温もり(1)
ノォトとリィンが、出会ってから一年と少しが経とうとしていた。
その日は雨が降っていた。
狩りに出かけることもできず、畑の様子を少し見て、二人は城の中で一日を過ごしていた。
リィンは雨が好きらしい。その訳を聞こうにも、彼女は曖昧に微笑むだけであった。
「雷は少し、恐いですけど」
寂しそうに言うリィンを見て、ノォトは苦笑する。可愛らしいところもある、と言うべきなのだろうが、このときだけは黙っていた。
彼女はノォトにぴったりとくっついている。小さな城であるが、二人だけで暮らすにはあまりに広すぎた。人の動きのない建物は冷える。石で作られたとあればなおさらであった。
薪を燃やして暖をとるものの、火に当たっている部分しか暖まらない。だからこうして身を寄せ合うのは理に適っているのだ。
そう言ったのは、実のところリィンであったが、どこまで本気なのだろうか。
手が触れるのに未だ慣れない。
吐息を感じるのも、胸の感触も、他人の心臓の音も、慣れない。
「しかし、春になったというのに寒いですね」
「雨が降っていると余計にな。だが、今晩には晴れるだろう。明日には青空が広がっているさ。地面が乾いていればいいのだが」
「畑が不安ですね」
「植物がそんな弱くはないさ。手入れをしっかりしよう」
ノォトが養父より学んだ知識の中には、畑に関するものもあった。いままでは頭の中にしかなかったものであるが、実際にやってみると勝手がまったく違う。
初めての収穫は終えていて、そのときの反省も活かしながら二回目の収穫に備えていた。
リィンを抱き寄せる。びくりとする彼女の肩を、力強く握った。
「ノォトさまは、本当に様々なことを知っておられますね。私が教える必要などあるのでしょうか」
「知らぬこともたくさんある。いいや、知った気になっていることの方が恐い。それに、貴女が教えてくれることは……」
「ええ。いずれ来る、終わりの時のため」
それがいつになるのかわからない。
破滅の予言に従うも従わざるも同じ。最後に辿り着いてしまうそこへ、少しでも抗おうとしている。
ノォトが気がかりなのは、そのことだった。いつ来るかもわからない終末、もしかしたらノォトが生きているうちにやってくることはないかもしれない。
だが、フィオネの言葉があった。彼女はその時が近いことを確信していた。
「貴方が隣に並ぶ人の王であってほしい」という彼女の言葉の意味こそ、そうだ。
ノォトはいま国の王ではない。
人の王とは、何なのか。妖精郷と並び立つ、中央界でのことだろうか。
推測に推測を重ねるしかないが、ノォトはいまできることを可能な限りやっていこうと決めていた。
「終わりの時、とは日も月もいなくなり、世から光が消え、その代わり灼熱が世界樹を覆うと言います。詳しいことは私にはわかりませんが、この世の破滅を語るものであると父は言っておりました」
リィンはそう言った。
理解の及ばないことだった。
ノォトは、ずきずきと頭が痛むのを感じる。
知るべきではないと何かが囁いている。
「……ともあれ、いつか来るということは、すぐに来ることもあるってことだ」
だから、止まらずにはいられないのだ。
進まないわけにはいられないのだ。
こうして城に閉じこもっていたって、できることはある。リィンの持つ神代の知識を身につけ、技を身につけること。
いまは、そうするべきだ。
リィンが笑う。くすくすと、声をたてずに。
首を傾げて彼女を見ると、口を開いた。
「あの時、まだ母の中にいた赤子が大きくなったなあ、って」
「……急に年上ぶるのはやめてくれ」
「ふふ、かわいい」
そう言って、リィンはノォトの頭を撫でた。むず痒かったが、拒む気にもならなかった。
ふと、扉が叩かれる音がした。
この城で暮らしてから初めて聞く音であったが、それが来訪を告げる音であることはすぐにわかった。
「おかしい。こんな辺鄙なところに来客?」
「この雨の中を……ノォトさま、出迎えをお願いします。私は温まる準備をしますね。あと、くれぐれも手を出さぬように」
ノォトが魔剣を手にとると、リィンがそう釘を刺した。
まさか、来たばかりのものに問答無用で斬りかかるような真似はしない。
だがもしも、ということがある。ここまでやってくるには、ノォトとグラニのように、難関を踏破できる者でなければならない。
そんな相手がいると思えば、備えるに越したことはないだろう。
門まで向かったノォトは、その大きな扉を開いた。
そこには、若い男女が一組いた。雨でびしょ濡れであった。
男は自分より少し上くらいであるが、精悍な顔つきであるものの、細さがあった。背には槍を背負っている。
一方の女性は、黒髪であるが、母に少し似ているように思えた。柔らかさの持つ女性であった。
「夜分遅くに、こんな格好で申し訳ない。良ければ一晩、屋根を貸してもらえないだろうか。雨が上がればすぐに出て行く」
男の方が言った。悪意も敵意も感じない。
何より、二人が揃っているときの睦まじさを感じると、こちらの敵意まで削がれるようであった。
魔剣から意識を離して、リィンに言われノォトは何度もした笑顔の練習の成果を出す。
「ああ、いいだろう。温まる用意もしてある。何もない城であるが、ゆっくりしていってくれ」
二人が少しだけ、互いの顔を見合わせていた。
練習の成果はあまり芳しくなかったようだ。




