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王国創立祭

 ソードランド王国の首都は年に一度、三日三晩にかけて街が人で溢れかえる。

 自分たちが住む素晴らしい国がまたひとつ齢を重ねたことを祝って国中から人々が集い、そうして集まった人々のために何倍もの商人とモノがあつまるのだ。

 期間中は城の倉庫に納められているものが人々に開放されて、平民にはとても口にできないような食事が無料でふるまわれたり、貴族の使っていた不要な家具や衣服が公営市場に出され、破格の値段で取引される。期間中街の税率はやや上がるが、それを差し引いても充分な儲けが万人に期待できるのだ。

「国中の美味いものが集まるんだぜ! このチャンスを逃すわけにはいかないな!」

 街の正門をくぐり、人でごった返す中央通りに出たカイルは、横のレイスに向かって言った。

 この中央通りは街の中心にそびえる王城と直結していることもあって、王国軍のパレードなどにも用いられる通りであり、普段ならば、通りの端から端までは向かい側の人間が豆粒のように小さく見えるほど道幅が広いのだが、今、この道は数歩先すらも見通せないほど人が溢れていた。道には国中から集まった商人たちの食べ物や装飾品などの露店が並んでいるらしく、肉の焼ける匂いや、威勢のいい呼び声が雑踏の向こう側からやってくる。だがレイスはわくわくした表情で人ごみの中に飛びこもうとするカイルの襟首をグイと掴んで引き留めた。

「聖剣師としての仕事が先です。そのあとにゆっくり見て回りましょう」するとカイルは「げぇ」と言いながら嫌そうな顔で舌を出す。

「レイスひとりで行ってくるってのは――」

「無しです」

「やっぱり?」

「あなたも教会所属なんですから、きちんと自分で報告しなさい」

「うぇー、わかったよ……」

 カイルは名残惜しそうに人ごみを一瞥し、レイスに連れられてとぼとぼと歩きだした。



 建国記念祭りの最中は王都はどこもかしこも人で溢れるが、そんななかでも唯一普段と変わらず、静かで落ちついた区画がある。それは中央通りと王城を挟んで反対側にある区画だった。この区画は教会区と呼ばれ、聖剣教会の様々な施設が密集している。

 聖職者や聖剣師でない一般の人間も立ち入ることができるのは国内最大の広さを持つ大礼拝堂のみで、他の聖職者用の施設や、聖剣と邪剣の研究施設への立ち入りは厳しく制限されていた。

「黄昏の聖剣師カイル・ラックハルト、ならびにレイス・ボールドウィン助祭、ただ今戻りました」

 レイスが門番の兵士にそう伝えると、人相書きと合言葉による個人確認と、邪剣に取りつかれていないことを確認するためのボディチェックを終えてから、ふたりはやっと建物の中に入ることができた。

「聖剣教会の中枢だからしかたないとはいえ」カイルはシャツのボタンを留めながらぼやく。

「いちいちマッパにされて全身見られるのは、みっともないし、気持ち悪いな」

「必要なことですよ、とくにあなたには」レイスも僧衣の襟を正しながら言う。

「……そうだな」カイルは少し寂しげな顔をした。 

 ふたりは廊下に出て、並んで歩いていく。ずらりと並んだ大きな窓から射す陽光が、赤い絨毯が敷かれた床を照らしていた。

 ときおりすれ違う僧侶たちは皆仏頂面で、常に眉間にシワを寄せている。カイルはこの建物全体に漂う辛気臭い雰囲気が嫌いだった。

無言のまま早足で歩いていると、いきなりふたりの後ろから声が飛んできた。

「お兄様!」

 ふたりは振り向いた。彼らの後ろに立っていたのは、僧衣を身につけた少女だった。身長はやや高めで、大きなエメラルド色の大きな瞳が印象的な、整った顔立ちをしていた。

 彼女をみとめたレイスは嬉しそうな声をあげた。

「エレナ!」

 エレナと呼ばれた少女はレイスに駆けより、その手をとって顔を見つめた。カイルは彼女がレイスの妹だということを知っていたので、久しぶりの再会に水をささないよう、黙ることにした。

