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第6話 封じられた魔女

 ばさりと、大きなコートが頭の上から降って来た。

 布に視界を覆われる中、白々しいほど棒読みの声が聞こえた。


「え? 何々、寒いって? 仕方ないなあ、俺のコートを貸してやるよ」


 コートがずらされ、視界が明るくなる。ディンがルエラの前にしゃがみ込み、ルエラに着せたコートのファスナーと首元のボタンを一番上まできっちりと留めていた。

 ディンのコートには、ふさふさのファー付きのフードがある。ルエラはそれを被せられ、伸びた銀髪はコートの下に隠されていた。


 ディンが立ち上がる。ルエラは立ったままだと言うのに、彼の身長はルエラよりも遥かに高くなっていた。

 ディンだけではない。アリーも、フレディも、他の者たちも、皆見上げるようにしなければ顔が見えない。

 どうやら、衣服が大きくなったのではなく、ルエラの身長が縮んだらしい。


「幼児化……それとも、若返りの薬ですか?」


 アーノルドが問う。研究員は、悪戯が成功した子供のような生き生きとした表情だった。ルエラが女である事はばれずに済んだようだ。


「後者です。とは言え効き目は一時間程度なので、医療用には使えませんが……。どうです?」

「……聞かなかった私も悪いが、効能は先に説明してほしかったな」


 余っているコートの袖先をゆらゆらと揺らしながら、ルエラは不機嫌そうに言った。


「まあ、痛みなどはなかったよ。強いて挙げれば、やや苦みがあったくらいか。これ単体なら気にするほどでもないが、他と混ぜる際には注意が必要だろうな。苦みが強まったり、組み合わせによっては到底飲めないような味になる可能性もあるから」

「なるほど。参考にさせていただきます」

「元に戻る薬は?」

「それなら、こちらに」


 今度は黄色い液体の入った瓶を、研究員は手に取った。そして、洗った匙に一口分垂らす。


「あー……縮んだ拍子に服が乱れたから、元に戻る前にきちんと着直したいのだが……」

「ああ、そうですね。失礼しました。お手洗いで良ければ、部屋を出て右に進んで突き当りに……」

「分かった、ありがとう。その魔薬も、そこで飲んでから戻って来ても良いだろうか? 戻った拍子にまた服がずれたりしていたら、みっともないから」


 ずれ落ちるズボンを二重に着たコートの上から押さえながら、ルエラは問う。研究員はうなずいた。


「ええ。構いませんよ。では……」


 一緒に向かおうとした研究員の手から、ディンが匙を取った。


「いいよ。俺達だけで行って来る。話はこいつらが聞いてるから、続けといてくれ」


 そう言って、フレディ達を後ろ手に指さす。

 それから、ルエラを振り返った。


「行くぞ、リン」


 ディンは踵を返し、部屋を出て行く。

 ルエラはぶかぶかのコートやズボンの裾を引きずりながら、その後に続いた。




 部屋を出て扉を閉めると、ディンは呆れたようにため息を吐いた。


「ったく……何の薬かも分からないのに、簡単に口付けたりするなよ。俺が気付くのが少しでも遅れてたら、あの場で女だってばれてたんだからな」

「……反省している」


 必死にディンの後を追いかけながら、ルエラは答える。歩幅が小さくなっている上、身体の大きさに合わないぶかぶかの服は非常に歩きにくかった。


「しかし、気付いてくれたのがお前で、本当に良かったよ」

「えっ……」


 ディンは目を丸くして振り返る。ルエラは必死に歩を進めながら続けた。


「他の者だと、ここまで完全に覆えるようなコートは着ていないからな。帽子を被っている者もいない。アリーのコートもフードはあるけれど、頭との間に隙間ができそうだし。もっと不自然な誤魔化し方になっただろう」

「なんだ、コートの話かよ……」


 やや残念そうな口ぶりに、ルエラはきょとんと首を傾げる。


 男子トイレに入り、誰も来ないのを確認して、ルエラはディンのコートを脱いだ。ばさりと長い銀髪が背中に流れる。


「ありがとう。先に返す。……何だ、にやにやして」


 ディンはしゃがみこみ、ルエラの小さな手からコートを受け取った。


「いやー、懐かしいなと思ってな。昔、初めて会った時の、そのまんまだから」

「当たり前だろう。それぐらいの歳に縮んだのだから」

「俺達、こんなに小さかったんだなあ……」

「十年も経てば、背も伸びる」

「またこうやって、あの頃のルエラが見られるとは思わなかったな」

「姿だけで、中身は十六だ。変な感傷に浸っていないで、さっさと匙をよこせ」


 ルエラはディンの手から引っ手繰るように匙を奪うと、個室へと入って行った。扉の外からは、ディンの不満げな声がしていた。


「連れないなあ……お前だって、ちょっとは懐かしく思ったりしないのかよ」

「自分が縮んで懐かしいも何もあるまい」


 ルエラは呆れたように言うと、匙に垂らされた魔薬を口にした。






「アリー……アリー!」


 フレディの声に、ハッとアリーは我に返った。


「大丈夫? ぼーっとしていたみたいだけど」


 魔薬を飲んだルエラは幼児化し、同時に魔法で短くしていた髪も当時の長さに戻ってしまった。ルエラの髪が伸び出した事に気付いたディンが咄嗟にコートを被せ、研究員達にルエラの正体がばれる事は回避した。

