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30年前はみんな若かった

作者: うすだあけみ

祖父の時代は牛馬のように働いて寝るだけの毎日で、父の若い頃はこの楽ではない生活に、鉄砲を担いで死んでこいと強制された時代だった。これに比べ戦後の経済成長に現れた世代は、日本史上まれな幸運児で、寝る時間を削って遊ばなければならなかった。日本が戦争に負けてアメリカの子分になったら、車も音楽も女のブラジャーまでもアメリカ並になって、以前より楽しい生活を送れるようになったのである。秋田のケチな同族会社が東京の大会社に乗っ取られたら、かえって社員の給料が上がったというようなものだ。これがもし別の国の子分だったら、今ごろ牛馬のように働かされ、鉄砲まで担いでいたかもしれない。

昭和30年中頃までは一日の稼ぎと清酒一升の値段が同じくらいで、酒飲みの家はみんな貧乏だった。ところが、東京五輪から大阪万博、そして石油危機を克服した昭和50年代に入ると労働者の賃金も飛躍的に伸び、国民の大部分が家族を養ってもまだ余裕があるという生活を送ることが出来ていた。分不相応な贅沢をしない限り、衣食住を賄っても使い道の自由なお金が残るというのは、その多少に関わらず幸せなことだ。

この余裕は行楽にも向けられ、この当時、男鹿温泉も八幡平もどこの観光地もみんな賑やかで家族連れのマイカーで混雑していた。家族を連れて山の温泉に出掛けるのは楽しく風呂上りのビールは格別だった。また、旅先では思いがけない幸運にも巡り合ったものだ。玉川温泉での深夜、僕は酔いを醒まそうと混浴に降りたところ、なんとそこには、背中を向けた黒木瞳がたった一人で湯に浸かっているではないか。僕は驚いたが持ち前の平常心でカレイのように泳ぎ寄り、ペンキを塗る刷毛のような滑らかな指で、湯に隠された女優の体をまさぐると、黒木瞳は生ぬるい目でこちらを見ながら「う、うーん、い、た、い」と僕をやさしく叱ってくれた。もちろんこんなことは嘘で、この先、鶴や亀が万年生きても無いに決まっている。でもこれと似たような幸運は本当にあった。映画マタギの撮影で桜田淳子が五城目の赤倉山荘に泊まっていたのだが、図らずも僕がここを訪れると、なんと淳子が鍵を掛けて男湯を独占しているではないか。僕は彼女が湯から上がったと知るやいなや、浴室に走って中から錠を掛け、まんまと桜田淳子の二番風呂を頂くことに成功したのだった。そして、ひとりで淳子の香りに包まれながら、淳子の痕跡を追い求め、何かないかと湯に頭を沈ませ念入りに探索したものだ。おそらく、純粋な秋田のアイドル歌手の女優がこの話を聞けば、あそこには変態がいると二度と赤倉山荘には来ないだろう。


不謹慎な話はこれくらいにして真面目にいこう。さて、男は生活に余裕ができると外に女をつくるものだと石器時代の昔から言われている。単にスケベエだからであるが、人間も繁殖欲の動物である以上これから逃れることはできず、道徳や社会規範に縛られながらも異性への興味は死ぬまで衰えないだろう。したがって永い夫婦生活には、男女の区別なく間違いも起りうるのだと、ミャンマーの平和主義者アエン・トーチャン・ゴメンチャイン女史はその著書のなかで述べている。さらに女史は「知って得した配偶者控除、知らずに得した夫の浮気」と軍事政権下の将軍をつかまえ、バレないのが家庭平和の基本だと、常にやかましく説いているそうだ。

それはともかく、浮気がバレたら何処の妻も「このドスケベ、家から出ていげ!」と大騒ぎするが、男にも言い分がある。「そもそもお前のような何の取り柄もない馬鹿女と一緒になったのは、あの夜の俺がスケベェだったからで、スケベェだったから今があるのではないか」などと反論しようものなら、火に油どころか、中国とアメリカが組んで尖閣諸島に上陸して来るようなものだ。この際ついでに言わせてもらうと、結婚記念日を忘れたと男をなじる妻がいるが「俺が、俺の結婚記念日を忘れてどこが悪いのだ。再婚した俺の友達なんか、離婚した前の妻との結婚記念日に、今の妻へ花束とシャンパンを買ってきて、怒った妻からシャンパンのビンで2年連続頭を割られたのだぞ」

収入が増えたら余裕は子供や家庭の将来に回すべきだが、男の宿命がそれを許さない。若美福川の百姓に嫁いだ姉はピンピンしているのに「僕が高校2年のとき白血病で死んだ姉と君は似ている」とか、家では妻に頼り切っているくせに「僕の結婚は失敗だった、妻とは来年別れる」などと嘘八百を並べたて女を口説くのは男の常とう手段だ。女も中学生のオボ娘であるまいし、そのスケベェのみの下心は十分承知であるが、取りあえずは結婚を急がない女の退屈さから、絶対に再婚などしないと決めている女の淋しさから、いやそれよりもまた、加山雄三のような爽やか(さわやか)な男だったら誘われて悪い気はしないはずだ。妻子ある男にだけは騙されないと日頃から砂で固めている警戒心が崩れ始め、そしておよび腰の、この腰に裏切られる予感に胸を熱くもするのだ。こんなとき男は焦ってはいけない。夏の風、山より来たり、三百の、牧の若馬、耳ふかれけり、という与謝野晶子の短歌でもないが、常に初夏の風になって女に近付かなければいけないのである。決して愛欲のドロ沼に引きずり込むどう猛なワニの姿を見せてはいけないのだ。

モテない男は普通、島田陽子のような美人に振られる度ごとにハードル下げ、挙句の果てに田嶋陽子みたいなワニも喰わない女で妥協する。そして土崎のラーメンとん太に必死で誘い、その帰りの運転は女を降ろすはずの追分を時速90キロで素通りし、国道から細い道にそれて出戸浜のモーテル街まで来ると、頭から脂汗をたらして黙り込み、気が付けば時速14キロで走っているものだ。何もせずに女への卑しさを曝け(さらけ)出しただけで、結局ワニも喰わない女にも見下げられて終わるのである。しかし、モテない男の方が人生安泰なのかもしれない。ときめいた出会いの嬉しさを帳消しにする別れの辛さなら儲け物ので、女と別れたその晩に妻にも逃げられたという話は珍しくないからだ。

不倫などは所詮、男鹿駅止まりの男鹿線に乗ってその先線路のない能代に向かうようなものではないか。出戸浜の松林で存分な愛欲を愉しみながらも、デート浜駅から朱色のデーゼルカーに乗ると、火遊びに疲れた男の目には二田駅の字が負担だ駅に見えてくる。遊ばれている境遇に疲れた女は、私はいったい何をやっ天王と思いながら細い鉄橋を渡り、ふた腰(船越)三腰がん張られた自分を悔やんでいると、脇本駅の看板が浮気本駅と読めて悲しく、出口の見えない暗いトンネルを抜け、寒風吹きさらして木も生えない山の裏側の駅に、男を残してひとり降り立つと、急に足元から凍える寒さに襲われ、よく見るとここは裸足駅(羽立)だった。

付き合い初めの貴方は、船越の麒麟亭で2500円の松御膳を二つ頼み、先に食べ終えると無理をして「僕はメロンなどのウリ科が嫌いなんだ」と私に伸べてよこし、おもむろにセブンスターに火を付けながら「隣のジョイフルシティに桃色のカーディガンなんか飾っていたけどさ、きっと知的な君の休日ホリデイに似合うと思うよ、14980円なんか僕の金銭的環境にとって犬のクソみたいなもんだよ」なんて言ってくれた。ところが昨今のテメエときたら、アパートへ勝手な時にやって来て、目的さえ終えればろくに話もなく、冷蔵庫の中で冷えている私のビールを勝手に飲んで、とっととっとの鳥取県で帰ってしまう。この間、来られるのが嫌で電話に出ないでいたら、呼び出し音が止んですぐにドアを叩く音が聞こえたけど、どうせ部屋の窓の電気が見える近くの公衆電話から掛けたのだろう。部屋に入れると「留守かと思ったがなあ」と首を傾げているのだ。以前は誘われなくても付いていったのに、最近は誘われても5回に4回は理由を付けて断っていた。すると「農協も農繁期で忙しのだなあ、君のそのキャリアウーマン的なところが魅力だね」などと納得しているのだ。仕方なく誘いに応じて逢うときはオシャレなど面倒臭い、これから畑の草取りにでも行くような農業の服装で現れてやる。それでも「君のカジュアル衣料も色っぽいね」と言い、空気どころか毒ガスも読めない男なのである。

