お前は誰だ(4)
そこは雲の上であった。これは夢であった。
いつかのように空を飛んでいるかと思ったが、違った。ここは山の上だった。こんな高いところに、開けたところがあるのか、とノォトは思った。
見渡せば、雲が眼下にあって、麓の景色はわからなかった。
いったいここは、どこの山頂なのか。空を見上げても、そのしるべはなかった。
その中央に、人がいた。いや、あの甲冑姿は間違いなく戦乙女だ。その腕には折れてしまった魔剣と、母ヒルディースが抱えられていた。
「我が妹たちよ、聞きたまえ」
彼女は言った。誰に呼びかけているのだろう、と思っていると、空からそれらは舞い降りてきた。
各々が似た意匠を持ちながらも、異なった鎧を身につけている。彼女らの持つもののうち、一つが特に異なったものであった。それは剣であり、仮面であり、具足であった。
翼を広げて、地面に着いた彼女らは、ヒルディースを抱えた戦乙女を囲んだ。全員が顔を隠しているから、その表情を伺うことができない。
「私は……父の命に反し、本来は死すべき命をこうして救いました。ですが、聞いてほしいのです」
それは告白に似ていた。戦乙女は、自らの罪と、その訳を話したのだ。
「確かにこの者は婚姻の契約を交わした身であり、それを反故しました。私はきっと、偉大なる父によって裁かれるでしょう。そのときにはこの者を……助けてあげてほしいのです」
彼女は言った。叫びではあったが、悲しさはなかった。それは願いだった。
戦乙女の妹たち……恐らくは彼女たちもまた戦乙女なのだろう。彼女たちは何も反応を示さなかった。体を揺らすこともなく、鎧の音をたてることもなく。
「それはならない」
「我らは父の命によって動く」
「私たちに意思は存在しない」
「そんなものは獣のまやかしだ」
「戦士の死を司るが戦乙女」
「戦士の生は人の理」
「手を出すことは許されず」
「手を下すことのみ許される」
口々に、彼女たちは言った。それこそが彼女たちの規則であり、絶対であった。
ノォトは知る。神々には自分が持っているような感性は存在しないのだと。戦乙女は、何の感情もなく、戦場で戦士の魂を選別するのだ。
ヒルディースを抱えた戦乙女は項垂れた。
どれだけの時間をそうしていただろうか。ノォトは思わず、戦乙女の元に駆け出しそうであった。
だが、それは叶わない。これは夢であり過去なのだから、変えることなどできはしない。
それでも、あまりに悲壮な彼女を見て、動かずにはいられなかった。
「……心得ました、妹たちよ」
戦乙女は言った。その声音には、妹たちにはない情緒がこもっていた。
そしてヒルディースの頬を撫でる。美しい、まだ少女とも言うべき彼女を慈しむ戦乙女の姿に、ノォトは見とれた。
「どこへ行くのだ、姉上」
「貴女の居場所はここにしかない」
「神々の娘である貴女には」
「人と同じようには生きられない」
「人と同じようには死ねない」
「意味のないことはしてはならない」
「世界は複雑で単純だ」
「貴女の勝手で調和を乱してはならない」
妹たちは言った。彼女たちは一歩、近づいた。がしゃりと一斉に鎧が鳴る。それぞれが武器を抜いた。長姉たる戦乙女は、それらを見ても動じることがなかった。背中に純白の翼を生やして、大きく飛び立とうとしている。
「哀れな妹たち、そして立派な妹たち。私は貴女たちを愛します。なに一つ、偽りのない愛を貴女がたに捧げましょう」
けれども。戦乙女は言った。
「譲れないものが私にもあります」
そのときだった。ヒルディースが目を覚ます。それとともに、戦乙女の妹たちはどこかへと消えていった。生ある者に姿を見せてはいけない。それが戦乙女の規則の一つなのだろうとノォトは思った。
「ここは……貴女は誰? いいえ、彼はどうなったのです?」
ヒルディースは混乱したまま、そう言った。この状況であっても、自分の愛した者を気にかけるのかとノォトは少しだけ笑った。自然にこぼれた笑みだった。
「彼はフンディングの槍によって貫かれました。遺品はここに……」
戦乙女はそう言って、折れた魔剣をヒルディースに渡す。ヒルディースはそのことに驚き、諦めの表情を浮かべたが、泣くことはなかった。
「その魔剣が折れたということは、大神の加護を失ったということ。負けるのは必然でしょう」
受け入れましょう。
ヒルディースはそう言った。王の娘であり、妃になるべくして育てられた彼女はそれだけの意思を持っていた。それはノォトが見てきた母とは、また違うようにも思えた。
ですが、と戦乙女は言った。
ヒルディースは顔を上げて、甲冑の下にある戦乙女の瞳を見つめた。
「貴女の腹には子が宿っています。新しい命が、あります」
ヒルディースは目を見開いた。愛する者の死を知っても決して流さなかった涙を、目に浮かべている。
笑い、泣いて、彼女は嗚咽をこぼした。戦乙女がヒルディースの頭を撫でる。
二人の女が、喜びと悲しみを分かち合っていた。




