いざアバルオン
唐突にカイルは目覚めた。
目を開いた彼は周囲のあまりの眩しさにまたすぐ目をつぶったが、だんだんと目が慣れてくると、まわりは薄暗いことがわかった。それでもズキズキと痛む眼に、いったいどれだけ長い間眠っていたのだろうと彼は思った。
肌触りのよい布が全身を包み、木らしい感触の板の上にあお向けになっているので、どうやら自分はベッドに寝かされているのだろうとカイルは考えた。とりあえず体を起こそうと肘をつっかえ棒にしようとしたが、みょうに重い。うめき声をあげながら上体を持ち上げて、ぎょっとした。
床に膝をついて、ベッドに頭を突っ伏して眠っている人間がいた。カイルはその顔に見覚えがあった。
「エレナ……?」
美しい黒髪が滑らかな頬にかかっていた。まぶたを閉じた大きな目の下には色濃いクマができていて、心なしかやつれているようにも見える。彼女の膝の近くには水の張った盆があって、その中に手ぬぐいが漬けられていた。その隣にはランタンも置いてあり、部屋にある灯りはこれだけだった。
カイルはそんな彼女を見て、看病をしてくれていたのだと理解した。なんだか胸がきゅっと苦しくなり、彼女の頬にそっと手を伸ばす。指先が触れた瞬間、エレナはぱっと目を覚まし、素早く頭をもたげて目を見開いた。
数秒のあいだ、ふたりはお互いに驚いた顔のまま見つめあっていたが、エレナの目じりに涙が浮かぶと、気づいたカイルは慌てた。
「な、なんで泣いてるのさ!? 俺生きてるよー! 元気いっぱいだよー!」
両手をあげて元気なことを必死にアピールするカイルを見て、エレナはそのおかしさに小さく笑った。カイルは苦笑し、頭をポリポリ掻いた。
「よかったぁ……」
エレナが安堵した。カイルは急に申し訳なく感じて頭を下げた。
「ありがとう、心配かけた……って、ちょっ!?」
突然、エレナが大きく身を乗り出してカイルの体を強く抱きしめた。あんまりいきなりのことだったので、カイルはびっくりして固まってしまった。
エレナはカイルの肩に頭を乗せ、すんすんと泣きはじめる。カイルは、彼女が自分のことを心配してくれていたことをとてもありがたく感じて、ぎこちなくエレナの体を抱きしめかえした。
「本当に、ありがとう」心からそう言ったときだった。
不意に部屋の扉が開いて、ひとりの人間が入ってきた。カイルはエレナを引き剥がそうとしたが、彼女は服を掴んで離れなかった。
仕方なしに彼女を抱きしめたまま、入ってきた人間を見たカイルは青ざめた。
入ってきたのはレイスだった。手におかゆの入った椀を持っているのを見ると、カイルに食事を運んできたらしい。しかしレイスはカイルとエレナが抱き合っているのを見ると、とても優しい表情になって無言で部屋を出ていこうとした。
「せめて何か言えよっ!」カイルが必死にそう叫んで、やっとレイスはこちらを振り向いた。彼は笑っていた。
「ずいぶん長い間眠っていたと思ったら、あんがい元気そうじゃないですか」
レイスはベッドのそばに立つ。エレナはようやくカイルから離れ、真っ赤な目をこすった。
「帰ってくると信じてました」
レイスはカイルに向かって微笑した。
「あったりまえだぜ、みっともねぇからな」
カイルはレイスを見上げてにやりとした。
「とりあえずお粥でもどうぞ。体力つけませんとね」
カイルはレイスから椀をうけとると、それをむさぼるように食べた。ひどく腹が減っていた。エレナはそんなカイルを見て、やっと安堵したようだった。
「俺はどのくらい気を失ってたんだ?」
