エルフの里(5)
「それで、ここを出る算段はどうなっている?」
ノォトはフィオネに問いかける。彼女は「そうそう」と言った。
「なんの問題もないわ。あまり使いたくない手だったけど」
「使えるものは、なんでも使うしかあるまい」
「そうだけど」
フィオネは唇をとがらせる。彼女はたくさんのことを自身に課しているようで、けれども優先すべきことのためにはそれを捨てるだけの決断ができる者であった。
「まあ、いいわ。解決したんだし、この里を出るわよ」
「もう少しゆっくりしていかないのか」
「そしたら貴方は、同じ人だけれど自分とは違う国にどかっと居座ってゆっくりしていくわけ?」
そう言われてしまえば、なるほどと理解する。自分とて他国には長居したくはない。そこに人もエルフも、違いはないようだ。
フィオネに連れられて、ノォトは閉じ込められていた家を出た。久しぶりの陽光は眩しく、思わず目を手で覆ってしまった。けれども、降り注ぐ光を浴びるのは気持ち良く、体が引き締まった心地がした。
改めてエルフの里を見渡す。彼らの住処は森の中にあり、人が暮らしている村や街とは様相が違っていた。一本の木を中心にして、その木に連なるようにして家が建てられている。円のように広がるようにして里は大きくなっていっているようだが、そもそも彼らが少ないからか、開拓村と同程度の規模に感じられた。
「エルフの暮らす場所は、どこもこういうものなのか?」
「そういうことに興味をもつのね……。私の生まれたところは違うわ。そんなに大きくはないけど、美しい真っ白なお城があるの。水も豊かで、小さな精霊たちが歌って過ごしているのよ」
あまりにも突飛な言葉に、その光景をノォトは想像もできなかった。エルフたちの城、と言われても何のために建てられたのか、どういう造りをしているのかもわからなければ、そもそも精霊とはいったいどういう者たちなのかもわからなかった。
だが、フィオネはきっと、エルフたちの中でも、この地上の者とは特異なものなのだろうということは察することができた。
どこからか、歌が聞こえた。女と、子供の声。おそらく親子なのだろう。陽気な歌は、どういう意味を持っているのだろうか。
「お前たちは歌が好きなのだな」
「歌はいいわ。聞いているだけで、どんなものか伝わってくるでしょう?」
「そうだな。俺は芸には疎いが、芸を楽しむのは好きだ」
そう言うと、フィオネは驚いた顔をした。
「どういう風のふきまわしよ。やけに素直じゃない」
「……そんなつもりはない」
「そこは素直じゃないのね」
ふふっ、とフィオネは笑った。ばつが悪くなって、ノォトは顔を背ける。
自分たちに気づいたエルフの戦士たちが歩み寄ってくる。その一番前を歩くのは自分を捕らえるように指示をしたエルフ、オルキスだ。思わずノォトは構えてしまうが、この里に連れてこられたときのように、フィオネがまたもやノォトを引き止める。
「フィオネ!」
「いいのよ」
フィオネはそういって、ノォトの前に出た。
すると、エルフの戦士たちは腕を折って胸に掲げるエルフ式の礼をした。それもフィオネに対してだ。
「フィオネ様、発たれるのですか? もう少しここに留まれられては」
「いいのよ。気がひけるだけで、休まらないわ」
「しかし」
ちら、とエルフの戦士はノォトを見た。それが不満げな視線であることは、ノォトでもわかった。
「巨人は我らエルフの手にも余ります。少なくとも、この村の者を何人か連れていかれては」
「口説い!」
フィオネは一喝した。決して大きな声ではない。けれども、相手に有無を言わせぬだけの威力を持っていた。ノォトでさえ、腹に響くように感じられた。
「お前たちの任はこの里を守ることであり、私を守ることではない。誰に命ぜられたのではなく、己に課したものであるならばそれを果たせ」
「は、ははっ!」
エルフの戦士たちは口を揃えた。フィオネは腰に手を当てて、ため息を吐く。
「それに、私にはノォトがいるわ。私が信ずるに値すると判断したの。文句は言わせないわ」
巨人を倒してくれるんでしょ。フィオネはそう言いたげに、ノォトを見た。こくり、とノォトは頷いてみせる。無言の会話が、妙に心地よかった。
エルフたちは何も言わず、道を開ける。フィオネはさも当たり前のように、その中を歩いていった。
ノォトもそのあとを追った。そしてオルキスの前を通ると、ふと立ち止まる。不思議と腹立たしさはなかった。それは、彼が悪意をもってノォトを捕らえたわけではないとわかっているからであり、なによりもその妻ケルルのおかげであった。
「……奥方を大切にされよ、エルフの戦士よ」
短くそれだけ言った。ぴくり、とオルキスは反応したが、何も言わなかった。
それから里を抜ける。そこにはグラニと、剣があった。グラニはぶるる、と満足げに鳴いている。よくしてもらっていたようで、疲れもとれており毛並みもきれいだった。
すべてフィオネが準備したことはわかったが、彼女はなにも言わない。
「フィオネ、お前はいったい」
「ちょっとだけ、ね。貴方とそんなに変わりないわ」
フィオネはそう言った。ノォトは、そうか、と頷く。薄々と察していたことが、確信になっただけであり、それは自分たちのことを大きく変えるものではない。
「さあ、行くわよ! イマルタの洞窟、だっけ? エルフたちじゃ凍り降りの洞窟、なんて言うんだけど。それはここからまっすぐ北東にあるみたい」
満面の笑みで、彼女は言った。それは王としての顔ではなく、旅を楽しむ少女の顔だった。