「レイスお兄様、お久しゅうございます。いつ戻られたのですか?」

「ついさっきですよ。エレナ、大きくなりましたね」

 微笑むレイスを見て、エレナもはにかむ。

「ご無事に戻られてなによりでございます。カイルさまもお元気そうで!」

 一瞬別のことを考えていたカイルはいきなり話をふられて、少し戸惑った。その様子にエレナは小鳥のように首をかしげる。

「どうかされましたか?」

「お前があまりに美しいから緊張しているのですよ」

 レイスが冗談めかして言った。カイルは「ち、ちげーし!」とあわてて反論し、エレナはそのやりとりに、少し頬を赤らめた。

「相変わらず仲がよろしいのですね」

「エレナのほうは変わりありませんか?」レイスが彼女に訊いた。

「おかげさまで、侍祭として多くのことを学ばせていただいております」

「それは良かった。なにか困ったことがあったらすぐに私か司祭さまに相談するのですよ」

「おふたりはこれからどちらへ?」

「枢機卿さまに謁見してきます」

「そのあと、なにかご予定は? ぜひ食事でもご一緒させていただきたいのですが……」

 エレナは言いながら、すこし恥ずかしそうに横目でカイルをちらりと見た。レイスが微笑んで言う。

「私はとくにありませんが、カイルはどうですか?」

「俺は祭りをまわるつもりだけど」

「まぁ、でしたら!」エレナは顔を輝かせ、パンと手を叩いた。

「三人で一緒に見て回りましょう! 私、司祭さまにお願いしてまいりますね!」

 するとエレナは踵を返して、カイルの返事も聞かずにぱたぱたと走り去っていってしまった。

 カイルは彼女のふるまいに苦笑いする。

「強引だな」

「この機会を逃したら、いつまた会えるかわかりませんからね」

「まぁ、そうだな。久しぶりの兄貴との再会なら、多少強引になるか」その言葉に、レイスは意外そうな顔をした。

「エレナはあなたの予定を聞いて、一緒にお祭りにいくことにしたんですよ?」

「それがなにかオカシイのか?」

 レイスは小さく肩をすくめ、やれやれと言いたげに首を振る。 

「それに、エレナはあなたと同い年なんですよ?」

「だからなんだよ?」

 それでもわからない様子のカイルに、レイスは諦めてまた歩きだした。

 カイルは彼の後を追いながら質問の意図を問いただしたが、とうとう最後までレイスは答えてくれなかった。



 枢機卿の執務室の扉は両開きの重厚なもので、聖剣王のレリーフが見るものを威圧する。カイルはその前に立つたびにひどく緊張してしまうのだった。さすがのレイスもそれは同じらしく、彼はさっきから何度も静かに深呼吸を繰り返している。

 ふたりを案内してきた秘書官は無表情のまま静かに扉をノックした。

「聖剣師カイルとレイス助祭が邪剣討伐活動の報告に参りました」

 秘書官がそう告げると、扉の向こう側から「入れ」という男性の声がした。秘書官は扉を開けてふたり中へ促した。

 聖剣教会の紋章が大きく描かれた絨毯が敷かれた、広い部屋だった。左右の壁は一面が本棚で、さまざまな分厚い本が整頓されて並んでいる。奥の壁は一面がガラスになっていて、王都の街なみが見下ろせた。その最奥の壁に背を向けて、マホガニー材の重厚な机で作業をしている老人がひとりいる。彼こそが邪剣に関するさまざまな問題の最高責任者である、マックスウェル枢機卿だった。

