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第8話 兄さん

「フレディ」


 呼び止める声に、フレディとジェラルドは立ち止まった。

 フレディ・プロビタス十三歳。士官学校を首席で卒業し、配属までの間の短い休暇の日だった。


「こんにちは、村長さん」

「俺、先に戻ってる」

「えっ、あ……」


 ジェラルドは呼び止める間もなく、家へと帰って行ってしまった。


「手紙が来ていたよ」

「ありがとうございます」


 ぺこりと軽く頭を下げ、フレディは大きな封筒を受け取る。

 封筒を開け、フレディは顔を輝かせた。



「兄さん! 兄さん!」


 封筒を片手に、フレディは兄の後を追って家の中へと駆け込んだ。


「兄さんも、もっと村の人達と話せばいいのに」

「皆、俺なんかより素直なお前の方と話したいだろ。で、どうしたんだ?」

「ほら見て、これ! シャルザに軍部が作れるんだ! これで、村の皆に恩返しが出来るよ!」


 軍からの書面を手に、フレディは兄へと駆け寄る。

 ジェラルドは、書面に目を落とし、微笑んだ。


「良かったな。頑張れよ、フレディ・プロビタス隊長」

「えっ?」


 フレディは、ジェラルドに渡した書類を横から覗き込む。そこには、隊長フレディ・プロビタス、副隊長ジェラルド・プロビタスとの記載があった。


「……本当だ。僕が隊長になってる……。兄さんの方が歳も上だし、軍の経験だって長いのに……間違えたのかな」

「いや、間違いではないだろ。村軍隊長になるには、少佐以上である必要がある。士官学校に通っていない俺は、いくら魔法使いとは言え大尉までしかなれないからな」

「あ……」


 フレディは、書面へと視線を落とす。そして、うな垂れるように呟いた。


「兄さんも、士官学校へ通えば良かったのに……」

「学費を払ってくれたのは、村長さん達だろう。俺まで出してもらう訳にはいかないよ」


 ジェラルドは食事の準備をしながら、淡々と答える。


「あっ。じゃあ、これから通うのは? これからは、僕の給料が入るから、それで……」

「いいよ。弟に出させるなんて嫌だし、俺が学校へ通い出したら隊員がお前だけになるだろう」


 ポンと、ジェラルドはフレディの頭に手を乗せた。


「心配しなくても、お前なら大丈夫だ。それに、何かあったら兄ちゃんがしっかりフォローしてやるよ。そのために、お前が学校へ通っている間、兵としての経験を積んでたんだからな」


 そう言って、ジェラルドは笑った。






 逃げ惑う人々。陽は暮れ行き、辺りは闇に沈んで行く。

 屋根の上に立つフレディの兄は、冷たい視線で弟を見下ろしていた。


「お前は何をしているんだ、フレディ?」


 ジェラルドは、淡々とした口調で尋ねる。


「どうして、レダ――その魔女と戦う必要がある? 魔女と魔法使いの違いは、性別だけ。魔女は火刑など、古い言い伝えに囚われた馬鹿馬鹿しい差別意識でしかない。お前には再三、そう教えていたはずだが」

「僕は、魔女だから戦っている訳じゃない! 兄さんだって、知ってるだろう! 彼女が、村の皆を殺したんだ!」


「お前が彼女の誘いを断ったからだろう。確かに、彼女の誘いは脅迫じみていたかもしれない。でもきちんと話を聞けば、何も悪い話ではなかった。

 力の無い、声が大きいだけの者達が台頭し、魔法使いを管理し、魔女に至っては火刑に処す。狂った世界だと思わないか? ラウ国は、それを正そうとしている。正義のために戦っているんだ」


「人を殺して得られる正義などあるものか!

