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第10話 もう一人の王女

 辺りを覆う濃い霧。光源はどこにも見当たらないのに、不思議と周囲を視認する事は出来た。まるで、霧そのものが光をまとっているかのよう。

 その霧に包まれるようにして、一人の少女がルエラの眼前に佇んでいた。


「ハブナ王女……?」


 ルエラはその名前を呟く。

 濃紺の瞳が、ルエラを見つめ返していた。


「……子供、ですわね。あなたも、彼女達の仲間なんですの?」


 疑いの言葉に、ルエラは慌てて首を振った。


「君をさらった者達の事を言っているなら、私は違う。

 お探し申し上げておりました、レーナ・ハブナ王女。私の名は、リン・ブロー。リム国私軍に属する者です。リム国王女より勅命を受け、あなたがさらわれたと言う噂を捜査しておりました」

「リム国……」


 ルエラは辺りを見回す。

 周囲を取り囲む霧と闇。その合間に薄っすらと見えるのは、イバラと黒い土ばかり。ここがどこなのか判断出来るような材料は、何もない。



「……やっぱり、私はハブナにはいらない存在なのね……」

「え?」


 小さく呟くような声に、ルエラは振り返る。レーナはツンと澄ました顔で言った。


「何でもありませんわ。さあ、私を助けに来たのでしょう。さっさとこんな所、逃げ出しましょう」


 レーナはエスコートを促すように、手を差し出す。

 ルエラは、バツが悪そうに頬をかいた。


「それが……私も彼らの策にかかってしまった身で、ここがどこだかさえ分からないんだ……」

「使えませんわね。でも、ここがどこだかは分かりますわ。こちらへいらして」


 レーナはくるりと背を向ける。振り返った拍子に、足元に伸びていたイバラに蹴つまずいた。


「きゃっ」

「おっと」


 ルエラは咄嗟にレーナの身体に手を回し、後ろから抱きかかえるようにして支える。


「大丈夫か?」


 間近で振り返ったレーナの顔が、みるみる紅くなっていく。彼女は逃れるように、ルエラの手を振り払った。


「か、軽々しく触らないでくださいまし! 何なんですの、あなたは! 最初の君呼ばわりと言い、いくらハブナの者ではないとは言え、一介の兵卒が無礼ですわ! リムでは、王女への礼儀も教えていませんの!?」


 ルエラは「あ」と小さく声を上げる。相手が同じくらいの年頃の少女と言う事もあり、つい、いつもの感覚で話してしまっていた。いくら子供とは言え、彼女は他国の王女なのだ。ディンが例外なだけで、通常ならばルエラ・リムの立場でもタメ口を利いて良いような相手ではない。

 ルエラは胸の前に手をやり、深く頭を下げた。


「大変失礼いたしました。緊急事態でした故」

「…… フン、状況が状況だから、許してさしあげますわ。その年で私軍なんて、どうせ日も浅くてまだ慣れていないのでしょうし。せいぜい、己れの主には無礼な態度を取らないよう、気をつける事ですわ」

「ご忠告、ありがとうございます」


 ルエラは微笑み、手を差し出す。


「足場が悪いです。どうぞ、お手を」


 レーナはフンともう一度鼻を鳴らし、ルエラの手を取った。




 イバラの低い場所を選び、ルエラはレーナの指示に従い進んで行く。

 道と呼べるような道はなく、どこまでもイバラが続いていた。よく見れば、レーナの腕や足には小さな切り傷が無数に付いていた。

 腕の部分は袖があるようだが、捲り上げ肩の所で結んでいる。


「差し出がましい事かもしれませんが、袖を下ろした方が良いのでは? お怪我をなさりますよ」

「袖を下ろすと、たもとがあちこちに引っかかって邪魔になるんですもの」


 レーナは、片方の袖を解き、下ろしてみせる。街中で見かけた女性の服と同じく、袖の下側部分が腰の辺りまで長く垂れていた。彼女の言葉の通り、長い袖はイバラに引っ掛けた跡があった。


