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灰色の道標(1)

 「やあ、ブロー大尉。長旅お疲れ様」


 にこやかに笑いかけるブィックスを、ブロー大尉ことルエラ・リムは、うろん気に見上げた。


 リム国首都ビューダネス。その中央にそびえる城の一室。王族達を守る私軍の、第三部隊事務室。

 長旅から帰って来たルエラは、リン・ブロー大尉として報告書を作成していた。自分達が守るべき対象がこうして隊の中に紛れている事は、もちろん隊の者達は知らない。

 ポーラ・ブィックスも例外ではなく、相手が実は王女であるとは夢にも思わず、何かとリン・ブローを目の敵にしていた。それがこんな風に人当たりの良い笑みを向けて来るなんて、一体何を企んでいるのやら。

 ブィックスは、はらりと落ちて来た艶やかな金色の前髪を見事な動作で払いながら言った。


「大尉はこの後、非番だろう? 私もちょうど、今日は非番なんだ。良かったらこの後、食事でもどうかね?」

「非番なら、どうしてここにいらっしゃるんですか……」

「それはもちろん、君に会うためさ。ここ以外で君を探そうとしたら、たいてい外出中で軍舎にもいないからな」


 当然だ。リン・ブローは、必要な時にしか存在しない人物なのだから。

 軍舎も怪しまれぬように部屋を用意してはいるが、そこで寝た事はほとんどなかった。


「ご遠慮いたします。そう言うのは、女性の方でも誘ってはいかがですか。ブィックス少佐なら、行きたいと言う方が大勢いらっしゃるでしょう」


 淡々と言って、ルエラは書き上がった報告書を手に、席を立つ。


「ブルザ少佐。南部の強盗団の件の報告書が仕上がりました」


 リン・ブローとしては上官に当たる大男に、ルエラは書類を渡す。

 少し後ろで待つブィックスを見て、ブルザは言った。


「いいじゃないか、せっかくブィックス少佐の方から歩み寄ろうとしているのだから、行って来たらどうだ?」

「勝手な事を言わないでください」


 ルエラは冷ややかに返す。


「しかし、ブィックス少佐も私と同じく、姫様ご自身が引っ張り上げた軍人だろう。姫様にも、何かお考えがあったのではないのか?」

「……では、お疲れ様です」


 ぶっきら棒に言って、背を向ける。

 事務室を出るルエラの後を、ブィックスは追って来た。


「今日は都合がつかないなら、仕方ない。私は、明日でも明後日でも構わないよ」

「食事のお誘いでしたら――」

「頼みがあるんだ」


 ルエラ達二人以外誰もいない廊下の端から端まで視線を走らせ、それでもなお誰にも聞かれぬよう声を低くして、ブィックスは言った。


「今度、親戚の子が首都へ来るので街を案内したくてね。ブロー大尉は、外の任務を命じられる事も多いだろう。その……助言を貰えないか、と……」


 ブィックスは、不本意そうに視線をそらす。

 彼がリン・ブローに頼み事をした事など、これまで一度もなかった。


「もちろん、君の言う通り女性に声を掛ける手もあるが、家族や親戚と関わる事に女性を誘うとなると、後々面倒なのでね……今は、特定の女性と深く付き合う気は無いから」


 ならば女性ではなくても親しい友人を、と言いかけルエラは留まった。代わりに、戸惑いがちに答える。


「申し訳ありませんが、私も、観光名所などはあまり……」

「それは問題ない。案内する場所自体は、既に調べてあるんだ。城外は慣れないから、道順なども含めて一度確認しておきたいんだ。とは言え、若い娘を誘おうとしている場所に一人で行くのも気が引けるだろう」

「……若い娘を誘おうとしている場所に、男二人で行くつもりですか」

「何、私は気にしない。どうしても気になると言うなら、女性の格好をして来てもいいぞ」

「え……ブィックス少佐が?」


 成長しきっていない少年ならまだしも、ブィックスは背丈も体つきも明らかに大の男だ。顔は良いから、化粧をすれば何とかなる……のだろうか。


「私ではない! 君がと言う話だ!」

「しませんよ」


 ルエラはぴしゃりと言い放つ。ブィックスはにこにこと笑っていた。


「君は可愛らしい顔をしているのだから、似合いそうだがな」


 言って、ブィックスはそっとルエラの頬に手を添え、微笑んだ。


「もし君が女の子だったなら、好みのタイプだったかもしれん」


 ルエラはやんわりと彼の手を払う。


「そのようなお言葉は、それこそ女性の方に仰ってください」


 そしてルエラは、溜息を吐いた。


「……この後の時間でしたら、空いています。いつまた旅に出るか分からないので、明日以降ではお約束できません」


 ブィックスの顔が、ぱあっと輝く。


「では、着替え次第、城門の前で会おう!」


 ひらりと手を振り、駆け去って行く。遠ざかる背中を見つめながら、ルエラは再び、溜息を吐いた。

 わざわざリン・ブローに頼んだと言う事は、それだけ切羽詰まっていたのだろう。他に友人を誘えれば良いだろうが、そもそも彼にそんな友人がいるならば、彼がルエラの隊に所属する事もなかっただろう。