 カイルとレイスは礼をして入室し、部屋の中央に整列する。

「『黄昏の聖剣師』カイル・ラックハルト、ならびにレイス・ボールドウィン助祭、成果報告に参りました」レイスが声を張りあげて言った。

 マックスウェル枢機卿は走らせていたペンを置き、シワだらけの顔を上げた。

「よくぞ参った」枢機卿はにこやかに笑った。皺だらけの顔がますますしわくちゃになる。

「長い旅で大変だったろう、楽にしなさい」

「はっ。ありがとうございます」

 カイルが返事をし、ふたりは直立不動から少しだけ楽な姿勢になった。

「この歳になるといちいち椅子から立つのも億劫でね」枢機卿は苦笑する。

「すまないが、もう少し近くに来てくれたまえ」

 カイルとレイスは机の前に移動した。

「各地から書簡で報告してもらっているから、引き渡しだけでかまわないよ。今回の成果は?」

 レイスはうなずいて、懐から小さな瓶を三本取り出すと机の上に並べた。それらにはみな各地で回収した邪剣のかけらが納められている。

「今回はこの三本です」

 レイスが言った。マックスウェルは瓶のひとつを手にとり、光に透かして中身を検めると、満足げにうなずいた。

「たいしたものだ、素晴らしい」

「恐縮です」とレイス。

「ありがとうございます」とカイル。

「これでまた王国の平和に一歩、いや、三歩近づいたというわけだ……ところでカイルくん」

「はっ」

「問題はないかね」

 含みのある言い方だったが、カイルは彼の意図するところがはっきりわかっていた。カイルはうなずいた。

「とくに問題はありません」

「そうか。少しでもおかしい、と感じたらすぐに報告するのだよ」

「はっ。ご心配ありがとうございます」

「ところで――」マックスウェルはカイルの背負う剣を指した。

「トワイライトブレイド、すこし見せてくれないかね」

 カイルは聖剣を鞘ごと彼に手渡した。マックスウェルは剣を鞘から抜くと、その大きな刃をうっとりとした表情で眺める。

「何度見ても素晴らしい……聖剣はみな芸術品のようだ。そうは思わないかね?」

 カイルは正直聖剣に対してそんなことを思ったことはなかったが、適当にうなずいた。

 マックスウェルは刃の表面を指で撫ぜる。

「わずかな継ぎ目も歪みもない構造、現代技術では再現不可能な合金、どういう原理かもわからない動力……これこそまさしく神――聖剣王さまの御業だと、そうは思わないかね」