 レーナは、袖を再び捲り上げ、長い部分を利用して肩の所にくくりつける。ルエラはコートを脱ぐと、その白い肩にそっと掛けた。

 レーナは目をパチクリさせてルエラを見上げる。


「王女様に着せるにはみすぼらしいかもしれませんが、お怪我をなさるよりは良いでしょう?」

「……そうですわね。仕方ないから、借りてさしあげますわ」


 レーナは口を尖らせムスッとした表情で言った。




 レーナに連れて行かれた先は、イバラが途切れ、ちょっとした広場のようになっている場所だった。

 地面にあるのは、黒い土とイバラだけ。空中に、赤い魔方陣が浮かび上がり、そこに四角く切り取られたような映像が浮かんでいた。


「これは……」

「恐らく、外で起こっている出来事ですわ。私達が取り込まれた、鏡の外側の世界」


 魔法陣の上に映し出されているのは、先ほどまでルエラのいた通りだった。

 アリー、ディン、アーノルド――囚われた仲間達を救い出すフレディ。キッとこちらを見上げ、何事か話している。


 映像が赤い光に包まれる。フレディとジェラルドの炎がぶつかり合っているのだ。ルエラ達は、ジェラルドの持つ鏡から外側を見ているらしい。


「私達は、あの魔方陣を通ってここへ参りましたのよ。あなたの場合は、ずいぶんと勢いよく飛び込んできて、少し離れた所まで飛ばされていましたけど……」

「……と、言う事は、あれが出入り口か」


 ルエラは独りごちると、地を蹴り高く跳び上がった。肩から体当たりするように、魔法陣へと突っ込んで行く。

 バチバチっと言う痺れるような衝撃がルエラを襲った。弾かれるようにして、ルエラの身体はドサリと黒い土の上に落ちる。


「何をしていますの!? 無駄ですわ。今、あの魔法陣は閉じられた状態ですもの。

 あなたが飛び込んで来た時、陣が赤く光りましたの。ですから、再びまた誰かが取り込まれようとする時に、タイミングを合わせてあの魔法陣を通れば……」

「そんなの、待てるものか! 私の仲間は、今、あの場で戦っているんだ!」


 ルエラが叫んだ、その時だった。

 突然、地面が激しく揺れ出した。


「きゃ……っ」

「な、何だ!?」


 レーナを抱き寄せ支えながら、ルエラは辺りを見回す。

 レーナが顔を上げ、叫んだ。


「魔法陣が!」


 見上げれば、魔法陣が赤く明滅していた。映像が消え、そして魔法陣も薄れゆく。どう見ても、開かれようとしている現象には見えない。

 この揺れでは、跳び上がるのは無理だ。氷の柱を作り出そうとしたその時、足元に亀裂が走った。


「な……っ」


 ルエラは息をのむと、レーナの背中と足に手を回し抱き上げた。


「失礼!」

「えっ、きゃあ!?」


 狼狽するレーナを抱きかかえ、崩れる地面から逃れるようにルエラは走り出す。


 黒い地面は崩壊し、 その上を這うイバラも闇へと落ちていく。

 長さのあるイバラは、一部が引きずり込まれる事で意志を持って暴れているかのように波打ち、ルエラ達を叩き落としそうだった。ルエラはまだ崩れていない地面から繋いだ氷の道を足掛かりに、イバラを避けながら先へと進む。


