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少年聖剣師と青年聖職者

 灼熱の太陽が頭上に輝き、荒野を進むふたつの影を焼く。

 ふたつの人影はともに全身をすっぽり包む白いローブに身を包み、頭もフードで覆っていて、顔や服装はわからなかったが、片方はやや小柄、もう片方はかなりの長身だった。彼らはそれぞれローブの上から自分の荷物が入っている革袋を背負っていたが、それ以外にも変わったものを携えていた。

 小柄な方は、その体格にそぐわないほど大きな幅広の刃を持つ剣を鞘に納めて背負っていた。剣の鍔は刃元から弧を描いて柄の尻につながり、その途中から三枚の細長い短冊型の赤い飾り布が垂れ下がって、持ち主が一歩あるくごとにヒラヒラと左右に揺れている。

 長身の方はローブの上から太いベルトを巻いていて、腰の片側に奇妙なかたちをした金属の道具を提げていた。複雑なからくりじかけの本体の下に持ち手が付いている。全体の大きさは拳四つほどで、黒いつや消し加工が表面にされていた。

「あっぢぃ」小柄な方がいかにも不満げにそう言った。

「十五回目」長身の方が静かな口調で言った。

「レイスのそのなんでも数えるクセ、ムカつくんだけど」

小柄な方がフードの下から長身の方を睨んだ。

「私はあなたの血の気の多さにうんざりします」

 レイスと呼ばれた方が静かに返した。

 小柄な方が肩を落とす。

「やっぱり夜を待ったほうが良かったかなぁ、もうクタクタだぜ」

「私はそう提案しました」レイスは小柄な方を見ずに歩きつづける。

「ですが一秒でもはやく目的地へ向かうことを選んだのはあなたです、カイル」

 カイルと呼ばれた方が顔を上げた。

「当たり前だろ。ちんたらして、逃げられたらみっともねぇ」

「ならば文句言わないでください」

「へいへい、わかってるっての……で、その目的地であるフストの町はまだですかっと」

「ちょうど今、見えてきました。しかし――」

 レイスが前方を指さした。カイルがその先を目で追うと、荒野の岩山のふもとに広がる町を囲む白い城壁が地平の果てから顔を出したところだった。陽炎に揺れるそれをみとめたカイルは歓喜の声をあげた。

「やった! やっと町だ! メシ! 水! 日陰! ダッシュ!」

 喜びのあまりその場でぴょんと飛び跳ねたカイルは、レイスをおいて城壁へ走り出した。

 レイスはその背中を眺めながらひとりごちた。

「――かといってあせって走ったりすると、すぐ熱中症になってしまいますから気を付けて」



 

「止まれ!」

 町の正門のすぐ目の前で、槍を持った門番の兵士は、力尽きたカイルを担いでやってきたレイスに向かって叫んだ。

「旅の者か?」

 兵士の質問にレイスは無言で首を振りつつ、カイルの体をどさりと地面に落とした。そうしてうつ伏せに転がったカイルが背負っているものを見て、兵士は驚いた。

「貴様、それは剣か?」

「はい」カイルの代わりにレイスが答えた。

「異国の者ではないな?」

 兵士がじろりとレイスを睨み、それからカイルを見おろす。

「ならば王国法を知っているはずだ! 一般人の刃渡り二十五センチ以上の刀剣の所持は禁じられている!」

 兵士はそう言って、首から下げている小さな笛を吹いた。甲高い音が辺りに響き、町の門の横にある詰め所の小屋から、数人の兵士がどやどやと飛び出してきた。彼らは皆槍をかまえていて、レイスとカイルをぐるりととりかこむ。

「禁剣法違反の現行犯で逮捕する!」

「禁剣法には例外がありましたよね!」

 レイスがうんざりした様子でそう言った。兵士は訝しげに眉をひそめた。

「例外……?」

「刀剣の所持が許されている者は!?」

 レイスの声のみょうな迫力に兵士はたじろぐ。そして自信なさげに言った。

「刀剣の所持が許されているのは、王族と――」

 兵士は、アッ、と声をあげた。

「ま、まさか、『聖剣師』さまでございますか!?」

 レイスはカイルの頭を足で小突いた。

「いいかげん起きなさい、『せいけんしさま』」

 彼の皮肉っぽい口調に、やっとカイルがうめき声とともに体を起こした。そのとき、顔を隠していたフードが後ろに落ち、彼の輝くような金髪と、深い青色の瞳が顕になった。その顔を見た兵士はますます驚いた。なぜならば、カイルはどう見てもまだ十四、十五歳程度の少年にしか見えなかったからだった。名誉ある聖剣師がこんな子供であるということが、兵士にはとても信じられなかった。

