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第12話 魔女と乙女心と旅立ち

 一つの扉の前を、レーナは行ったり来たりしていた。


 レーナを魔女の手から救い出してくれた、一人の少年。母親との関係に弱音を吐くレーナを支え、励ましてくれた。

 世継ぎではないとはいえ、王女として護衛に守られた事は、何度もある。しかし今のレーナの感情は、初めてのものだった。


「これが……恋と言うものなのでしょうか……」


 火照って来る頰を、両手で覆う。抱き寄せられた時の温もりが、今も身体に残っているかのようだった。


(な……何も迷う事なんてありませんわ。ただ、お茶に誘うだけではありませんの。やましい事なんて、何もありませんわ)


 彼は、明日にはこの城を、この国を去ってしまう。

 リム国は、レーナにとってはあまりにも遠い国だった。次に会えるのはいつになるか、分かったものではない。


 レーナは深く息を吸うと、ノックも忘れて目の前の扉を押し開いた。


「ブロー大尉! よ、よろしければ、少しお茶、で……も……」


 レーナの言葉は、尻すぼみに消えていく。

 部屋の中に立つのは、レーナを助けてくれた魔法使い。その胸には、白いサラシが巻かれていた。


 そっとレーナは部屋の扉を閉じる。


 そして再び、勢いよく開いた。


「どう言う事ですのっ!? あなた、私を助ける時に魔法を使って――まさか、魔――」


 ルエラは慌ててレーナを部屋の中へと引き込み、扉を閉める。

 レーナは、ルエラの手を振り払う。


「離してくださいまし!」


 彼女は、懐疑的な視線でルエラを見上げていた。


「……女性の方、でしたの……?」

「……騙していて、すまない」


 誤魔化せるような状況ではなかった。視線をはばかるように襟を胸元の前で重ね合わせながら、ルエラは短く言う。


「……服の着方が分かりませんの? それでは、左右逆ですわよ。死装束になってしまいますわ」


 レーナはルエラの寝間着の衿に手をかける。ルエラは思わず身じろぎした。


「女性同士ならば、何も恥ずかしがる事もないでしょう」

「し、しかし、王女様に着せてもらう訳には」

「何度も敬語を忘れていながら、今更何をおっしゃいますの。あなたの場合、侍女を呼ぶ訳にもいかないでしょう」




 レーナは、慣れた手付きでルエラの寝間着を着せると、立ち上がった。


「……あなたは、私が怖くないのか?」


 レーナはキッとルエラを見上げる。

 そして、きっぱりと言い放った。


「見くびらないでくださいまし。助けていただいた相手を糾弾するほど、恩知らずじゃありません事よ」

「では……」

「誰かに話すつもりはありませんわ。ご安心くださいまし。

 ……ああ、さよなら私の初恋……」

「え?」

「なっ、何でもありませんわ!」


 ルエラは、うな垂れるように頭を下げた。


「……申し訳ない。あなたには、知られてはいけなかった……。もし私の事で立場が悪くなるような事があったら、迷わず切り捨ててもらって構わない。魔女に騙されていたと、そう……」

