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聖剣師への道

 さぁさぁと静かな音をたてながら、雨は背の高い建物の窓ガラスに幾本もの筋を描く。王都は小雨が降っていた。

 マックスウェル枢機卿は建物の中から灰色の空を見上げて顔をしかめる。

「はっきりしない天気だな。大雨か、晴れるか、どちらかにしてもらいたいものだ」

「同感です」彼の横に並び立つ男が静かに言った。

 ふたりは赤い絨毯の敷かれた廊下を並んで歩いていた。マックスウェルが遅いので、男が歩幅を合わせている。男は背の高い、いかにも戦士といった風貌の筋肉質な男で、赤みがかった髪を後ろで縛っていた。真紅に金の縁取りがされた布の防具を全身につけていて、短冊型の飾り布が三本もついた剣を腰に提げているということが、彼が聖剣師であるということを示していた。

「エドワード」マックスウェルがその男に呼びかけた。

「はっ」エドワードははっきりと返事をした。

「その少年は安全なのだな?」

「はい。今のところは」

「ふむ」

 マックスウェルはあごひげを撫でた。エドワードは続ける。

「しかし完全に危険でない、とまでは言いきれません。ひと月前に保護されてから邪剣の影響でいきなり暴れだしたことが何度もあります。枢機卿猊下が直接彼に対面なさるのは、私としては賛成できかねます」

「もしも危険が起こったら、そのときは君の出番だ、エド」

「はっ……」エドワードは軽く頭を下げた。

 マックスウェルは言う。

「聖剣師をまとめるものとして、聖剣教会の一員として、私は知っておかなくてはならないのだ。邪剣王が何を目的として彼を生み出し、何のために生かしておいたのか。そして彼自身が選びとる道を……」



 王都には聖剣教会の様々な施設がある。

 未だ謎が多い聖剣の構造の解明や、聖剣を生み出した古代文明とその技術についての研究、邪剣の身体構造の分析など、聖剣と邪剣に関するあらゆる研究を一手に担う国立大学もそのひとつだ。そしてあまり知られていないが、国立大学には邪剣の欠片を使用したあまりおおっぴらには言えないような実験を行うために、堅固な地下牢が設けられている。

 石造りの床と壁の、息苦しく暗い通路に並んだ牢屋は今はほとんどが空っぽで、最奥の一室だけが埋まっていた。

 マックスウェルとエドワードが廊下に下りると、見張りの兵士と、階段下で彼らを待っていたひとりの司祭が敬礼をした。司祭はランタンを持ち出して、彼らの案内をする。

 彼は歩きながら説明する。

「意識ははっきりしていますが、言葉を使わない簡単な受け答えくらいしかできません。それと決して近づかないでください。彼の体は邪剣と融合しています」

「融合というのは、通常の邪剣の寄生とは違うのかね」マックスウェルが質問する。

「はい。通常の邪剣は人の体の中に邪剣の触手が根を張るかたちですが、融合はそれに加えて一体化しているのです。これにより、彼は体格からしてありえない筋力と治癒力を得ています」

「しかし、脳までは侵されていないのだろう?」エドワードが訊いた。司祭はうなずいた。

「そこが不思議なところで……これではまるで邪剣が人間を手助けしているようです」

「興味深いな」

「……つきました、ここです。万一のことを考えて、鉄格子には触れないでください」

 司祭が手に持ったランタンを掲げ、最奥の牢屋の中を照らした。

 鉄格子の向こう側、冷たく淀んだ空気の暗がりの中で、ひとりの少年が椅子に座っていた。

 彼は手足が縛られているわけではないが、ぐったりとうなだれていて、ぴくりともしない。遠目から見るとまるで椅子に座ったままの死体のようだった。体から生命力はつゆほども感じられず、むしろ退廃的な雰囲気のほうが彼からは強く感じられた。 

