第9話 光の賢者
川沿いを辿り、石橋を渡る。昨日の昼間と同じ道筋で、ルエラは隣町へと向かった。
町にはそこかしこに、白い光が浮かぶ。初めてそれを目にしたティアナンは、感嘆のため息を漏らしていた。
「見事なものですね……」
「魔薬による魔法反応だそうだ。今から会う賢者ルノワールはこの手の魔法を得意としていて、この辺りでは光の賢者と呼ばれているらしい」
やがて、二人は賢者ルノワールの住む家へと辿り着いた。
彼の家は川を渡って間もない住宅街の中にあった。魔法使いが住むと言っても、何の変哲も無い一般的な二階建ての家である。
変わっている事と言えば、町のガス灯の明かりが赤や青、橙や緑など様々に彩られている事か。恐らくこれも、魔薬の調合によるものなのだろう。
ティアナンが戸を叩く。「入りなさい」というしわがれた声が、中から聞こえて来た。
そっと扉を押し開き、二人は中へと入った。
中は暖炉が焚かれ、暖かな橙の光に包まれていた。冷たい夜風を外へと扉の向こうへと閉め出し、二人は一礼する。
「ビューダネス市軍所属のトッシュ・ティアナンと、私軍所属のリン・ブローです。この度は、アリー・ラランドに掛けられた魔女の嫌疑についてご意見を伺いたく、参りました」
「エルズワース少尉の言っていた者達じゃな。そう固くならずとも良い。ほら、そこに座りなさい」
ルノワールは長い白髪に長い白髭をたっぷりと蓄えた老人だった。暖炉の傍の椅子にゆったりと腰掛け、正面の長椅子を勧める。
ルエラ達は、勧められるままにその椅子に座った。柔らかな椅子が、大きく沈む。
「お茶でもどうかね?」
言葉と共に、宙に浮いたカップに紅茶が注がれ、ルエラ達の前にゆっくりと着地した。台所の方からはガチャガチャと皿を洗うような音が聞こえているが、目の前に座る老人以外に人の気配は無い。
「ありがとうございます」
礼を述べて、紅茶に口をつける。冷え切った身体が、芯まで温まるようだった。
「魔薬ですか?」
ルエラの隣に座るティアナンが、室内を見回して問うた。
部屋の壁は、一面が戸棚で覆われている。棚に並ぶのは、いくつもの小瓶。小瓶には、赤や緑、紫など、様々な色の液体が入っていた。
ルノワールはうなずき、立ち上がる。戸棚から二つの小瓶を取って来ると、テーブルの上に置いた。
「この町の明かりに使っているのと、同じ薬じゃよ。魔薬合成時の魔法反応は知っておるかの?」
ルエラは無言でうなずく。ティアナンもうなずいた。
「話に聞いた事なら……」
「うむ」
ルノワールはうなずくと、二つの小瓶のコルク栓を抜いた。両手に瓶を持ち、傾ける。
二つの瓶の口から、液体が宙にこぼれる。一つは透明、一つは明るい黄色。水滴は空中で混ざり合い、珠のような白い光となって空中に留まった。
ルノワールは、宙に漂う光をそっと手のひらに乗せる。
「二つの異なる魔薬が混ざり合うと、強い光を発する。町の明かりに使っているこの魔薬は、どちらもそれ単体では何の効果もない液体じゃ。ただ、魔薬は水やお湯で洗った程度では落ちんから、思わぬ拍子に突然光ったりしたくなければ扱いに注意が必要じゃがの」
ルノワールは、二つの小瓶をルエラ達の方へと押しやった。
「土産に持って行くといい。ただ光るだけの、おもちゃのような物じゃがの。聞いたところによると、ブロー大尉は旅をしておるのじゃとか。手明かりぐらいにはなるじゃろう」
「しかし……」
「気にするでない。調合の難しい薬でもないし、蓄えも十分にある」
躊躇するルエラに、ルノワールは微笑む。ルエラは、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」
ルエラは、小瓶を受け取る。
ルノワールは棚からもう一組の小瓶を取って来るとティアナンにも渡し、席に着いた。
「どうかね、エルズワース少尉は。元気にやっておったかの?」
「ええ、まあ。何か気にかかる事でも?」
ルノワールは自分にも紅茶を注ぎ、話す。
「良い子なんじゃがのぉ。三日前、この町に来た時は随分と落ち込んでいるようじゃったからの。ケレルと言う年下の婚約者がおったそうじゃが、一方的に婚約を破棄されたらしい。ケレルに、別の想い人が出来てしまったんじゃと。あの子との婚約を破棄してまで乗り換えるとは、一体どれ程の女性じゃったのだか……」
「……」
ルエラとティアナンの様子に気付き、ルノワールは言葉を切る。
「すまん、すまん。話が反れてしまったの。それで確か、そちらの町に魔女の嫌疑が掛かっておる娘っこがおるのだとか」
「はい。アリー・ラランド、十六歳。初めの事件は、三日前の不審火でして――」
「良い。おおよその概要については、聞いておる」
