邪悪なる咆哮(4)
ノォトの放った一閃が、火炎の玉に届く。
かき消すための一振りであった。考えうる限り、最善の手だ。
雷が空を走るような音が響いた。それは洞窟の中に響き渡る。衝撃の大きさを物語っていた。
光が洞窟を満たした。ノォトは思わず、目を閉じた。
次いで襲ってきたのは、体へ大きな何かがぶつかった痛み。
反射的に受身を取った。しかし、狭い洞窟では満足に受身をとることはできず、そのまま壁に叩きつけられる。
力をぶつけあって、自分が負けたのだ、と気づいたのは一瞬だけ飛んで行った意識を取り戻してからだった。
体のあちこちが焦げていた。鉄の鎧でさえ、焦げていまにも崩れそうであった。
黄金の上に身を落とし、ノォトはぼうっと邪竜を見上げた。笑いもこみ上げて来なかった。
「ほう、まだ息をしているか。恐ろしいものよ。いいや、悲しいと言った方がいいか。死ねないというのは」
憐憫すら込めて、邪竜は言った。ノォトはがっくりとうなだれる。
痛みが体を支配して、指の一本でも動かそうものならば、すぐさま悲鳴をあげた。
血が止まらない。動悸がとまらない。
なぜ、どうして。
あの異形の怪物には勝てない。
そうだ、あんなもの、人の戦うべき相手ではない。
「どうやらもう限界のようだな。まあ、人としてはよくやったものだ」
邪竜はそう言った。
自分はできる限りをしたのだ。戦った。血反吐を吐きながら、戦った。
人を超えるものと戦い、戦い、戦い続けた。
その果てに立ちはだかったのは、地上において最強の存在。
負けて当然だ、と思った。
なのに、どうして。
ノォトは邪竜から視線を外さない。彼は首を曲げて、ノォトを見ている。
からかうように、舌を見せた。
「では、答え合わせといこう。なに、ヘルの元へ行く前に、お前の核心を教えてやろうと言うのだ」
邪竜が近づいてくる。その言葉に毒を乗せて、それを喰らえと言ってくる。
拒むことができない。耳を塞ごうにも、腕はもはや剣を握っていることすら奇跡のような有様なのだから。
見ろ、もはや戦う力などどこにも残されていないではないか。
なおも戦え、と言うならばこの脚を見ろ。もはや震えて使いものにならない。
わかっているはずなのに。
どうして、自分はまだ。
邪竜がその大きな顎を開いた。
「汝は言ったな。自分の決めたことだと。誰に言われようとも、それでさえ自分が決めたことだと」
それは正解だろう、と邪竜は言った。
そしてその上でノォトを否定しようと、彼は言っている。
きっとここから先、邪竜が言うことはノォトにとって致命的なことだ。
もうすでに、致命的な傷を負っている。これ以上、傷を増やすことなく殺してくれればどんなに楽になるのか。
ヘルのものになる。実感はない。それは嫌だ。だが、これから待ち受けるものも、嫌だ。
どうして、自分はまだ……立とうとしているのだろう。
邪竜が笑った。そして言った。
「汝は、孤独が恐いのだ。己が孤独であると知ることが。かけられた言葉も、為そうとしていることも、全てが孤独へと向かっていると知りながら。それでも誰かとのつながりが切れるのが恐ろしいのだ」
だから、言い訳をした。
だから、戦いに耽溺した。
だから、誰かを救おうとした。
だから————王になろうとした。
それしか残っていないから。他になにも知らなかったから。
その通りだ。ノォトは思った。もはや思考しかできない頭で、納得した。
孤独であることが恐かったのだ。だから、誰かに必要とされようとした。何でもしようとした。
そのたびに彼らが離れていくことも、わかっていながら。
「あらゆる生命はすべて孤独よ。お前が目にした木の葉も、枝から落ちてしまえば孤独よ。元よりそうなるさだめ。すべて、すべてそうなる運命だ」
ならば俺はなんなのだ。ノォトは自分に問う。
いったい何のために生きてきた。何のために生まれてきた。
誰かのために生きられないのだとしたら、どうすればいい。
救うことが良いことだと思った。そのために王になろうと思った。
力が欲しい。誰にも負けない力が。誰にも認められる力が。
どうしてこんなところに倒れている。剣を握ったのはなんのためだ。
孤独が恐ろしいから。その通りだ。誰かに必要としてほしい。その通りだ。
「いい加減に認めよ。その恐れを。その悲しみを。どこまでいっても、孤独なのだ。価値観を共有できなければならないなど、糞を食らうことにも劣ることよ」
もっと貪欲になってしまえ。もっと己に正直になっていけ。
邪竜の毒は、今やあまりにも甘美であった。
認めてしまえば、どうしてだろう。
体がずっと軽くなった。
だけど、そうだ。忘れたらいけないものがある。
まるで全身が鎖で縛られているかのようだった。身動きがまるでとれない。
ノォトは無理やり、体を動かした。腕を払って、脚を払って、どうにか立ち上がる。
自分の体を守る鎧が崩れていった。元より、邪竜との戦いにおいて鎧など何の役にも立たなかった。であれば、ここで捨ててしまうのが吉だろう。
軋む体に、命ずる。この体の支配者は俺だ。俺の言うことを聞け、と。
邪竜が目をわずかに見開いた。驚きの色に染まっている。
「どうして立ち上がる。そんな姿になってまで、立ち上がることができる」
「……そんなもの決まっているだろう」
負けたくないからだ。