 兄さん、いったいどうしちゃったんだ? 操られているのか!?」


 ルエラはじっと、ジェラルドを見据える。

 確かに彼らの中には、暗示を使える魔女がいる。しかし暗示と言うものは得てして、魔法使いや魔女には効きにくい。アンジェラとジェラルドの力量差があれば可能かも知れないが、それでも、ジェラルドの様子はこれまでに見た操られた者達とは違った。

 ディンも、レーン達も、虚ろな目をして心ここにあらずと言った様子だった。しかしジェラルドは無表情ながらも虚ろな様子は感じられないし、何より、はっきりと自分の言葉で話している。アンジェラの魔法ではあり得ない。


 ジェラルドは、笑っていた。


「相変わらず青いね、フレディは。俺は操られてなんかいない。レダについて行ったのは、自分の意志だ」

「そんな……どうして! 村が燃やされたんだぞ!? 親のいない僕達に、村の皆はとても好くしてくれたのに……」


「その親を殺したのは、村の奴らだ」

「え……」


 フレディは絶句する。


「母さんは魔女だった。あの村には、軍も魔女処刑人もいない。なのにどうして、殺されたと思う? あの村の奴らが、母さんを殺したからだ! 母さんは何も悪い事なんてしちゃいなかったのに! むしろ、その力で薬を作ってたくさんの人を救っていた。なのに、魔法が使える女性だと言う、ただそれだけの理由で!」


 ジェラルドは怒りに顔を歪め、いまいましげに吐き捨てた。


「魔女は火刑? 世界の理? そんなもの、知った事か。無力な人間共が、自分より強い者に怯えてでっち上げたに過ぎない。

 誰も母さんを守ろうとはしなかった。母さんを守ろうとしたのは、父さんだけだった。

 そして、母さんと父さんは殺された。処刑されたんだ。父さんは俺に、まだ物心の付かないお前を託した。俺は何も知らなかったフリをして、無邪気で可哀想な子供を演じるしかなかった……。

 あの村の奴らが俺達に優しかったのなんて、当然だ。魔女の力を継いだ俺達に母親の仇として恨まれるのが強かったんだろうさ。特にお前は何も知らないから、恩を売って自分達の味方に付けようって魂胆だったんだろう」


 呆然と屋根の上を見上げるフレディの背中に、ルエラはかける言葉が見つからなかった。

 フレディの母親は、魔女として処刑された。


『もしもプロビタス大尉が自ら魔女の話に乗ったのであれば――再び話を持ちかけられた時、フレディはどうするだろうな』


 ディンの言葉が脳裏を過る。

 ジェラルドは、自ら魔女について行った。村の者達を裏切って。いや、彼にとっては裏切りなどではないのだろう。元々、村の者達を恨んでいたのだ。

 そしてその動機は、フレディにも共通するものだった。


「彼女の手を取れ、フレディ。俺も、無駄な血は流したくない。お前が断り続ける限り、彼女達は諦めない。お前も、無関係なハブナ王女が犠牲になるのは嫌だろう」

「ハブナ王女……?」


 ルエラは、キッと目の前のヴィルマを睨んだ。


「やはり、貴様らが彼女を誘拐したのか! 彼女をどこへやった!?」

「ここだよ」


 答えたのは、ジェラルドだった。

 ジェラルドの手元が青く光る。キンと言う短い耳鳴りと共に現れたのは、手の平大ほどの大きさの鏡だった。


 鏡に写るのは、異国の風景などではなく、夏の空のように青い髪の少女。


「な……っ!?」

「王女は異空間に閉じ込められている。彼女の生死は、お前達の返答次第だ。馬鹿な考えはやめるんだな。二人だけでこの人数を相手に、人質奪還なんて無謀過ぎる」


 前へと踏み出そうとしたルエラに、ジェラルドは冷たく言い放つ。

 ルエラは歯噛みする。身動き出来ずにいるルエラに、ヴィルマが歩み寄って来る。


「いい子ね、ルエラ。大丈夫、何も怖い事なんてないわ。ラウは良い国よ。あなたは人間と長く過ごしすぎた。でも、これ以上人間達といてもいずれ傷付けられ失望する事になるだけ。さあ、お母さんと一緒に行きましょう」