 元の姿に戻ったら、また髪を短くしなければならない。服が乱れたためだと言う口実で、ルエラはディンの付き添いで手洗いへ行っていた。


「ごめん、ごめん。小さくなったリンが、あまりに似ていたものだからさ。びっくりしちゃって。まあ、兄弟なんだから当たり前だけど」

「え?」

「僕も、リンの様子見て来るよ。ディンだけだと心配だし。難しい話の相手はよろしく」


 そう言い置いて、アリーは部屋を出て行った。




 扉を閉め、ふーっと深い息をつきながらしゃがみ込む。

 整った目鼻立ち。長い睫毛。大きな翡翠色の瞳。


「……ノエル様かと思った……」


 十年前、両親を失い、親戚達には拒まれ、真っ暗な闇の中でそばに寄り添ってくれた一人の少年。

 頭を布で覆っていたあの少年と、フードで髪を覆った幼いルエラは、非常によく似ていた。同一人物なのではないかと、あの日出会った少年は王子ではなくルエラの男装だったのではないかと、思ってしまうほどに。


「まさか……ね」


 呟き、アリーは立ち上がる。


「呼びに行くついでに、ルエラに聞いてみよっ。ま、何の話だか、きょとんとされるだけだろうけどねー」


 わざと声に出してアリーは話す。

 右へと進みかけ、ぴたりと動きを止めた。何か、声が聞こえたような気がしたのだ。

 耳をすませば、それは幽かだが確かに聞こえていた。痛みにもだえるような、悲鳴。

 気付くと同時に、ぷつりと声は聞こえなくなった。気のせいだったのだろうか。ここは地下なのだ。外で何かあったとしても、人の声が聞こえて来るとは思えない。それに、声は上ではなく足元の方から聞こえたような気がする。

 戸惑うアリーの脳内に、かすれるような声が響いた。


『……助けて……』


「え、えぇっ!?」


 アリーは困惑し、きょろきょろと辺りを見回す。

 ガチャリと音がして、視界の端でゆっくりと扉が開いた。出て来る者はいない。

 恐る恐るそちらへ近付いてみる。扉の向こうには、下へと続く薄暗い階段があった。

 アリーに呼びかけたのは、子供の声だった。誰かが、アリーに助けを求めているのだ。アリーはごくりと生唾を飲み込むと、そろそろと階段を下りて行った。




 階段を下りた先は、足場が見える程度に灯りが点いていた。壁は上のような真っ白ではなく、積まれた石が露わになっている。それがずっと一本に続いていて、先の方で緩いカーブを描いていた。

 人気のない回廊を、アリーは足音を忍ばせて進んで行く。声はもう、聞こえなかった。


 少し行くと、右手前方に開きっぱなしにされた扉が見えた。頑丈そうな、金属製の扉。アリーはゆっくりと近付くと、壁に身を寄せるようにして中を覗き込む。

 アリーの大きな茶色い瞳が、丸く見開かれた。

 部屋には、床一面に魔法陣が描かれていた。中央にはこれまた金属製の太い柱。柱には何本もの鎖が巻き付けられ、その先を部屋の各所に伸ばしていた。


 鎖の先にいるのは、幼い子供達。


 十から十二、三歳ほどの男の子や女の子。皆、太い首輪を付けられ、まるで犬か何かのように繋がれていた。床に座り込む彼らの眼に、生気はない。全てを投げ出しあきらめたかのように、虚空を見つめている。

 ……そして。

 アリーは、息をのむ。叫び出しそうになる口を、パッと手で押さえた。


 柱の奥。魔法陣から外れた位置。そこに、横たわる小さな姿があった。部屋にいる男の子も女の子も髪が伸びっぱなしになっているので、顔が見えないこの位置からでは性別の判断はできない。

 髪の下、首があるだろう辺りから伸びている鎖は、中央の柱ではなく、壁に備え付けられた鉄筋に繋がれていた。

 う……と小さな呻き声が漏れる。

 その小さな身体の下には、赤い血溜まりが広がっていた。

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