「あなたが真に聖剣師さまでありますならば」兵士は言う。

「紋章を提示していただきたい」

 その言葉に、埃を払いながら立ち上がったカイルはいったん背負っていた剣を鞘ごとレイスに預け、面倒くさそうにローブを脱いだ。カイルはローブの下に独特な装備をしていた。綿の半袖シャツと丈夫なズボンに、頑丈なブーツを履いている。そしてそれらの上から、金の縁取りがされた真紅の大きな腰布と、同じ布で作られた揃いの肩当てを左肩に身に着けていた。そして兵士は、その肩当てに『聖剣教会』の紋章が金で刻印されているのをみとめた。この紋章こそが聖剣師の証だった。周囲の兵士は姿勢を正し、右手の平をカイルに見せて敬礼した。

「非礼をお許しください! 聖剣師さま、フストの街はあなた方をお待ちしておりました!」

 兵士たちは正門に駆け寄り、門を開いた。カイルとレイスはやれやれといった様子で顔を見合わせた。




「さすがに慣れたケドさぁ」

 街の中央の広い通りを歩きながら、カイルがふてくされた調子で言った。

「そんなに俺が聖剣師だってのが信じられねーのかなー」

「無理もないですよ」

 横に並んで歩くレイスが言う。

「あなたはまだ年も若い」

「しゃーないだろ」

「背も小さい」

「俺だってデカくなりたい」

「落ち着きがない」

「ジッとしてんのは苦手なんだ」

「口も態度も最悪」

「うるせぇな、口は丁寧でも性悪なヤツよりかマシだろ」

「誰のことですか?」

「わかってるクセに」

 カイルは足を止め、通りを見渡した。

「にしても、人いねーな」

 レイスもあたりを見てうなずいた。

「みな怯えているのでしょう。ここ十日で四人も邪剣に殺されているのですから」

 街の中央を東西に貫く、四頭立ての大型馬車が五台は並んで走れそうなほど広い道路であるにもかかわらず、人影はまばらだった。たまに見かける数少ない通行人たちも、みな一様に肩をすくめ、足早に歩いていく。通りに面した土レンガの建物の窓には、猜疑とともにこちらを窺う瞳がいくつもあった。

「普段ならば、この通りには様々な露店がずらりと並び、荒野が涼しく感じるほどの熱気にあふれているそうです」

 レイスが通りの先を眺めて言った。通りの見晴しはとてもよかった。

「……許せねーな」

 カイルが小さく、しかし力のある声で言った。レイスはうなずいた。

「ともかく、まずは町長のもとを訪ねましょう」

「いや、その前にやることあるっしょ。何のために兵士の案内を断ったかってハナシ」

 言葉を遮られて、レイスは訝しげに彼を見た。

「ハラ減ったからさ、メシ行こう!」

 カイルが底抜けに明るくそう言った。レイスは肩をすくめた。

 一番近い酒場は、通りの中ほどにあった。カイルたちがドアを押し開くと、元気のいい女性の声がカウンターから飛んできた。落ち着いた雰囲気の店内に客は少なく、カイルたちのほかには隅っこの小さな席でチビチビと酒を飲んでいる老人と、その隣の席で賭けに興じている男ふたりだけだった。カイルたちはカウンター席に腰かけた。レイスはこのときにやっとフードを脱いだ。応対のために駆け寄った酒場の娘は、カウンター越しに彼の顔を見て、おもわず息をのんだ。それほどにレイスの顔は美しく、知性の輝きにあふれていたのだった。

