉をゆらす音の中に、確かに声が聞こえた。
元気のいいその声を聞いて、リィンは顔を輝かせた。
「シーナの声! それにこの歌は、私が教えたもの!」
「それは確かだな!?」
「ええ。歌ほどの力はなくとも、魔除けにはなるかもしれない。あの子は生きている!」
そうとわかれば、早かった。ノォトはグラニを操り、歌の聞こえる方へと向かう。




