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第11話 母と娘

 突然の明るい光に、ルエラは目を閉じた。

 続いて聞こえたのは、歓声。そして、軽い衝撃と共に柔らかな髪が頰に触れた。抱き締められ、濡れた服が肌に張り付く。


「ルエラ! 良かった……!」

「あっ! てめえ、またそうやって!」


 ゆっくりと目を開くと、ルエラに抱き着くアリーを、ディンが引き剥がそうとしているところだった。

 ディンの隣に立つフレディが、ルエラに微笑みかけた。


「ご無事で良かったです。そちらは、まさか――」


 フレディの視線を追い、ルエラは隣を振り返る。そこには、キョロキョロと辺りを見回す青い髪の少女がいた。


「私達、無事に出られましたの? ここは、どこですの?」

「私達が泊まっていた宿だな……私達が閉じ込められていた鏡が割れて、私の仲間達が持ち帰っていたらしい」


 足元に並べられた鏡の破片を見て、ルエラは言った。それから、フレディの方へ視線を戻し、言った。


「こちらは、レーナ・ハブナ様。ヴィルマらにさらわれていた、ハブナ国の第二王女だ」


 一瞬の沈黙。アリーもルエラから離れ、ディンもアリーを引っ張る手を止め、レーナをまじまじと見つめる。

 そして同時に、驚きの声を上げた。


「ええっ!?」

「まったく……君にはいつも驚かされるよ」


 三人が混乱する中、アーノルドが人差し指で頰を掻きながらぽそりと呟いた。




 その後は、てんやわんやだった。王女の救出を城へと連絡し、ハブナ軍が迎えに来た。

 王女が本物である事を確認し、それからルエラ達はレーナの希望でハブナ城へと招かれる事になった。


「お礼をさせてくださいまし。それに……再会の場にも一緒にいていただけると、私も心強いので……」


 レーナはルエラの手を握り、うつむきがちに言った。

 レーナは、自分を後継者になり得ない穀潰しだと卑下していた。必要のない存在だから、国はレーナを探そうとはしないのだと。一人で帰るのは、不安があるのだろう。

 ルエラとて、特に断る理由もない。ここは、レーナの招待を受け入れる事にした。



「私は遠慮させてもらってもいいかな」


 城へと向かおうとしたルエラ達に、アーノルドは言った。


「ハブナでは色々あったからね……前に話しただろう? その事件絡みで、私を知る人もいるかもしれない。王女の招待とは言え、乞食出身の者が城に立ち入るのを、よく思わない人もいるだろうから。そのせいでレーナ姫の立場が悪くなっても申し訳ないしね」

「そんな事……」


 否定しようとしたルエラの言葉を、アーノルドは首を左右に振って遮った。


「私が嫌なんだ。当時の私を知る人に出会うのが。わがままで申し訳ないけど、私はここで留守番させてもらうよ」


 そう言って、アーノルドはにっこりと笑った。




 ハブナ城は、内装もやはりリムやレポスとはまた違っていた。廊下には磨き込まれた板が敷かれ、部屋は扉に囲まれている。

 開け放されたいくつかの部屋を見たところ、部屋から部屋へ直接繋がっている事も多いようだ。


 ルエラ達は、レーナと共に玉座の間へと通された。

 扉の前で、レーナは二の足を踏む。不安げな表情で扉を見つめるレーナに、ルエラは囁きかけた。


「大丈夫。私達がついていますよ」


 レーナは、ハッとルエラを振り返る。蒼かったレーナの顔に、赤みが差した。


「……はい」


 少し照れくさそうにうなずくと、レーナはキッと表情を引き締めて扉に視線を戻した。

 横開きの扉が一気に開かれる。


 広い座敷の向こうに、玉座はあった。

 何段にも高くなった場所に、レーナと同じような、しかしレーナよりも更に豪奢な服を幾重にも着重ねた女が座っていた。


「ただいま帰りました、女王陛下」


 レーナは震える声で、しかし毅然と玉座の女を見上げて言った。

 ハブナ国王は、ゆっくりと玉座から立ち上がると、階段を降りてくる。段を降りると、ひれ伏す臣下の間を通り、レーナ達のいる方へ。

 誰もが固唾をのみ、その様子を見つめているしかできなかった。


 レーナの前に立ち止まると、ハブナ国王は両手で我が娘を抱き寄せた。


「無事だったのね、良かった……レーナ……!」

「え……」

「着物って嫌ね。駆け寄りたかったのに、重くて動けやしない」


 そう言って、ハブナ国王はレーナを強く抱き締める。レーナの濃紺の瞳には、涙が溜まっていた。


「お母様……!」


 ルエラはホッと息をつく。

 結局のところ、ハブナ国王はレーナの存在を疎んでなどいなかったのだ。娘の行方をずっと心配していた事は間違いなかった。

 しばしの抱擁の後、レーナは母親から離れ、ルエラ達を指し示した。


「彼らが私を助けてくださったのです。そちらの銀髪の殿方は、リン・ブロー大尉。それから、えっと……」

「アリー・ラランド、ディン・ブラウン、フレディ・プロビタスです。私とラランドはリム、ブラウンとプロビタスはレポスより参りました」


「まあ、そんなに遠くから遥々……でも、どうしてまた……」

「レーナ王女様の誘拐、そしてその折にヴィルマの姿が目撃されたと言う情報を得まして。ハブナ国王様にも謁見を試みたのですが、誘拐の事実を否定され、追い返されてしまいまして……」