「い、いらっしゃいませー!」

 娘の声は硬かった。カイルはいつものこととはいえ、面白くない気分になった。

「この時間はあなただけなのですか?」

 レイスの問いかけに、娘は嬉しそうに答えた。

「はい! ここは昼は私、夜は母が店番をしています」

「そうなのですか、まだお若いのに立派ですね」

 レイスが微笑むと、娘はぽっと顔を赤らめた。

「いえ、そんな大したことじゃ……」

「なんだよー肉料理無いのかー」

 カイルがメニューの書かれた木の板を見て、不機嫌な顔で言った。

「なにぶん暑いですから、生肉は置いてないんですよ。干し肉ならありますよ」

「しょっぱいやつ?」

「はい」

「じゃあ、それひと皿と、あとここにあるもの注文する」

 娘は笑顔で注文を聞いた。

「干し肉ひと皿と平パン二枚とお水ですね、かしこまりました!」

 娘は一度奥に引っ込み、すぐにそれらを持って戻ってきた。カイルは真っ先にコップを受けとると、ぐいと飲み干した。

「くぅー、染みるぜぇ!」

 高々とコップを掲げるカイルを見て娘は笑い、おかわりを勧めた。カイルはもらうことにした。

「なんだか、座ったら疲れがどっと出ましたね」

 ちびちびと水を飲みながらレイスが言った。カイルは平パンを噛みながら、こくこくとうなずいた。

「退屈だし、暑かった! 帰りはぜってー馬に乗って帰るからな」飲み込んで、彼は言う。

「あの荒野を通ろうとすると、馬が暑さにやられてしまいます。貸し馬屋がそう言って断ったじゃないですか」

「だからこう、普通の商人とかみたいに荒野をぐるーっとまわりこんでさ」

「街道ですか? まぁいいですけれど、二日は余計にかかりますね」

 あきれた顔でレイスが言う。

「つーかさ、なんでこんなとこにいきなり荒野があるのさ? 前の街まではフツーに緑があったのに、プツッと途切れてる」

「それはですね」

 戻ってきた娘が、コップをカイルの前に置きながら言った。

「太陽が落ちてきたからです」

「太陽、ですか?」

 レイスが首をかしげた。娘は大きくうなずいた。

「この辺りに伝わる言い伝えです。むかしむかしの話で」

「民間伝承ですか。興味深いですね」

 レイスが身をのりだした。娘は彼に訊いた。

「おふたりは旅人ですか?」

「いえ、聖剣師です」

「まぁ!」

 娘は顔を輝かせた。

「ではこの街の邪剣を退治しに来てくださったのですね!」

「えぇ、まぁ」うなずくレイス。

 娘はカイルの背負う剣に目を留めた。

「じゃあ、もしかしてお付きの方が背負っているそれが聖剣なんですか?」

「あ、いえ……」

 レイスは困ったように横目でカイルを見た。カイルは硬い干し肉を食いちぎっていたが、それを噛まずに飲み込み、つまらなそうに言った。

「俺が聖剣師だ。付き人はそっち」

 娘はあわてて謝った。

 カイルは苦笑し、あらためて店内をぐるりと見渡した。

 店のすみで酒を飲んでいる老人も、テーブルで賭けをしている男たちも、ときおり疑いの目でこちらをちらちらと見ていることに、カイルはとっくに気づいていた。カイルはにやりと口端を吊り上げ、彼らに挑発的な笑みで返した。

「人が少ないのは、やっぱり邪剣の事件からか?」カイルは娘にむきなおった。

「はい、皆怯えているんです」娘がうなずいた。

「街のどこに邪剣にとり憑かれた者がいるかわかりませんからね」レイスが言った。

「……聖剣師さま」

 急に、娘の表情が暗くなった。

 カイルとレイスはともに彼女の顔をのぞきこんだ。娘は大きな瞳に涙をためていた。ふたりはびっくりしてたがいに目配せしたが、なんともできなかった。娘が口を開いた。

「父の仇をとってください、お願いします」

 そうして娘は深く頭を下げた。

「お父様の、仇ですか」静かにレイスが言った。

「はい」娘は顔を上げ、指先で涙を拭う。

「私の父は十日前、邪剣に殺されました。胸を刺されて……」

 言いながら、彼女はまた涙がこみ上げたようだったが、グッとこらえていた。レイスは哀れみに満ちた目で彼女を見、カイルは手にしたコップの水面をジッと見ていた。

「おねがいします……邪剣を、かならず倒してください。次の犠牲が出る前に……」

「当たり前だ」

 力強い声でカイルは言った。それから目線を上げ、娘の目をまっすぐに見すえた。

「そのために俺たちは来た」

「そのとおりです」

 レイスがにっこり笑って言った。それから彼はすっと娘の前に片手のひらを差し出した。彼女が不思議そうな顔をしてその上に自分の手を重ねると、レイスは、甲に控えめなキスをした。