 ヴィルマの手が、ルエラへと伸びる。


 白い手がルエラの肩に触れようとしたそこへ、横から飛んで来たものがあった。ヴィルマは手を引き、飛び退く。

 地面に刺さったのは、通りにある店の入口にかかっていたのれんだった。

 フレディの方も、飛んで来た剣にレダが身を引いていた。


「うちの隊のモンと妃候補を勝手に連れて行こうとしてんじゃねーよ」

「ルエラ! フレディ! 大丈夫?」


 ディンとアリーが、交差する道の先に立っていた。

 ディンは剣を拾い、構える。アリーも、ルエラの隣に立った。


「誰が妃候補だ。いい加減にしろ」

「ディンってば、ほんと懲りないよねーっ」

「う……と、とにかく、本当に罠だったみたいだな。ハブナ王女は?」


 ルエラは、屋根の上に立つジェラルドを視線で示す。ジェラルドは、感情のない瞳でルエラ達を見下ろしていた。

 ディンは、厳しい表情で長髪の青年を睨み上げる。


「ジェラルド・プロビタス大尉……これは、レポス国への背信行為と取るが、いいんだな?」

「背信? 俺達の両親を殺した国に、俺が忠誠を誓っていたとでも? 実力があろうとも、学校に通えなかったと言うただそれだけで、魔法使いを人間の下に位置付けるような国に?」

「そうか。それが答えか」


 冷ややかに吐き捨てると、ディンはレダへと斬りかかった。

 ルエラへと伸びた蔓を、アリーが叩き払う。


 少し離れた所でアーノルドと対峙していたアンジェラが、風で吹き飛ばされた。


「どうやら、まだ君達と共に行く訳にはいかないようだ」


 苦々しげに睨み上げるアンジェラを見下ろし、アーノルドはにっこりと微笑む。

 ヴィルマの蔓と格闘しながら、アリーが叫んだ。


「ルエラは、ハブナ王女を!」


 ルエラは力強くうなずくと、足元から氷の柱を伸ばす。

 屋根の上に立つジェラルドは逃げ出すでもなく、余裕しゃくしゃくとした態度でルエラを待ち構えていた。


「さあ、ハブナ王女を返してもらおうか」


「君も不思議な子だね。人間達は、魔女を狩ろうとしていると言うのに。息苦しくないかい、そこは」

「私を唆そうとしても無駄だ。私は、ヴィルマやお前とは違う。自分の存在が許されないからと言って、罪の無い人々を殺す者達の手を取ったりはしない」

「罪の無い人々? 無害な魔女を殺そうとする人々に罪が無いって言うのか? ただ魔女だと言うだけで人権を無視し、人体実験に使っていた子供達を処刑しようとした人間達に、罪は無いのか?」


 ルエラは息をのむ。

 放たれた火炎を水で打ち消し、叫んだ。


「なぜ、貴様がそれを知っている!?」

「……おっと。でもまあ、今ここで君達を連れて行ってしまえば、もう関係ないか」

「何を……!」


 絶え間なく襲い来る炎の渦を水で相殺しながら、ルエラはジェラルドを追う。

 ジェラルドは屋根から屋根へと飛び回りながら、けれども仲間とはぐれぬようにか、通りから離れぬ範囲で右へ左へ上へ下へとぐるぐると逃げ回る。


 跳び上がろうとしたジェラルドの背中が、ドンと壁のようなものに当たった。

 混じりけのない、透き通った氷の壁。


「終わりだ、ジェラルド・プロビタス! ハブナ王女を返してもらおう!」


 ルエラは足元を強く蹴り、ジェラルドのいる一段上の屋根へと跳び上がる。

 フッとジェラルドの口元に笑みが浮かんだ。


「……終わりは、どちらかな?」


 トン、と足元に杖を突く。


 ルエラはハッと息をのんだ。

 ジェラルドの足元。ルエラが着地しようとする先。

 そこに浮かび上がる、赤く光る魔法陣。


「しまっ……」

「意味もなく同じ場所を逃げ回っているとでも思っていたのかい? レダ達が君達を引き付けている間に複数用意した、この陣のある場所を離れないようにしていたんだよ」


 辺りが赤い光に包まれる。

 異変に気付き、アリーもディンも、ルエラとジェラルドの方を振り仰いだ。


「ルエラ!!」


 最後に聞こえたのは、アリーの叫び声。


 光が収まったそこにルエラの姿はなく、ハブナ王女を捕えた一枚の鏡が魔法陣の上に残されていた。

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