「ごめんなさい……市井の混乱を防ぐために、誘拐の件は内密にしておきたかったから……」

「しかし、レーナ王女の誘拐は、市民に目撃されていたのでしょう? 偽ったところで……」


 ディンが口を挟む。答えたのは、ルエラだった。


「ヴィルマから出された交換条件を、広めたくなかったから……」


 ディン、アリー、フレディの三人はルエラを見る。

 ルエラは、ハブナ国王へと視線を向けた。


「レーナ姫様より、手紙の内容を伺いました。ヴィルマは『もう一人の王女』を差し出すよう、取引を持ち掛けたと……ルエラ・リム王女の事ですよね?」


 ディンとフレディが息をのみ、アリーはパッと両手で口を覆う。

 レーナは困惑顔だった。


「リム王女? どうして――」

「ヴィルマは――あなたをさらった緑の髪の魔女は、リム国の元王妃です。……つまりは、ルエラ王女の実の母親」


 濃紺の瞳が、丸く見開かれる。

 ハブナ国王は、伏し目がちに言った。


「手紙には、名指しでリム王女との交換条件が記述されていました。他国の王女を差し出せば、レーナには危害を加えずに返すと。

 そんな交換条件が提示されたと知られれば、ハブナの民は当然、リムに協力を要請する事を望むでしょう。でもそれは、同時に他国の王女を魔女に差し出せと言うに等しい……手紙の内容を伏せるために事件の捜査状況は一切外部に漏らさぬようにし、何とか他の手立てはないか模索しているところでした。

 我が娘を助け出してくださった事、心よりお礼を申し上げます。どうぞ、今夜はこの城でゆっくりしていらしてくださいな。魔女の捜査についても、我々で力になれる事があれば遠慮なくおっしゃってください。可能な限り力をお貸ししましょう」

「ありがとうございます」


 ルエラ達四人は、深々と頭を下げた。






 ルエラ達には一人ずつ部屋が与えられ、手厚く迎えられた。

 夕餉の席には見た事のない食べ物が並び、レーナはルエラの隣に座って一つ一つ説明してくれた。


「僕、こんなにお腹いっぱい食べたの初めて! アーノルドさんも来れば良かったのにね」


 部屋へと広い廊下を戻りながら、アリーが言った。

 ディンが立ち止まり、窓の外へと目を向ける。街は闇に沈み、大きな通りを街灯の柔らかな光が橙色に照らしていた。


「……まあ、あの人も色々と用があるんだろ」


 ディンは静かに話す。その青い瞳は、宿のある辺りを鋭く見下ろしていた。ルエラは厳しい顔つきになる。


「ディン。お前、まさか……」

「さて、と。今日のところは寝るか。もう、クタクタだ。明日は、朝一でリムへ帰るんだろ? アーノルドさんだって、宿で待ってるしな」


 大きく伸びをして言うその様子は、いつものディンだった。


「あ、ああ……」


 ルエラはうなずく。今のは、気のせいだったのだろうか。


 ――そもそも、彼を疑っているなら一人にするはずないか……。


 分岐路へと辿り着き、ルエラは三人に軽く手を振る。


「それでは、おやすみ」

「ああ」

「ルエラ、おやすみーっ」

「おやすみなさいませ」



 三人と別れ、与えられた部屋に入る。

 城内の部屋もやはり宿と同じく、室内に一段高くなった座敷があり、そこに布団が敷かれていた。用意された寝間着も見知った衣類とは全く違い、街の人々やレーナ達が来ていた袖下の長い衣服を薄手にしたようなものだった。



 ――仲間達の中に、ラウへの内通者がいる。


 ルエラは、ジェラルドの言葉を思い起こす。彼は、ララ達の一件を知っていた。人体実験にあっていた子供達。その中に魔女がいる事、そして魔女達は隔離され、処刑を待っている間に落雷にあったと言う事までは、誰でも知っている話だろう。

 しかし、ジェラルドはこう言ったのだ。


 人体実験に使われた子供たちを処刑『しようとした』、と。


 処刑は実行されなかった。

 それがただ、処刑の前に落雷による火災が起こった事を指しているだけならば良い。しかし、あの言い方、そして指摘を受けた時のあの反応。

 彼らは知っているのだ。子供達が助かった事を。ララ達を拘置所から救い出した中に、内通者がいる。


 ディンも気付いたのかと、そしてアーノルドを疑っているのかと思ったが、よく考えてみればあの場でジェラルドの台詞がディンにも聞こえていたとは思えない。やはりあれは、気のせいだったのだろうか。

 着なれない衣類の着方に迷いつつ袖に腕を通していると、突如、部屋の扉が開いた。


「ブロー大尉! よ、よろしければ、少しお茶、で……も……」


 レーナの言葉が途切れる。

 突然の来訪者に、ルエラも寝間着の衿を掴んだまま固まる。


 レーナの濃紺の瞳は丸く見開かれ、さらしの巻かれた胸元を見つめていた。

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