「まったく、そのとおりだと思います」レイスが言った。

「これは使い方を誤れば恐ろしい力にもなる。聖剣師は常に自分自身に、誰のために剣をふるうのかを問い続けなければならないのだよ」

 マックスウェルはトワイライトブレイドを鞘に納め、差し出す。カイルはそれを受けとり、背負いなおした。

「ほかになにかあるかね?」枢機卿が訊いた。レイスは首を振った。

「いいえ、今回は報告だけでございます」

「そうか、では下がりたまえ」

「はっ」

 ふたりは同時に返事をし、丁寧に礼をして部屋を辞した。



「あー、肩凝ったー。今の一瞬で肩が石化したー」

 廊下を歩きながらカイルは大きく肩を回す。レイスも苦笑しつつ、小さくノビをした。

「マックスウェル枢機卿は気さくな方とはいえ、やはりヒヤヒヤしますね」

 カイルはレイスの言葉を意外に感じた。

「へぇ、レイスもやっぱそうなんだ」

「あなたがいつ失礼なことを言うかヒヤヒヤですよ」

「ぶん殴るぞ」

 レイスは笑い、カイルも笑った。それからふたりはエレナと合流し、街へと出た。

 中央通りへと戻ると、カイルはますます人が増えたように感じた。まだ太陽は頭上に輝いていて、通りに響く楽しげな音楽が、自然と足どりを軽くさせた。

 色とりどりの人の川に混ざり、カイルたち三人はさまざまな露店を見てまわる。その途中、エレナが声をあげた。

「まぁ! お兄様、これはなんでしょう?」

 彼女が駆け寄ったのは装飾品が並んだ露店だった。剣をかたどった金属製のイヤリングやネックレスが綺麗に飾られ、肌の浅黒く恰幅の良い商人が、白い歯を見せて笑った。

「美しいお嬢さん、これは御守りだよ!」

「おまもり?」エレナは首を傾げる。

「ああ! 聖剣教会のちゃんとしたやつもいいが、こっちの方がオシャレだろう! 邪剣よけに効果抜群さ! お嬢さん美人だから安くしとくよ!」

「まぁ、どうしましょう」

 そのとき、エレナの後ろから露店を覗きこんだカイルが言った。

「なんだ、それ、欲しいのか?」

 エレナは少しためらって、小さく頷いた。

 カイルはざっと値札を見た。

「けっこう安いな。せっかくだし、何か買ってやるよ」

 するとエレナは目を大きく見開いた。

「え!? よろしいの、ですか……?」

 カイルはニカッと笑った。

「侍祭じゃ、欲しいものも満足に買えないだろ? こっちは金だけは無駄にあるんだ。使わせてくれよ」

 するとエレナは頬を赤らめながら縮こまった。カイルはなにかマズイことでも言ったかと少し困ったが、すぐに隣のレイスが言った。

「カイル、エレナはあなたに選んでもらいたいのですよ」

「そうなのか? じゃあ、そうだなー……」

 露店に並ぶ装飾品を眺め、カイルはそのうちのひとつを指さした。

「オッチャン、このかんざしをひとつくれ」

「あいよ! 銅貨十枚だ!」

 カイルが選んだのは聖剣のかたちをかたどった金属製のかんざしだった。そうして受けとったかんざしを、カイルは小さくなったままのエレナに渡した。

「ほら、やるよ」

「あの……えと……その……」

 エレナは耳まで真っ赤になりながらもかんざしを受けとって、深く頭を下げた。

「あ、ありがとうございます!」

「気にすんなって」

 カイルは笑った。そのとき、彼の腕を引いてエレナから引き離すものがあった。見るとそれはなぜだか優しげに微笑むレイスだった。

「とうとうあなたもそういうことができるようになりましたか」彼は声を潜めて言った。

「なんだよ、気持ちわりぃな」

「褒めているんですよ?」

 レイスはにやにやしながら肩をすくめる。普段彼があまりしない仕草を見て、カイルはなんだか全身がむずがゆくなった。

「まぁ、次も生きて会えるかわかんないしな、サービスしねーと」

「カイル、あなたはエレナのことをどう思っているのですか?」

「どうって?」カイルは眉をひそめた。

「そのままの意味ですよ」

 レイスは真剣な表情で彼を見下ろした。カイルもそれを受けて、真剣に答える。

「俺は、エレナのことを、愛しているよ」

 するとレイスは嬉しそうな顔をした。

「そうですか!」

「ああ、家族だと思ってる!」

 カイルの返答にレイスの表情が一瞬固まった。それからもう一度くりかえす。

「ええとカイル、あなたはエレナのことを、家族だと……?」

「ああ」カイルは頷いた。

「妹のように思ってるよ。いけないかな?」

 レイスはその言葉に落胆したような、この上なく嬉しそうな、複雑な表情をした。それから思いなおしたようにふるふる首を振っだ。

「エレナ、行きますよ!」

 かんざしを見つめながらぼぅとしていたエレナはその声でハッと我に返り、あわててふたりのもとへ駆け寄る。カイルはいまだレイスの表情と質問の意味がわからなかったが、彼がまた歩きだしたので、考えるのをやめた。

 三人はその後、気の向くまま、目のつくままに様々な露店をまわった。カイルは羊肉の串焼きを気に入って何本も平らげ、レイスは古本の露店で買った大量の本を運ぶのに大きな鞄も新たに買わざるをえなかった。

 口から火を吹く異国人や、まるで人形のように同じ姿勢で静止したままの男、音楽にあわせて妖艶に踊る女性たちを見てエレナは大きな拍手をし、三人はとても楽しい時間を過ごした。