「カイル・ラックハルトさん?」司祭が彼に呼びかけた。

 するとカイルはゆっくりと顔を上げ、感情のこもっていない目で外の三人を見上げた。

「カイルさん、こちらはジョン・マックスウェル枢機卿猊下と、エドワード・モリス聖剣師団長です」

 司祭が明るくふたりを紹介したが、カイルは何の反応も示さない。

 司祭は軽く息を吐いた。

「この調子です。目の前で家族を殺され、しかもその犯人が父親だったのですから、無理もないかもしれませんが……」

「質問はできるのだな?」マックスウェルが司祭に訊いた。司祭は「はい」と答えた。

「よし、牢の鍵を開けたまえ」その指示に司祭とエドワードは目を丸くした。

「猊下、危険です」エドワードが諌めるが、マックスウェルは彼をじろりと見上げる。

「私は何度も同じことを言うのは好きではないよ」

「しかし」

「いいかね、囚人や邪剣なら話は別だが、彼にはなんの咎も無いのだよ。そのような恥じるところの無いいち個人に対して、鉄格子を挟んで見下ろすように喋るだなんて、そんなことで腹を割って話ができると思うかね?」

 エドワードは複雑な表情でカイルを一瞥し、うなずいた。

「わかりました。ですが万一のときは私の指示に従ってください」

「もちろんだ。私も命は惜しい」

 マックスウェルは快活に笑った。司祭は戸惑いながらも牢屋の扉を開き、最初にエドワード、次にマックスウェルを招き入れた。

 カイルの前に三人の大人が並んで見下ろした。しかし少年は彼らの誰も見ていなかった。ただぼんやりと目の前の虚空を見ていた。

 カイルの眼前にマックスウェルの顔がつきつけられた。マックスウェルは屈んで、カイルと目線を合わせていた。マックスウェルはシワだらけの顔に満面の笑みを見せた。

「二、三、訊きたいことがあるだけだ。怯えないでもいい」

 カイルは無言だった。

「あの夜、君の住んでいた村は血に沈んだ」

 マックスウェルは静かに話す。エドワードは片手を聖剣の柄にかけながら、眉間にシワを寄せてその様子を見下ろしていた。

「やったのは君か?」

 カイルはゆっくりと首をふった。

「では誰だ?」

 カイルは口を開き、発話しようとしたが、言葉にはならなかった。乾いた空気が洞窟を吹き抜けるような音がした。

「君は生きているのか?」

 無反応。

「それとも死んだのか?」

 無反応。

「君の父は情けない男だった」

 その言葉を聞いた瞬間、カイルの瞳の奥に炎が一瞬だけ燃え上がった。カイルは腕を振り上げ、マックスウェルに掴みかかろうとする。

 だが彼らの間のわずかな隙間に、目にも止まらない速さで差し込まれた聖剣の刃によって、それ以上のことは防がれた。カイルは目の前に差し出された幅広の剣身を見て、絶叫しながら椅子から転げ落ちた。悲鳴は牢屋の石壁に反響し、司祭はその恐ろしさに身震いした。

 カイルは床を這いずって、牢屋のすみに縮こまった。その目は恐怖に見開かれ、顔は青ざめていた。

 エドワードは聖剣を納め、訝しげな顔で司祭を見る。司祭は肩をすくめて解説した。

「無理もないことですが、剣というものにひどいトラウマがあるんです。見せると錯乱します」

「そういうことは最初に言いたまえ」エドワードが仏頂面で言った。 

 マックスウェルはゆっくりと背すじをのばし、部屋のすみのカイルを冷ややかに見た。

「そうして怯えて過ごすのか? 恐怖に屈したまま生きるのか? お前の体に刻まれた運命の意味を考えたことはあるのか? ……エドワード!」

 マックスウェルはエドワードに合図をした。

 エドワードはマックスウェルの前に進みいでて、ふたたび聖剣を抜いた。

「運命に立ち向かわないならば、今ここで君の運命を終わらせる」 

 マックスウェルの言葉にカイルの目の色が変わった。

 カイルの目にはあの夜の光景が映っていた。

 闇の中、部屋のすみでガタガタ震える自分と、その前に剣を持って立ちふさがる恐ろしい存在がいた。目の前の存在は再びカイルに問いかけた。

(立ち向かうか、屈するか……!)