「ご安心ください、お嬢さん。私たちが来たからには、もうこの街ではこれ以上、一滴の血も流れません。私たちが、あなたを――」

「もたもたしてらんねぇ! 行くぜレイス!」

 レイスの言葉が終わらないうちに、カイルは代金をカウンターに叩きつけ、椅子から飛び下りて出口へと向かっていた。レイスは肩をすくめて彼女の手を離し、非礼を詫びると、静かに彼のあとを追った。残された娘は手を胸元にやり、かすかに高なる鼓動を感じていた。




「遠路はるばる、よくぞお越しくださいました、聖剣師さまがた」

 フストの町の町長は満面の笑みでカイルたちを迎えた。カイルは応接間の上等な椅子にどっかと腰かけ、レイスはその横の椅子に礼儀正しく座っている。ローブは建物に入る前に脱いでいて、今はその下に着込んでいた、聖剣教会の僧服姿だった。

「だいたいのなりゆきは書簡で把握しておりますが、確認のため、もういちど詳しく説明していただけませんでしょうか」

 レイスの言葉に、向かい合って座る町長は「もちろんです」と言ってうなずいた。

「最初の犠牲者は十日前、酒場の主人でした。胸をひと突きにされていて、邪剣にやられた遺体の特徴がありました」

「内臓がえぐり出されていたのですね」

 レイスの冷静な言葉に、町長は身震いした。

「あれはむごかった……幸いにも、彼の妻や娘に見つかる前に、ある程度遺体を綺麗にできましたが……もし発見直後の彼を彼女らが見ていたと思うと……」

 町長の悲痛な面持ちに、レイスは深くうなずく。

「私も邪剣にやられた直後の遺体は見たことありますが、あれは酷いものです。続きをおねがいします」

「ああ、失礼しました。そしてその二日後――今から八日前ですね――に二人めが出ました。今度は街の花屋の娘で、やはり同じ特徴がありました。それから三日後、今から五日前に三人目。これも若い娘。それからその翌日に四人目が出て、直後に皆様へ手紙をお出ししたのです」

「四人目はどのような方でしたか?」

「二、三人目と同様、若い娘でした。酷いものだ……」

「んなこたどうだっていいんだ」

 さっきから眉間にシワを寄せて話を聞いていたカイルが、いきなり口を挟んだ。それから彼はグイと身を乗り出し、町長を睨む。

「俺が訊きてぇのは、なんでひとり目が出たとき、すぐに連絡しなかったのかってことだよ」

「カイル、わきまえなさい」

 鋭い口調でレイスが咎めた。カイルは口を尖らせる。

「とはいえ、その点はたしかにご説明願いたいですね。王国法では邪剣の痕跡を発見した者は、速やかに最寄の聖剣教会へ通報する義務が課せられるはずです」

 レイスが町長にそう言うと、彼は困惑し他様子で額を撫ぜた。

「いやぁ、それがですね……」

 そのとき、ノックもなしに部屋に入ってきた人物があった。

「申し訳ございません、私用のために遅れました」

 三人が振り向くと、その人物は指で剣を空中に描いて聖職者の挨拶をした。

 町長は立ち上がり、彼のそばに立って、カイルたちに紹介した。

「こちらはオズワルド司祭でございます。このフストの街の教会の司祭でございます」

 オズワルド司祭は陽に焼けたシワだらけの顔に、口元をぎゅっと結んで、威圧的にカイルたちを見おろしていた。町長が空いている椅子を勧めたが、彼は断り、立ったままカイルたちに言った。