私は竹内まりやの歌の中で、ホームという、冷蔵庫の中で凍りかけた愛を、温めなおしたいのに、見る夢がちがう,着る服がちがう~という曲と、ステーションという、夕暮れの駅、見覚えのあるレインコート、黄昏の駅、胸が震えた…、昔愛したあの人なのね~の曲が大好きだったけど、あれは貴方との愛が順調だったからこそ、破局を向えた他人への憐み(あわれみ)と優越感で心地よく聴けたのだ。今なんかあんな歌のテープは束にして、砲丸投げで隣の畑の向こうの、曇りの空にぶっ飛ばしてやりたい。

付き合い初めの君は「奥さんじゃなく、貴方の軍手と靴下は私に選ばしてね」などと言ってくれた。たまにアパートに泊まる僕のために、お揃いのスヌーピーのパジャマまで用意してくれ、それはそれは女のひた向きな愛が、ビールの泡がグラスを超えるようにたくさん溢れていたものだった。それが昨今の貴様ときたら、前々から溜まった灰皿の吸い殻がそのまま山を作っているし、さらにビールをこぼしたあの時から洗濯してないスヌーピーを着せやがって、いったい何と思っているのか。こちらもデートで出費が多いのだ、ビールぐらい冷やして置いてもいいだろう、この砲丸投げの選手めが、と思うのである。 

互いの緊張から口も利けなかった愛の始まりの日々、季節に合った艶やか(あでやか)な洋服を着こなし、完ぺきな化粧で君は僕をもてなしてくれたものだった。この間、トヨタクレスタの新車を繰り出し、初めて行った青森十二湖の青池などをまた一緒に見て、さらなる愛を確かめようと誘ったのに、さんざん待たせたあげく、アパートから出て来た貴様ときたら、畑の草取りでもしたいのかトレパン姿で車に乗り込んで来たではないか。青森の十二湖まで走るのが面倒になり、近い大潟村まで行って青子の繁殖で緑色に濁った八郎潟残存湖の、水質浄化に役立つという芦の生育を確認しただけで女のアパートに帰ったものだ。しばらく話もなく座っていたが、そばに寄って上下のトレパンの下のゴムに手を掛けると「なにするこのドスケベ、傍に寄るな!」と肋骨が砕けるほどの力道山の空手チョップをくらった。僕はこれまでにない突然の剣幕に驚いて部屋から逃げ出したものだった。  


一般に別れ話になると男は女のことが気になって仕事が手に付かなくなるものだ。あの女、好きな男でも出来たのではないか。最近の冷たい態度はそのせいだ。男は今までの己の我儘や家庭のある立場を忘れて勝手な妄想を抱くものである。そして普通は、逃げる女を追い掛けて大怪我をするものだ。

女に高い買い物をするのは口説き落とす最初と、別れ話のときとされる。出会いのときに恰好を付けるのはいいが、たびたびの別れ話に連続して女に大金を使うのは、朝ドラの花子とアンの中間由紀恵に高価なプレゼントをする炭鉱王なら屁でもないが、普通の月給取りには無理がある。非一般例として、億単位の使い込みや横領の陰に愛人の存在があったとはよく聞く話だが、男と女に限らず無理を承知で相手に貢がせるのは愛情より金銭が目的なのだから先が見えている。こんな相手は逆に騙してやるべきだ。「あと2年半すると五城目のオヤジが死んで3800万円の山林遺産が入る、それまで辛抱してくれ」と出す金は巧みに先に延ばし昨日今日のスケベィを満たすべきだ。また「運輸省に勤める私の兄が保証する日航JAL株は来年3倍になるのよ、そしたらトヨタのセルシオを買ってあげるわ。だから今だけ私に50万貸して、愛してるわ、あなたとっても好きよ」などと嘘八百をまくし立て、元来はヒモを自称する文無し男からナケナシの金を巻き上げるのもいい気味だ。しかしこんな仲は普通に考えて空しい。非一般例に登場する男女は、だいたいにおいて狸と狐の世界なのだ。

空手チョップをくらったこの男は、目の前から籠の鳥が逃げてもその辺を見るだけで探し歩くこともせず、黙って戻るのを待つという悠長な性格だったため、特別な行動に出て転ぶこともなかった。待つというのは徳川家康の鳴くまで待とうホトトギスの大物の余裕ではなく、悠長というよりただ拒む者への気おくれからだった。どっちにしてもこの場合、三船敏郎の真似で男は黙ってサッポロビールを飲んでいればいいのだ。あえて後悔をいえば、鈍感にも女の変化が示していた信号を全く読めなかったことだ。その点は、すまねえ、すまねえ島根県、心から青森ますと思っている。あの日、気楽なトレパン姿でいたのは、きっと生理日だったのでは、とこの男は反省するのである。

拒む者への気おくれとは臆病者の所業だが、100%正直な理由でもない。好みの島田陽子や黒木瞳の美人だったら情熱を燃やして追い駆けていたかもしれない。それも有りだが、肝心なところがこれも違うようだ。男女の世界は容姿も確かに否定できないが心の繋がりも肝心だ。たとえば二人で田舎道を歩いていると、どうでもいいような変わった光景を目にし、互いに目を合わせるだけで、その些細な驚きの共通を確かめ合える、そんな言葉のいらない微笑ましい仲はいいものだ。冷たい女は旅先の小道を二人で歩いていても、男が犬の糞を踏んで慌てるのを見ても冷ややかで、小川のせせらぎに足を洗う男を待たず先へ進むものだ。またさらに地獄女は、アパートに入ってくる男の手に、今日はビールや果物、タコ焼きなどのおみやげが無いのを見た瞬間、テレビのニュースから目を離さず、ろくに口も利かないのである。男は日がたつ次第それらを思い、妻の優しさが身に染みて分かってくるのだ。

一方、女はあれから連絡がない男に安心したが、すぐに面白くなくなった。男には帰る家庭があって、自分にはない。こちらから振ってやったのに何か捨てられた思いになってくる。あの男の奥さんはどんなにマヌケ面かと思ったら、意外にも美人だった。酔っぱらった時に、追分農協の近くの建築会社の事務所で一人机に座っていると、奥さんの仕事のことを漏らしたことがあった。お昼休みにそれとなく盗み見に行くと、やや太り気味の体形に、面長な顔のきりりとした目が利口そうで、ふっくらとした頬に色気を漂わした美人だった。ひょうたん顔のブスだと聞いていたがとんでもない。嫁は隣の家から貰ったというが、お人よしの馬鹿のくせに、むかしから隣の娘に目を付けていたのだろう。女に油断のないスケベェ男なのだ。

こんな時、映画の風天の寅さんに誘われるまま柴又帝釈天のとら屋を訪ね、妹のさくらさんに温かい歓迎を受けたらどんなに気が晴れるだろうか。そうだ旅に出て、心の温かい人々に囲まれた安らぎに憩おう。女は薄桃色のガードルや新しいパンツを鞄に詰めて出発しようとしたが、ふと考えてやめた。所詮みんな他人なのだ。どこの世間に優しさに包まれた憩の場所などあるものか。男はつらいよ、の映画をよく見てみろ。映画の最後には毎回、寅さんを振った女とその関係者が正月またはお盆に柴又のとら屋に来て歓迎され、末永い仲良し関係がこれから始まるようにしているが、普通に考えて、前回、またそれ以前に登場して仲良しになった者達もやっぱり、盆正月には心の温かい妹のさくらさんに歓迎されると思って柴又のとらや屋を訪ねているはずだ。いったいその者達は何処にいったのか。考えるに妹のさくらの奴、以前の者どもが来たら最初とは全く別の顔で「また来たのですか」と追い返しているのではないか。  

ふた月経って、アパートにも職場の農協にも男からの連絡はなかった。また付き合ってくれという男の哀願の声は聞けなかった。よりを戻す気など更々ないが、これで終われば負けのようで、28の歳まで結婚もせず農家の組合員と日本の農業経営に頑張ってきた私の人生に水たまりの穴を残すようで悔しい。それも加山雄三のような爽やかな男だったらまだしも、あんな短足アンデス人で、簡単な話も恰好を付けて難しく言う男などに食い逃げされてたまるか憎らしい。もう一度あのペンキ屋をギャフンと言わせてやりたい。だから早く電話をよこせ。夜の12時までは必ず起きている。青森の十二湖にまた行きたい。農協にはなるべく電話しないでと言ってたけど、この際は仕方ない。28歳独身をおぼ娘と思って、夏目雅子ほど美人でないが、テメエ隆男の野郎ナメタライカンゼヨ。早くこの女王様に跪いて命乞いをしてみろ。そしたら少しは考えてもいい。と追分農協職員の奥山里子は思案するのであった。


