鍛冶場の王子(1)
鋼を叩く音が聞こえる。
戦場の剣戟ではない。鈍く、孤独で、しかし満たされている音だった。
そこは鍛治場だった。
灼熱の鉄に形を持たせる場であり、鉄を鋼へと変える場だった。
ノォトは剣を持つ手を槌に変えている。汗ばむも、雫を拭わずに作業を続けた。
自らの剣を、自らの手で創造しているのだ。
熱した鋼の塊を水に入れる。蒸気が上がった。そうして剣が生まれた。
紛れもなく名剣。ノォトがいままで造ってきた中で、最も優れた剣であることは間違いなかった。
だが。
「これもだめだ」
ノォトは納得しなかった。
前の戦いでも、ノォトが鍛えた剣はノォトの力に耐え切れず崩れてしまった。
この剣は、前の剣より優れた出来である。けれども、それだけだ。決定的な強さを持っていない。
足りないのだ。満足に戦えないのだ。自らの命を預けるに足るものではないのだ。
自分の裡に空虚なものが生まれるとわかる。
ため息を吐いてノォトは鞘を見繕った。どんな剣であっても、鞘は必要だろう。
見繕っていると、鍛治場に一人の男が入ってきた。骨太な身体を持っているが、戦士の風格は持っておらず、その代わりに顔は理知的だ。
「どうだ、新しい剣はできたか」
男の名はブロム。この鍛治場の主であり、ノォトを育てた親である。
ノォトは剣を差し出す。ブロムは剣を眺めると、ほおと感嘆を漏らした。
剣の輝きは増すばかりだった。角度を変えては、その出来栄えを確かめている。
「素晴らしいな。ドヴェルグに勝る鍛治の腕だ」
「恐縮だ。貴方にそう言われるのは」
「いいや、この国一の鍛治の腕と言っても過言ではない。どうだ、かの女神が己の身体を差し出してでも得ようとした炎の首飾りでも作ってみるか?」
「女神フレイヤの相手は俺には過ぎる」
思わず苦笑い。ノォトは剣を返してもらい、鞘へと納めた。
ブロムは笑う。養子であり弟子であるノォトの成長が喜ばしいのだろうか。
そして他愛ない世間話をする。どこの家の女が結婚しただとか、どこの国の将が病に罹っただとか、そういう話だ。
話題がノォトのことになると、ブロムは先日の戦について触れた。
「そういえば、この前の戦では大いなる働きをしたらしいじゃないか。養父として鼻が高いが、褒賞を断ったとも聞いた。なぜだ? お前ならば、望むものを全て得られるのだぞ? 金も、城も、女もだ」
「俺は言われたことをしたまでのこと。それに、物などには興味がない」
「もったいないな。財産がなければ、王として誇れまい。己の支配する物や領土あっての王であり、支配者だ」
思わず目を伏せた。
王、その言葉がノォトの胸を突き刺す。
ノォトは誇りある牙の氏族、その王家の子だ。その血には大神オーディンのものが流れているという。
やがては王の地位を継ぐことが約束されている。亡き父の跡を、父の盟友である王代理をアルヴァルトが務めているが、ノォトが王に相応しい器になった暁には、王位を継ぐこととなっている。
「だが、金では民の心は買えまい」
それは彼の思いであった。そして誓いでもあった。
先王である父は、優れた王であったという。
戦士の中の戦士であり、その統治は慈悲深いものであり、他国の王ですら彼を見習うほどだったらしい。
だからこそ、ノォトは求めた。先王を超え、民を納得させる術を。それほどの名誉を。
王代理を務めるアルヴァルトは、そんなノォトに名誉ある戦いをくれた。その戦いによって、自身の力を証明させる機会をくれていた。
しかし、ブロムは聡い男である。
「それでも足りないのだろう?」
「……そうだな、足りない」
的確に、ノォトの心情を見抜いてみせる。
戦いだけでは得ることができないものがある。
いいや、戦いで得れるものはあろう。しかしそれは、誰もが得ることのできるものである。戦い、勝ちさえすれば。
先王である父は、誰もが持っていないものがあった。
彼が優れた王足り得たのは大神オーディンにより魔剣を授けられたことだった。
民は皆、先王を信じた。全ての父オーディンが選んだのだから、間違いはないと。
ノォトにはないものだ。
さらなる名誉を得る、何かが必要だった。
彼を王へと引き上げる、誰もを引きつけるものが。
「王になるのは簡単だ。だが誰よりも優れた王になるのは難しい。お前は優れた戦士だ。そして優れた智慧を持つ者でもある。私が教えた魔術の知識も飲み込んでみせた。だが、まだだ。足りないのだ」
優れた鍛治師であり、魔術にも造詣の深い彼の言葉は予言にも等しいものがある。
ましてや自分を育てた養父の言葉であるのだから、ノォトは耳を傾けずにはいられない。
「では、俺はどうすればいい?」
ノォトが問う。ブロムは笑う。
「竜を殺せ」
それこそが、お前をこの世で最も優れた王にするだろう。
誰もが恐れる竜。山に座す暴威の竜。
その竜を討て。さすればお前が王であることは、誰もが疑わぬものになるだろう。
ノォトは目を剥いた。
竜。ブロムの言う竜は、恐らく奴のことだろう。
グニタヘイズに隠れ棲む、黄金を蓄えし邪竜。奴を討てば、真の王と呼ぶに相応しい業績となる。後世にまで語り継がれる英雄にだってなれる。
戦士である名声も、財産による栄華も、思うがままだろう。
竜殺しの王。なるほど、いい響きだ。
ちらりと、思い出す光景がある。
戦場に舞い降りた光。戦乙女。
そのときはきっと。貴女は俺を選んでくれるだろうか。
裡にある熱が、存在感を増していた。
「だが、おおよそ地上にある鋼の武具では、奴の鱗は穿てない。いや、それどころかドワーフの持つ術で鍛えられた武具でも無理だろう。ましてや、俺の剣を見ろ。自身で振るってすら、一つの戦場を越えられないのだ。どこに竜を討つ剣があるんだ」
「お前は知っているはずだ。どこに剣があるのかを」
そしてノォトは納得する。そう、その剣とは。
「父の剣……か」
いまは母が持つ、父の遺品。
大神オーディンが与えた魔剣。バルンストックに刺さった、抜いた者を真の王であると証明する宝剣。
いくつもの戦場で振るわれ、父の威信を守り続けた絶剣。
あれであれば、確かに竜と戦うこともできよう。
問題があるとすれば。
「かの剣はいま、戦いの最中で折れている。俺の腕で再生できるのだろうか。いいや、折れた剣を打ち直したところで、果たして元の力を得ることができるのだろうか」
「お前にできないならば、誰かにやらせるがいい。それこそが王だろう」
言い分は尤もだった。ノォトは頷く。
王はあらゆることに通ずる必要があるが、できないことだってあるのだから。であれば、できる者に任せればいい。
この世には自分を超える者たちがいるのだから。
「さあ、準備だ。エルフにドヴェルグ、彼らに会おう。我々よりもずっと智慧を持つ者たちだ。なに、お前なら彼らも無視できないだろうから」
頷く。まずは、魔剣の欠片をもらいに行かなければならない。
ノォトは初めて、自らの足で王城へと向かった。