「このような辺境に遠路はるばる、わざわざお越しいただきまして、まことに感謝しております。ですが私としては、あなた様がた、とくに聖剣師であるカイルどのの能力に疑問を抱かざるを得ません。ゆえに、このまま一度教会本部へお戻りになられることをおすすめいたします」

 断固とした口調に、カイルが音を立てて椅子から立ち上がった。それと同時にレイスも立ち上がり、カイルとオズワルド司祭のあいだに立つ。険悪な雰囲気に町長はうろたえていた。カイルが怒気をはらんだ声で言った。

「いきなり出てきて好き勝手言ってくれんじゃねぇか、オッサン」

 だがオズワルド司祭は眉ひとつ動かさず、冷たくカイルを見下す。

「聖剣師さまはまだお若い。もしも回復不能な怪我でも負ってしまいましたら、あなたさまの輝かしい将来への大きな障害となってしまいます。あなたさまの身の安全のためを思っての提案でございます」

「余計なお世話だ!」

「落ち着きなさい、カイル」

 レイスが諌めつつ、オズワルド司祭を見た。レイスは微笑んで頭を下げた。

「私はレイス・ボールドウィン助祭と申します。聖剣師カイルの非礼を代わってお詫びいたします、司祭さま。しかし司祭さまのご提案を受けるわけにはいかないのでございます。我々も教皇と聖剣王の名のもとに任務を授けられた身ゆえ、それに背くことは許されません。もしも厚い信仰と清き霊を兼ね備えていらっしゃいますはずの司祭さまが、教皇と聖剣王へ背くような邪心を備えてしまっているとしたなら別ですが、そうでないのならば、その点はもちろんご理解いただけると考えます。いかがですか?」

 オズワルド司祭は言い返せないようだった。彼は眉間のシワをますます深くし、悪意のこもった目でふたりを睨んでいたが、やがて頭を下げた。

「あなた様の仰るとおりでございます。ですが私の提案も、聖剣師さまのお身体を案じる純粋な想いから出たものであることもどうかご理解いただきたく存じます。あなたがたの任務が上手くいくことを心よりお祈りいたします。聖剣の加護があらんことを」

「聖剣の加護があらんことを」

「では町長、重ね重ねまことに申し訳ありませんが、わたくし別の公用が入りましたので、ここで失礼いたします」

 オズワルド司祭は深く頭を下げ、足早に部屋を出ていった。彼の足音が遠ざかり、聞こえなくなると、レイスは長く息をついて、再び椅子に腰かける。そのときやっと町長は我にかえったようで、レイスとカイルに深く謝罪した。

「たいへん申し訳ございません聖剣師さま! まさか司祭があのような……」

「いえ、お気になさらず」

 レイスは笑顔で応えた。しかし町長はなおも頭を下げる。

「普段のオズワルド司祭はとても優しく、町のことをよく考えている方なのです。孤児院を作ったときや、新たに井戸を掘るときなどは、私財を投げうって多額の寄付を町にしてくれたほどなのです。子供たちにも慕われていますし、人々の信頼も厚い、知的な方なのですが……しかし……」

「思い当たることはありますか?」

 町長は首を振った。

「なにか、俺らが居ると都合が悪いんだろ」

 カイルが吐き捨てるようにそう言った。町長はまさかという顔をした。カイルは彼に向き直った。

「約束するぜ、町長のオッサン」

 そして言い放った。

「今夜のうちに、全ては終わる」




 太陽が西の地平に沈み、荒野に夜がやってきた。

 フストの街から人の姿は残らず消えて、建物の窓から漏れる仄かな灯りが、町の通りを薄ぼんやりと照らしている。槍を携えた兵士が、昼間の熱気からは想像できないほど寒い大気に身を震わせつつ、ランタンを持って街を見まわる。一部が欠けた月が、まるで細められた目のように街を見おろすなか、ひっそりと静まりかえる街並みは不気味だった。