カイルがぺろりと粥をたいらげて、凝り固まった肩をまわしながらそう訊くと、レイスとエレナは顔を見合わせた。なぜだか彼らは困った顔をしていた。
レイスは咳払いをし、カイルと視線の高さを合わせた。
「カイル、落ちついて聞いてください」神妙な面持ちに、カイルは嫌な予感がした。
「あなたがあの屋上で、邪剣王に敗北してから――」レイスは言い放った。
「三百七十日、つまり、まる一年が経ってます」
カイルはそれを冗談だと思って笑った。しかし、レイスもエレナも暗い表情のままなのを見て、笑顔が引きつった。
「……マジで?」
レイスは無言で頷く。
カイルは気が遠くなりそうだったが、頭をぶんぶん振ってこらえた。
「マジかー……そうか、一年かー……」
がっくりうなだれ、力無くつぶやくカイルに、エレナがむりやり作った笑顔をむけた。
「一年で済んだ、と考えましょうよ! カイルさまは、ほんとうに、もう、めざめないかと……!」
エレナは言いながら、また目を潤ませて顔を伏せた。カイルは彼女の言うとおりだと思った。
「そうだな……これくらいで済んだ、と考えよう」
三人はうなずきあった。
「とりあえずベッドから立って、着替えてはどうですか? 持ってきますよ」
レイスが空の椀を持って言った。
その後、レイスに着替えと装備を持ってきてもらったカイルは、部屋でそれらを身につけていたが、装備の重みにつきつけられる自身の筋力の衰えに、一年という長い時間の経過を実感した。
防刃布でできた肩当てはずっしりとのしかかり、腰布は足にまとわりついて鬱陶しい。背負った聖剣トワイライトブレイドは眠りにつく前よりも何倍も重かった。
試しに剣を抜いてゆっくりと素振りをしてみると、それだけで力を込めた筋肉が震えた。カイルは自身への侮蔑をこめて大きく舌打ちし、ベッドの縁をブーツで蹴り飛ばした。
部屋を出ると、廊下でレイスが待っていた。彼は無言で頷き、その背中を軽く叩いた。
「……みっともねぇな」
「ええ、じつに。しかしだからこそ、このままじゃ終われない」
「この一年で私たち――聖剣師と聖剣教会をとりまく状況は大きく変わりました」
長く暗い木の廊下をゆっくりと進むレイスは、ただ歩いているだけでも息があがりかけているカイルに言った。
「病み上がりのところ申し訳ありませんが、頭に叩き込んでください」
「病み上がりとか、そんなん関係ねー。とにかく今は少しでも周りのことが知りたい。説明してくれ」
「いいえ、説明は私ではなく、ほかの方から」
「誰だ?」
「この部屋にいます」
そうしてレイスはおもむろに横の扉を開けた。扉の先はやや広めの会議室のような部屋で、何人かの人間が卓についていた。
彼らの前の机の上には大量の書類が積み上げられていて、直前まで重大な話し合いが行われていたのだろうとカイルは思った。そして部屋の中心にどっかりと座っている人間にカイルは驚いた。その人間を目にしたこと自体でなく、そのあまりの変わりように。
「エドワード団長……!?」
カイルの聖剣師修行の師であり、現場の聖剣師たちを束ねる男、エドワード・モリスがそこにいた。しかし彼の見た目はカイルの記憶にあるような気高く力強いものではなく、ひどく傷ついたものとなっていた。
彼は右目が潰れているらしく、眼帯をしていた。右腕もひじの先から無くなっていて、縛られた服の袖が垂れている。全体の筋肉もやや衰えぎみに見えたが、それでもなおこの場の誰よりも強い威圧感を放っていることに、カイルの心は尊敬の念で震えた。
「カイルか!」