隆男の親方は、ペンキ屋は儲からないと言いながら突然日産シーマを買った。昭和61年発売の高級セダン日産シーマは600万円もし、この不景気に誰が買うかと言われたが、発売1年で36700台の売上げを記録し世間を驚かせた。日米貿易摩擦による輸出自主規制、イラン革命による原油高、ドル円相場の円高推移と、昭和50年代初頭からの構造不況がつい昨日まで連日報道されていたため、世の中にそんな金持ちがいるはずないと庶民の誰もが思っていたからだ。実は都会の地価と株式の値上りが引き金となり、後にバブル経済と呼ばれる好景気がすでに始まっていたのだ。徐々に地方の秋田県にも波及しそれぞれの会社も忙しくなっていたが、賃金にはまだ反映さていないこともあり、一般的な認識はまだ薄かったのである。

ここでバブル経済の話を少し。昭和60年、強いアメリカのおかげで一番得をしてきたのは子分の日本だから、ここで親分の借金を軽減してやれと先進国じゅうから言われ、やむを得ず円高誘導の国際政策を承知したプラザ合意で、円は1ドル250円から150円になった。借金大国アメリカは一息ついたが、日本の輸出産業は大打撃を被ることが予想され、日銀は景気低迷を避けるため低金利政策を実施した。すると資金量の豊富な企業や個人は預金よりも土地や株式に投資し、これらの値上がりが空前の勢いを見せると、消費意欲に火が付き、日本にかってない好景気をもたらした。この不動産や証券などの値が実勢価格を異常に超えて起る狂乱景気の現象をバブル経済と呼んだ。また、限定された地域に空から降って来たような大金のおかげで起った特定域の好景気を単にバブルと言うようにもなった。

バブルといえば、経済界から天王町の塩口羽立と大崎の漁師がなんと史上2回もこのバブルを味わったと注目されているそうだ。八郎潟干拓の補償金バブルと、水門を超す台風の高潮でシジミ貝が異常繁殖したシジミ貝バブルの二つだ。いまでも防潮水門を開いて旧八郎潟の残存湖に海水を入れて欲しいと潟の漁師と天王町民は叫んでいるのだが、大潟村の事情もあって実現していない。大潟村はその誕生から米余りの原因となり日本の農業に多大な迷惑を掛けて来たのだから、少しは世の中のために我慢してくれてもいいのではないか。

文化庁では白神山地の世界遺産登録からいい話がないので、干拓事業で不漁になった青子の八郎潟、誰もいない誰も行かない秋田北空港、そして土崎港のセリオンと天王グリーンランドの猿も登らない2本のタワーをひとつにして、世界三大、負の遺産に登録しようと議論している最中だという。誰でも思うことだが、選挙で選ばれた偉い人が集まって話合うとなぜ不必要な物が次々と出来るのだろうか。みんな本当は馬鹿を選んでいるのではないか。

馬鹿を選ぶ馬鹿をこえる馬鹿はなし。どうでもいいがさて、塗装工井上隆男君は親方に影響されてトヨタクレスタの新車を60ヶ月ローンで買った。この車はかつてのスカイライン2000GТと同じく寝てても売れるドル箱といわれ、みんな欲しがったものだ。ちなみに世界一売れなかった車はいすずフロリアンという高級セダンだそうだ。ある人がこの車に惚れたが新車は買えないので中古にしようと思い、1年も2年も待てず発売6ヶ月してからいすずの営業所を訪れて「すみませんが、フロリアンの中古はありませんか」と訊いたところ「すみませんが、その車は新車がまだ1台も売れてません」と答えたという。

新車クレスタで家族と温泉に行くのもいいが、愛人を乗せて隠れたドライブも最高だろうと隆男が里子を誘った迄はよかったが、なんとその日に喧嘩して別れてしまった。悪い事は重なるものだ。出掛けに妻の秀子にはカモメパチンコに行ってくると嘘を付いて二田の家を出たのだが、追分の里子のアパートから家に帰ってしばらくすると、妻が「パチンコの他に何処さ行ったんだ」と訊いてきた。「何処さも行ってねえ」と答えたが不安でいると、夜寝る前に「どの山通ってカモメパチンコに行ったもんだか」と呟く(つぶやく)のには隆男もかなり怖くなった。翌朝仕事に出ようと車に近づくと驚いた。後ろのバンパーの下から草の帯が4mも伸びているではないか。おそらくは大潟村の湖岸の草むらでつる草を引っ掛け、それを知らずに家まで引きづって来たのだろう。妻の秀子はしっかり見たはずだ。これではまるで、アランドロンの映画、太陽がいっぱいのラストシーンではないか。この映画を知らない今の人のために説明する。友達のフェリップをヨットの上で殺して海に投げ、完全犯罪を目前にしたアランドロンのトムだったが、犯行現場のヨットを売ろうと陸に揚げたところ、船尾にからまったロープに引きずられたその先にフェリップの死体があった、という1960年の映画だ。


井上隆男と付き合った奥山里子は、結婚は男尊女卑の根源であると主張する家事の嫌いな28歳独身の農協職員だった。自分はただの事務員ではなく営農指導員として日夜勉学に励み日本農業の将来を見つめているのだと口にするが、組合員の身近な相談相手であることをよいことに、家事と子育てをしながら過酷な労働にも耐える農家の嫁たちの現状を見るにつけ、週休2日の導入、時間外手当の支給などの権利を姑親に要求しなければいけないと嫁たちに吹き込んでいた。このため農家から、拝み倒してやっと見つけた息子の嫁が指導員のせいでコノジョからぽ病み(最近働かない)になった、という苦情が農協に殺到しているという。 

上司である畠山耕たがやす課長は奥山里子をつかまえ「営農指導とは、組合員の向上を図るもので、田と畑を隈なく回って相談にのり、また土地に合った新しい作物の導入を巧みに勧め、必要な資金と資材は我が農協が必要以上にこれでもか、これでもかと提供するのだよ」と言いながら、経済連の宣伝用ポケットティッシュで鼻をかみ「組合員の文化生活と農業の機械化のために、春にはトラクター、夏には生命保険、秋には家電、冬には背広と、職員に促進月間を設けているが、営農指導員はこれらの促進が成功するよう側面支援を担い、組合員の幸せと発展を目指すのだよ。お前のように農家の嫁をただ生意気にするのは、嫁は角の無い牛だという日本古来の伝統をないがしろにする以外の何物でもない。分かるな、里子君よ」と注意を続けた。「でもたがやす課長さん、女には大事な仕事があるわ。それは子供を産み農家の貴重な後継者を育てるということです。女にしか子供は産めないのよ、世の男たちはもっと女を大切にしないとダメだと思います」「それはそうだ、でも男がいてはじめて子供が出来るのだから、もっと里子君は男を大事にしないとダメだね」と上司のたがやす課長は里子の反論に応え、また経済連のティッシュで鼻をかんだのだが、今度は鼻穴の下に鼻クソを残しながら「ああもしかして、独身の里子君は男との楽しい夜の生活の、その行為を知らないのではないか。クリントン大統領も石田純一も、たとえ評判を落としてもこの愉しみ(たのしみ)を追い求めているが、子供を製造する淫ら(みだら)な現場の、明日と昨日の時も忘れる悦楽の海に、君は沈んだことが無いのではないか」「でもたがやす課長さん、鼻クソを付けた顔で男女関係を論ずるのは似合わないと思います」

この日里子はアパートに帰って無性に隆男に逢いたくなった。淫らや悦楽の言葉をたがやす課長から聞いて体が淋しくなったのだ。もしかして、隆男と初めて会った追分駅前のスナックに、あの日みたいに隆男がひとりで飲んでいるのではないか、と思い里子はシャワーを浴び、しまむらの秋田県的な高級下着を身に付けてそこに向かった。スナックに一人で入るなど生まれて初めてのことだった。 