「……」


 ディンに続いて、レーナまで。

 王族が魔女をかばうなんて事、決してあってはならないのに。


「いずれは、この身に受けるべき刑を受けるつもりだ。ヴィルマを捕らえ、責務を果たした暁には……」


 レーナはハッとルエラを見上げる。


 魔女。

 本来ならば、火刑を受ける身。


 レーナは口を開いたが、何も言葉を発せずに閉じ、戸口へと向かった。

 戸口でピタリと立ち止まり、背を向けたまま問うた。


「一つだけ、教えてくださいまし……あなたの、本当のお名前は?」

「……ルエラ、と言う」


 レーナはルエラを振り返り、微笑んだ。


「可愛らしい、素敵なお名前ですわね」


 そう話すレーナの微笑みは、どこか寂しげなものだった。






「ハブナ王女に魔女だとバレた!?」

「ディン、声が大きい!」


 翌朝、ルエラはアリー、ディン、フレディの三人を部屋に集め、昨晩のレーナとの一件を話した。


「ルエラって、案外、迂闊だよねー。前も、部屋に鍵かけてなかった事あったでしょ?」

「お前もルエラの着替えを見たのか!? うらや――」


 ルエラの投げたトランクが顔面にヒットし、ディンはその場に撃沈した。


「僕の時は、服着てたよー。じゃなきゃ、その時にルエラの正体知る事になってたはずじゃない。女の子だって知ってれば、さすがに一緒のベッドで寝たりしなかったし」

「はあっ!?」


 ディンは蘇生し、アリーに詰め寄る。


「一緒のベッドって……ちょっ……おまっ……はあ!?」

「そんな事はどうでもいい。

 ひとまず彼女は、誰にも言わないと約束してくれた。……しかし、彼女はなぜああも容易く私を信用してくれたのだろうか……一国の王女ともあろう者が……」

「そりゃ、お前。愛の力って奴だろ」

「どこかの色ボケ王子と一緒にしてやるな」


 ルエラは呆れた視線をディンに向ける。ディンは慌てて手を振った。


「いやいや、マジで。彼女、明らかにお前に惚れてるって。昨日も、ずっとお前にベッタリだったじゃんか」

「確かに、わざわざルエラ様のお隣に席を移動なさっていましたね……」

「だろ!?」


 フレディの同意を得て、ディンは得意げに胸をそらせる。


「うっわ、ムカつくこの顔……」

「何だよ、アリーは気付かなかったのか? そんな格好しといて、中身は乙女心に鈍感なんだなー」

「囚われの姫君を助けに来てくれて、ルエラの事だからまた甘い言葉囁いたりお姫様扱いしたりしたんだろうから、レーナ様が惚れるのも分かるけど、ディンがムカつくから同意しない」

「何だそれ」


「いやいや、ちょっと待て。『また』って何だ。いつ私が、甘い言葉を囁いたりなんかした? お姫様扱いも何も、彼女はお姫様だろう」

「自覚無いんだ……」

「あれだよな。あの金髪の軍人の影響だよな。魔法使いの腕章つけてたやつ」

「ああ、ブィックス少佐?」

「あやつと一緒にされるのは、甚だしく心外なんだが」


 ディンとアリーのやり取りに、ルエラはムッとする。


「つーかさ、アリー。お前、なんでまた女の格好してんだよ? ヴィルマに名乗っちゃったんだから、もう意味なくね?」


 アリーはいつもと同じく髪を高い位置で二つに結び、歩きやすいパンツスタイルとは言え明らかに女物のデザインの服を身にまとっていた。

 ルエラは目を見開き、アリーを振り返る。


「ヴィルマに名乗ったのか?」

「あ、そっか。ルエラはあの時、鏡の中だったんだっけ。

 うん、まあね。捕まっちゃって、どうせ殺されるなら隠す意味もなかったから。……父さんと母さんの事も、聞き出したかったし」


 ルエラは口を真一文字に結び、アリーを見つめる。

 アリーの両親は、ヴィルマに殺された。ルエラをラウに連れて行くために行われていた虐殺の、犠牲となってしまったのだ。


「……僕の父さんと母さん、オーフェリーって人を殺したんだって。ヴィルマの大切な人だったみたい。きっかけはラウだったけど、二人は個人的な恨みで殺したって……だから、僕の両親の死は、ルエラとは関係ないよ」