 ドン、と見えない壁に当たり、ルエラは足を止めた。

 レーナがルエラの首に回していた手の片方を解き、正面へと伸ばす。ペタペタと宙に触れ、レーナは首を振った。


「駄目ですわ。壁みたいなものにふさがれています」


 ルエラもレーナを下ろし、自ら確認する。これ以上先へは進めそうになかった。


「あ……ああ……もう、こんなに……!」


 レーナが狼狽した声を上げる。

 崩壊は、もうすぐ後ろまで迫っていた。ゴオオオ……と地鳴りを響かせながら、底の見えない闇が迫って来る。


 ルエラはレーナの肩を抱く。

 レーナも反抗せず、ルエラにしがみついた。




 ぴたり……とルエラ達の足元のすぐ先で、崩壊は止まった。脆くなった地面がぽろりと崩れ落ち、ルエラは足を引く。


「危機一髪だったな……」


 目の前には、大きな穴が広がっていた。イバラも地面と共に落ち、あるのは霧と闇ばかり。

 レーナはヘナヘナとその場に座り込む。それからルエラを見上げ、息をのんだ。


「あなた……肩……!」

「ん? ああ、さっき降って来たイバラに当たったのかな」


 ルエラの服は、肩の部分が引き裂かれ、血が滲んでいた。


「ごめんなさい……! 私を守って……私なんかのために、怪我をさせてしまうなんて……!」


 レーナは酷く取り乱していた。蒼い顔で、オロオロとルエラに謝る。


「お気になさらないでください。ただのかすり傷です」


 旧サントリナ城で魔女から受けた傷に比べれば、些細な日常の傷でしかない。


「そんな事より、ここから出る手段を考えなくては。鏡に何かあったのだろうか……唯一の出入り口もなくなってしまったとなると……」

「……私は、このまま帰れなくても構いませんわ」


 ぽつりとレーナが呟いた。ルエラは驚いて振り返る。レーナはルエラの隣で、膝を抱えて座り込んでいた。


「私は、必要とされていませんもの。帰ったところで、歓迎する人なんていない」

「そんな事……」

「事実なんですのよ。ハブナは代々、直系の長女が受け継いでいる。妹の私は、後継にならない。皆それを理解していますし、私もお姉様の方が王の器に適していると思いますわ。何者になる予定もない私は、ただの穀潰しですのよ」


 ルエラは口をつぐむ。

 王族の後継者問題。それは決して、他人事ではない話だった。


「ハブナの者ではなくリムの軍人であるあなたが来たと言う事は、そう言う事なのでしょう。ハブナは、私を魔女から取り返そうなんて思っていない……」


 レーナはルエラを見上げる。


「ご存知? ヴィルマは私をさらう時、追って来た者達にこう言いましたの。『この娘を返して欲しければ、もう一人のお姫様を差し出せ』って。お母様に渡せと言って、同じ内容を書いた手紙を投げ渡していましたわ」


 ルエラは息をのむ。

 レーナは自嘲するように微笑っていた。


「愚かな魔女ですわ。私の代わりにお姉様を差し出すなんて、この国がするはずがありませんもの」


 レーナは姉の代わりにさらわれたと思っているようだが、恐らく彼女達の目的は違う。

 もう一人の王女とは、ルエラの事だろう。


「……巻き込んでしまって、すまない」

「何をおっしゃってますの? 巻き込んでしまったのは、私の方ですわ。あなた一人ならば、さっきの崩壊の折に、外へ出る事も出来たでしょうに……」


 レーナは、抱え込んだ膝へと顔を埋める。


「何の役にも立たない、何のためにもならない、価値の無い存在……せめて、誰にも迷惑をかけないようにと、気を付けていましたのに……」

「価値なんて、いくらでも探せる」


 ルエラは、きっぱりと言い放った。

 レーナの潤んだ瞳が、ルエラを見上げる。


「世継ぎにならない者なんて、この世界にはいくらでもいる。あなたは、それら全ての人達を価値の無い存在だと思うのか? 違うだろう」

「でも……でも、私は……」

「ハブナの民は、レーナ王女の行方を心配していましたよ」


 街で聞き込みをした時。

 誰もが共通して、レーナの身を案じ、誘拐を伏せる王族に不信感を抱いていた。


「あなたは、自分で思うよりもずっと人々に必要とされています。さあ、立って。一緒に、ここを出ましょう」


 ルエラが差し出した手に、レーナはゆっくりと手を伸ばす。

 ルエラはその手をしっかりと掴んだ。立ち上がり、レーナは不安げに辺りを見回す。


「でも……どうやって?」

「さっき、魔法を使えたでしょう。つまりここは、物理的に存在している空間である可能性が高い。ならば、壁を壊すまで」

「壁を……って、そんな事をして、もし失敗したらどうしますの? この下に落ちたら、イバラが……」

「その時は、その時。ここで膝を抱えているよりは、何かしら動いた方が建設的でしょう?

 大丈夫。何があっても、あなたは私がお守りしますよ」


 レーナは目をパチクリさせ、そしてクスリと微笑った。


「それでは、お願いします」


 ルエラはうなずく。レーナを引き寄せると、目を閉じ、手を上へと大きく振り上げる。

 ゴオオ……と低い地鳴りが闇の中に響く。不安げに身じろぎするレーナに、ルエラは静かに言った。


「大きく息を吸って。しっかりと捕まってください」


 轟音は次第に大きくなり、そして闇の中から盛り上がるように水の壁が現れた。

 ルエラは腕を前へと振り下ろし、もう一方の手でレーナを抱き寄せる。

 巨大な津波となった大量の水がルエラ達を巻き込み、見えない壁へと襲い掛かっていった。

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