もう1年前、飲み会の流れでたがやす課長に連れられて課のみんなで来たとき、隆男はカウンターで飲んでいたのだ。里子は課の連中の話に退屈してカウンターの方へひとり移り、新しい生ビールを注文して座ると、隣のアンデス人のような男が難しい話をママや店の女の子に聞かせていた。「松尾芭蕉の、あかあかと、日はつれなくも、秋の風、という有名な俳句は季節が秋というより秋に入る前の残暑の句であるのだ。学校で歌う、菜の花畠に入日うすれ、見わたす山の端、霞ふかし、春風そよ吹く~の歌は題名をみんな菜の花だと思っているが、これはおぼろ月夜というのである、のだよ」などと誰も興味のないことを勝手にしゃべっていた。そして周囲を白けさせたと気づいてか、今度は話題を変えて「僕は東京の方で長く暮らしたけどさ、秋田の人は言葉使いに気を付けなければいけないね。猿の惑星の映画を丁寧に言おうと気を使って、お猿の惑星と言ったらチャールトンヘストンがただの猿回しに見えて迫力に欠けるから、何でも(お)を付けるなと叱られたよ。それはそうだ、時代劇の子連れ狼を、お子様連れ狼と言ったら、真剣勝負に幼い子供を巻き込む緊迫感が台無しになって、妻に逃げられた萬屋金之助が市役所に行き、母子手当があって父子手当が無いのはおかしいと、福祉課職員に噛み付いている悲壮感しか伝わってこないからね。そもそも日本語は難しいのだよ。お盆に弟家族が帰省して笑顔の兄嫁から「来たのですか」と言われれば歓迎の言葉だが、たとえ笑顔でも「また来たのですか」と言われれば、弟は仕方なく今日は泊まっても、明日は夜明けの5時の汽車で帰ると思うよ。そして親の葬式まで二度と来ないと思うな」とひとりで延々と喋っているのである。里子の周りでこんな話をする者は今までいなかった。この夜に、この男に興味を持って話をしたのが隆男との付き合いの始まりだった。

里子が向かったこの夜、店は暇なようでボックスに中年の男女ひと組しかいなかった。二人はどういう関係なのか、女の方が小林明子の恋に落ちて、と椎名恵のラブイズオール愛をきかせて、の曲をカラオケで続けて歌った。この2曲はどう考えても不倫の歌だ。里子が和洋高校のときの生徒憲章に、他校男子との交流は清潔を保ち不純な異性交遊をしてはいけないとあり、そんなことは女として当然の事だと心に決めていた。職人、特に大工の車には必ずある大川栄作の、愛しても、愛しても、ああ人の妻、というこの歌はさざんかの宿だが、現代社会にはこのような不倫に味方する流行歌がまん延している。この現象は太古の昔から大和撫子が営々と築いてきた貞操観念の崩壊であり、自由で放漫なアメリカ文化がもたらした弊害以外の何物でもない。日本人は再び古来の魂に立ち帰り清く正しい男女関係を取り戻さなければならないのである、と奥山里子営農指導員は、己の所業を棚に上げ、現代社会の逸脱した風紀を衷心より危惧するものであった。 

人は、特に女は不思議だ。自分は男鹿半島で一番男にだらしない女なのに、いざ他人の不倫話になると、船川文化会館で2000人の聴衆を前に講演するくらいの勢いでしゃべ歩くものだ。またオレオレ詐欺の会社の忘年会でも、犯人の奴らが県会議員の政務調査費のあり方は税金の無駄使いだと怒りながら酒を飲んでいたという。またまた、アデランスのハゲのくせに、シクラメンのかおりを歌う小柄な布施明は上げ底の靴を履いていると笑っていた。

それはどうでも、恋に落ちての「もしも願いが叶うなら、吐息を白い薔薇に変えて、逢えない日には部屋中に飾りましょう、あなたを思いながら~」そして、ラブイズオール愛をきかせての「誰だって弱いから愛されたいわ、いつだって温もりが欲しくなる、だけどあなた以外の人は愛せないから~」などと聴いていると歌はいいものだと思う。そうだ、久方ぶりに今夜は竹内まりやの曲を寝ながら聴こう、いや、あれは腹が煮えくり返って、隣の畑へ砲丸投げでぶっ飛ばしてやったのでもう無かった。嫌なことは忘れて今は生ビール相手に隆男との楽しかった想い出にひたろう。最初に誘われた土崎のラーメンとん太のネギ味噌の味、帰りのモーテル街で焦る隆男のマヌケ顔の可笑しさ、十二湖の新緑のなかで初めて交わした接吻、自分でも好きなメロンを私に残してくれた優しさ、塗料の香りと共に部屋に入ってくる隆男の凛々しい(りりしい)仕事臭さ、今度現金で200万円のトヨタのクレスタを買うと張り切っていたあの姿。 

そんなことを思い浮かべて目に涙を滲ませ(にじませ)ていると突然「里子君、めずらしねが、こんた所で」という声がする。見ると、いつ来たのか隣に上司の畠山たがやす課長が座っているではないか。若い時の梅宮辰夫に似ていると自負しているが、里子には森永粉ミルクの缶に描かれているお利口さんの子供の顔を大人の体に載せただけの童顔にしか見えない。課長は何処で飲んで来たのか、かなり酔っているようだ。「今日は悪かった。言い過ぎた点は反省する。ママ、この里子君に生を3杯やってくれ、しかしね、私は君のことを考えて言ったんだよ、それはそれは愛欲の世界は素晴らしいものだ。清純派の宮崎美子も、渡る世間のえなりかずきも、イエスキリストの野郎も隠れてスケベェを絶対しているね。だいたいキリストはパンツ一丁でなぜ木に縛られているんだ。厭らしいじゃないか~」里子はたがやす課長の話を途中で遮って(さえぎって)「悦楽の海に溺れるのは私の得意分野よ、先に帰るけど、なんなら私の部屋に来てちょうだい、朝まで待ってるわ、たがやす課長さん」と言って店を出た。 


アパートの布団に入りながら里子は考えていた。隆男のことではなくもっと古い事だ。悦楽の海が得意分野ではないが、21の歳に赤いトヨタスターレットを買ったとき、10も歳の離れた車のセールスマンに誘われるまま付いていった。それから半年のあいだ色々な目にあった。川反のみやびという高級キャバレーにいって踊ったし、田沢湖の森の中で唇を奪われ、スカートの中に手を入れられた。5月の連休には八甲田山を見て回り、ふもとの奥入瀬渓流まで下りてくると、私の方からこの辺に泊まりたいと言い出した。昭和42年の映画、乱れ雲の加山雄三と司葉子、昭和61年の映画、火宅の人の緒方拳と原田美枝子、彼らが青森側の十和田湖の新緑に囲まれながら、許されない恋に悩み、または愛欲を貪った(むさぼった)この景勝地で、私は女として初めての経験をしてみたかった。

この車のセールスマンは離婚歴のある男で、最初はとっても優しく、この私と結婚してもいいと言ってくれた。仕事を怠ける癖があって、しょっちゅうお金の無心をされるようになりそれが理由で別れた。私と遊んで歩いて大金を使わせたのだから2500円貸したけど、一人で生きていくと決めていた私にとってお金は親よりも天皇陛下よりも大事なものだ。またそして、女の懐を期待する男など犬のクソにも劣ると思うし、天から下りて来て人に迷惑をかける貧乏神様でさえあれはあれで仕事だから、ちゃんと銀河系の何処かから給料をもらっていて、星に隠した女や星雲で待つ家族をちゃんと養っていると思う。でも、どうして私は貧乏神にも劣るあんな男に付いて行ったのだろうか、と里子はまだまだ眠らず想いに耽るのである。

昭和47年、奥山里子は秋田北中学校に入学した。女子中学生の頭の中は朝から晩まで異性のことでいっぱいだ。太陽がいっぱいやエーゲ海の真珠などの映画音楽を聴いて、やがて現れるアランドロンのために朝から鏡を見て美しくなろうと考えているものだ。またそして、フランシスレイの白い恋人たちの曲を聴いては、その調べのなかの白銀世界に身をおき、スキーも速いが手も早いフィンランドのコカンガ・スケンベン選手との熱いキスを夢み、まだ青白い肌を桃色に火照らすのである。この白い恋人たちは、1968年(昭和43年)のフランス開催冬季オリンピックを記録した映画で、映像に流れるこの曲は昭和47年の札幌冬季オリンピックでさらにヒットした。それはいいがしかし、中学生時代の恋愛は運よく美男美女に生まれた者同士の特権であって、その他はみじめな敗北者に終わるものだ。綺麗でない女子は恋の素質がないと諦め、敗北の道より勉強や他の何かに取り組んで、自分なりの元気な生活をエンジョイしようと考えることもあるだろう。

みんな恋愛や恋人の話に夢中になっているが、周囲の同級生たちとは無縁な強い自分でいたいと考えていた私に、陸上部の顧問の先生が「奥山さん、部員の中に適当な砲丸投げの選手がいなくて困っているけども、なんとが今度の市の地区大会に出場してくれねえべが」と声を掛けてきた。中学校の陸上部は可哀想だ。他のスポーツが全く出来ない芸無し技無し生徒が2本の足があれば務まると安易に入部するが、砲丸投げはともかく、練習に毎日励んでも、大会の出場選手は足の速い野球部やサッカー部から連れてこられ、陸上部員のほとんどは補欠と応援団席なのだ。文化祭の演劇でヒロインに抜擢されるのは光栄だが、女のたしなみを学ぶ手芸部の、この私の力強い体格を見て砲丸投げの選手とは情けない限りだ。でもそれより情けなかったのは、初めての練習で気を入れずに投げた砲丸が軽々と遠くへ飛んで、秋田市の大会で本気で投げたら優勝したことだった。砲丸が飛べば飛ぶほど、可憐かれんな美人だけに注目する男子との距離を伸ばしていたのである。