 そう言って、アリーは微笑んだ。泣き出してしまいそうな笑顔だった。

 ルエラは、ディンとフレディに問うような視線を向ける。ディンが、答えた。


「本当だよ。俺達も、アーノルドさんも、ヴィルマの話を聞いた。結局のところあいつは、娘のためじゃない、自分の恨み辛みを晴らすためにも手を汚していたんだ」


 ルエラは、アリーを抱き寄せた。ディンが、ガタ、と椅子を動かす。


「おい――」

「ディン様」


 割って入ろうとしたディンを、フレディが制止した。

 ルエラの胸に抱かれ顔を伏せるアリーの肩は、震えていた。ディンは小さく舌打ちをし、面白くなさそうに肘をつきそっぽを向く。


「ったく……男が、女に縋って泣くなよ……」




 ややあって、アリーは顔を上げた。

 その瞳にはもう涙はなく、キッと引き締まった表情でルエラを見上げた。


「ありがとう、ルエラ。あのね、オーフェリーって人の死に関わっていた人物、父さんと、母さんと、もう一人いたんだ。……ティアナン中佐も殺す気だったって」

「ティアナンだと……!?」

「ヴィルマが逃亡したあの日、殺されそうになっていたのはティアナン中佐だったんだ。陛下に目撃されて、その護衛の人と戦闘になったから、殺し損ねたって……」


『私は昔、大切な人を守れませんでした』

『こんな事、彼女も望んでいなかったはずなんです……』


 ティアナンの言葉が思い起こされる。過去に何かがあったかのような言葉。

 十年前の事件の鍵を握っているのは、彼だったのだ。


 ルエラは席を立つと、ばさりと青いコートを羽織った。床に転がっていたトランクを立たせる。


「ル、ルエラ?」

「直ぐに発とう。宿へ寄ってアーノルドさんを拾い、リムへ戻る。中佐に話を聞かなければ」

「直ぐにって、朝ご飯は? 用意してくれちゃってると思うよ?」

「悪いが、遠慮させてもらう。食事となれば、また出発が遅くなってしまうだろうから。お前たちも直ぐに準備してくれ」


「まあ、昨日たっぷり食べたから朝くらい平気だけど……何か、申し訳ないなあ……昨日と同じように作ってくれてるだろうに……」

「いいから、行くぞ。で、結局、お前はなんでまたその格好なんだよ」

「だって、お城の人達、混乱しちゃうじゃない。他に服もないし、何より、『可愛い女の子』の方が色々お得だし!」

「お前、何だかんだ言って、結局、それ趣味になってるのな……」

「では、失礼します、ルエラ様」


 フレディはぺこりと頭を下げ、ディンとアリーの後について部屋を出て行く。

 三人が部屋を出て直ぐ、悲鳴にも近い声が上がった。


「な、な、な、何をしていますの――!? どうして、あなた達が彼女の部屋から……! ま、まさか、そんな、破廉恥な……!」

「ご、誤解だ、誤解!! 今日の予定確認するために集まっただけで、お前の想像しているような事は何も……!」

「な、何も想像なんてしていませんわ!! では、あなた達も知っていますのね? 知っていてレディの部屋に押し掛けるなんて、そこの殿方お二人、礼儀知らずにも程がありますわよ!」

「あっ、殿方三人でーす」

「え、ええっ!?」

「お前、なんでこのタイミングでばらした!? ややこしくなるだけだろ!」


 ルエラは溜息を吐き、部屋を出る。

 顔を真っ赤にしたレーナが、ディン達三人に迫っていた。ルエラに気付き、レーナは三人を押し退けて駆け寄る。


「ルエラさん! 大丈夫ですの!? 彼らに変な事をされたりしませんでした?」

「心配いらない。彼らとはそう言う仲ではない」


 レーナはホッと息を吐く。

 そして、ルエラの身支度に気付き目を瞬いた。青いコート、手にはトランク。いつでも出発できる態勢だ。


「え……も、もう行ってしまいますの? もうすぐ、朝食のご用意ができますのよ? それに、お時間さえよろしければ街もご案内しようと……」

「申し訳ないが、遠慮させてもらいたい。急ぐんだ。ヴィルマを追う手掛かりがそろうかもしれない」

「そうですか……」


 レーナはうつむく。


「……その責務を果たした暁には、あなたは……」


 レーナは、キッと顔を上げた。


「決めましたわ。私も、あなた達の旅に同行いたします」


 一瞬の沈黙。

 そして、四人の声が重なった。


「はあっ!?」

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