空から落ちてきたエルフ(2)
「取引? あんたに、私の利益になるようなものがあるわけ?」
フィオネは鼻を鳴らしてそう言った。どこか楽しんでいるように。
いいや、ここで優位に立ってるのは彼女だ。この取引だって、自分にとって悪いものにならないとわかっているのだろう。
ノォトは池から上がった。それを追うようにフィオネも池から出る。
「そうねえ、そこの馬は? すっごく賢そうだわ。私の愛馬にしたいくらい」
提示されたのは、グラニだ。彼は満更でもなさそうな顔をしている。
が、ノォトとしては頷くわけにはいかない。
「悪いが、友を売るほど落ちぶれてはいないつもりだが」
「冗談よ、冗談。そうねえ」
上から下まで、フィオネはなにか引き出せないか、と物色している。
同時に、器も計られているようにも感じられた。身を少しだけ強張らせた。
「その袋の中にあるものを差し出すなら、聞いてあげなくもないけど?」
フィオネの目が光る。
袋とは、魔剣の欠片が入っているものだ。ノォトは思わず身で庇う。その動きを見て、フィオネは面白そうなものを見つけた顔をした。
フィオネは魔剣の存在をわかって言ったにちがいない。エルフとしての嗅覚だろうか。あるいは何らかの魔術を行使したか、瞳にそのような力があるのか。
魔術に長ける種族である彼らを、理解しようという方が難しい。
元は神々の所持品だ。これを差し出せば、この世の大抵のものは手に入るだろう。
それこそ、神に連なるエルフにとっては喉から手が出るほど欲しいものなのかもしれない。何せ父祖の証の品である。
しかし、これもまた手放すことはできない。その交渉は首を振らざるを得ない。
「これは俺が為さねばならないことに必要なものだ」
「ふうん、その為さねばならないことには興味ないけど。それに、これも冗談よ。あんたが何を欲しいのか、まずはそこね。私は寛大だから、見合った対価を提示してあげるわ」
どの口が寛大などと言ってるのか、とノォトは思ったが黙っておくのが吉だろう。
この女には余計なことは言わない方が良さそうだ。穏便に済ませないと、あとが恐い。何をふっかけられるかわかったものではない。
ノォトは矢づつを持って、言う。
「この鏃が欲しい。魔銀が俺には必要なんだ」
「だめよ。それはね、私が為そうとしていることに必要なんだから」
初めから成り立つ余地のない交渉よ。
そう言いたげに、フィオネは腰に手を当てた。
であるならば、次の条件を提示しなければならないだろう。
「お前の為そうとしていることとはなんだ」
「この森を荒らしているやつの排除よ。たぶん、あんたが言っていた巨人のこと。あいつ、私たちの森を踏み倒して進むんだから、許さないわ」
フィオネは恨みを持って言葉を吐いた。
交渉の余地はある。ノォトはそう思って、フィオネに近づいた。
物で釣り合わないならば剣によって示す。これで足りないならば命を差し出そう。最後には首もくれてやる。
財を持たぬ身では、それしかできないのだから。
そして弓と矢づつを渡して、言う。
「そいつは俺が倒す。そちらの手出しは不要だ。だから、この鏃をくれ」
「……あんた一人で? 無茶言わないでよ、人が一人で敵う相手じゃないわ」
「それはそっちも同じだろう」
フィオネとノォトの視線が絡まる。火花が散るかのようなにらみ合い。
水を滴らせながら、ノォトはエルフの女と向き合う。
「俺がお前の矢だ。風よりも早く敵を打ち倒そう」
ノォトは膝を折った。そこに躊躇いはなかった。剣を間にそっと置く。
その姿を見て、フィオネは驚いた顔を浮かべる。
「呆れた。戦士がこうもやすやすと屈するなんて。誇りとかないの?」
「ある。だが、俺にはやらなければならぬことがあるし、お前の目的と俺の目的は重なる。それに、美しいエルフの君に仕えることの名誉はそれに勝るものだ」
故に、これが最も良い選択だ。
ノォトは確信をもってそう思っていた。
「調子いいわね。でも気に入ったわ」
ノォトの鼻にかかった言葉も、フィオネは嬉しそうに聞いていた。
そうねえ、と勿体振る。だが、その仕草ですでに答えは出されているも同然である。
「わかったわ。あんたは私の言う通りにする。その見返りにこの鏃をあげるわ。それでどう?」
「心得た。望むならばその命に応えよう」
「ふふん、今からあんたは私の矢なんだからね。そこらへん自覚しなさいよ」
交渉は成立した。とてもではないが、まともな契約ではない。だがお互いに利のある、大きな交渉だった。
「ねえあんた、名前は? 特別に私の名前を呼ぶことを許してあげるから、教えなさいよ」
「ノォトだ」
「ふうん……変わった名前ね。まあいいわ。ノォト、私の矢。この森を抜けるわよ。巨人がいるのは、そうね、あっちよ!」
フィオネが指差したのは、偶然かわかっていてか、ノォトの進行方向と同じだった。
グラニに乗ると、続いてフィオネが後ろに乗ってくる。エルフの年齢を人の感覚に当てはめていいかはわからないが、表情の印象からは少女を思わせた。
二人を乗せた灰の馬は、美しい女を背にしてご満悦だった。どうやらなかなかの物好きのようだ、とノォトが思うと鼻を鳴らして抗議をしてくる。
こうして愉快で頭を痛める、新しい仲間が加わった。