温もり(2)
ノォトは二人を居間まで通す。
清潔な布を用意されており、二人に雨で濡れた体を拭かせた。
リィンはいまごろ、温まるための何かを用意しているのだろう。それを待つようにと二人に伝える。
一息をついて、男は言った。
「名乗らずに、失礼した。私の名前はエリオ。こっちは私の妻、テルエス」
「エリオに、テルエス?」
ノォトはその名に聞き覚えがあった。
かつて王子であり戦士であるノォトは、顔はわからないまでも、世に轟いている名を覚えている。
記憶が正しければ、二人はさる国の騎士と姫の名だった。
それを告げると、エリオは感心したように言った。
「まさか、こんなところで我らを知る者がいようとは。初めて見たときからただならぬ戦士だと感じていたが、名を聞いてもいいだろうか」
「……ノォトだ」
「なんだと!」
名乗ると、二人は驚いた顔を浮かべた。
一年、俗世から離れているノォトは、彼らの驚愕を理解することができない。
「その名を知らぬ者はいまい。その姿を目にしたら死と思えと言われたほどの戦士だ。謎の失踪を遂げたと聞いたが、よもやここで出会うことになろうとは! 戦場で出会わなかったのを運がよかったと思うべきだろうか」
「大げさだ。いまの俺はただの隠者なのだから」
ノォトが言う。謙遜をなさらずに、と言ったのはテルエスだった。
「名は予々、聞いておりますわ。巨人殺しにして竜殺し、父の魔剣を継ぎし戦士であると。まさか、こんなところで暮らしているとは思いもしませんでした。急に押しかけてしまって、申し訳ありません。重ね重ね、お詫び申し上げます」
「いや、いいんだ。こちらこそ、何もなくてな。ろくなもてなしもできない」
ところで、とノォトは話題を切った。
「エリオ殿、いまテルエス殿を妻と」
「殿、だなんてやめていただきたい。ここにいるのはただの……ああ、そのことを話さなければな」
聞きしに及ぶ名に対して気さくな男であるエリオは、朗々と語った。
「このたび、私とテルエスは婚姻を結ぶ運びとなった」
「それは目出度い」
何せ、国で一番の騎士と、姫の結婚である。
国民であれば沸き立つだろうし、ノォトも一人の男として胸が踊るものがあった。
ありがとうございます、と言って顔を見合わせる二人は、なるほどお似合いである。
「そこで、テルエスたっての希望で、一年ほど身分を忘れて旅をしようということになったのだ。多くの場所をめぐってきたが、ここに来たのは偶然だ」
ノォトは合点がいった。
二人から感じるのは、王になるべき者という気負いなどではなく、ただの人のものであった。
いまを生きる人の清らかさ、気楽さ。戦いのときを忘れた平穏な気風だ。
「いいえ、でしたら、ここに来たのは偶然などではなく必然です」
いい香りとともに、奥から盆にスープと干し肉を持ったリィンがやってくる。
彼女を見て、再びエリオとテルエスは驚いている。
二人の前にそれぞれ器を置いて、リィンは微笑んだ。
「自己紹介が遅れてしまい申し訳ありません。私はリィン。ノォトさまの……妻、です」
最後はちょっと、恥ずかしそうに。頬をほのかに染めて言った。
リィンに妻、と名乗られたノォトも照れてしまう。
その響きのなんと甘美なことか。
くすり、と笑ったのはテルエスだった。そして手を打って言う。
「私、わかっちゃったわ。ノォト様、貴方が戦場からいなくなられたのは、この方のためですのね」
「な、そういうわけでは!」
「照れずともいいのですよ、ふふ。こんなお綺麗な方ですもの、夢中になってしまっても仕方ないですわ」
ノォトとリィンは、二人揃って顔を真っ赤にする。
こうやってからかわれるのは慣れていない。随一の戦士であるノォトや、彼らはあずかり知らぬことではあるが戦乙女であったリィンを相手に、そんな軽口をきけた相手などいなかったのだから。
「ははは、納得だ。そういうことならば確かに、我々がこうして出会ったのは偶然ではないのだろうな。お互いに愛する者のため、身分を隠している者同士だ。まさしく、なるべくしてなった、だ」
エリオが言った。
同意だ、と頷いてみせる。四人は揃って笑った。
喜んだリィンは、満面の笑みで手をあわせる。
「ささやかですが、この出会いに宴をあげましょう。お酒が少しありますから、用意しますね」
「まあ、リィンさまは準備がよろしいのですね。私もお手伝いしても?」
「お客様はこちらで、我が夫と歓談くださいませ。こう見えて、宴の心得もあります」
「かたじけない。いい妻を持たれたな、ノォト殿。……ノォトと呼んでもよろしいか?」
「ああ、酒の席だ。お互い、ここでは立場など忘れよう。その方が楽しいに決まっている。尤も、俺は立場など捨てた者だがな」
自嘲するように言うが、それは決意でもあった。
目の前にいるのが戦士とその妻ではなく一組の男女であるように、自分たちもそうありたいと願ったのだった。




