不穏
二人が出会ってから、二年の時が経った。
生活にも慣れてきたノォトとリィンは、ゆっくりと過ごしている。
かつての戦いの日々も遠くのことのように思えてきてしまうが、ときどき戦争を思い出しては、胸を痛める。
「ノォトさま?」
城から沈む夕日を眺めていると、リィンが話しかけてきた。
風が吹いて、彼女の髪を巻き上げた。ノォトの髪はリィンがいつも切りそろえてくれているからか、それなりに長くなったものの、邪魔にはならずに済んでいる。
夜を先取りしたかのような美しい髪をおさえる彼女が、微笑む。艶のない笑みであったが、むしろ年相応の少女のような印象を与えて、ノォトは好きだった。
「なんだ」
「いいえ、なにやら考えていたみたいなので……」
「大したことじゃない」
ノォトは言いよどんで、手を握る。それを見ていたリィンが何事か察したのか、彼女はノォトの胸に手を置いた。
温もりに触れるだけで、心が安らぐ。
口にしたくない、と固く閉ざしていたものが、ゆっくりと開いていく。
「戦っていた頃を思い出したんだ。俺はたくさん戦った。負けることを知らなかった。そう、俺はたくさんの命を奪ってきたんだ。それは王になるためだった。人を統べる王に。だが、いま俺はここにいる……」
「でも、それは戦士の使命です」
「戦うことがか?」
「戦場で死ぬことが」
リィンはそう言った。いっぺんの躊躇いもなく。
驚くも、そういうものだとノォトは理解している。戦士というものも、戦乙女というものも。
「だが、生きたかったかもしれない」
「誰だってそうです」
「それを奪ってきたのは、俺だ」
「誰かのために生きなければならない、なんてことなんてありませんから」
それを教えてくれたのは、貴方です。
リィンがそう言った。何度も繰り返してきたやり取り。
己が敷いた法で、己を律するのが王だ。ノォトはそうしようと決めたし、そうするためにここに来た。
自らが選んだ道であると、言うために。
なに一つ後悔はない。ここにいることも、リィンを選んだことも。
ただただ、確かめるために、弱音を口にしてしまう。
これもノォトが、ここに来て初めて得たことであった。
何度も繰り返したやり取り。やはりこの人を選んで正解だった、とわかる。
そのときに、充実した感覚と、たまらない万能感が支配する。
胸に当てられたリィンの手を握った。
滑らかな手だ。一級の機織りがその生を賭けたところで、到底敵わないだろう肌である。
リィンが頬を染める。こそばゆかったか、と問えば、違います、と返ってくる。
「こうして胸に手を当てるのは、貴女の癖だな」
「なんだか、安心するのです」
それは暗に、リィンもまた不安に思っているということだった。
夜に吐露してしまう心情は、昼であろうと関係なく湧き出てくるもの。
少しだけ抜いて、また日々を過ごすのが何よりの安寧であった。
「この癖は母によく似ている」
「ヒルディース様に?」
「俺は年に数度しか母と会えなかったが、彼女は決まって胸に手を当てて話しかけてくれた。もしかすると、彼女もまた不安だったのかもしれないな」
自分の前では母であったヒルディースだったが、その実は夫を失い、望みもしない結婚をさせられた女である。ノォトを安心させようと振舞う彼女を思い浮かべた。
女、というより少女のようであったけれども、それでも母だったのだなと、改めて思った。
「あのような可憐な方と同じというのは、恐れ多いですね」
若かりし頃の母と話したことのあるリィンもまた、ヒルディースの姿を思い浮かべていた。
ノォトが夢で見た、二人が出会っていた光景を思い出す。
あの頃から二人とも、見た目はあまり変わっていない。
しかし、兜を脱ぎ去り一人の女になったリィンと、強さをそのままに子を育てたくましくなった母は、対局なようで、同じように変わったのかもしれない。
「リィンは綺麗だ。母にない美しさを持っている」
「そんな……もう」
そのままリィンは、ノォトの胸に飛び込んできた。
背中に回された手が、ぎゅっと締まる。ほどよい締め付け感が、ノォトの頬を綻ばせた。
「照れますから、やめてください」
「事実を言ったまでだ。愛する者に隠し事はしない」
「また言ったら、殴ります」
「それはおっかないな」
拳を握って突き出すリィンに、ノォトは苦笑した。
彼女の腕にかかれば、戦士が束になっても勝てないだろう。
何せ、猪でさえ片手で仕留めるような女である。
ノォトであっても、真正面から受け止めてしまえば昏倒するだろう。
冗談ですのに、とリィンは言った。そうだったのか、とノォトは呟いた。
「む、あれは……?」
空に浮かぶ、影があった。
それはまっすぐ自分たちの元に飛んできている。
鷹だった。城の縁に降り立つと、ノォトたちに目をやる。
その足には羊皮紙が巻かれている。どうやら手紙らしい。
少しだけ、思案した。この地に自分がいることを知っている者は、エリオとテルエスの他にはいない。
リィンから離れ羊皮紙を受け取る。鷹はおとなしく、ノォトを待っているかのようであった。
ノォトはその手紙を開いた。
「いかがなさいましたか、ノォトさま?」
リィンの問いかけは、よく聞こえていなかったが、何を問われているのかはわかった。
「グリエル……俺と父の友人が危篤らしい」
その言葉に、リィンは目を開いて驚いた。
ノォトもまた、手紙の文面が信じられない。
賢王グリエル。未来をも見通す目を持った賢者にして王であった。すでに壮年だったが、先はもう長くないらしい。
しばらくの迷い。まばたきが多くなる。
「行ってらっしゃい、ノォトさま」
察したリィンが、そう言った。
「何なら、私も共に。大丈夫です。共に行きましょう。ここで後悔など、なさらぬように」
「……ああ」
本来なら、この城を出るべきではないのだろう。
ましてやグリエルの城へ向かうということは、いまの自分を衆目に晒すことになる。
王家から下った者が、他の王へと謁見すること。その意味がわからないノォトではない。
けれども、行かねばならないと思った。
友のために、後悔しないために。