20歳のとき家の物干しから下着が盗まれた。盗まれたのは姉と妹の可愛らしいパンツだけで、私のLサイズと母の年寄りパンツはそのまま残されていた。「よかった、私のは無事で、あラッキー」と言ってみせたが、とても悲しかった。下着泥棒の奴、なんてデリカシーのない奴なんだ、もし捕まったら八つ裂きにしてくれよう、と悔しくて夜も眠れなかった。大げさだと私たち姉妹も父も止めたのに、母は「変態がまた来たら大変困るでねが、これは家の一大事だでば」と大騒ぎし、止めろと言う父を恫喝して警察に届けた。中年の警察が来てくれたが、まさかにも私を疑っているように「では、母親の下着はともかく、貴方だけ被害が無かったのですね、おかしいですね」と不審がり「一応、貴方の下着を拝見させて下さい」と警察が言うので見せると「ははあ、ちょっと大きいようですな、まあ参考までに、これは署の方に預からせてもらいます」と持ち帰ってしまった。後日「貴方のパンツを調べた結果、かなり大形であることが判明し、犯人が手を付けなかった理由が分かりました。もう必要ないので取りに来て下さい」という電話があったが、28歳になる今日まで私は、犯人捜しよりネズミ取りに忙しい追分三叉路の交番に取りにいっていない。

母の迷惑は高校受験のときもあった。私は自分の実力に見合った高校を探していたのに、母は奥山家のオナゴは賢くなければいけないと、父が反対するのを一蹴して、たとえカンニングしても無理な、冗談にも程がある秋田北高校を受験させられた。毒をくらえば皿までよ、どうせ落ちるなら一番有名な高校がいい、そのあと予定通り和洋高校や付属高校に入れば近所の者どもの体裁もよいのだ、という作戦を立てていたのだ。生まれてから死ぬまで貧乏で大金に縁のない男が、バブル崩壊でもともと無い3500万円を株で損したと、近所にホラを吹いて歩くようなものではないか。

そんな経緯で入った和洋高校だったが、女子高校なのが大変良かった。顔のいい女にしかチヤホヤしない男どもが校内にいないのは何と平穏なことか。男が傍に居ない女だけの世界は美人も不美人もなく、可愛らしいとか、色っぽいとかの価値はその意味を失うのである。男が混入すると容姿に恵まれない女への差別が生まれ、これで始まる嫉妬の矛先は顔のいい女への憎悪を生み、果ては連合赤軍派リンチ殺人事件の永田洋子を誕生させるのだ。それは大袈裟だが、とにかく男は面食いのスケベェで、掃除当番を逃げる卑怯者で、トレパンが臭くて、クソを垂れる伝書鳩は中学校に持ち込むし、とんでもない人種なのである。

とはいっても男がいなくて困ることもある。所詮、女は女で宿命的な弱さは否定できないからだ。そんなときは私の出番だった。教育者にあるまじき行為、例えば旅先の階段で女のスカートの中を盗撮する先生や、隣の顔やスタイルが県内トップの敬愛高校との諍い(いさかい)には、口で負けたことのない私が役立だった。また、口でしゃべっても分からない奴らには、千秋公園の石垣の石を取り崩し、専門兵科の砲丸投げで攻撃してやり、顔がいいのを鼻に掛けた敬愛高校の惰弱ケシの女どもを60人も爆死させてやった。

世の男どもは女を征服して君臨し社会を牛耳っていると思い込んでいるが、本当は弱虫で女がいなければ何もできない生き物なのだ。私の家が金足で4町歩の百姓を存続してこれたのは代々女系だったからで、祖父も父もみんなお婿さんだ。男にカマドを任すと三代で滅ぶという鎌倉時代からの家訓を守って、家の将来を左右する事柄はすべて女が決めてきた。そのため祖父や父は家の重大ごとには関与せず、ただ流れに身を任して静かにしていれば人生を保証されてきたのだ。私の家族はこんな祖父や父の姿を愛し、理想の男とはこんなものだと教えられてきたものである。

21の歳、私が車のセールスマンに付いて行ったのは、加山雄三に似て顔が良かったのと、おとなしい優しさに魅かれたからだった。遊びに歩いても、何をするにも私の方がみんな決めて、会話も私が口を開くまで黙っているという、まったく意志の薄い男だった。要するに顔のいい男に誘われたのと、その性格が好きだったからなのだ。


里子は自分のペースを人に押し付けながら人に合わせるのを嫌う人間だった。そのため友人に恵まれることもなく、農協の職場でも孤独であった。職員旅行で沖縄に行ったとき、課の連中がホテルの朝食から慌ただしいと思ったら、里子を残してみんな水牛馬車のオプションツアーに出掛けたということがあった。ひとりぼっちなど沖縄の大きなわのお世話だと強がり、一人で部屋を独占してNHKの米軍基地問題の番組に熱中し、日米の安全保障とアジアの平和について真剣に考えたものだ。

里子は仕事となれば誰より勉強し職場には欠かせない存在を築いていた。隆男が「君のキャリアウーマン的なところが魅力だね」と言ったのは本心で、ここに惚れた理由があった。初めて里子に会った時、その物言いに隆男にない本物の教養や知性が溢れていて、学校の女教師に感じるような憧れを抱いたのだ。勉強の不出来な小中学生が、たとえブスでもクラスの副委員長や生徒会の副会長に選ばれる賢い女子に魅かれるのとも同じである。


私が隆男をスナックで見た時、店のママや女の子にうまく利用されていた。せがまれると快く生ビールを奢っていたが、彼女らは半分も飲まないで見えない所に捨てているのだ。そして隆男は「貴方って物知りね、尊敬するなあ、面白い人だな、あらあたし、もう一杯ビール、ゴチなりまーす」と調子に乗せられ、何回もタカられていたのである。この屈託のない完ぺきなお人よしは、いったい何処で形成されたのだろうか。 

初めて二人でラーメンを食べたその帰り、井上隆男という男は、砲丸投げ選手の私の体のどこに興奮を覚えたのか、私が降りる追分を時速90キロで通過し、出戸のモーテル街まで車を走らせ、肩で息をしながら、額に油汗を溜めているのである。ずるい男は最初、草原の風のような振る舞いで獲物に接近するが、この男ときたら芸も作戦もなく、ワニが水辺にやって来るシマウマの群れに焦り、獲物を待ち切れずに水から上がってしまい、周りからマヌケな姿をしっかり見られているのである。こんな正直ワニと男と女の関係が始まったとしても、深刻な愛欲ドラマに入るのではなく、番組の合間に喜劇役者が道化るコマーシャルぐらいにしか、私は考えていなかったのだ。

隆男の奥さんは利口さが覗えるきりりとした目をしていた。隆男には惜しい位な人となぜ結婚できたのだろう。と疑問を持ったところで、ひとの結婚には他人の知らない訳があるのだろう。あんな男がどうしてあの人と、などと驚いても驚いた人の私感であって、それぞれ良い所は持っているものだ。隆男の奥さんも私のまだ知らない隆男の魅力に引かれて結婚したのだろう。相手をよく知らずに結婚する見合いもあるが、隣の娘で幼ななじみだったというし、子供時分から仲良しで、隆男の両親も親切であったから結婚したのだろう。今の時代に財産目当てでもあるまい。自分を偉く見せようとする癖も、芸も作戦もない馬鹿正直も、そんな姿を子供のときから見てきて、その欠点も角度を変えれば愛着も持てるし、そんな土壌があったから日曜の次は月曜日という流れで、迷わず結婚を決めたのではないか。隆男の結婚は運命のようなもので、私との関係は隆男にしても、人生ドラマの合間のビールのコマーシャル程度でしかなかったのだろう。所詮お互い遊びの暇つぶしだったのだ。

あれこれ眠らず想いに耽っていると、深夜放送のラジオから懐かしい小坂恭子の曲が流れてきた。「こんな日は、少しだけお酒をのんで、あの人が好きだった詩をうたうわ、ゆらゆらと酔ったらうでに抱かれて、髪なんかなでられて眠りたい、ねえあなたここに来て~」という昭和50年の、想いでまくら、という歌だ。     

