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第10話 潜入

 研究所には地下からの道があると言えども、地上に入口がない訳ではない。

 竜巻で飛ばされる危険があるからだろう。この町は門のない建物が多く、研究所もその類だった。

 頑丈な石の塀が途切れ、入口となっていた。研究所の場合は形だけでも門らしくしようと思ったのか、入口を入って直ぐの所に衝立てのように石壁が建てられていて、中までは見通せないようになっている。


 研究所の入口には、見張りの男が一人。

 アリーはコートとシャツを肩まで脱ぎ乱れた体を装うと、物陰を飛び出して行った。


「助けて!」


 切迫したような声で叫び、見張りの男へと一目散に走る。

 男は、飛びついて来たアリーを抱き留めた。細身の腕。抱き留めた拍子に一歩下がって踏み止まる程度の足腰。研究員よりは動けるようだが、やはり彼は軍人ではない。

 アリーは瞳を潤ませ、男を見上げる。


「知らない男の人に襲われて……怖かったぁ……」


 男は、動揺したように視線を泳がせる。その頬は、仄かに紅い。


「も、もう、大丈夫だ。ここで待っていなさい。今、人を呼んで……」


 男はアリーを放すと、研究所の中へ向かおうとする。

 アリーは、足元から崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。アリーを置いて行こうとしていた男は、慌てて引き返して来た。


「大丈夫かい?」

「ごめんなさい……ホッとしたら、力が抜けちゃって……。一人に、しないで……」

「弱ったな……一緒においで。立てるかい?」


 言葉とは裏腹に緩んだ表情で、男は手を差し出す。その手を取り、アリーは立ち上がった。

 男に支えられるようにして、塀の奥に見えていた衝立てを回り込む。建物との間に、人影はなかった。正面にある数少ない窓は、ことごとくブラインドが閉じられている。


 ――今だ。


 ふっとアリーは男の腕から手を放す。

 腰を低く落とすと、手の甲で強く男の横面を殴る。

 男は何が起こったのか分からぬまま、ぐらりと姿勢を崩す。

 傾く男の身体を避けるようにして背後に回り込むと、肘を振り上げうなじにきつい一撃。


 見張りの男は倒れ、動かなくなった。

 アリーは乱れた服をてきぱきと直し、男の横にしゃがみ込む。


「ごめんねー。ちょっと、鍵借りるねー」


 男の腰の辺りをまさぐり、輪に通された鍵の束を手に入れる。


「やっぱりあった。動く度にちゃりちゃり言ってるから、もしかしてと思ったんだよね」


 明るい声で言って立ち上がり、背後の建物を振り返る。

 闇の中にそびえる、白い石の箱。子供達が閉じ込められていたあの部屋は、ここからどのようにして行けば良いのだろう。軍部の地下から繋がっていた研究所の、更に下の階にあった。相当深そうだ。


 正面から入れば、誰か人がいるかもしれない。アリーは暗闇の先に動く影がないか慎重に目をこらしながら、建物に沿って歩く。

 しばらく歩いた先で、奪った鍵と一致する裏口を見つけた。そっと隙間を開けて人がいない事を確認し、するりと中に潜り込む。

 昼間に歩いた地下と同じ、真っ白な廊下が目の前に続いていた。

 これは、子供達を見つけるまでなかなか骨が折れそうだ。まず、現在地が分からなくなってしまわないように気をつけねば。


 地下へ降りる階段は、正面玄関とは反対方向へ進んで少し行った所にあった。

 往来する研究員を物陰でやり過ごし、人気がなくなったタイミングを見計らって降りて行く。

 幸いにも誰にも遭遇する事無く、地下の廊下へと辿り着いた。柱の陰に身を潜め、物音に注意しながら方向を確認する。


「えーっと、軍部はあっち側だから……」


 昼間に進んだ方向を必死に思い出しながら、地上での位置関係を頼りに頭の中に地図を描く。

 軍部は、正面玄関の前に立った時、研究所の左奥に見えていた。アリーが研究所に侵入した入口は、研究所の左側面。地下へ降りる階段は、軍部方面に進んだ先にあった。降り立ったこの場所からだと、昼間の軍部へと繋がっていた入口までそう遠くないはずだ。