エドワードは入り口に姿を現したカイルをみとめると、誰よりも先に嬉しそうな声をあげた。その声をうけて他の人間もカイルを見るが、彼らの視線は刺すようで、カイルは居心地の悪さを感じた。
「皆さん、ご心配おかけしました」カイルは頭を下げた。
「あのまま死ねばよかったのに……」ぼそり、誰かが言った。
エドワードはじろりと辺りを見渡したが、ほかの人間たちはそれ以上なにも言わなかった。彼は声をはりあげた。
「諸君! きりのいいところだし、少し休憩にしようじゃないか! 再開は二時間後とする! それまでに各自、資料をもとに案をひとつは用意しておくことだ!」
「よく戻った!」
エドワードはそう言ってカイルの背を叩き、盛大に床にすっ転ばせた。
立ち上がったカイルが「こちとら病み上がりなンスよ!」とわめき、それを聞いたレイスが「さっき『病み上がりとか関係ない』って言ってましたよね?」とからかう。そんなレイスに憤慨するカイルを見て、椅子に座ったエドワードは豪気に笑った。
「うむ、どうやらカイルのようだな」
「え?」レイスに反論できず、くやしい顔をしていたカイルが聞き返した。
エドワードは優しげに言う。
「みな不安だったのだよ。次に目覚めたとき、お前が果たして邪剣であるか、カイルであるかと」
カイルは歯噛みし、くやしい想いを顔全体であらわした。
「どこまで覚えています? その、あなた自身の記憶として」
レイスも椅子に腰かけて訊いた。カイルも座った。
「俺自身は……そうだな、あのお祭の日、クソッタレのオヤジに負けて、そこまでだな」
「じゃあ、そのあとに起こったことも知らないんですね」
「何かあったのか?」
「お前が襲われた直後、王宮前広場でセレモニーがあったのだが……」
「邪剣王がいたという、私の報せは間に合いませんでした」
レイスが沈んだ声で言った。エドワードはけわしい表情になる。
「そこで、国王陛下と教皇聖下が邪剣王に襲われた」
彼はそう言い放った。カイルは驚きのあまり、しばらく何も言えなかった。
「それで、おふたりは……!?」
カイルの不安をかきけすようにエドワードは微笑んで肩をすくめる。
「安心しろ、ともに無事だ」
カイルはホッとしたが、すぐに気づいて青ざめた。
「団長のそのケガはまさか?」
「ああそうだ」彼はうなずいた。
「さすがは邪剣の王だ。陛下たちをお守りするので精いっぱいだったよ!」
またエドワードは笑った。カイルは笑えなかった。
「なにをしょぼくれた顔をしてるんだ」うつむいたカイルを見てエドワードは言う。
「腕はまだひとつ残っているし、口もきけるし耳も聞こえる。両足は健在。悲観する要素なんてなにもないだろう」
彼は平然とそう言った。その態度に、カイルはエドワードの強さをあらためて感じた。
「そして実際、真に問題にすべきはそこじゃないんだ」
「ええ……まったく」
エドワードの言葉に、レイスが苦虫を噛み潰したような表情をしてため息をついた。カイルには国王と教皇の襲撃以上の問題があるなんて信じられなかったが、黙って話を聴いていた。
「マックスウェル枢機卿が裏切っていた」
カイルの頭の中に雷にうたれたような衝撃がはしった。
「まさか!」
「そう言いたくなる気持ちもわかる。だが事実だ」
エドワードは落胆したような、激しく怒っているような声色だった。
「その年は例年と違って、セレモニーの警護にあたる聖剣師が少なかった。これはマックスウェルが王国のあちこちに聖剣師を派遣して、建国祭の日までに召集をかけていなかったからだ。お前たちも、セレモニーの警護にあたれとは言われなかったはずだ」