ただ別れた後の二人に不公平がある。隆男にはあんな奥さんがいて、私には小坂恭子の想いでまくらを一緒に聴いてくれる孤独しかいないという現実の違いがある。このときなぜか、20歳のときに自分のパンツだけが盗まれずに物干し竿に揺らめいていた光景がよみがえり悲しくなった。そして隆男のあの美人の奥さんに、赤軍派の永田洋子のような嫉妬が湧いた。あんな馬鹿男の隆男など、奥さんを捨ててこっちに来られては死ぬほど迷惑だが、このまま正直に引き下がっても負けだ。ここは何か考えて、あ奴らの家庭を壇一雄の小説、火宅の人の火宅にしてくれよう。とスヌーピーのパジャマを着た奥山里子は思い「よーし、これだ」と布団の中で呟き、後はぐっすり眠りに着くのであった。


余談だが、赤軍派の永田洋子は犯罪者のため、わざわざ写りの良くない顔写真で報道されたが、実際はひとに負けないくらいの美人だったようだ。鋼鉄の意志を持つ人間にありがちな強情な性格が災いして、アジトの共同生活では男の同志から疎外されていたという。 

小説火宅の人は壇ふみの父親の壇一雄の小説で映画やドラマにもなったが、この作品には、若い愛人を囲いながら愛人以外の女とも放浪生活を繰り返し、家庭や妻の嘆きを顧みない流行作家に、やがて訪れる孤独でみじめな結末人生が描かれている。火宅とは、そんな男の家庭の惨状を意味する言葉で、この作品は作家本人の実生活に基づいているという。


働き者の大事な私のご主人様、そして二人の子供のパパ、幸せな秀子は毎朝、感謝をこめて隆男の弁当を作っていた。日本が豊になって食べ物に溢れると、栄養バランスの健康食品に関心をもち、とことんブームとなって大騒ぎだが、あれは栄養の無い物を高く売っているだけだ。カロリー控えめとか糖質オフとかが体に良いと感心して常に腹いっぱい食べていると、2年後には栄養失調で死ぬのだ。テレビ、新聞の無責任な宣伝に騙されてはいけない。腹の立つことは、夫婦二人三脚で逆境を乗り越え、やがて手に入れた幸せな人生に感動してテレビを見ていると、ただの青汁のコマーシャルだったことだ。それはともかく、弁当は栄養満点で食べる人の好みのオカズを沢山詰めるのが基本なのだ。妻の秀子の作った弁当を食べた隆男が、そのまま田沢湖の山林に迷い込んで遭難しても、体力はみなぎり、発見された時には捜索に疲れた救助隊員を背負って「もう少しだ、弱音を吐くな」と励ましながら山を下りてくるに違いない。

秀子は別にもう一つの幸せを味わっていた。卒業から15年も経た中学校の同窓会では、声を掛けるのも気の毒なほど変化した、昔の美人もいる。かと思えば「あれは誰だ、あんないい女がいたか、会場を間違っているのでは」と同窓生一同を驚かす、新しい美人もいる。中学校の時、朝顔をいけた牛乳の空ビンにしか見られなかった女子が、やがて主人公の朝顔になって現れるのである。秀子は二人目の男の子が幼稚園に上がると建築会社の事務に使われたが、事務所に顔を出す職人や建材屋に「色気がある、いい女だ」と言われても、スケベェおやじのザレ言と思っていた。ところが同窓会では周りから注目を浴び、15年ぶり再会した毒舌の友達からも「心配してたのよ、あの顔だったから、太ってよかったのよね、でもここまでね、それ以上太ったら、昔のブスを超えるブスになるよ、きっと」と言われた。 

きゅうりに近いひょうたん顔が少し太ってかんぴょうに近くなったら、それまで欠点でしかなかった顔の部品が、ぜんぶ味方になって、秀子を下膨れの色っぽい美人に変身させたのである。コトリとした微々たる変化がもとで、すべてが崩れる将棋積みのように、前歯が一本抜けただけで、苦渋の人生を物語るまぶたのシワもその迫力を失い、それまでの厳格な顔から、あいつに任したら絶対に失敗すると常に言われているような、マヌケ面に変身することもあるのだ。要するに人間の顔は毛で覆われた猫と違い長い人生の間には変わるものであるから、自惚れたり落胆したりしてはいけない。またどっちみち、若い時と違い容姿など重要でも深刻でもない。中年からの顔は生活に欠かせない目と鼻と口、この三つを並べるための単に器なのである。でも女は何歳になっても若く見られたいようで、服装や化粧にお金を掛けているが、お金のない近所の女は今年46歳なのに61歳になりますと言ってあるき、タダで若く見られようとしている。


多くを望まない平穏な幸せは、秋の日差しのように降りそそぎ、つよい雨もお空の雷さまも忘れてしまいそうな、そんな日々の暮らしの向こうに、恐い顔をした砲丸投げの選手が、小泉潟の水心苑の陰から、攻撃開始の位置に付いていた。


ある日、仕事先へ秀子宛てに郵便小包が届いた。丸い袋状の小包には差出人の住所と名前がなく気味が悪かった。開いてみると中から薄汚れた男物のパジャマと便箋一枚が出て来て「奥様にご主人のパジャマをお返しします SO 」という文字が読めた。驚いた、これはいったい何だ、冗談やイタズラではないだろう、ご主人とは隆男のことか、パジャマとはご主人なる者と一緒に寝ていたという意味か、怒りが起こってきた、返すとは、関係も終わったという事か、SOとはサキコとかセツコ、太田とか小野とかの名前か、隆男の周りでこの名前はすぐに浮かんでこない、いや、そんなことは帰って隆男から聞き出せばよいのだが、これは大変なことではないか、隆男に女がいた、あの隆男に、誰だろうか、ああ見えても隆男は優しく男らしいからモテるのだ、クソ女に取られてたまるか、いや待てよ、隆男を本気で愛する女などいるものか、お人よしの馬鹿で賢けブリで誰があんな男相手にするか、いやいや世間知らずのオボ娘は騙されやすいぞ、分からないぞ…。

この時電話が鳴って、秀子は興奮から我に返った。受話器の向こうは家を新築中のお客さんで社長に用事だった。「どうもこの度は有難うございました。いま社長は出掛けております、申し訳ございません、お昼ごろには帰ると思いますが、どうも」と電話が終わって、少し息を吐いたら頭が冷えてきた。秀子はSOの便箋をバックに仕舞い込み、薄汚れたマヌケ犬のスヌーピー柄パジャマを外に持ち出し、掃除屋が回収に来る産業廃棄物用の大型ゴミ箱に放り投げた。こんな物を前にしては冷静になれなかったからだ。

隆男の野郎、外に女をつくる甲斐性があったとは隅に置けないない奴だ、あの顔でも意外にモテるのだと思うと、腹立たしい腹のどこかにクスッと可笑しさが湧いた。相手のSOという女の正体は何だろう。パジャマを用意する環境とは一人暮らしの独身でしかないだろう。こんな物を私宛に送って寄こすとは、私が憎いということか。すると隆男に振られた腹いせの行動だろう。私の大事なご主人様に振られる女もこの世にいたかと思うと、今度は可笑しくてたまらなかった。しかし、私をよくも騙して女と泊まっていたとは許せない。アランドロンの「太陽がいっぱい」の映画のラストシーンみたいに、車に草を引っ掛けて帰って来た時は悪い遊びをしているのではと不安になったが、まさかパジャマまで用意して寝ていたとは罪が重い、これは死刑だ。この重罪を知らして寄こしたSOなる女の行いは、仲間ワレした共犯者の密告ではないか、自分がやれない隆男への報復を私にやらして、それを隠れて見ようとする卑怯者のすることだ。その手に乗るかSOさんよ。別のことから悪事が発覚したのならともかく、隆男を奪った主犯格のあんたの恨みを、なんの義理があって私が引き受けるのだバカヤロー。順序が違うだろう。まずはあんたを獄門にして、それから隆男のドスケベェをじっくり料理してやる。あんたを獄門にするのはた易い。隆男にはこんな小包の届いたことを今は一切言わず、いままで以上に中睦ましい夫婦の姿でいることだ。それを見るSOのあんたは孤独な愚か者になるのだ。


まったく世の男どもは何をやっているか分からない。この間もNHKニュースで、田沢湖町乳頭の山林にきのこ採りに出掛けた76歳の男性が夜になっても帰宅せず、心配した妻の通報を受けた角館署と地元消防団がすぐにその周辺を捜索したところ、男性は明け方近く町内の知人女性宅で寝ているところを角館署員に発見され無事が確認されたが、心配して駆け付けた妻74歳に棒で叩かれ全治2週間のケガを負った、という報道があった。 


