邪悪なる咆哮(3)
光が晴れる。ノォトは肩で息をしながら、魔剣を下ろした。
ノォトが持ちうる、最大の一撃だった。必ず相手を滅ぼすことができる、それだけの自信があった。
いかなる魔法であっても、威力について言えばこの攻撃を超えるものはない。
防ぐ手段は皆無だ。巨人でさえ薙ぎはらうのだから。
「……なぜ、まだ立っていられる」
手応えはあった。魔剣から放たれた光は邪竜を飲み込んでいた。
なのに、邪竜はそこにいた。その威容はいまだ健在。
鱗から煙をあげているものの、身には傷一つついていない。
ノォトは初めて、己の無力を感じた。
権力がないのはいつものこと、財力など最初からなかった。
しかし武力において劣っていたことなど、いままでなかった。
どんな者にだって、勝利の活路を見て、そして打倒してきた。
だが、目の前のそれは、違う。
かつてないほどの絶望感があった。
生まれて初めて、絶望という感覚に近づいた。
全身から冷や汗が流れる。
ゆったりとした動きで、邪竜はノォトを見た。長い首をくねらせて、上から見下ろす。
「その程度か、人の子よ」
ノォトは一歩、引いた。だがもう一度、魔剣を構え直す。
肩に担ぐ獣の構えだ。まだ戦えると自分を鼓舞する。体に動けと命じ続けた。
「ほう、いまのはお前の全力だったように見えたが。それを止められてもなお戦おうとするか」
「いかにも。戦いとは力任せに振るえば勝てるものではない。それで決着が着けば僥倖。そうでなければ、戦い方を変えるのみ」
力で勝てなければ、知を使うしかない。
頭に血が上っていたが、いまの一撃を防がれたことでむしろ冷静になった。疲労の色は濃くなったが、まだ勝ち目はあるはずだ。
諦めてなるものか。ノォトは独り言をこぼした。
ここまで来て、諦めることはできない。父に、母に、フィオネに、エイトリに、アルヴァルト、ブロム。彼らに誓ったのだから。
「ふん……煩わしくはないのか。汝はあまりに多くのものに縛られている」
「それは誰だって同じこと。神々でさえ運命に縛られているのだから、俺がそうでないことなどあるものか」
「どうかな。この我は、運命から外れたもの。神々でさえこの身に干渉することは許されぬ。ゆえに彼らはこの黄金に手を出せず、我が竜たる所以を断ち切ることができなかったのだ」
歯を覗かせて邪竜は言った。そして洞窟の奥まで入ってくると、翼を剣のように振るった。
ノォトは思わず魔剣で受け止める。構えに対して邪なる動きをとってしまったが、衝撃をどうにか受け流す。
ついで、迫ってきた爪を躱した。鋭く黒い爪は、三本の槍のようにも見えた。
魔剣を手繰って、身を操る。重い魔剣を使うことは体の動きにもつながってくる。身軽に動くには、それすらも利用するしかない。
「どうした。先ほどまでの威勢はそこへ行った。そんなに魔剣のことを言われたのが気に食わなかったか。それとも妖精の女王にでも惚れていたか? 土塊の王に友誼を感じたか?」
邪竜は全てを見通しているという。相対したものの全てを。
であれば、彼がこういうのはすべてわかった上でだろう。余計なことに応える義理はない。
ノォトは魔剣を振るった。刃から光の線が走り、再び邪竜の鱗を焼いた。
少しずつ使い方に慣れてきた。魔剣の力は、ノォトが思っているよりもずっと強大で繊細である。
この短い時間に対して、恐るべきほどの成長と言えよう。
しかし、邪竜の命には届かない。彼の鱗を焦がすこともできない。もはや、何か仕掛けがあるのではないかと思うほどだ。
やはり心臓を狙うしかないのだろう。ノォトは魔剣を構え直す。
「ああ、わかっているとも。違うとな。どれも違う。汝の核心を突くものではない」
「ごちゃごちゃとうるさいやつだ」
「少しは戯れよ。つまらないではないか。我の前に立ち、言葉を交わし、あまつさえ戦ってみせたのは汝が初めてなのだ」
少し楽しそうに、邪竜は言った。
ちっとも楽しくはない。ノォトは思った。ノォトの命を絶つに等しい攻撃を躱しながら、邪竜を見る。
「付き合うつもりはない」
「つれないな。だが、もうよい」
邪竜が口を大きく開いた。その口には、大きな力が溜まっている。
それが火を吐く動作だ、と思った。ノォトは魔剣を構える。狭い洞窟で、邪竜の吹く炎をどれほど避けられるかはわからない。であれば、迎え撃つほかない。
再び、魔剣に光が集まる。先ほどと同じような威力は出せないが、自分の身を守れるだけでいいと力を練った。
邪竜の口に宿った炎は、炎でありながら暗いように思えた。
ノォトの光と比べるべくもなく、その明暗ははっきりしていた。しかし、その炎の暗さはすべてを飲み込むような、谷底の暗さを思い起こさせた。
一度だけ口を閉じ、次に開いたときに邪竜は炎を玉を発した。強大な熱を前に、ノォトはわずかに身を竦ませるが、すぐに踏み込んだ。
魔剣の一閃。邪竜の火炎。二つの光がぶつかった。




