死者の手紙(6)
その日は朝からずっと雨が降りいていた。正午に店を開けたものの、こんな重苦しい雨雲に覆われた、気の滅入るような天候では、客足もまばらだ。夕方近くになってもそんな風だったから、今日はもう店じまいにしてしまおうかとも考えた。
そういえば、アルバの姉がここで手紙を買ったのも、こんな雨の日だったか。
言葉を交わした客の顔は、みんな覚えている。結局、あれから一ヶ月経ったが、彼女はもちろん、アルバが訪れることもなかった。
昼は人の想いを宿したアンティークを扱い、夜はエクソシストとして悪霊退治。その悪霊も、結局は人の想いの塊だ。そんなものを四六時中扱っていれば、後味の悪い結末なんて珍しくもなんともない。今回は、自分に似たケースだったから、いつになく感傷的になったのだ。
止みそうにない雨音を聴くともなく聴きながら、フェリスは静かに目を閉じた。今、ここで一人で目を閉じるまでに、ずいぶん長い時が流れた。いちいち詳しく数えていないが、二百年は経っただろう。
色んな人間の色んな想いに触れて、自分も少しは成長したのだろうか。あの悪魔が満足するような物を、得ることが出来たのだろうか。
ゆるやかなまどろみの中で、フェリスは憎い悪魔の顔を思い浮かべた。冷ややかな、人を喰ったような笑みは、しかし何故かフェリスを懐かしくさせた。
このまま意識が薄れていって、静かに死ねたらどんなにいいだろう。
フェリスは小さく唇を動かすだけの微笑を浮かべた。なんだか、もういいような気がしたのだ。人よりずいぶん長生きして、色んな物を、国を、時代を見られたのだ。満足な気分でいる今のうちに、幕を引いてしまいたい。
もう、一人でいるのは疲れたーー。
フェリスの背後で、何か大きな生き物が蠢いた。大きな黒い大蛇だ。大人の男も簡単に飲み込めるほどの蛇が、フェリスの肩をすべり、頬擦りをする。あの悪魔が唯一、フェリスに残していったものだ。
「もういいでしょう。ずいぶん頑張りましたよ、世間知らずの姫にしては」
フェリスはうるさいハエでも払うような仕草をしたが、蛇は離れない。本気で振り払おうかと考えた時、窓の外で跳ねるような足音が響いた。水たまも気にしない、元気な足音だ。蛇がフェリスの影の中に消えるのと同時に、店の扉が開いた。
「久しぶり!」
足音が聞こえてきた時に、なんとなくそんな気がしていたのだが、現れたのは予想通りアルバだった。フェリスは自分でも無意識のうちに、ふわりと柔らかく微笑んでいた。
「ようこそ、トロンプ=ルイユへ。今日はとてもいい笑顔ですね」
「姉さんがやっと、少しだけ立ち直ってくれたからね。一応、報告に来た」
「それは良かった。安心しましたよ」
「まあ、完全に立ち直ったわけじゃないし、仕事はなくなっちゃったんだけどね」
一ヶ月近く休んだとなれば、そうなるだろう。
「それでは、どうするんですか」
「パブでの仕事は減らすけど、もし迷惑じゃなかったら、ここでも働かせてほしいんだ……この前の言葉が、社交辞令じゃなかったら」
「もちろん、社交辞令なんかじゃありませんよ」
「アンティークのことわからないから、教えてくれる?」
「ええ、いくらでも」
「それから……あなたのことも、知りたい」
予想外の言葉に驚いていると、アルバは決まりが悪そうに帽子のつばを引っ張って、顔を隠してしまった。
「前に、あなたは僕のことを察しがいいって言ったけど……たぶん、一緒にいたら、好奇心で色んな質問をしてしまうと思う。一緒にいる人のことは知りたいし……もちろん、答えたくないことははっきり拒絶して欲しいんだけど、質問することは許して欲しいっていうか……」
「たまには、そういうのもいいかもしれませんね」
あまりにも直球な物言いが面白くて、フェリスは久しぶりに声をあげて笑った。
「い、いいの?」
「長くなりますよ。それでも良ければーーお話ししましょう。遠い昔の、おとぎ話になりますが」
フェリスはそう言って、店の奥へと続く扉を開いた。