 カイルは思い出した。胸の中でくすぶっていた火種が燃え上がった。

 瞳の奥の炎が太陽のように輝き、彼の四肢に力を取り戻した。カイルは足に力をこめ、立ち上がると、目の前の存在に向かって叫んだ。

「俺はすでに選んでいる!」

「なにをだ!」

「立ち向かうことだ!」

「ならば証明しろ! その言葉が嘘でないことを!」

 エドワードはカイルの眉間に聖剣を突きつけた。カイルはその剣身を片手で握りしめた。赤い血が指と手のひらから流れ出て、石の床にぼとぼとと垂れた。

 カイルの手のひらの傷口から邪剣の触手が溢れ出て、聖剣の剣身に絡みついた。エドワードは一歩も引かず、ただ険しい表情でその様子を見ている。

 カイルは苦痛に顔を歪めていた。カイルがさらに深く剣身を握ると、聖剣にまとわりついていた触手が後退をはじめ、傷口の中へと戻りはじめた。そして完全に触手を傷口の中へ押しとどめると、カイルは手を離して腕を振った。血しぶきが牢屋の壁に飛び散った。

「これが俺の証だ」

「いいだろう」

 マックスウェルがエドワードの横に立って言った。エドワードは血を払い、剣を納めた。

「君はどうしたい?」

 その問いかけに、カイルはニヤリと笑った。

「聖剣師になって、親父をブッ殺す!」

 マックスウェルは笑った。

「物騒なことだ」

「猊下、私が彼を鍛えます。聖剣師試験の受験許可を彼に」エドワードは軽く頭を下げた。

「かまわんよ。今すぐでも百年先でも、好きなときに受けてくれたまえ」

「今すぐだ!」カイルは叫んだが、エドワードは彼を睨んだ。

「思い上がるな。今貴様が試験を受けたところで、何ができるものか」

「ンだとッ!」

 エドワードはすごむカイルをせせら笑う。

「一年だ」

「あ?」

「一年でお前を聖剣師にしてやる。その代わり――」

「その代わり?」

「――死ぬほど辛いぞ」

「望むところだ。それに俺はもう一度死んでる」

「いい返事だ」

 エドワードは微笑んだ。

「グレッグ司祭」

 マックスウェルが司祭に言った。

「君をカイルくんの教育係に任命する」

 いきなりの話題に、司祭はやや面食らいつつもうなずいた。

「私が彼に聖剣師になるための知識を教えればよいのですね」

 マックスウェルはうなずいた。

「わかりました、謹んでお受けいたします」

「ではカイル・ラックハルトよ」

 マックスウェル枢機卿はカイルの前に立った。

「貴君の活躍に期待する」

「期待以上に活躍してやるぜ」

 カイルは挑発的に笑った。建物の外では雨があがっていた。



 翌日、王国軍の練兵場にふたつの人影があった。

「聖剣師に必要なものはなんだ!」エドワードが怒鳴った。

「『強さ』です!」彼に相対して立つカイルが、負けないくらいの大声で答えた。

 エドワードは眉尻をつりあげる。

「そうだ! 『強さ』だ! 聖剣師はなによりも強くなければならない! 強さが無ければ、邪剣を倒すことも、人々を守ることもできない!」

 エドワードはカイルの前の地面に一本の剣を転がした。それはなんの変哲もない、王国の兵士が使う長剣だった。カイルはそれを手に取り、鞘から抜いて、かまえた。

 カイルが本物の剣を手にしたのはこのときが初めてだった。小柄なカイルの身長ほどの長さもある鉄の塊はずっしりと重く、切っ先を前に向けているだけで疲労した。カイルの身体能力は邪剣のかけらのおかげで同年代の少年よりは優れていたが、それでも想像以上の重さに驚きを隠せなかった。

「それが剣の重さだ! お前はこれを自由自在に操ることができなくてはならない! まずは基礎体力を身につけるために、常にその剣を背負って生活しろ! 就寝時と湯浴みのとき以外は外すことを許さん!」

