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烈日王に極光の歌  作者: ジョシュア
番外編
41/102

雨降る日の一幕

番外編です。本編に影響はありません。

時系列にして、第23部と第24部の間で起こった出来事。凍り降りの洞窟へ向かう二人を、不意の雨が襲う……。

 亡国の王子ノォトは自らの愛馬グラニを巨木のへと寄せる。

 その巨木はすでに朽ちていて、中は空洞になっている。人が二人、肩を寄せるだけの空間はあるだろう。ここまで頑張ってくれたグラニには申し訳ないが、外で待ってもらうことにし、ノォトは幹の空洞へと入っていく。

 氷り降りの洞窟へと向かう道中のことであった。順調な道程であったが、急な雨までは予測ができなかった。真っ暗な空を睨みつけて、毒づきたい気持ちにもなった。

 そうしなかったのは、いま隣にある少女がいるからだった。


「ああ、もう! 急に降ってくるなんて、聞いてない!」


 エルフの少女フィオネがそう言った。自分の旅の同行者であり、知恵者であり、よき相方であった。

 自分の気持ちのほとんどを代弁してくれる彼女を見ていると、かえって落ち着いてしまうのがノォトの質であった。


「ついてなかったな」

「まったくよ。こんな思い通りにならないのなんて、久しぶりだわ」


 フィオネは言った。その言い草が彼女らしい。

 ふと、ノォトはフィオネを見た。湿気ってしまった弓矢を下ろし、ため息をついている。

 その姿は、いささか刺激的だった。

 濡れた衣服は彼女の体に張り付いていて、体の線がはっきりと見てとれる。少しだけ透けていて、真っ白な肌の色さえもわかるほどであった。

 服を絞っているフィオネはあまりにも無防備な姿を晒していて、髪も濡れているからか色気もある。

 それがどうも、ノォトをどぎまぎとさせた。


「……なに見てるの」


 フィオネがじとっとした視線を向けてくる。

 ノォトは反射的に首を横に振った。


「狭いのだから、仕方ない」

「仕方ないで許すわけないでしょ!」


 ぺしん、と頭を叩かれる。本気ではないものの、叩かれたという事実だけがノォトに残った。

 顔を逸らすフィオネであったが、それほど気にしているわけではないらしい。

 しかし、艶やかな肢体であった、と思う。

 健康美とでも言うのだろうか。とてもしなやかで、伸び伸びとしている。ほどよく筋肉がついていて、王の館で暮らす女では、ああいう体にはならない。

 さながら、白亜の城壁であった。


「痛い、なぜ叩いた」

「失礼なことを考えてるでしょ」

「……まさか、お前は心が読めるのか?」

「そんなわけないでしょ! って、やっぱり考えてるんじゃない!」


 思考を中断されたことを抗議すれば、そんな言い合いをしてしまう。

 いくつかの戦いと困難を超えて、自分たちの仲が深まったのだと思いたい。


「あー、もう、びしょびしょだし」


 あっち向いてて、とフィオネが言う。ノォトはフィオネに背を向けた。布の擦れる音が聞こえる。どうやら背中の向こうで、服を脱いでいるようであった。


「それにしても、ノォトもそんなことを考えるのね」

「なんだ、急に」

「女の人とか興味がないものだと思った」


 それは心外だ、と思った。

 自分とて男であるから、綺麗な女性がいれば目を惹かれるし、声だってかけたくなるものだ。


「興味はあるぞ」

「うわあ……そう言い切られると、ちょっと」

「お前に魅力を感じないわけではない」

「わー! わー! ちょっと待って、いまわたし裸なんだけど! 困るんだけど!」


 フィオネがうろたえている光景は、あまりにも珍しい。彼女の、少女としての素を垣間見た気がした。

 いつも高慢で、勝気な威勢はどこへ行ったやら。むしろノォトの方が戸惑ってしまいそうだった。

 くう、と顔を真っ赤にしてこちらを向く彼女。またその裸体が見えそうになって、ノォトは体の向きごとフィオネから視線を逸らしたのだった。

