鍛冶場の王子(2)
アルヴァルトが座す王城に、ノォトは足を踏みいれていた。
王城は多くの者に解放されており。元はノォトの父、ひいては祖先が代々受け継いできたものなのだから、ノォトの財産も同然ということで自由に歩くことが認められていた。
だから彼が中を歩こうが、見咎める者はいない。
王城の中を、奥へ奥へと進んで行く。
ある一室。そこは本来、王の親族ですらも入ることができぬ部屋。
ノォトは必然的に、または公然的に入室を許されていた。
その部屋の主が、その理由だった。
「母上」
「ノォト!」
母は美しい顔をほころばせた。
いくらか年老いているはずなのに、いつまでも若々しく、王妃よりも姫という印象を多くの者が持つだろう。
ノォトの母、ヒルディース。彼女も生まれは王女であり、老齢だった父を真の英雄と見初めて添い遂げた、という話をよく伝え聞いていた。
「よく来ましたね。貴方から会いに来てくれるなんて思いもしなかった。でも一言ほしかったわ。私、準備してませんもの」
「子が母に会うのに、断りはいらないだろう」
「その言い方。それに顔も。父に似ましたね、ノォト」
嬉しそうに、悲しそうに。
ヒルディースはノォトに父の面影を重ねた。
彼女の言葉に、少しの喜びを覚える。
「まさか。父にはまだ及ばない。彼のような戦士にはなれない」
「いいのよ。顔や、口癖は似てしまうけれども、生き方まで似てしまうなんてことはないのだから」
母は息子へ言葉を贈る。覚えておこう、とノォトは言った。
話は本題へと入る。
「母よ、父の遺品の中から、かの魔剣をいただきたい」
ヒルディースの顔が途端に曇る。
突然現れた息子が、父の品を欲しいと言ったら戸惑うに決まっている。
顔を伏せて、ヒルディースはノォトから離れた。
それこそ、想いに揺れる少女のようであった。たくさんの想いがあって、整理がつかず、枕に伏すような。
母でなければ、恋をしてしまいそうな愛くるしさであった。
愛らしい女は顔をあげる。
「あの魔剣がために、父は倒れたというのに?」
「そんなことはないだろう」
「いいえ、そうなのです。あの魔剣は人の運命を狂わせる。優れた戦士であろうとするたびに、人は死に近づいていく」
「それは神の戦士に選ばれるということ。名誉なのだ、母よ」
「名誉のために、置いてかれた者の想いはどこへ行ってしまうの」
「貴女は俺に、父を重ねすぎている」
母は何も言わなくなった。
その代わり、ノォトの胸に手を当てた。
体の中に鳴り響く音を聞くために。あるいは、伝えるためにか。
温もりを感じた。女の温もり。知らないものだった。
「魔剣はいま、折れています。それでもいるの?」
それは母の、最後の抵抗だった。
知っているはずなのだ。王族の男子は優れた者の家に預けられて育つことを。そしてその先の家は、国でも有数の鍛治師であり、魔術の使い手でもある男であることを。そしてノォトが、そこで鍛治を習わないわけがないことも。
折れた剣は戦士には無用のものだ。しかし、鍛治のできる者であれば別だ。
「ああ」
「……わかったわ」
母は根負けをして、ついに頷いた。
部屋の隅に、箱があった。その中に入っている袋。ヒルディースから受け取って開ければ、折れた剣があった。
折れているにも関わらず、その剣の鋭さは伺い知れた。
光を失っているルーン。銀色に輝く刀身。それだけでも、戦士を魅了した。
魔剣。そう呼ばれるのも納得だった。
ノォトはそっと袋を閉じる。その手を母が握った。
「お願い、約束して。貴方が帰ってくるのを待ってる人がいることを忘れないで」
「……わかった。ここには母と、養父がいる。陛下代理とている。帰ってくる場所のはずだ」
弱々しく、ヒルディースは頷いた。ノォトは母の方に手をかけた。
そのときだった。部屋に入ってくる人物。
ヒルディースとノォトは離れ、その者を出迎えた。
「そう畏まらなくてもいい。楽にしてくれ」
厳かに、しかし優しげに。その人物は言った。
「ましてや、我が妻とその子だ。家族なのだから」
確かな情愛を持って、その男は言う。
男はアルヴァルト。先王と、そしてノォトに代わっていま国を治める者だった。
「ええ、愛しいあなた。嬉しいことに、ノォトが自分の足でここに来てくれたわ」
「そう言うが、浮かない顔だな。どうしたんだ」
アルヴァルトは、ヒルディースとノォトの顔を交互に見た。
「聞いてくれ、我が友にして父、アルヴァルト」
ノォトは膝を折る。そして告げる。
己の決意を。
これからの目的を。
「俺は旅に出たい。王として、足りないものがあるはずなのだ。そのためにはまず、優れた剣が要ると考える」
ノォトは父の魔剣を見せた。折れた剣を。
目を光らせるアルヴァルト。しかし頭を振った。
「いいや、その必要はない。あと一年もすれば、お前は優れた王となる。私が責任を持って戴冠を行おう」
「それでは足りない。俺は父を超える王になりたいのだ」
アルヴァルトは、部屋を歩く。そして窓辺に立つと、遠くを眺めた。
間があった。それは王の代理を務める男が、父と王の間で思いを揺らしているのだった。
ノォトは力も頭脳もあった。それゆえに優れた戦士である。だが、彼が王になったとき、脅威にならないとは限らない。一国の王として、アルヴァルトはそれが恐ろしかった。
一方で、この男の描く未来も見たいとさえ、思った。
「そうか……いいや、王子が諸国を旅するのはおかしなことではない。それに、お前に頼みたいこともあったのだ」
アルヴァルトは部屋を出る。そしてノォトとヒルディースに背中を向けて、言葉を放った。
「そして第二の父として、お前に餞別をくれてやろう。なに、前の戦の褒賞として用意していたものだ」
王と父の代わりを務める男は歩む。ノォトの前を。
いまは、追うことしかできなかった。