たしかにそのとおりだった。思い返してみれば、王都の聖剣教会の本山だというのに、あの日カイルたちは他の聖剣師には会わなかった。しかも建国記念祭ならば、王族や各地から集まった貴族たちの警護のために聖剣師は各地から召集されていたはずだったのに。
「まぁ、マックスウェルが提出していた人員リストを鵜呑みにして実際にいる聖剣師の数を確認しなかった私も悪いのだがな」エドワードは苦笑した。
「エドワード団長はずっと王と王妃のそばについていらしたのでしょう? しかたありませんよ」
レイスがエドワードに言った。エドワードは「すまないな」と返したが、内心では、すべての責任が自分にあるということをごまかすつもりはないようだった。
「それで、マックスウェル枢機卿は今どこに?」カイルが訊く。
エドワードは目を伏せた。
「ヤツは邪剣王とともに姿を消したよ。とんでもないものを持ってな」
「とんでもないもの?」
「ああ」
エドワードは息を吸いこみ、落ちついた口調で言った。
「聖剣教会が過去数百年にわたって集めていた『邪剣のかけら』――そのすべてだ」
王都の昼は穏やかだった。
青く透明感のある空と、ゆっくりと流れる白い雲。真ん中に輝く太陽は温かい光で王都の王宮前広場を照らしている。
石畳が敷き詰められた広場の中心には、聖剣王の巨大なブロンズ像が勇ましく立ち、広場から延びる中央通りを貫いて街の門までをまっすぐな眼差しで見守っている。
像の足元にはベンチがあって、カイルはそこに座っていた。
街の人通りはまばらで、カイルの瞳に焼きついている祭りの雑踏の光景のせいか、よけいに寂しく見える。広場を横切る人はみなどこか哀しみの影を抱いていて、ときおりたしかに涙を浮かべて走り抜ける人もいた。その理由に、カイルは気づいていた。
広場の石畳は花崗岩で、かつてまばゆいほどの白い色をしていたのが、今はその輝きもくすんでいる。カイルはこの広場にやってきたとき、石畳の色が変わっている理由をすぐにさとっていた。
たくさんの血が、この場所に染み込んだのだ。
それからカイルはしばらくの間、ただベンチに腰かけて行き交う人々をぼんやり眺めていたが、突然、自分に向けて飛んできた石つぶてを受け止めて、その方向を睨んだ。
「聖剣師め!」
石を投げたのは子供だった。みすぼらしい服装をしていて、生傷だらけの手が痛々しい少女だった。
「なんで守ってくれなかった! お父さんとお母さんを返して!」
悲痛な叫びが広場に響きわたり、数人の大人たちも立ち止まってカイルを見た。彼らは無言だったが、その濁った視線は、少女と同じことを叫んでいた。
カイルが何も言えないでいると、少女はプイと顔を背けて去っていった。広場の人々も何事もなかったかのようにまた歩きだした。
カイルはうつむく。
(俺はこの数年、いったい何をしていたんだ)投げつけられた石を眺めながら、カイルの頭の中でそんな想いがぐるぐると渦巻いていた。
またあの夜と同じ失敗をしてしまったのだ。聖剣師になって数年、自分はまたもや邪剣王を逃し、ヤツの犠牲者を多く出してしまったのだ。無力感がカイルの心に風穴をあけていた。
服の袖をまくり、自身の腕を眺めると、細かった。
(もしも、このまま邪剣王に追いつけなかったら……)
はじまりの夜に、邪剣王は『十八になるまでに我を倒せなければお前は邪剣となる』と言った。
あと一年だ。
(あと一年で、俺はヤツらと同じになる……?)