 背を互いに預けて座る。フィオネの背中の感触に、雨の音に負けないほど胸が高鳴ってしまう自分を自覚した。


「そう、コイバナ! コイバナしましょう!」

「こ、コイバナ? なんだ、それは」


 唐突に降ってきた言葉に、戸惑いが隠せない。

 フィオネが言うには、コイバナとは主に恋愛の話をすることなのだという。恥ずかしい過去や言いにくい経験がなおのことよし。酒の肴としてこの上ないものであるそうだ。


「ほら、お姉さんに相談してみなさい。坊やにはどんな過去があるのかな?」

「お姉さん……? そのわりには」

「胸をそんなに気にするのは男だけよ。わ、私だってあと五年もすればね!?」

「なにも言っていない。いや、それよりも」


 エルフがどう成長していくのかは知らない。だから、その五年という単位が、自分の知るものであるのかどうかの方が、ノォトとしては気になった。

 そして五年で成長する見込みやいかに。


「あのね、エルフは長寿だけれども、体が完成するまではあなたたちと似たようなものよ。で、完成したらほとんどそのまま。老いていくのもずっと遅いし、老けるときは一気に老けるの」

「なるほどな。それで、フィオネはまだ未完成なのか」

「いいえ、私の体はこれで完成よ」

「……五年すれば、というのは」

「何か言った?」


 ぐい、と腰がつねられる。地味に痛い。

 その細腕のどこに、それだけの力があるのだろうか。それとも薄皮一枚だけをつねられるのが痛いのだろうか。


「わかった、わかったから、許せ」

「よろしい。未来の王様がそんな狭量では困ったモノね」

「胸は大きさではなく、広さということか」


 さらなる追撃がフィオネから繰り出される。不満を漏らすが、本当に追い討ちをしかけたのはノォトである。彼に非難する権利はない。


「ほんっと、無口なくせに、一言余計!」

「悪い……」


 素直に謝るノォトに、まあいいけど、と突っ返すフィオネ。

 二人のやりとりは微笑ましくもあったが、一国の王子とエルフの女王の会話であると思えば、頭も痛くなる。


 雨が止む気配はなかった。激しい雨音は、二人の耳に響いている。

 一方で、お互いの吐息であったり、わずかに動く音が、より大きく感じられた。

 ノォトからすれば、それは戦士としての間合いであったからだ。相手の動きの逐一を意識することが、戦いにおいて何よりも重要である。例えば、呼吸のわずかな合間というのは致命的な隙になる。呼吸を止めているときこそ集中力が高まり、一方で吐き出す瞬間は力が緩む。戦士とは武技のみならず、お互いの探り合いによって競うものでもあった。

 しかし、この状況において、それは明らかにノォトを苦しめていた。

 養父や義父をして朴念仁であり、女に興味がないのではとすら言わしめるノォトであったが、この状況はまずい。

 どきどきする、というやつだった。


「それで、コイバナよ」

「まだするつもりだったのか!?」

「あーたーりーまーえーでーしょ! 私が自分の言葉を曲げたことなんて、あった?」


 ない、と答えるのは簡単であったが、いまは曲げてほしかった。

 しかし恋愛話と言われて、面白い話はできない。フィオネもまた、ノォトにそんなことは期待していないのだろうとは思う。

 だがここは、腹を割って話してみるのも一興、だと思う。

 満を辞してノォトは口を開く。


「これは戦場でのことなんだが」

「待って」


 ノォトが話し始めようとしたときに、フィオネは声を挟んだ。

 なんだ、と言うノォトに、彼女は少し困ったように言った。


「私、コイバナって言ったよね? なんでそこで戦場なの? そんな殺伐としたところで恋が芽生えるの?」

「まあ聞いてくれ。俺はそこで、戦って、戦って、戦った。この手はあらゆる敵を薙ぎはらう。そして剣が折れたとき、ようやく戦いは終わった」


 見渡せば、そこは屍体の山だった。

 そのうちには自分が切り伏せた者もいる。誰よりも斬り伏せた自負があった。誇りにはすまい、戦いとは正義ではない。己のわがままによって、剣を握っているのだから。悲しみはすまい。それは相手を斬った己にあってはならない。

