死者の手紙(1)
迷路のように入り組んだ路地の一角に、アルバの求めていた店はひっそりと佇んでいた。看板を見上げると、宝箱を間に挟んでとぐろを巻いた二匹の蛇。小さな字で「トロンプ=ルイユ」と店の名前が刻まれている。
ガラス窓にはアンティークショップらしく銀器や懐中時計が飾られているものの、色褪せた緋色のカーテンに遮断されて、中の様子は伺えない。
べつに、買い物に来たわけじゃない。アルバは自分にそう言い聞かせた。姉がこの店で買った商品について、文句を言いに来たのだ。怖がる必要なんて、これっぽっちもない。
それでも、近寄りがたい雰囲気と、自分には手も届きそうにない高級品の気配に、つい二の足を踏んでしまう。そうやって迷っているうちに、すっかり体が冷えてしまっていた。灰色の一月の空を映して濁った水溜まりに、アルバの短い赤銅色の髪と、困惑した顔が見えた。
こんなことじゃいけない。姉さんを守らなくちゃ。
アルバは手を伸ばして、ついに重い扉を押し開けた。
店自体は古くもないし、周りにある店と似たり寄ったりで特別変わった見た目でもないのだが、それでも何か曰くありげな空気が渦巻いていた。それは扉から漏れ出た、このアンティークの匂いだったのかもしれない。
扉の先に待っていたのは、濃厚な空気の漂う、部屋一つ分に所狭しと広がった小世界だった。天井でくすんだ輝きを放ついくつものシャンデリア、お茶会が始まりそうなテーブルに並んだティーカップや銀器、壁に掛けられた絵画の数々。棚の上に並んだアンティークドールがアルバを見下ろしている。大きな姿見にアルバの貧相な全身が映し出される。くたびれた灰色のジャケットに、目深に被った黒い帽子、彩りといえば、シャツの首もとを結ぶ赤いスカーフだけーー。
「何かお求めですか?」
ぼんやりと立ち尽くしていたところへ、鏡の後ろから声をかけられた。
鏡の背後から姿を現したのは、ここに並ぶどのアンティークドールよりも美しい、精巧な人形を思わせる儚げな女性だった。腰まで伸びた金糸のような髪、ごっそりとどこかに感情を置き忘れてきたような無表情。こちらに足音もなく近づいてくる。その仕草すらも、どこかのお姫様のように洗練されている。
藍色の瞳が、何も言わないアルバを怪訝そうに見る。そこでようやく、アルバは当初の目的を思い出した。
「あ、貴女ですね。うちの姉に変な物を売り付けたのは……っ」
必死に虚勢を張って絞り出した声はみっともなく裏返ったけれど、店主らしき女性は形のいい眉をそっとひそめただけだった。
「貴女の店で、姉さんが気味の悪いものを買ってきたんです。それから、姉さんはおかしくなった……貴女のせいだ
ですよ。あんな、変なものを売るなんて」
「落ち着いてください。あなたのお姉さんは、ここで何を買われたのですか?」
見た目通りの凛とした声だが、甘さなどないはっきりとした口調だった。
「手紙を……」
「ああ……なるほど」
落ち着き払ったその様子に苛立って、アルバは不安も一緒に吐き出すように、女性を責めたてた。
「とっくの昔に死んだ人間が、恋人に宛てた手紙を売るなんて――最低だと思わないの? 姉さんはあれを読んでから、おかしくなったんだ……」
「〈あれ〉は、別に悪いものじゃありませんよ。怨霊だの呪いだの、そんなものは憑いていません。ーー私が、見逃すわけがない」
最後の一言に強い自負を感じて口ごもると、女性は気遣うようにアルバに向かって微笑みかけた。そうやって笑うと、絵画の聖母のようだ。
「故人の手紙を売るのにも、一応理由はありますよ。ただ、そちらは後で説明するとして・・・・・・貴女のお姉さんがどういう状態なのか、説明してもらいましょう。ああ、貴女の家まで、歩きながら説明してください」
女性が急に出かける仕度をし始めたので、アルバはうろたえた。ここに来たからどうにかなるものでもないと分かっていながら、ながば八つ当たりを言いに来たようなものだと、心のうちではわかっていた。だからこそ、女性の機敏な対応に困惑してしまう。
「うちに来るの?」
「実際に見ないと、なんとも言えませんから。それに、幽霊関係となれば、黙っていませんよ。それも、うちの商品のせいだなんて――エクソシストの名が廃ります」
「エクソシスト? じゃあ、貴女は教会の人なの?」
女性はふふっと軽やかに笑った。
「教会の人間と言えば、まあ、そうですけど」
妙に歯切れが悪い。第一、教会の人間だというなら、何故こんなところで商売をしているのかが分からない。
こんな胡散臭い、アンティーク・ディーラーでエクソシストまがいの女を、軽々と家にあげていいのか――。
アルバは迷いながらも、結局は自分の家に案内した。
女店主はフェリス・カーティスと名乗った。