「いやぁ、楽しいな」そんな言葉が自然とカイルの口からこぼれた。

 エレナも満面の笑みで大きく頷く。

「はい! 私もとても楽しいです!」

「こんなに楽しいのはいつ以来でしょうか」レイスも笑顔でそう言った。

「しかし、少し疲れましたね。どこかでひと休みしたいのですが、おふたりは?」

 彼はカイルとエレナの顔を見た。エレナも「少し疲れました」と言ったので、三人は中央通りから横道にそれ、茶菓子を出す店で休憩することにした。

 焼きリンゴをお茶うけに、スライスレモンの入った水を飲みながら、三人は店の前のベンチに座って談笑している。話題はカイルとレイスが旅先で目にした、体験した、おもしろいものごとについてが多かった。

 草原の真ん中にひとりだけ住む老人の話。山奥から発掘されたドラゴンの骨の話。深い森の中の古代遺跡の話。ひとつ話すたびにエレナは瞳を宝石のように輝かせ、聞き惚れていた。

「羨ましいです、そのように世界各地を旅されて……」

「楽しいことばかりじゃないですよ」レイスが言った。

「そうだぜ」カイルも頷く。

「野犬や盗賊に襲われたことも一度や二度じゃないし、邪剣になってしまった人の家族から罵られることも少なくない。少し田舎に入ると悪路だって多いし、ひどい嵐のときだって立ち止まっちゃいけないんだ」

「それでも……羨ましいです。私ももう少し体が丈夫なら……」

「仮にあなたが大陸いちの屈強な肉体の持ち主だったとしても――」レイスが少し厳しい声になった。

「――あなたを旅に出すことは私が許しません。妹を守るのは兄のつとめです」

「あら! 世間ではそれを『妹離れができていない』と言うのですよ?」

 三人は笑った。そのとき、エレナが思い出したように訊く。

「そういえば、カイルさまが聖剣師になられたきっかけは――」

「エレナ!」

 だしぬけにレイスが大きな声を出した。エレナはびっくりしてレイスを見る。彼はにっこり笑った。

「そろそろ休憩をやめにしましょう。もうすぐ夕方になってしまいます」

 彼の言う通り陽は傾きはじめ、周囲はすこしだけ薄暗くなりはじめていた。だがそのあまりにも普段通りの物言いに、エレナは不安になってカイルを見た。しかしカイルはエレナもレイスも見ておらず、何かに目を奪われたように中央通りの人ごみの方をジッと見つめていた。

「カイル?」

 レイスも彼のただならぬ様子に気づいて声をかける。

「見つけた……」カイルは小さくつぶやいた。

「見つけたって、まさか?」

 レイスの質問を無視したままカイルは勢いよく立ち上がり、引き止める声も聞かずに駆け出して、人の中へと分け入っていった。レイスたちも急いで食事の代金を支払って、荷物をおいたままそのあとを追う。

 カイルは人をかき分けて進んでいった。やがて彼は中央通りを横切り、反対側の脇道へと出る。立ち止まって周囲を見渡し、また駆け出して、カイルが足を踏み入れたのは大きな図書館だった。

 その図書館は聖剣教会所有の三階建ての建物で、一般の人々にも開放されている。静かなホールを抜けて、カイルは階段を駆け上がっていった。

 最上階まで上がると、カイルはまた辺りを見渡してから、バルコニーへ出た。

 バルコニーは二階の屋上でもあり、かなり広い。普段は休憩所として使われているらしく、ベンチや植物のプランターが並んでいた。他に人影は無かったが、カイルはその一番奥に探していた相手を見つけて、立ち止まった。