「はい!」

「ではそれを背負ってグラウンド百周!」

「はい!」



「聖剣師に求められるものは何でしょう?」

 大学の片すみ、小さな講義室内で、カイルはグレッグ司祭の講義を受けていた。

 講義室内にはカイルの他にも、数人の聖職者見習いがいて、みなそれぞれ司祭の話を真剣に聞いている。

 グレッグ司祭は講義室をぐるりと見渡すと「誰かわかる人はいませんか」と言った。

 カイルを含む数人の手が挙がったが、グレッグが指名したのはカイルから少し離れた後方の席に座る少年だった。彼は席から立ち上がり、答えた。

「聖剣師に求められることは『邪剣の速やかな排除』です。そのためにはかすかな手がかりも見逃さない観察眼、種々の情報から合理的な結論を導き出す論理的思考力、すばやいフットワークが求められます」

「ありがとう。すばらしいですね」

 その少年は頭を下げて着席する。

 カイルはなんだかおもしろくない気分になって少しだけその少年を見た。美しい顔立ちの少年はその視線に気づくと、冷ややかな目線で返してきた。カイルは思わず睨み返す。

 カイルと少年はこのとき同じことを思っていた。

(なんだアイツ? 気に入らないな!)

 少年のとなりにはひとりの少女が座っていて、彼女は少年が険しい顔をしているのを見て、心配してそっと彼に話しかける。

「レイスお兄さま、どうされたのですか?」

 少年は彼女に微笑んだ。

「なんでもありませんよ、エレナ」



 それから一年間、カイルは一日たりとも休まずに聖剣師となるための訓練を続けた。

 剣術、格闘にはじまる様々な状況を想定した戦闘訓練は、カイルの心身を痛々しいほどに鍛え上げた。

 腕や足は訓練をはじめたときに比べてふたまわりも太くなり、最初は勢いよく振ることすらままならなかった剣も、一年後には大人の兵士を倒すことができるほどに上達していた。それは歳相応の吸収力と体に埋め込まれた邪剣のおかげでもあったが、なによりも強い目的意識こそが彼の心を支えていた。

 反面、座学の方は伸び悩んでいた。

 基礎教養である聖剣教の経典の暗誦や、各地方の文化・風習・気象・化学の知識、植物・鉱石の識別やその用途などは、どんなに勉強してもさっぱり頭に入って来なかった。

 見かねたグレッグ司祭が個人講師として成績優秀な見習いをひとり彼につけることにした。

「レイス・ボールドウィンと申します。よろしくお願いいたします」

「カイル・ラックハルトだ」

 それからたびたびカイルはレイスに勉強に付き合ってもらい、じわじわと成績を上げていった。

「レイスみたいなデキのいい頭が欲しかったぜ」

「頭のデキを言い訳にしているうちは何もできませんよ」

 カイルはレイスのことを高慢でいけすかない人間だと思っていたが、彼が勉強に付き合ってくれることに感謝していたし、レイスのほうは、毎日目標に向かって懸命に努力を続けるカイルに一目置いていた。だからカイルが聖剣師試験の第一次試験である筆記に合格したときは、両手をあげて喜びあったのだった。



(聖剣師試験の最終試験は、他に類を見ない独特なものだとは聞いたことがあるけれど)

 カイルは辺りを見渡した。

 最終試験会場の廃坑は、王都から西に丘を四つ越えた先の山のふもとにあり、そこは普段は採石場として使われている場所の奥だった。

 山の斜面が削られた白い断面に、ぽっかりとその廃坑は開いていて、入り口は武装した王国の兵士が塞いでいる。彼らのそばにはかがり火が炊かれていて、そのおかげで周囲は明るかったが、かえって坑道内の闇は深くなっていた。