ルノワールは手をひらひらと振って、ルエラの説明を遮った。
「最初の不審火は、三日前と言ったな。すまんのぉ。その一件については、もしかするとうちの若いモンが原因かもしれん」
「やはり、長老もそうお考えですか」
「どういう事ですか?」
ティアナン一人が話しについて行けず、首を捻る。
ルノワールは苦笑した。
「ルイ・ルノワール――わしの曾孫に当たる。わしが言うのも何じゃが、これがなかなかの瞬間移動術の使い手でな。隣町まで名が通っておるようじゃが……流石に、中部までは届かんかの」
「瞬間移動……? あっ」
ティアナンはようやくその考えに行き着いたらしく、ハッとした表情になる。
ルノワールは言った。
「わしの孫のせいで関係の無い娘っこが処刑されそうになっているとは、本当に申し訳無い。明日にも、ペブルへ謝罪に行かせようぞ」
「その後の事件につきましては、どうお考えでしょうか?」
「アリー・ラランドという娘は、何も関係が無いじゃろう。どの事件も、下手をすれば自分自身が大怪我をし兼ねないものばかりじゃ。
幼年の魔力所持者ならば、力を自覚せずに暴走と言う事もあるが、それには年齢が高過ぎる。
それに話を聞いた限り、どの事件も物体的魔法によるものだと思われる。物体的魔法は魔力を持つ者ならほとんど誰でも使用できると言える術じゃが、その分、本人に自覚が無ければ使用出来ん。無自覚の魔女と言う可能性は極めて薄いじゃろう」
それに、とルノワールは続ける。
「三日前の晩の事件については、窓は外から内側に向けて割れたそうじゃな。その少女は家の中におったと言う。物体的魔法は、自分の位置から力を加える魔法であって、逆流は出来ん。その事件がある限り、彼女は白じゃよ。
彼女の周囲の人物をよく調べるのじゃ。真犯人は、案外近くにおるかも知れん」
帰る頃には、更に暗闇が濃くなっていた。どの家々の明かりもとうに消えている。点いている明かりと言えば、道端に佇むガス灯とルノワールの魔法による光ぐらいだ。
「随分と遅くなってしまったな。でも、おかげでアリーの無実は証明できそうな方向へ向かっている。あとは、アリーを陥れようとしているのが何者なのか分かれば……」
「私は明日、軍部へ行ってみるつもりです。ブロー大尉はいかがなさいますか?」
「私もそのつもりだ。今夜の事をエルズワース少尉に話して、アリーは魔女ではないと軍から正式に発表してもらおう。真犯人の逮捕はペブル町軍に任せても良い」
「そうですね。……これで、アリーが疑われる事はなくなりますよね」
「アリーの事を、本当に大切に思っているんだな。でも、親戚ではないんだよな?」
ユマの話を思い出しながら、ルエラは問う。親戚全てに厄介者扱いされ、拒絶されたアリー。その中にティアナンが含まれるとは思えなかった。
ティアナンは、少し寂しそうに笑った。
「ええ。私は、親戚にはなれませんでした。最終的に引き取ったのは確か、アリーの母の姉夫婦でしたかね……」
二人は、ペブルとの境の橋まで戻って来ていた。この橋を渡りきれば、もうペブルだ。
その時、橋の向こう側に七つの影が現れた。影は、ズラリと橋の前に立ちふさがる。
アリーの宿を襲撃した、あの男達だった。
ルエラは構えの姿勢をとる。ティアナンは、見るからにデスクワーク派だ。いざと言う時は、最終手段も考えた方が良いだろう。
しかしルエラの懸念を裏切るかのように、彼らはその場に膝をついた。
ルエラは目をパチクリさせる。
「あんた、軍人なんだろ? 助けてくれ! 俺たちゃ、何も知らなかったんだ! あの娘が魔女だったなんて……」
なるほど、とルエラは構えを解く。
アリーが魔女だと言う噂が流行し、怖くなって保護を求めに来たと、そう言う事らしい。
「俺たち別に、あの娘に恨みがある訳じゃない。ただ、頼まれただけなんだ」
ルエラは眉根を寄せる。
「……頼まれた、だと?」
「ああ。これが、なかなかの好条件でさ。深くフードをかぶった妙な奴で――」
ふっと視界が闇に包まれた。
橋の明かりが消えたのだ。橋だけではない。川沿いの土手に間隔を空けて立つ街灯も、ここら一帯の明かりが消えてしまっていた。
月明かりを頼りに目を凝らすが、人影は何処にも見えない。
けれど殺気は感じ取る事が出来た。……近くに、いる。
「な、何だあ? いったい……」
「魔女だ……魔女の呪いだ……」
「暗くてよく見えねぇよぉ」
「あ、俺、ライターなら持って……」
「よせ、馬鹿者!」
ルエラは叫んだが、遅かった。
ポッと男の手元に火が灯る。
橋の向こうの小さな明かりだが、ルエラ達の立ち位置を把握するには、十分な明るさだった。
ガァンと激しい轟音が、辺りに響き渡った。