「見つけたぞ!」

 カイルが大声でそう叫ぶと、こちらに背中を向けていた相手はゆっくりと振り向いた。彼は大柄で筋肉質な男性で、金の短髪に青い目をしていた。

 彼はカイルをみとめると、口端を邪悪につり上げた。

「なんだ、貴様か」威厳ある声だった。

 ちょうどそのとき、カイルを追ってきたレイスとエレナが追いついた。ふたりは彼らを遠巻きに眺める位置で立ち止まった。

「あれは……!」

 レイスが血相を変えた。事情を知らないエレナは息を整えつつ、困惑して三人を見た。

「お兄様、あの方は?」

「エレナ、お前は今すぐ教会に戻ってほかの聖剣師たちを呼んできなさい」

「え? それはいったい――」

「『邪剣王』ッ!」

 カイルが怒声をあげながら聖剣を抜いた。

 邪剣王はそんな彼をあざ笑うように見下ろす。

「いいのか? 我がここにいると分かれば、町は混乱し、けが人がたくさん出るぞ?」

 邪剣王はバルコニーの向こうを眺めて言った。彼の立っている場所からは中央通りの人の川を一望することができた。

「カイル、いけません! どうか冷静に!」

 レイスが呼びかけたが、カイルには聞こえていないようだった。彼は歯をむき出した恐ろしい表情をしていて、目は血走り、邪剣王をまっすぐに睨んでいた。しかし、怒りか恐怖かはわからないが、握った聖剣がかすかに震えていることにエレナは気づいた。

「まさか、あの人が『邪剣王』……!?」

 エレナはとても驚いていた。

 邪剣たちにはあるひとりのリーダーのようなものが居て、それが邪剣王と呼ばれていることはエレナも知っていたが、今前に立っている男は、あまりにも普通の人間に見えたからだった。

 背は高く、がっしりとした体格で、鉄の胸当てと真紅のマントを羽織っている。一見するとどこかの騎士のようにも見え、整った顔立ちは、むしろ好ましくさえ思えた。

 そしてエレナにはもうひとつ気になることがあった。

「なんだか、似てる……」

 邪剣王と、彼に剣をかまえて向き合うカイル。このふたりが、なんだかとてもよく似ているように感じたのだった。

「その顔で俺の名を呼ぶんじゃねぇ!」またカイルが怒鳴った。

 邪剣王は大きく笑った。

「なぜだ! 我は貴様の父親ぞ? 息子の名を呼んではならないわけがないだろう!」

「黙れぇッ!」カイルが床を蹴り、邪剣王に斬りかかった。

 剣身が橙色に輝き、振り下ろされた刃はしかし甲高い金属音とともに防がれる。

「弱い……」邪剣王が言った。

 カイルは弾き飛ばされて、床に転がった。エレナは思わず駆け寄ろうとしたが、レイスに肩をつかんで引き止められた。

「その剣……!」

 カイルは目をみはった。邪剣王はひと振りの剣を握っていて、それでカイルの斬撃を防いだのだった。邪剣王はにやりとする。

「そうだ、聖剣『ムラマサ』だ。見覚えがあるだろう」

 邪剣王が手にしていたのは、わずかに反り返った刃を持つ、細めの刃を持つ聖剣だった。鍔と柄には異国の雰囲気がある意匠がほどこされていて、柄の尻には短冊型の飾り布が垂れ下がっている。

 カイルは激高した!

「父さんの剣から手を離せぇ!」

「欲しいなら奪ってみせるがいい」

 ふたたびカイルは邪剣王に飛びかかる。金属音がいくつも響き、邪剣王はじりじりと後退を始める。

「すごい、押してます!」エレナが嬉しそうに叫んだが、レイスは首を振った。

「あれは遊ばれてるんです」

 信じられないエレナはもう一度カイルと邪剣王を見た。そして気づいた。邪剣王はカイルの攻撃をすべて片手で受け流しているのだった。そのうえ、彼が不敵に笑っているので、エレナはその不気味さに戦慄した。

「遅い、軽い、角度も悪い。やる気がないのか? それとも身体能力の問題か?」

 邪剣王が退屈そうに言った。カイルは汗だくになりながらも聖剣を振り続けるが、疲労のために攻撃が単調になり、そしてとうとう空振りした。

「しまっ……!」

 カイルが急いで身を引くまえに、邪剣王は空いているほうの手でカイルの胸ぐらを掴んで体を持ち上げた。エレナが悲鳴をあげるが、邪剣王は一瞥もくれない。

「安心しろ、殺しはしない。だが失望したぞ」

「テメェ……くそ、離せ!」

 カイルは足をばたつかせてなんとか逃れようとしているが、邪剣王は微動だにしない。彼は落胆したような表情をすると、聖剣『ムラマサ』を鞘に納め、その手をカイルの左胸に当てた。

「まだ足りないのか? 活性化させてみるか」

 邪剣王がそう言った直後、カイルが絶叫する!