 カイルは兵士に何か聞いているか、と訊いたが、彼らはただエドワードが到着するのを待てとしか言わなかった。カイルは適当な岩に腰かけて待つことにした。

 静かな夜だった。ときおりかがり火の薪が弾ける音以外、ほとんど何も音がしない。

 夜空の頂点では満月がまるで目玉のようにカイルを見下ろしていて、彼は不愉快に思って舌打ちした。

「見下ろしてんじゃねぇよ……」小さく呟いたが、応えるものはいなかった。

「またせたな」

 聞き覚えのある声がして、カイルはそちらを見やった。声は坑道の中から飛び出したもので、兵士がわきに寄って道を開けると、奥の闇からエドワードがぬっと姿を見せた。

 カイルは立ち上がり、エドワードの前で敬礼した。エドワードも軽く敬礼を返し、咳払いをする。

「では、これより最終試験をはじめる。試験には私も同行する」

「お願いします!」

「良いだろう、会場はあの廃坑の中だ。試験内容はそこで通知する。これ以降私に話しかけた場合、即失格となる。質問も禁ずる。良いな?」

 カイルはエドワードを真っ直ぐに見た。

「はい!」

「よし、私についてこい。暗いから足もとには気をつけろ」 

 エドワードに先導されて、カイルは坑道に足を踏み入れた。

 エドワードはランタンを持っていたので、ついていく分にはほとんど問題はなかった。ただ長い坑道を無言で歩くうち、ふと後ろを振り返ると、無明の闇がすぐ眼の前にあるのが恐ろしかった。今の今まで歩いていたはずの道が突然消えさった錯覚にカイルは身震いしたが、そのあいだにもエドワードはずんずんと進んでいく。

 坑道は全体としてやや下り坂で、どれだけ歩いたかまるでわからないので、最奥部にたどり着いたときには、カイルはきっとここは地の底に違いないと思っていた。

「ここはもともと石炭の坑道だったのだが、掘り進めるうちに古代遺跡とぶつかったので、聖剣教会が買い取ったのだ」

 エドワードがそう解説し、坑道の奥の開けた空間を照らし出した。

 これまでふたりが下ってきた坑道は石と砂利のごつごつした道だったが、奥の古代遺跡の床はなめらかで硬質な床材だった。恐る恐るカイルが踏みこむと、こつり、と軽い足音がした。

「待っていろ、今お前の分のランタンも用意する」

 エドワードはふたつめのランタンに灯りを移し、カイルに手渡した。これにより、カイルは遺跡の内部を自由に見渡すことができた。

 坑道は遺跡の壁をぶち破っていた。遺跡の壁は床と同じくなめらかで、どうやら大きな金属のタイルを貼り合わせているらしかった。

 天井は複雑な金属の骨組みと、信じられないほど細かい網と、大きな筒などが組み合わさっていて、カイルはなぜか生き物の内臓を連想して不気味に感じた。

 空気は冷たく、闇は濃く、こんなところでどんな試験をするのかと、カイルはエドワードを見た。エドワードは視線を感じてうなずいた。

「最終試験内容を説明する。よく聞け」

 カイルは踵を揃えた。

「最終試験は、この遺跡内のどこかにある、お前の聖剣を見つけることだ」

 お前の聖剣、という言葉に、カイルの胸は高鳴った。

「ただし」

 エドワードはそんな彼を戒めるように強い口調になった。

「遺跡の中には大量のニセモノの聖剣が置いてある。それらに惑わされず、本物の聖剣だと思うものを一本だけここに持ってこい。以上だ」

 カイルはうなずいた。

 エドワードも真剣な表情で返した。

「では、はじめ!」

 彼の言葉を受けて、カイルは歩きだした。 



 闇の奥へ徐々に光が小さくなっていくのを見送って、エドワードは息をついた。

 ランタンを足元に置き、遺跡の壁の破片に座って、懐からとりだした嗅ぎたばこを歯茎と上唇のあいだに挟む。彼はカイルが試験に受かるかどうかなんて、これっぽっちも心配してはいなかった。

 一次試験の筆記の成績は合格点ギリギリだったが、普段の成績の低さを知っているので、懸命に努力した結果だということをエドワードは知っていた。

 二次試験の戦闘技能の試験では、意志の強さも確認できた。

 はっきり言って、ここまでクリアしたならば、もうほとんど聖剣師の資格を与えても問題はない。だがそれでもこの最終試験は必要なのだ。

 最終試験の内容はカイルに説明したとおり、この遺跡内に散らばる何本もの剣の中から聖剣を選び出してここまで持ってくることだが、これにはひとつ、嘘がある。

 聖剣なんてないのだ。

(まあ、アイツなら気づくだろうさ)エドワードは首を鳴らした。

 この試験では事前情報や先入観に惑わされず、自身の目と現状からのみで、見えにくい真実を特定できるかどうかを試す。古代遺跡の中という特異な場所で行うのもその一環なのだ。