 であれば、なんのために戦っているのか。

 国のためか。偉大なる父のためか。名誉のためか。————生きるためか。

 たくさんの逡巡があって、そのどれもが真実なような気がした。ひとつに決めることはできまい。

 しかし、やがて大きな一つがあるのだと確信した。


「天から降りてきた、彼女を見た」


 その光景を、ノォトは一生忘れない。

 白い羽を羽ばたかせ、舞い降りたのは甲冑をまとった女、すなわち戦乙女。

 彼女を見たとき、全身がざわついた。

 柄だけになった剣を握りながら、その手は震えていた。

 それは感動だったと思う。自分の目指す先を、求める先を目にすることができた、圧倒的な感情の渦が自身を飲み込んでいく。

 一方で、怒りと困惑があった。

 どうして自分は選ばれないのだろう。この戦場で一番の戦士であるのは、自分であるはずなのに。

 数多の戦士を倒し、誰よりも勝利に貢献し、敵軍の勇を打倒せしめた、自分こそが戦乙女に召し上げられるのにふさわしいのではないか。


 ヴァルキュリア!


 どうして俺ではないのだ。

 優れた戦士とはすなわち、誰よりも苛烈に戦い、()()()()()()ではないのか。

 なぜ死んだ者を欲する。なぜ、誰よりもお前を望む俺を選ばず、俺が斬った戦士を連れて行く。

 そんな不条理を叫んだのだ。


「あのとき、俺の感情は燃えていた。炎だった。あれほどの欲望を、己が持っているとは思いもしなかった。……もしかすると、それが恋なのではないか、と思った」


 そういう話だ。とノォトは締めくくる。

 きっとフィオネが望んだ話しではないだろう。理解はしているが、自分の中でいまも燃えている感情はそうとしかいいようがなかった。

 困っているだろうフィオネは、黙っている。やはり話すべきではなかった、と後悔した。少しは冗談も嗜んでおくべきか、などと考える。


 急に、背中に温度を感じた。

 フィオネが抱きついてきたのだと気づくのに、少しの時間を要した。

 引き締まりながらも柔らかさのある肢体の感触に、心臓が跳ね上がった。振り向こうにも、彼女の裸が目に入ってしまうだろうし、振りほどくわけにもいかなかった。

 頭に手が置かれる。撫でられているのだ、と気づいて、困惑した。

 母にも撫でられたことはない。誰かの手が自分の頭に触れるというのは、恥ずかしいことだとばかり思っていた。

 けれどもフィオネに撫でられるのは、こそばゆい中でも、わずかな嬉しさと、大きな安心感があった。


「その想いは、大切にしなさい」

「……フィオネ」

「誰かの想いがある。たくさんある。生きていた者の、死んでいった者の想いがたくさん募って、世界はできている。あなたが見つけたのは、そのうちで大切なもの、問い、よ」


 答えを見つけるまで、その想いを持ち続けなさい。

 そう言って、フィオネは離れる。

 言葉のひとつひとつはまるで、全身から沁みているかのようであった。

 彼女がその言葉をノォトに託した意味はわからない。けれども大切にすべきことなのだろう、と思った。

 苦しい想いだ。自分自身すらも燃やし尽くしてしまいそうなほどに。形を保つことができず、灰になって飛ばされてしまいそうなほどに。


 それからしばらくして。雨は止む。二人はまだ湿っぽい衣服をまとって、木の根から抜け出した。


「うん、いい天気ね! ゆっくり休んだし、体力も万全。グラニはどう?」


 すっかりフィオネに懐いたグラニは、上機嫌に鼻を鳴らした。

 次いで、グラニはノォトを見つめる。わずかばかりの感情を目に宿して。ノォトはそれを、怒りか、あるいは羨望の感情であるとわかった。

 その正体について、いましがた、ノォトは知ったばかりだ。


「お前、妬いているのか?」

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