「ぎゃあああああああ!」

「いけない!」

 レイスが素早くガンをかまえたが、邪剣王は彼のほうを見ずに言う。

「やめておけ。発砲すれば貴様らも皆殺しにする」

 レイスはエレナをちらりと見て、悔しそうな表情をした。エレナは最初に指示されたときに素直に従わなかったことを悔やんだ。

 カイルの左胸から服を突き破って何かが飛び出した。それは邪剣の触手だった。触手はカイルの体に絡みつき、左腕を覆いはじめる。邪剣王は手を離した。エレナは息を呑んだ。

「そんな、なんで……!? カイルさま……」

「邪剣王! 何をした!」レイスが声を荒らげる。邪剣王は彼を見た。

「こいつの左胸に我が一部が埋め込まれているのは知っているだろう? それを目覚めさせただけだ」

「なんてことだ……!」

 レイスはあまりのことに気が遠くなりそうだった。

 エレナは様々なことが一度に起こりすぎたせいで頭が真っ白になってしまっていた。

 カイルは大きく体をのけぞらせている。触手はいよいよ左腕から全身へと広がり始めていた。

 レイスがいきなり意を決したようにひとりうなずき、ガンをかまえたが、その銃口がカイルの方を向いているのを見てエレナは恐怖し、とっさにその腕に抱きついた。

「離しなさい!」

「何をするおつもりですか!」

「これが私の役目なのです!」

 レイスはエレナを引き剥がそうともがくが、彼女は離れない。そのあいだにもカイルの侵食は進み、邪剣王は冷ややかな目でそれを見ていた。

「自由意思を残しておいたのは失敗だった。はじめからこうすればよかったのだな」

 邪剣王がそう言った直後だった。

 床に両膝をつき、白目を向きかけていたカイルの瞳がもとに戻った。そして彼は聖剣を握ったままの右腕を持ち上げ、その切っ先を自分自身に向けた。

「ほぅ」

 邪剣王が感心したような声をあげた。カイルは聖剣を自分の左胸に突き刺したのだ!

「きゃあああああああああああ!」

「カイルーッ!」エレナが悲鳴をあげ、レイスが叫んだ。

 するとカイルの全身を覆いかけていた触手がびくりとうねり、勢いよくその身を縮めてカイルの左胸へと戻っていく。その代わり傷口からは赤い血がどばどばと流れ出て床に溜まっていった。カイルはその中へと突っ伏した。

「なかなか見上げた度胸だ。聖剣で自らを貫くか」

 レイスが駆け寄り、血溜まりのなかに膝をついて彼の体を抱き上げ、傷口を布で縛る。邪剣王は彼らをせせら笑った。

「どうやら覚悟は衰えていなかったようだな。今回はそのあっぱれな行為に免じて見逃してやろうではないか」

 邪剣王は悠然と歩き出す。彼はゆったりとした足どりでカイルとレイスのそばを過ぎ、エレナをじろりとひと睨みして、館内への入り口で立ち止まった。そして肩越しにカイルを見る。

「貴様が我に呑まれる前に、我を殺してみせよ。我が息子よ」

 邪剣王はそう言い残して姿を消した。太陽は沈みはじめていた。



 血溜まりのなか、レイスの腕に抱えられたカイルの脳裏に浮かんでいたのは、はじまりの夜のことだった。

 カイルと邪剣王との因縁と、運命が決まった夜のできごとを――


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