(時間が経てば経つほどに自分の自信というものはゆらぎ始める。なるべくはやく帰ってきてくれるといいが……)

 エドワードは暗闇をじっと見つめていた。



 カイルは遺跡の床に座り込んでいた。

 すでに最終試験がスタートしてから一時間は経っているだろうか。ランタンの中のろうそくは三分の一ほどしか残っておらず、エドワードのもとへ戻れるかそろそろ怪しくなってくる頃合いだった。

 カイルの前にはかたちも大きさも様々な、数本の剣が並べられていて、彼はそれらを睨んで唸っていた。

(なにか見落としたか……?)カイルは懸命に考えていた。

 この古代遺跡の広さは大したことがなく、三十分もあればすみずみまで見て回ることができる程度だった。また、エドワードが言っていた剣たちも決して見つかりにくいところにはなく、おそらくこれで全部だろうというところまでは簡単にたどり着くことができた。

 そこでカイルは遺跡の小部屋のひとつに剣をずらりと並べ、どれが聖剣なのかをじっくり見極めようと考えたのだが、そこから先に進むことができなかった。

 試しに全部の剣を振ってもとくに変わったところはないし、材質や製造法から特定しようとしても、普通の金属となんら変わりはなく見える。

 かじったり、臭いを嗅いだり、刃で指の腹を傷つけてみたりしたが、まるで違いが解らない。

 もしかしたら全て見つけたというのは自分の勘違いなんじゃないか、カイルはそう思って立ち上がり、ランタンを拾い上げた。

 それからカイルは駆け足で遺跡をふたたび見て回った。壁や天井の亀裂を覗きこんだり、おそらくベッドかなにかであろう壁のでっぱりの下に手を突っ込んだりした。

 しかし新たな剣は見つからず、ろうそくもさらに短くなってきて、カイルは焦っていた。

 もしかしたらすでに集めた中に聖剣があったのかもしれない。そうだとしたら自分は聖剣を見極められなかったということになる。ということは、試験は不合格だ。

「不合格……」

 カイルは廊下の途中で足をとめ、ぽつりと呟いた。とたんに『不合格』という言葉が押しつぶされそうな重量でのしかかってきた。

 ここで不合格になってしまったら、一年間の努力が無駄になるだけじゃない。あの牢獄で示した決意が嘘だということになる。自分はあの夜のあの部屋の片隅から一歩も動けていなかったということになってしまう。

「そんなの……そんなの、クソみっともねぇ!」

 カイルは恐怖と苛立ちに、そう叫びながら思いきり通路の壁を殴りつけた。

 すると予期せぬことが起こった。

 カイルが殴りつけた壁は一部がへこみ、板がズレてその向こう側にあるものをあらわにした。それは素材の分からない黒く太い紐のようなもので、表面の一部が破れて、どういうわけか中から火花を散らしているのだった。

 その光景を目の当たりにしたカイルは不思議に思って、ランタンを床に置いてから破れた壁の端に手をかける。力をこめてひっぱると、壁の金属板の一部がベリッと剥がれて床に転がった。まきおこる埃を口と目をつぶって払い、剥がれた壁の向こうをランタンで照らすと、上から下へと垂れ下がる無数の黒い紐の向こうにもうひとつ部屋があるらしかった。カイルはためらわず、紐をかきわけて中へ踏み込んだ。

 不思議な部屋だった。

 部屋の壁ぎわにはいくつもの直方体の金属の箱が並べられていて、その表面に青白く発光する不気味な筋が幾本も走っている。そのおかげで薄ぼんやりとだが、ランタンなしでも部屋の奥まで見通せた。

 どうやらこの部屋は長方形をしているようだったが、本来入り口があったらしい方向の天井は崩落していた。カイルが入ってきたのは壁の一部で、この部屋がわの壁は自然と剥がれていたらしかった。