恐ろしかった。
崖から突き落とされるような気分だった。あれほど忌み嫌っている存在と同じになってしまうだなんてとても耐えられそうになかった。自分が、自分自身の大切な人たちの首をはね、胸を貫くのがまざまざと想像できた。
全身の皮膚が粟立ち、カイルの胃が熱くなって、中身がせり上がる。カイルが背中を丸めて口を押さえ、なんとか呑み込もうとしていると、その背中を優しくさする手があった。
エレナだった。彼女はカイルが落ちつくまで背中を撫で続け、彼が顔を上げると、そのとなりに座った。
爽やかな風がふたりの頬を撫でた。
「カイルさまは何も悪くありませんよ」エレナは微笑んで言った。
「だって、悪いのは邪剣じゃないですか」
彼女が思っていることとカイルが恐怖していたことには食い違いがあったが、それでもカイルは、彼女のそのひと言でほんの少しだけ救われたような気持ちになった。
「……みっともねぇな」言いながらも、カイルは力無くうなずいた。
「カイルさまは、私とはじめて会ったときのことを、覚えていますか?」エレナがぽつりと言った。
カイルはいきなりの話題に少しだけ戸惑った。
「覚えてませんか?」
エレナはカイルの顔を覗き込む。大きな緑の瞳に見つめられて、カイルの頬は少し赤くなった。
「えと、たしか……えーと……」
「忘れちゃってますね?」
「……わりぃ」カイルは頭を掻いた。
「もうっ! ひどいですよ」
大げさに怒ってみせるエレナに、カイルはハハと笑った。
「グレッグ司祭の講義の帰りに、ほかの男の人にからかわれていた私を庇ってくださったんじゃないですか」
「ああ、思い出した」
カイルは自分がまだ修行中のころのできごとを思い出していた。
座学の講義を終えて、いったん自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、その途中で同じ年頃の男子にいじめられている少女を見つけたのだった。
彼らは少女をとりかこみ、侮辱の言葉を投げかけたり、軽く小突いたりをしていた。今思うとそれは、幼い子どもによくある、異性に対するある種の気恥ずかしさの裏返しだったのかもしれないが、もともと大人しい性格のエレナはすっかり萎縮して、泣き出しそうになってしまっていた。
その様を目にしたカイルは、あれこれ考える間もなく彼らの間に割って入り、エレナを守るために四対一の大乱闘をくりひろげたのだった。その結果は男子三人を泣かせ、ひとりを完全に気絶させ、カイルは突き指といくつかのアザとグレッグ司祭の雷という、誰も幸せにならないものに終わったが、それをきっかけに、エレナはカイルのことを強く意識するようになったのだった。
「あのときのカイルさま、とってもカッコよかったです。きっとカイルさまは、そういう人なんです」
エレナはカイルのほうにずいと顔を近づけた。カイルは彼女の顔のあまりの近さに恥ずかしくてたまらなかったが、なぜか視線を反らそうとは思えなかった。
ふたりは数秒のあいだ、じっと見つめ合っていたが、やがてカイルが言った。
「なぁ、エレナ」
「なんでしょうか? カイルさま」
エレナは可愛らしく微笑んだ。
「ずっと思ってたんだけど、その、カイル『さま』っての、やめてくれないかな」
「え? でも……」
エレナは少し困った顔をする。侍祭という低い位階の人間が、聖剣師という高い身分の人間に対して呼び捨てにするということは、かなり抵抗があるだろうということは、カイルにはもちろんわかっていた。
「それでも……エレナには『カイル』って、呼んでほしいんだ」
その言葉を聞いた瞬間、エレナはすこしびっくりしたような顔をしたが、直後、顔をほころばせて、うなずいた。
「うん、わかった……カイル」
「エレナ、ありがとうな」
カイルは跳ねるようにベンチから立ち上がると、握ったままだった石をポケットにしまい、数歩進んだところで彼女を振り返った。
「もうみっともないところは見せねぇ!」声には熱と力があった。
「今度こそ守ってやる! エレナも、町の人たちも! たとえ俺が邪剣になったとしても、絶対に!」
叫ぶカイルの瞳の中にエレナは見た、まるで太陽のような光が宿っているのを。
「結局、邪剣王とマックスウェルの目的はなんだったのか?」
エドワードは薄暗い会議室をぐるりと見渡し、席についている聖職者たちに力強い声で言い放った。