 昼間、アリー達は廊下を真っ直ぐに進んで行った。と言う事は――


「――右だ」




 歩き出してほどなくして、前方から話し声が聞こえて来た。

 アリーはきょろきょろと辺りを見回す。


 ――まずい。隠れる場所がない。


 声は、徐々に近づいて来る。

 三メートルほど先に見える曲がり角。L字の曲がり角で、辺りに他の脇道や扉は見えない。

 声の主は、確実にこちらへ向かって来る。鉢合わせしてしまう。


「全然発現する様子がありませんね。本当に予知なんてしたんでしょうか? まさか、ただの偶然だったんじゃ……」


 振り返るも、一番近い曲がり角は廊下の奥。到底、走って間に合う距離ではない。しかし、ここにいてもただ目の前に研究員達が現れるだけ。

 アリーは身を翻す。

 足音も気にせず駈け出そうとしたアリーの腕を、白い手が掴んだ。

 そのままアリーは、なす術もなく扉の内側へと後ろ向きに引き込まれる。

 もう片方の手が背後から伸びて来て、アリーの口をふさぐ。


「だとしても、私達はただ実験を繰り返すだけさ。今夜にも、調律を行うらしい。痛い目に遭えば、少しは協力する気にもなるだろう」

「だと、いいんですけどねぇ。子供とは言え魔女を扱うなんて危険な役目を負わされて、結果に繋がらないんじゃやってられませんよ……」


 声は扉の前を通り、遠ざかって行く。

 アリーは息をつめて、その話し声を聞いていた。


 やがて声が聞こえなくなると、アリーの口と腕から手が離れた。

 即座に、アリーは振り返る。青いコートに、ところどころ跳ねた銀髪。翡翠色の瞳が、アリーを見つめ返していた。


「ルエラ……!」

「良かったよ、見つかる前にお前を見つける事ができて。まさか、ここまで潜入していたとはな。どうやって入ったんだ? 研究所には、見張りがいただろう」

「そこはまあ、色仕掛けで」


 媚びるような声で言って、アリーはパチンとウィンクする。ルエラは呆れたような表情だった。


「よくそんな恥ずかしい事できるな……」

「だって一番手っ取り早くてラクチンだもん。ルエラもやってみたら、落ちる男の人多いと思うよ」

「いや、私は遠慮しておく」


 ルエラは、少し照れたように視線をそらす。その様子が微笑ましくて、アリーは少し笑う。


「……来てくれたんだね。ありがとう」

「礼を言われるような事じゃない。これは、私が何とかしなければならない問題だから」

「ディンは、反対してるみたいだったよ? 王族が制裁加えると、後が大変だとか何とか」

「ディンが何と言おうと、関係ない。ここは私の国だ。私は、私の判断で決める。私の判断で動く。

 お前の言うとおりだ、アリー。子供達の事を思うなら、こんな事は一刻も早くやめさせなければならない。悠長な事は言ってられない」

「……うん」


 アリーはこくんとうなずく。

 ルエラが来てくれた。それだけで、心強かった。

 権力や魔法の話ではなく、彼女がいれば何とでもなりそうな気がしてくる。アリー自身が、何でもできそうな気がしてくるのだ。

 ルエラは、アリーに賛同してくれた。それは、何だかくすぐったいような感覚だった。それを誤魔化すように、アリーはふいとルエラに背を向け、扉の隙間から外をのぞく。


「そ、それじゃあ、今なら研究所の人達もいないみたいだし、行こっか。確か、この廊下の先に下の階への扉が――」

「その扉なら、新しい鍵が付けられていたよ」


 静かに告げられた言葉に、アリーは愕然とルエラを振り返った。


「まあ、当然だろうな。私が研究員の立場だったなら、そのままにはしておかない」

「どうしよう……僕、あの入口しか分からないよ!」

「大丈夫だ。階段を降りなくても、下へ行く道ならあっただろう」

「え?」


 アリーは昼間の記憶を探るが、ルエラ達も同じ階段から降りて来ていて、帰る時にもあの階段を使った。下の地下道で、他の階段も見かけなかった。あの階段以外の道など、心当たりがない。

 首を捻り必死に記憶を辿っているアリーに、ルエラは小さな何かを投げつけた。慌てて受け取ってみると、それは小さな小瓶だった。中に入っているのは、淡い緑色の液体。


「子供達の居場所は分かっている。その調査と解放のための準備で、遅くなってしまった。ここからお前とは、別行動だ。それを飲んで、ここで待っていてくれ」

「え……僕だって、戦えるよ!」

「心配しなくても、そのつもりだ。場合によっては、お前の役割が一番危険かもしれない。しかし、案ずる事はない。私が必ず守る」


 意志の強い瞳が、アリーを真正面から見据える。男のアリーから見ても凛々しくて、思わず見惚れてしまう。

 この少女はこれを素でやるのだから困る。


「……ルエラは?」


 アリーは尋ねる。

 ルエラはアリーの横を通り、扉に手をかけた。


「私は表から、この研究所に挑む。国の権威を仄めかしてアリーを脅して来たんだ。ならば、国の権威をもって全力で応えてやらねばなるまい」


 そう言って、ルエラは口の端を上げ薄く笑う。

 その眼は、真っ白な冷たい廊下を鋭く見据えていた。

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