 酒場の裏手に人影があった。その影は灯りも持たず、人目を気にしながら建物のあいだの狭い路地を抜けていく。

 兵士たちの後ろをすり抜け、窓辺の人影を警戒しながら、その人物はどんどん進んでいき、やがて目的の建物の裏手へとたどり着いた。

 その人物が建物の裏口をノックすると、中で待っていた人物が扉を開け、招き入れる。

「誰にも見つからずに来られましたか」

 裏口の鍵を閉めながら、オズワルド司祭は彼女に訊いた。

「はい、大丈夫です、司祭さま」

 酒場の娘は顔を覆っていたスカーフをとって微笑んだ。

「それは結構です」

 司祭も柔らかく微笑み、彼女に近づく。娘は妖しく微笑んだまま、彼の首に手をまわし、抱きついた。

「ああ、まさか司祭さまの方から求めてくださるだなんて!」

 司祭の頬にキスをする娘。司祭は彼女の背中をぽんぽんと優しく叩き、それから引き剥がした。

「ここは狭い、部屋を移しましょう」

 司祭は彼女の手を引いて廊下に出て、その先のドアを開いた。娘はその先の光景を見て声をあげた。

「まぁ! 礼拝堂ではありませんか!」

「そうです」

 司祭が説教台の上で揺れていた燭台の火を増やして、さらに明るくした。 

「でも……まさかこんなところで……」

 頬を赤らめて恥じらう娘を説教台から見下ろして、司祭は優しい表情をする。

「私たちの愛に後ろ暗い部分があるでしょうか? いや、ありません。ならば聖剣王様の御前でも、愛の営みをすることになんの恥じらいがありましょうか」

「それは……まぁ……」

 司祭はゆっくりと説教台から降り、彼女の背後にまわった。

「私は真剣に貴女を愛しているのです。貴女もそれは同じでしょう?」

 娘は何か言おうとしたが、その前に司祭が言った。

「私を愛しているのなら」

 司祭は僧衣の内側から細長いものを静かに取り出した。それは長い刃を持つ剣で、金属製の刃が灯りを反射して不気味に輝いた。

「絶対に振り向いてはなりません……!」

 このとき、娘はなぜだかひどく恐ろしくなって、司祭の名を呼びながら振り向いた。そして彼が長剣を振り上げ、鬼気迫る表情でこちらを睨みつけているのをみとめた。

 彼女は叫んだ!




「キャァアアアアアアアアッ!!」

 壁の向こうから飛び出した絶叫に、カイルとレイスは窓ガラスをぶち割って、素早く礼拝堂へと転がり込んだ。

 並んだ長椅子のあいだを転がり、体勢を立て直したふたりが見たのは、身の毛もよだつような恐怖の光景だった。

 礼拝堂の最奥の壁には、聖剣教会の崇める神である聖剣王の石像が、下からの灯りに照らされて威圧的な表情を見せていた。その前の床から一段高いところに説教台があり、上に置かれた三叉の燭台に灯りが点いている。その灯りは、説教台の目の前の光景を逆光で恐ろしく演出していた。

 オズワルド司祭が肩の付け根を刃で貫かれ、そのまま空中に持ち上げられていた。背中まで貫通した刃は、彼の前に立つ酒場の娘の腕から伸びた触手が寄り集まって形成されたもので、彼女の腕が変化したものだった。

 彼女は突然の闖入者たちをみとめると、涙を流して助けを求めた。

「いや……! 助けて……せいけんしさま……!」

「やはり無自覚でしたか」

 レイスが苦々しげに言った。カイルが一歩前に進み出る。

「レイスの言ったとおり、手に血の臭いが染みついてたのはこのせいだったか。司祭のオッサンを離しな!」

 カイルの言葉に娘は激しく首をふったが、そのとき、触手の一本が彼女の頬を這い上がっていくのがカイルたちから見えた。カイルは舌打ちし、ますます険しい表情になった。娘は体を大きく仰け反らせると、腕を大きく振って、司祭の体をふたりに向かって投げ飛ばした。カイルはそれを避け、レイスは全身で彼の体を受け止めた。

