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トロンプ=ルイユの悪魔  作者: Ritu
プロローグ
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プロローグ

 王城の地下には、異様な空気が渦巻いていた。ゆらめく蝋燭と床に描かれた五芒星の白光が、中央に跪く男の顔を照らす。瞳は黒い仮面に覆われて、フェリスの立ち位置からはよく見えないが――唇は、はっきりと弧を描いていた。


 フェリスはその隠れた顔をよく知っている。美しく整った顔立ちに、冷たい微笑を浮かべた唇、切れ長の赤い瞳。 


 笑っている。嘲笑でもない、この先の結末を知っているとでもいうような、余裕に満ちた静かな笑み。


 失いたくないと思うのに、先程与えられた情報が体までもがんじがらめにしてしまったのか、指先すらも動かせない。


 四肢を拘束された状態でも、男は薄笑いを崩さなかった。己を取り囲む神官たちを一瞥したきり、見向きもしない。男の瞳はただ一人、フェリスだけに向けられている。


 フェリスは我慢できず、ようやくその視線を真っ向から受け止めた。熱を持った瞳が、何よりも雄弁に語りかけてくる。


 私の手を取れ、と。


 皮肉なことに、その目に見つめられてようやく、体が動く。こちらも熱にうかされるように、フェリスはふらりと男に近寄った。


 近づくことに躊躇いがないわけではない。神官の話によれば、この男は自分に呪いをかけて、騙し続けてきた人外のモノーー悪魔だという。それでも、見慣れた姿が膝をついて拘束されている光景を見てしまうと、手を伸ばさずにはいられない。


「いけません、下がっていて下さい!」


 神官たちが慌てた様子でフェリスを悪魔から遠ざけようとしたが、それがかえってフェリスの歩みを早めてしまった。神官たちの間をすり抜けて、悪魔の前に立った瞬間、悪魔の手がフェリスの胸を貫いた。


 拘束など、されていなかったのだ。


 倒れゆく体を、悪魔の腕が抱き止める。見上げると、黒髪と仮面に遮られていた毒々しい色の瞳と、視線が交わった。


 神官たちの叫び声、動揺、怒り、混乱が伝わってくる。衝撃のあまりとっさに声が出なかっただけで、心臓を引き抜かれたというのに、痛みはなかった。殺す、などと、そう単純な思考をこの悪魔がするとは思えない。


 それでも、もし殺したいのであれば――死にたいわけではないけれど、この悪魔がそう望むなら――。


 死さえ受け入れてしまいそうな気がして、フェリスは自分の思考を恐れて、体を震わせた。混乱しているうちに死んでしまったほうが、いいのかもしれない。


 全ては、フェリスが生まれた瞬間から決まっていたのだという気がする。確かに、今日のこの日まで、フェリス自身の意思はどこにもなかった。呪いに踊らされて、意志を持たないビスクドールのように生きてきた。自分がおかしいのだと思い込んだまま――。



 ただ一人、フェリスの誕生を祝う祝祭に招かれなかった変わり者の叔母は、生後間もないフェリスに悪魔の呪いをかけた。そうとわかったのが、昨夜のこと。魔女だという噂はずいぶん前から知れ渡っていたというのに、昨夜まで誰も呪いに気づけなかったのだ。


 フェリスの眠るゆりかごに忍び込み、以来フェリスから片時も離れることのなかった蛇こそ、今目の前にいる悪魔だ。


 先刻叔母が処刑され、神官たちの尽力によって呪いは解かれた。だが、すでに手遅れだったのかもしれない。呪いはフェリスの心に消せない傷を遺している。


 そんな憐れな王女を、この悪魔はどのように見ていたのだろうか。つり上がった口角を見る限り、間違っても愛情などは持ち合わせていないだろうが。


 黒衣に身を包んだ、一見背の高い精悍な青年のように見えるが、目が、まとう空気が、あまりにも鋭すぎる。冷ややかな瞳には、情などといった甘さはかけらもない。蛇の瞳孔に宿るのは、貪欲に燻り続ける厄介な炎だ。視線だけで、身が焼かれてしまいそうな。


 そう。情なんてものではなく、執着だ。この悪魔はどういうわけか、フェリスに執着している。


「だまし絵〈トロンプ=ルイユ〉に囚われた姫よ」


 悪魔が静かに口を開いた。


 〈トロンプ・ルイユの悪魔〉とは、この悪魔の通り名だ。この悪魔はだまし絵のように、巧みに人間を騙す。騙されたことに気づかないまま終わることもある。そういう危険なものだと、頭のどこかで感じていたが、結局自分もまやかしに騙されていたのだろう。


「お前の心臓は、私が預かっておく」


「これ以上、どんな悪趣味なお遊戯を仕掛けるというのですか……」


 痛みはないが、心臓を抜かれた体から急速に血の気が失われていく。初めて体感する気持ちの悪さに、声を発するのもままならない。


「憐れだな。俺がどういうモノか、薄々気づいていただろうに、お前は逃げださなかった。意思のない人形をさらったところで面白くもない。ーーお前に、チャンスをくれてやる」


「チャンス……?」


「お前の意志で、俺を捕らえてみろ。その時には――お前だけの悪魔になってやろう」


「そんなものーー貴方の顔すら、もう見たくはありません」


 初めて敵意のこもった目で睨むーーこんな些細な仕草にも決意が必要だったというのに、男はただ静かに笑うだけだった。


「たどり着けなければ――永久に不死の身を抱えて、地上をさ迷うことになるが。俺を諦めて、新たな人生を求めるのも悪くはないかもな」


 悪魔は傲慢に言い放った。呪いが解かれた今でも、フェリスがこの悪魔を欲するなどと、どうして断言できるのだろうか。フェリス自身でさえ、この悪魔を嫌悪しているのか、嫌悪すべきなのかと、葛藤しているというのに。


「生まれてすぐに呪われ、その上異形に気に入られるとは、稀有な人生だな。その呪いが解けてからも、お前は――」


「稀有な人生なんて、求めていません」


 薄れゆく意識を必死に繋ぎ止めて、フェリスは悪魔の言葉を遮った。このまま意識を失ってしまったら、この悪魔はどこかに行ってしまう。


「いいや。お前はそうやって踊らされるのが、よく似合っている。お前は必ず、私の手を取るさ」


 神官が祈りの言葉を叫び終えると、フェリスを支えていた腕が離れた。これで、悪魔は永い眠りにつく。すかさず、神官たちが間に割って入り、フェリスを悪魔から遠ざけた。


「貴方は、私なんかの何が欲しいと言うのですか。世間知らずの王女ごときに、わざわざ遊戯を仕掛けずとも」


「お前が何も知らないからだ」


「なにーー」


「騙して奪うなんてことは、私にとってあまりにも簡単すぎる。多くを知った後で、最後に私の手を取れ。そのほうが、ずっと面白い」


 悪魔の姿が煙のように消え始める。神官たちのかける眠りなど、片手でいなせるはずだが、あえて受け入れようとしているらしい。



「勝手なことを――」


「待っているよ、呪われた姫君」


 フェリスは手を伸ばしたが、悪魔は跡形もなく消えていた。




 その後、呪われた姫君は城から姿を消した。そして――「それ以来、姫の姿を見た者はいなかった」。


 これは、おとぎ話の続きの物語。悪魔と王女の、呪われた再会までの記録である――。



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