死者の手紙(2)
大きな湖のある市立公園を横切り、アルバとフェリスは並木道を並んで歩いた。昼前には止んだけれど、朝は雨が降っていた。雨で湿った草木の匂い、冷たい冬の風。こんな風に姉さんと散歩したのは、冬になる前だった。そう思うと、胸が重くなる。
アルバは自分の爪先を見つめながら、小さな声で囁くように話し始めた。
「姉さんは――あの絵葉書を買ってから、仕事の時以外、部屋に一人で籠るようになったんだ。この前、こっそり見たら――絵葉書を胸に抱えて、何もない空間にほほ笑みかけてた。うっとりした顔をして。それが、すごく怖かった。別人になってしまったみたいで、どうにかしなきゃと思って」
フェリスは横目でちらりとこちらを見た。本人は意識していなくても、美人の流し目は妙な凄みがあって、どきりとする。最初のお姫様のようだという印象は、とっくに薄れていた。
「それと?」
「え?」
「本題に入っていませんね。他にも、気になっていることがあるんでしょう」
アルバは息を呑み、つい帽子のつばで顔を隠した。
「貴女は魔女なの?」
「いいえ。貴女がわかりやすいだけですよ」
「姉さんは……」
やがて、閑散とした住宅街に差しかかり、寂れたアパートの前で立ち止まった。他人に茫然自失状態の姉を見せていいものかと、躊躇する。フェリスは急き立てることもなく、アルバの言葉を待ってくれた。
「姉さんは、誰かに向かって話しかけていた。部屋の中には他に誰もいなかったんだけど――知らない、男の声が聞こえた……」
フェリスの反応を見る前に、アルバは慌てて付け加えた。
「姉さんは精神がおかしいわけじゃないよ。もちろん、僕も」
「わかりますよ。貴女は〈素質〉があるかもしれない」
「〈素質〉?」
「人ならざる者の気配を察知できる能力、とでも言いましょうか。視覚で捉えることができなくても、貴女は耳で感じ取ることができる。おかしいのではなく、ある種の〈力〉を持っているんですよ、貴女は」
変なやつだと思われたくなくて言葉を選んでいたというのに、この女性ときたら何十倍も変わっている。けれど、こちらの話を真剣に聞いてくれたのが嬉しくて、つい心を開いてしまいたくなった。
「両親が数年前に亡くなってから、姉さんと二人暮らしなんだ。姉さんが親代わりとして、色んなことを我慢してるのはわかってる。だから、物に依存することで精神的に支えられるならいいんじゃないかって、迷ったんだけど……」
こんなことは、会ったばかりの人間にする話じゃない。そうわかっていても、止まらなかった。
「貴女はいくつ?」
「えっ、ああ、十三歳だけど」
「学校に行きながら働いているんでしょう」
「そうだけど、なんで?」
唐突な質問に困惑するが、フェリスは涼しげな顔で流した。
「微かに煙草とアルコールの匂いがしたので、学校帰りに男装して、パブあたりで働いているのかと思いまして」
アルバは思わず袖の匂いを嗅いでみたけれど、ほんのわずかだ。
「僕の男装を見破ったのは、貴女が初めてだよ」
「そうですか? 可愛いのに、とんだ節穴ですね」
さらりと言われて、お世辞だと分かっていても顔が赤くなった。母親似の姉さんと違って、アルバは華奢でも色白でも、美しくもない。それが昔からコンプレックスだった。
「貴女さえ良ければーーいえ、今はやめておきましょう。お姉さんのことが先ですね」
フェリスはふと、小さく溜め息をついた。
「疲れている人間が、アンティークを慰みにするのは珍しくありません。ですが、それ以上の感情を抱いたとなると、少々厄介ですね。お姉さまは、今の状態を望まれるかもしれませんが、それでも?」
「それでも、僕は……姉さんに、現実の世界で笑っていて欲しい」
「そうですね……お姉さまにはまだ、貴女という大切な待ち人がいるのですから……後悔しないように、戻ってきてもらわなければなりませんね」
独白のように呟いたフェリスの横顔はなぜか、ひどく寂しげに見えた。