 床にはボロボロになった、古代文字がびっしりと書かれた紙のようなものが散乱し、直方体の箱と並んで壁際にある机にはワケの分からない金属の道具が置かれている。

 見慣れないものしかない部屋だったが、何よりもカイルの関心を引き、目を奪ったのは、部屋の中央にあるものだった。

 カイルはそれを棺桶だと思った。だが近づいてよく見てみると、そうではなかった。

 全体の大きさしてはカイルの体くらいの金属の台の上に、恐ろしく透明度の高く歪みのないアーチ状の板ガラスのカバーがかかっていた。壁の内部にあったものと同じ黒い紐が床を這って壁の直方体の箱に繋がっているのを見て、カイルは、目の前のこれのためにこの部屋はあるのだと確信した。

 ガラスの向こう側、金属台の上には剣があった。青白く発光する台に照らされたその剣身は幅広で、鍔は大きく半円を描いて柄の尻につながっている。鍔の途中からは三枚の短冊型の飾り布が垂れていて、まさにそれこそが聖剣のあかしだった。

「何だここは……!?」

 後ろから驚いた声がしたので振り向くと、目を見開いたエドワードが壁の穴をくぐってきたところだった。カイルは彼に向かって笑いかけた。

「見つけました」

 するとエドワードはますます驚いた顔をする。

「見つけたって……まさか?」

「はい」

 カイルは金属台のふちについている突起を押し込んだ。すると、ひとりでにガラスのカバーが回転して台の中に吸いこまれた。

 カイルは聖剣を手にとり、持ち上げた。それは信じられないほどに手によく馴染んだ。カイルがその剣身を灯りに照らして観察すると、刃の根本、鍔の近くに、古代文字が刻まれているのを見つけた。

「それはきっとこの聖剣の名前だな」

 横から覗きこんでいたエドワードが言った。

「読めます?」

「発音には自信がないが……とわ、とわいらい――」

 エドワードは咳払いをし、言い放った。

「――『トワイライトブレイド』だ!」

「トワイライトブレイド……」

「ああそうだ」

 エドワードはカイルに向き直って微笑む。

「おめでとう、カイル」

 カイルはその言葉に、目を輝かせて彼を見上げた。

「合格だ!」

「ありがとうございます!」カイルは深く頭を下げた。



 マックスウェル枢機卿は執務室で、直立不動のカイルに向かって言った。

「この肩当てと腰布は『防刃布』という特殊な布でてきている。邪剣に対しては非常に有効だ」

 カイルは金の縁どりの真紅の布でできた防具を渡され、身につけた。

「よいか、今後君のあらゆるおこないは、すなわち聖剣教会のおこないとなる。我々の名を汚さないように常に意識を持ちたまえ」

「はい!」

 カイルは最後にトワイライトブレイドを背負った。

 マックスウェルは微笑む。

「では任命式に行ってきたまえ、君はそこで教皇さま直々に、聖剣王の名において、聖剣師としての任を言い渡される。緊張しないようにな」

「ありがとうございます! 失礼いたします!」

 カイルは元気よく返事をし、枢機卿の執務室を出ていった。

 足音が遠ざかるのを聞くとマックスウェル枢機卿は窓辺に寄った。天気はよく晴れていて、活気のある王都の街並みの上を白い鳩が数羽ならんで飛んでいる。

 彼は椅子に深く腰かけた。

「本日、また新たな聖剣師が生まれます……しかし、これでよろしいのですか?」

「かまわん」

 いつの間にか、ひとりの男がマックスウェルの傍らに音も無く立っていた。

 マックスウェルはそれ以上問わない。

「あなた様がどのようなお考えで彼にああいうことをしたのか私には理解できかねますが、それがあなた様の望むことならば、私は忠実に遂行いたします」

「それでよい……これからも頼むぞ、マックスウェルよ」

 マックスウェルは胸に手を当てた。

「はい、邪剣王様。すべてはあなた様の御心のままに」

 その言葉を聞き、グリゼル・ラックハルトは邪悪に口端をつりあげた。


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