こんな秀子の出来事を知らない隆男は、この1年後に美人の妻が勤める建築会社から仕事を貰い、念願の独立を果たした。秀子の勤める建築会社は長年の信用と努力が実り、一般住宅の着工件数が県内屈指となり、さらにイケイケどんどん町政の公共工事も引き受ける会社に成長していた。この当時は、天王鶴沼台や三軒家など戸数3~6軒という地域にも遜色のない大きな集会場、うるさい親が老いて静かになったら家に戻るという長男夫婦にも、ローンで建てた狭い家より快適な町営住宅をどんどん建設してくれていたものだ。

人の噂であるが、美人の妻が勤める会社の社長のおかげで隆男が浮かび上がったのは、この社長54歳の極めて個人的な理由からだと世間の評判だった。愛する物の存在に対する依怙贔屓からだったという。というのは、隆男にとって極めて面白くないことだが、この社長は大の犬好きで、飼っているバナナという名の不細工な小形犬の顔が隆男に似ているのを発見したその日から、ペンキ職人隆男をこの犬のように可愛がるようになったのだという。

塗装の請負単価はそれなりに安かったが、それでも隆男には雇われ身の2倍以上の収入はあり、たまに直接入る屋根塗りの仕事もこなすと忙しく、20歳前の若者を一人雇うまでになっていた。33歳の隆男は人生が楽しく、たまに秋田の川反や、しょっちゅう船越の店を飲み回り、社長、しゃちょー、しゃちょーさん、と呼ばれてその気になり、馬鹿面下げて夜の街を歩いていたものだ。

浮かれていると大きな失敗をし、突然の雷に打たれるのが世の常だ。隆男は小学校4年の時、特別簡単だった算数のテストがまぐれも重なり75点だった。大喜びして生涯唯一の75点を家に帰って見せると「うちの隆男がいきなり天才になったでば」と母の雅代も大騒ぎしてテストを仏壇に飾って拝んだ。浮かれた隆男は、明日が身体検査の日だということをしっかり忘れ、新品の猿股をはかず、黄色いオシッコ模様が付いた猿股で藤原慶一郎学校医の前に立ったのである。また、駆け出しのペンキ塗りだった頃、親方がおだてて「俺より見込みがある、手筋がいい」と言うのを真に受けて、豚も木に登る隆男は大先輩の職人に「君と僕のこれからの使命は後輩を育てることにあるのだよ」と言った。そしたら顔に真っ赤なペンキを塗られ、豚に抱かれたまま猿も木から落ちたことがあった。人は調子に乗ると誰でも馬鹿になるものだ。昔から豚や猿を馬鹿にするが、豚や猿は生まれた時からああで、あれが普通なのだ。人は恥ずかしい失敗をすると、もっと馬鹿を探して自分を慰めるが、人間界にお前のような馬鹿は珍しいから、猿や豚を引き出して満足してきただけである。

その日もぐでんぐでんに酔って夜中の2時に帰った隆男に、妻の秀子が何か言っていたが意味が分からずそのまま寝た。薄汚れたスヌーピーの犬がどうした、SOが何だとか言っていたが、俺様に対する毎日の小言だろうと相手にせず寝た。寝たが、胸に引っ掛かるものがあったのだろう、面白くない夢をみた。

足手まといの邪魔な女の里子を埼玉の秩父山中に置き去りにした1年後、朝早く松本清張と似た顔の刑事が訪ねて来て「料亭奥山の仲居、里子という女が去年から行方不明になってましてね、貴方もあの料亭のお客だったからその仲居はご存じでしょう」「ああ、あの砲丸投げの里子、いないんですか、私は取引先の接待で前に行ってましたが、最近はねえ」「ああいうデカパンの女が姿を消したからって事件性は無いのですが、こちらも一応調べてましてね、いやいや面倒ですな」「男が出来て、新しい土地へでも行ったんですよ、きっと」「何かの参考になればと来ただけで、いやうどうも、お忙しいのに、すみませんな」とハイライトを出して火を付け「こちらのご商売は忙しそうで結構ですな、わたしも家の屋根のトタンが錆びて、塗ってもらうと考えているんですが~」と世間話を最後に帰り掛け、つと刑事の松本清張は振り向いて「ああそうだ、スヌーピーのメスはひとりで可哀想ですな」と言った。隆男は背中が凍って目が覚めた。すると秀子はまだ起きていてこちらを見ていた。  

翌朝、SOの便箋を前に座らされ、それまで俺様と豪語していた隆男は散々叱られたあげく、今後当分のあいだ夜の外出を禁止された。そしてドゲザさせられた頭を蠅タタキで、鬼の形相の秀子から、ものすごく43回も叩かれたのである。 


小学校の先生から、真面目に勉強して先生の言うことを守っていれば正しい社会人になって、野口英世のように尊敬される大人に成ることも出来ると、教育者は生徒を前に教えてくれた。または、良い子で勉強して先生を尊敬する生徒は、良い学校に進んで良い職業に就き将来は恥ずかしくない生活が送れるとも言っていたようだし、反対に勉強と先生を嫌いな生徒は、きっと落ちこぼれの地獄人生を送ると決め付けらたようにも思う。どちらにしても子供の将来を思う先生の気持ちと、児童相手に尊敬されたい先生の気持ちに変わりはない。 

小学校の算数で、太郎君は1本30円のバナナ6本買いました、合計はいくらですかという問題に「買ったごども食ったごども無えがらオラ知らねぇでぇ」と正直に答える生徒、または理科で、太陽は東の空から昇りますが沈むのはどの方角ですかという質問に当てられ「はい、江川の貞雄の家の方に沈みます」と自信たっぷりに答える生徒にあきれ「この先もダメだこれは」と決め付けるのは短慮というものだ。まだ人生これからの人間にたいして失礼ではないか。「桃栗3年柿8年」の言葉は「桃栗3年ガキ(餓鬼)は知れん」ともいい、子供のときの勉強如何で将来を占うのはおかしいのだ。

勉強は嫌いでもないが、日本の教育制度に疑問をもち、中学校から大工の弟子に就いて若干27歳で建築業の大社長になった者もあるし、また独り立ち職人として県内平均給料の3倍は稼ぐ20歳の若者も出現するという時代だった。人の上に立つには高等学校より人に先駆けて社会に出るのが一番と考え、近所の土建屋に15の歳から使われて若干30の歳に町のA級土建業者に成長した大社長もいるし、建設機械のオペをして23の歳で月40万の給料を取るという時代でもあった。もしかして彼らは、小中学校で先生の言う事を聞いていたら成功していなかったかもしれない。

そもそも多くの尊敬される教育者に混じり、学校の先生の中には生徒より勉強が解るというだけで威張っていても、人を救い、導くことに関しては、大学の教育学部より小学校からの再教育を要する先生もいたのだ。一般の社会人は世の進歩に乗り遅れまいと日々研鑚に励んでいるが、こんな先生は40年も同じ教科書を開いていれば給料が貰えることをよいことに、進化を放棄した生きる化石になって、グータラ人生を楽しんでいたのである。本来勉強は大好きだが、こんな遊び半分な惰性担任のおかげで勉強をし損ねた小学生もいたのではないか。自分の怠慢を棚に上げて当時の先生を悪く言うのは恥知らずでよくないが、それはともかく、勉強が基本から遅れるというのは大変不運なことだ。小学校のとき三角形の角度30゜より60゜のほうが熱いだろうなと考えたまま中学校に進むと、三角関数のサイン、コサイン、タンジェントの記号sin、cos、tanが黒板に並べられるのを見て、いまは英語の時間だったかと勘違いする中学生に成長してしまうのだ。まあどうでもいいが、貧乏な家の子の立身は、野口英世や二宮金次郎のように学問に頼るしかなかった世は過ぎ、戦後の経済成長の日本には、誰にでも成功の機会が多く用意されていたということである。


このように誰にも成功の機会が与えられた理由に当時の政治行政があった。大きく見て戦後日本の国際戦略が正しかったのが一番だが、地方の田舎政治家の舵取りも幸いしたのだ。隆男の祖父は明治生まれで戦後間もない頃まで村議会議員を務めたが、昔は税収が乏しく役場に金がなかったため12人いた議員報酬はゼロで、明治から昭和初期の村長とても年俸70円(今の50から70万円)ほどで、これさえも財政難の年は減額されたという。財政難にあっても必要な橋や学校は造らねばならず、その資金はもっぱら村の富裕層に頼り、多額の寄付を出す議員、村長はその功労に報いる名誉の存在であった。金を出したら誰でも位がもらえる古代からの風潮が生きていたのである。