「手当てを頼む」

 カイルがレイスに言った。レイスはうなずきながらも、すでにポーチからあて布と包帯を取り出して応急処置を始めていた。

「抜剣する!」

 カイルが背負った大剣に手をかけ、鞘から引き抜いた。拳ふたつ分の幅、腕よりやや長い大きな刃を持つ聖剣の切っ先を、カイルは目の前の、邪剣に寄生された娘に突きつけた。

「あの娘はすでに頭まで乗っ取られています。助かりませんね」レイスが残念そうに言った。

「わかってんだよ!」カイルの口調には苛立ちがあった。

「悪く思うな!」

「クソ聖剣師かぁ! 来い!」邪剣が叫んだ。

 カイルは叫び、身を低くして突撃する。邪剣も身構え、腕と一体化した剣をつきだした。

「オォっ!」

 カイルが雄叫びをあげ、斬りつけた。邪剣はそれを刀身で受けた。硬質な音が響き、礼拝堂全体に反響した。

 レイスはオズワルド司祭の手当てを終えた。すると司祭がうめき声をあげ、目を覚ます。レイスは彼に言った。

「あまり動かないでくださいね。動脈はギリギリ外れていますが、それでも危ないです」

「あぁ……彼は……」

「今戦ってます」 

 レイスは顔を上げ、前方を見すえた。司祭も朦朧としかけている意識のなか、その視線を追った。ふたりの視線の先では死闘が繰り広げられていた。

 邪剣の放つ、目にも止まらないほど素早い斬撃を紙一重でかわしつつ、一瞬の隙をついて攻撃をしかけ続けるカイルの姿がそこにあった。

(速い……!)

 娘の脳を乗っ取った邪剣は、カイルの攻撃の鋭さと正確さに驚嘆していた。邪剣はじりじりと追いつめられ、このままではいずれやられるということを確信すると、右腕だけに這わせていた触手を娘の体内を通して左腕にも伸ばし、新たな剣を形成した。

 邪剣が二刀に切り替えたのを見て、カイルは危険を感じて少し距離をとった。呼吸は激しいが、乱れてはいない。目の前の邪剣は娘の体の隅々にまで触手を伸ばし、いよいよ異形の怪物になりかけていた。カイルは侵食が進むほど邪剣の脅威が増すことを知っていたので、一気に勝負を決めることにした。

 カイルは剣を構えなおし、つぶやいた。

「燃え上がれ」

 すると奇妙なことが起こった。カイルのかまえる聖剣の剣身が橙色の光を放ちはじめ、その周囲の大気が揺らぎ始めたのだった。光はますます強さを増し、礼拝堂を昼間のように明るくした。カイルは叫んだ。

「太陽の剣『トワイライトブレイド』!」

 剣身が異常な熱を放っていた。周囲の景色は陽炎にゆらぎ、剣身に触れた、宙を舞うゴミはすぐさま発火した。その熱は離れたところでうずくまるレイスと司祭のもとまで届いていたが、カイルだけは汗ひとつかいていないのが、司祭にはふしぎだった。

「それが聖剣の機能か……!」

 邪剣は聖剣の放つ輝きを目の当たりにし、明らかに怯えて萎縮していた。後退しようと窓に近寄ろうとするが、そのとき連続した破裂音がして、出血しながら大きくのけぞった。

 破裂音はレイスのところから発せられたものだった。彼は片手に、今まで腰に提げていた奇妙な金属の道具を掲げている。道具の先端の小さな穴からは白煙があがっていた。

「『ガン』を撃つのは久しぶりでしたが……」

「ナイスだレイス!」

「拳銃かぁ! こんな時代遅れのぉ!」

 体勢を立て直した邪剣はそう叫びながら、『ガン』から放たれた弾丸を傷口から吐き出した。

「いくぜ……!」

 カイルが剣をかまえて再び邪剣に突っ込んだ。邪剣は横に薙がれた刃を、身を引いて避けようとしたが、避けきれず、剣の切っ先が腹に深々と焼けただれた傷を残したので、床に転げてしまった。カイルはそのチャンスを逃さず、彼女の前に立ち、大上段に剣を振り上げ、ふりおろした。

 邪剣は聖剣の刃を、両腕の剣を交差させることで受け止めようとしたが、無駄だった。受け止めた瞬間からその部分が焼けただれ、肉が炭化し、ボロボロに崩れたのだった。光輝く聖剣の刃は両腕を粉砕し、頭部に食い込み、娘の体を燃やし尽くしながら胸まで真っ二つにした。