「そんなことはわかりきっていることです」そのなかのひとりが言った。
「国王陛下を亡きものとすることで国内を混乱させ、それに乗じて戦乱を引き起こすことです」
「邪剣王の目的は、おそらくそうだろうな」エドワードは片方しかない腕を組んだ。
「だがマックスウェルは? ヤツがなぜ、邪剣のかけらを持ち出したのか――」
「それも邪剣王と同じです。邪剣のかけらをふたたび各地にばらまいて、人々に死を振りまこうと――」
「――本当にそうなのか?」
エドワードは彼の言葉を遮って言った。ほかの聖職者たちはとなりと顔を見合わせる。
エドワードは続ける。
「あれから一年、各地で邪剣発生の報告が増えたという事実は無い。不気味なことに、むしろその数は減っているのだ。このことを鑑みて、我々は今一度ヤツらの目的を考えなおす必要がある。そしてヤツらの真の目的を特定できれば、この不可解な行動も説明できるはずなのだ」
彼はテーブルの上の資料を持ち上げた。そこに書かれているのはここ最近の邪剣王の目撃情報のまとめで、それによると邪剣王は王国を南下し、ある場所に向かっているらしかった。
「『死せる大地 ボンドエラ』」
エドワードは眉根を寄せ、唇をきゅっと結んだ。
「生き物はおろか植物すら生存不可、人が踏み込めば確実に死ぬこの呪われた地に、なぜ邪剣王とマックスウェルは向かっているのか?」
「昔から、ボンドエラには邪剣の秘密があると言われていました」誰かが言った。
「そのとおりだ」エドワードはうなずいた。
「これは私の直感だが、ヤツらがこの地に踏み込むのを阻止できなければ、取り返しのつかないことになる予感がするのだ」
「しかしだからといって『聖地』に彼らを向かわせようというのは短絡的だと思います」
聖職者のひとりが手を挙げて言った。
「ならば別の案をお出しいただきたい。我々にはもはや、伝説の力に頼るほかはないのだ」
「ですから、王国の兵力と聖剣師たちを結集させてボンドエラ前に防衛線をひき、邪剣王を迎え討つというのはなぜできないのか? 理由をご説明願いたい」
「先にも説明いたしましたように、それは漁網で蟻を捕まえようとするようなものです。敵は軍隊ではなく個人なのですから、監視の網を抜けてしまう可能性のほうが高い。それに仮に見つけられたとしても、一年前のあの惨状を思い出していただきたい。兵士が何人束になってかかろうが、あの化け物には無意味なのです!
……遺憾ながら、それは兵士だけでなく、聖剣師たちにも言えることですが……
それにそもそも、防衛線を構築するには、今からではとても間に合いません。我々は聖剣師を失いすぎた」
「だからといって聖地の力を借りて、それでもだめだったなら、いよいよわれわれ人間の希望は断たれます」
「希望というのは屋敷の壁に飾っておくものではない。いくさの時に抜かれてはじめて意味があるのだ」
聖職者はそれ以上エドワードに反論できず、口をつぐんで、頭の中で様々なことを天秤にかけはじめた。
エドワードは全員の心が固まるのを辛抱強く待ち、最後に断言する。
「我々は今まで、いくつの村が犠牲になろうと、さまざまな理由をつけて、邪剣王を野放しのままにしてきた。それは失敗したときに犠牲となるものたちへの責任を負いたくないという、恥ずべき理由のみのためだ! そのツケがきたのだ! 今こそ我々は総力を結集し、かの悪魔を叩き潰すときなのだ! そのために今すべきは禁忌を犯すこともいとわず、聖剣王への信仰を示し、使命を果たすことなのです!」
東の空が白みはじめ、鶏が街の人々を叩き起こすころ、カイルとレイスは馬に乗って王都を出た。彼らに与えられた任務は『聖地へと向かえ』ということだけで、それ以上のことは何も言われなかった。
カイルたちは不思議に思ったが、その命令を発したのが他ならぬエドワード本人だったので、何も言わずに引き受けた。
馬に揺られながら後ろを振り向くと、王都の門はすでに遠い。遥か彼方から顔を出した太陽の強烈な光が瞳を刺して、カイルは思わず目を細めた。
「再出発だ」カイルは力強く言った。
「ええ。休憩は終わりです」となりのレイスがうなずいた。
カイルは彼を一瞥すると、背中の聖剣を抜いて、丘を越えて延びる道の向こうを指す。
「目指すは『聖地 アバルオン』だ!」
夜明けの道を、カイルとレイスのふたりは進んでいく……。