時代が下ってケネディ大統領が暗殺された頃の、池田隼人所得倍増内閣から地方冶自体の税収が飛躍的に伸び、公共物の建設費用が賄えるようになった。これで家の前のジャリ道が舗装され、公民館も地域集会場も大きな病院も建って、住民生活は格段に良くなった。いい物は最初から無ければ江戸時代のようにそれが普通だったが、一度味をしめると人は限りない要求を示すものだ。住民はより良い環境を、とくに社会福祉に関しては貪欲だ。業者は昨日より多くの仕事を欲しがり獲得運動に血まなこだ。市町村の長たる者の存在はこれらの要求に応えてこそ、その存在に意味があるのだ。わが町の懐具合など知ったことか、今やらなかったら次の選挙に落ちるのだ。金が無くても銀行がある。そして借金を重ねて、先でもいい物を今年造り、果ては不要な物まで造るに至るのである。そうしなければ選挙に落ちても、また病気で辞めても無能男の汚名を残すからだ。どこの世界もローマ帝国のパンとサーカスである。でも、このような住民から祭り上げられた市町村長の努力のおかげで、出稼ぎは無くなり、業者は儲かり、訪れる人より草刈作業員の方が多い公園が何処にもあり、うるさい親が静かになったら家に戻るという長男夫婦にも快適な町営住宅が用意されたのだ。当然市町村の借金も膨らんだが、この当時はまだ右肩上がりの税収と、借金は有利だとする恒常的インフレからさほど深刻ではなかった。

隆男でも独立して儲かったのは、このように当時の政治行政が金廻りの良い社会にしてくれたことに源があった。よく人は、首長や政治家はいい思いをしていると言う。汚職事件が後を絶たないからだが、作物を栽培しない、工場で物を生産しない歌手や長嶋茂雄やサッカー選手が一芸にたけて金持ちになる世の中に、何万人から選ばれて誕生した彼らだって特別公務員の給与を超えて多少儲けてもいいのではいか。政治家が強引に進めた公共事業を無駄使いと騒ぐが、その恩恵に与かる以外の者の批判であって、一転こちらへ利益が転がり込めば、あれだけ批判していた潟上新庁舎の次は、店と役場が消えた二田駅前に秋田駅前のようなエリアなかいちの建設、少子高齢化への対応に、児童館を壊して老人クラブ施設の建設をと叫ぶ筈である。またさらに、とかく公務員待遇に文句の多い近所の者が、ある時から口を閉ざしたと思ったら、その野郎の息子が役場職員に採用されていたという話はよく聞くことだ。このように民主政治の現代社会は、多様な弊害を含みながら世の人々を参加させ巻き込んで推進してきたのである。  

金が無くても銀行があると書いたが、昔の銀行は秋田県の財務を預かった秋田銀行は別だが、その他は戦後しばらくまで村の無尽講に色を付けたケチな存在でしかなかった。戦後間もなく、台風被害に遭った中学校の修繕費用を地元の羽後銀行支店に頼ったが、貸す金が無いというこの銀行のため、役場職員と村会議員が預金集めに奔走したという記録が残っている。ところが昭和40年あたりから、今の生活が幸せだと感じる中流意識層が秋田の農村にも出現して来ると、人々のなかには今の幸せな生活を保守したいという願いが起り、それが保険や貯蓄への関心を呼んで、銀行の定期預金や積立貯金が売れ始めた。これで貧しい金融機関といわれた田舎銀行の預金高が飛躍的に伸び、この大量資金が親方日の丸の冶自体へ安全融資として流れたのである。

これで銀行は大きくなったが、行員の地位はもっと大きくなった。菅原文太とよく似たいい男でも大百姓の長男というだけで結婚に苦労する時代に、デブでも出っ歯でも、玄武岩みたいな堅い性格の不愉快な男であっても、銀行員でさえあれば結婚したいという娘が列をつくったものだ。またそして、支店を増やした秋田銀行に娘が運よく就職しようものなら、その母は知らない人との会話で「長女は21歳で、秋田銀行に勤める下の娘は19歳になります」と三流百貨店のマルサンに勤める長女のことは省略して言わないのである。また上二田駅から乗って船川の相互銀行に通うのが普通なのに、わざわざ遠い二田駅まで歩き、銀行の制服を世間に見せびらかす女がいたし、町民運動会では姉妹で羽後銀行の制服を着て出戸浜町内会を応援している女を見たことがある。仮想行列に参加する人だと思われたそうだ。またさらに、天王八坂神社の盆踊大会では、町内会費の割に景品が少ない、貸借対照表を見せろと騒いでいた二田駅前の秋田信用金庫に勤める女を見たこともある。


借金があっても一万円札を印刷できる国家は当分安泰だが市町村と国民はそうはいかない。やがて金を貸す銀行が無くなったら、住民サービスは痩せ細り公共事業は無くなり、家の前の舗装道路は凸凹が当たり前、重ねて増税にも見舞われるだろう。給料日から三日続けて贅沢をして、あとは隣近所にお金を借り歩く家をみんな軽蔑していたが、実はそんな刹那的な社会をみんなで歩いてきたのだ。悪くなってから政治家を責めるのは卑怯だ。政治家はみんなから選ばれたのだ。自分はあの党のあんな奴に投票した覚えはないとの意見もあるはずだが、しかし小学校の学級会から多数決で何でも決っていたし、それが大人の世界の正義なのである。

井上隆男君34歳は日本と我が町を憂い町議会議員に立候補するという。小中学校のときには勉強順位や自分の人間をよく知っていて、学級委員やまして生徒会の役員になど立候補できるものではなかった。たとえ間違いで立候補して選ばれたとしても、それを知った正常な親だったら運動会も学芸会もPTAにも来なくなるだろう。ところが大人の世界は、世間に映る己の姿を自ら水増してやまない。それが大人の世界の普通かも知れないが、豚や猿と違い、人間は小中学生から体が大きくなる以上に、面の皮がその100倍も成長する生き物なのではないか。

18世紀フランスの政治学者ジャン・ドボン・ラクセンダ氏は自由主義から生まれた民主選挙の弊害をフランス革命の時代から予言していた。立候補者の顔はポスターで見ているが、人物の知れない相手を国会議員に選んで国政を託すのは疑問だと考えるのは正しいし、また町会議員の選挙は候補者が近所でその人柄をよく知っているため選びやすいといっても、近所で知っているからこそあんな馬鹿タレを誰が、という声がある。特に田舎議員選挙は落選がだいたい1人か2人で、また当落ラインがたった60票という村もあり、立派な人に混じって誰の目にも「ええ、なぜ」と言われる当選者がごく稀にある。そのため選挙はダメだと思う候補者名を記入する不適格者選出法を採用すればよいのではないか。そうなれば選挙カーで「このたび立候補した○○です。来たる投票日には絶対に私の名前を書かないで下さい」と声高らかに連呼するのも可笑しいし、有権者宅を回って「私の名前は書かないで下さい」と言ってお金を配るのも変だし、選挙違反も無くなるのではないか。と政治学者ジャン・ドボン・ラクセンダ氏は説いているのである。

賢ケぶりと思い上がりの隆男に、妻の秀子は40代まで待つべきだとする先延ばし策をとったが、大反対の両親、特に父の亀冶は「この馬鹿ヶ!なに、町会議員だど、何月8日の8日を、ヨーカと言わねぇで、ハツカとしゃべって毎月仕事のトラブルを起ごすオメエのような馬鹿者は、役場でええゴサラシ(有名な恥さらし)になるに決まってるでば、この馬鹿ヶ!」と猛反対だった。

父の亀次は、まだ小学校5年の頃の隆男を思い出す。あれは正月も近い冬の日、わが長男の隆ボンに500円渡して酒一升の買い物を頼んだことがあった。後で分かったのだが、二田駅前の天洋酒店で買った帰りのどこかで一升ビンを誤って割ってしまったようだ。隆ボンは家に入って来れず玄関に立ちすくんで寒がっていた。そのときは酒を割ったことは知らないので、きっと500円落として家に入れないのだと思い「あの馬鹿ヶ、おそらぐジェンコ(お金)落としで家さ来れねんだ」と外にも聞こえるように高い声で言うと、隆ボンの奴はしばらくして「オラやージェンコ落としたでー」と泣いて入ってきた。どの辺りに落としたのかと訊くと、加賀商会のダンプが急に出てきて驚いて500円はその辺りに落としたかも知れないという。500円は大金だから探してこい、見つからなければ正月のお年玉は無しだと叱ると、我が井上家の長男は「500円ぜんぶ落としてねぇ、おつりの80円は落としてねぇ」と80円を見せるのであった。


                            つづく


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