「貴様ぁああああああああっ!」邪剣は断末魔をあげた。

「……じゃあな!」

 炎に包まれた娘の体から剣を引き抜き、カイルは後ろに跳んだ。そして刃の輝きを一瞬で無くすと、聖剣を鞘に納めた。

 少女の体は激しく燃え盛り、苦痛のあまり礼拝堂の真ん中まで這いずったが、そこで動かなくなった。堂の中は生き物を焼いたときの悪臭と黒煙が充満し始めていた。カイルとレイスと司祭は急いでそこから逃げ出した。火は礼拝堂の床から長椅子、木の柱へと燃え移り、やがて教会の建物全体へと燃え広がった。

 騒ぎに気づいた街の人々が総出で消火活動を始めていた。火柱となった教会は街全体を照らし、その明るさは、まるで太陽が落ちてきたかのようだった。




 翌日の早朝、まだ熱気の残る焼け跡に立ったカイルは、もはや原型を留めていない少女の遺体を見つけると、その胸元からすっかり黒ずんだ金属の破片を拾い上げ、持ってきた瓶の中に放り込んでかたく蓋をした。

「見つかりましたか」

 遅れてやってきたレイスが声をかけた。

「ああ」

「見せてください」

 カイルは瓶をレイスに投げ渡した。レイスはそれをまだ低い位置にある太陽に透かし、中の金属片を確認した。

「たしかに、『邪剣の欠片』ですね。これがあの娘に取り憑いていたんですね」

「なぁ、そのことなんだけど……」カイルが言った。レイスは瓶を懐にしまいながら返事をした。

「あの娘が邪剣だったこと、隠せないかな」

「はい?」

 レイスが意外そうな表情をした。

 カイルはレイスに向きなおって言った。

「あの娘には母親がいるだろ? 子どもが邪剣にとりつかれていたなんて、みっともねぇ。だから……」

「あなたもそういった気づかいができるようになりましたか」

 レイスがカイルに近づいて、頭を撫でた。カイルはその手をうっとおしそうにはじいた。

「こっちは真剣にはなしてんだぞ!」

「ご心配なく、もう町長にお願いしてありますよ。邪剣に取り憑かれていたのは礼拝堂に住んでいた流れ者だってね」

 言いながらレイスはにっこり笑って、カイルの前の娘の残骸を指差した。

「でも、もうあの娘は戻ってきません。殺したのはあなたです。それを忘れないこと。聖剣師の義務です」

 神妙な顔でレイスは言った。カイルはまた娘の残骸を眺め、憂いのこもった瞳を伏せた。

「当たり前だ。それを認めないなんて、みっともねぇよ」

 カイルの言葉を聞いて、レイスはうなずいた。

「それでよいのです。……ああそうそう、あの司祭のことですが」

「そういえば、大丈夫なのか?」

「半年ほど安静にしておけば快復するそうです。それと、彼はかなり早い段階で彼女が邪剣であると気づいていたそうですよ」

 レイスは言いながら、娘の死骸から背を向けて歩きだした。

「へぇ、そうだったのか」

 カイルも彼に並んで歩きだした。

「自分の良心との決着がつくまでに、三人も余計に犠牲が出てしまったそうです。自ら年頃の娘を殺す汚れ役を買って出ようとしていたなんて、聖職者の鑑ですね」

「じゃあ、あの時の言葉も?」

「言ったとおりだったみたいですよ。そのための剣の不法所持と、通報の遅滞は、まぁ見逃してあげましょうか」

「……なんだか、どいつもこいつも、見た目と中身が全然違うんだな……」

「見えているものだけが真実なら、この世はもう少し生きやすいですよ」

 レイスは笑った。カイルは笑わなかった。

「町長が邪剣退治のお礼を言いたいそうです、あとで寄りましょう」

「ひとりで行ってくれ」

 カイルは足を止め、もう一度焼け跡をふりかえり、ひとりごちた。

「邪剣は一本残らず滅ぼしてやる……!」


 人に寄生する邪剣。

 邪剣に立ち向かう聖剣師カイルと聖職者レイス。

 彼らの旅と戦いは続く。 


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