 ルエラは三度目の溜息を吐くと、旅用の青いコートと私服を隠している空き部屋へと向かった。






「ふふふ……ハハハハハハ!」


 リン・ブローと別れ、宮廷内にある軍舎の自室へと戻って、ブィックスは高笑いした。


「まさか、こうも上手く事が運ぼうとはな!」


 ルエラ王女から特殊な任務を与えられ、各地の調査に赴くばかりのリン・ブロー大尉。魔法使いだと言う事を差し引いても、彼の処遇にはいささか疑問を覚えるものがあった。

 魔法使いと言うだけなら、ブィックスもオゾン中将もいる。位や経験年数を見れば、ブィックスらの方がブローよりも上だ。もちろん、実力も劣るとは思わない。

 それなのに何故、リン・ブローばかり特別扱いされているのか。


 リン・ブロー大尉には謎が多い。

 士官学校を卒業した者なら尉官の役職を与えられるが、リン・ブローと言う魔法使いの少年が士官学校に通っていた事を覚えている者はいない。一兵卒からの叩き上げなら、大尉と言う地位で十五と言う年齢は、いくら優秀な魔法使いでもあまりにも若すぎる。

 大きな手柄を立てたなら特例と言う事もあろうが、それ程の功績があったなら、もっと活躍が知れ渡っているはずだ。ところがそんな話は微塵も聞いた事がなく、同じ隊の者でなければ私軍の者でもリン・ブローと言う人物の存在を知らない事が多い。

 活躍どころか、リン・ブローが大尉として私軍に所属する前にどこに配属されていたのかさえ、知る者はいなかった。ブィックスら第三部隊の隊長であるオゾンでさえも、彼がいつから第三部隊に配属されたのか定かではない。入隊当初からルエラ王女と直接やり取りをしていて、ある日突然、リン・ブロー大尉の存在をルエラから説明されたのだと言う。


 リン・ブローについて見つからないのは、過去の経歴だけではなかった。


 リン・ブローはほとんど、城にいない。それは旅の間だけの話ではなく、帰って来ている間も同様だった。

 旅から帰って来たブロー大尉は、まず報告書を作成する。そして、ルエラ王女へ報告に行く。順番は逆の事もあるが、それはこの際どうでも良い。問題は、その後だ。書類と口頭、双方の報告を終えた後、リン・ブローは行方不明になる。

 退勤、あるいは城外の捜査などに行っているそうなので正確には行方不明ではないが、しかし、誰もその姿を目撃していない。

 私軍の隊員は秘匿性や緊急時の対応のために、宮廷内の軍舎に住む事が義務付けられている。リン・ブローが宮廷内に不在と知って待ち伏せした事も何度かあるが、ほとんど帰って来なかった。あまりにも遅い帰宅に嫌味を言ってやろうと意地になって待ち続け、何度、城門への小道で朝を迎える事になったか知れない。しかし、確かに門は通っていないのに、いつの間にか城内にいるのだ。


 更衣室や浴場でリン・ブローを見かけた事はなかった。

 部屋にもシャワーがある事にはあるが、それでも全く浴場を利用しないと言うのは、不自然ではないだろうか。

 更衣室に至っては、ロッカーはあるものの取っ手には薄らと埃が積もっていて、使った形跡さえなかった。軍服での城内勤務から直接城外へ出かける事が多いと言うのに、事務室と同じ階にある更衣室を使わずに、わざわざ軍舎に戻っていると言うのか。


 数々の不可解な点から導き出した答えは、ただ一つ。


「リン・ブロー大尉――彼は――いや、彼女は、女だ」


 軍舎の個室で誰が聞くと言う訳でもないのに、ブィックスはもったいつけて言った。


「更衣室や浴場を使わないのは、女だからだ。当然、裸や着替えを見られる訳にはいかない。いつの間にか帰って来ていたのは、本来の女としての姿で俺の目を掻い潜ったのだろう。

 ブロー大尉は魔法を使う。男ならば魔法使いだが、女ならば魔女だ。賢者ではなく、私利私欲のために魔法を使い、人々の命を脅かす存在。魔女となれば、正体を知られる訳にいかない。だから、やつは素性を隠している。

 姫様による特別扱いも、大方、脅すか惑わすかしたのだろう。卑劣な魔女め!」


 ブィックスは忌々しげに吐き捨てる。

 魔女がルエラ王女のそばに居座っていると言うならば、もちろん、野放しにしておく訳にはいかない。ブィックスは、一つの作戦を企てていた。


 リン・ブローを――リン・ブローを名乗っているあの魔女を、口説き落とす。


「俺が言い寄って惚れない女はいない。自ら魔女だと明かして来れば、こっちのもんだ。さっきだって、女なら好みのタイプだと口説いてみたら、食事の約束に乗って来た。やつが女だからだ。既に、落ちかけているに違いない」


 ブィックスに突っ込みをいれてくれるような者は、この場にはいない。

 シックな雰囲気で決めた私服の上に黒いロングコートをばさりと羽織ると、ブィックスは拳を固く握った。


「待っていてください、姫様……! あなたをお守りするためにも、必ず、あの魔女の秘密を暴いてみせます……!」


 固い決意を胸に抱え、ブィックスは軍舎を後にした。

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