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第10話 迫られる選択

 厚みのある本のページをめくる手が、ふと止まる。アリーの憎しみのこもった視線は、ルエラの目に焼きついて離れなかった。


『僕は、魔女を絶対に許さない』


 好意的な態度から一転、今やルエラに対し敵意しか持たない彼。当然だ。彼は、ヴィルマに両親を殺されているのだから。

 アリーに本名を聞かれて、ルエラは答える事が出来なかった。ルエラ・リム。リム国王女――そして、ヴィルマの娘。

 告げられなかったのは王女と言う立場からか、はたまた仇の娘であると知られるのが怖かったからか。ルエラは、自分でも解りかねていた。

 ポンと軽く、ルエラの頭を本で叩く者があった。


「大丈夫か?」


 ディンだった。彼はルエラの背後にある階段を上りきると、ルエラと同じように階段との間の柵にもたれるようにして隣に腰掛けた。


 ルエラ、ディン、フレディの三人は、ルメットの協力を得て国内でも有数の図書館へと赴いていた。

 アーノルドもイオ・グリアツェフ逮捕の流れからそのまま行動を共にしているが、今は逮捕についての事情聴取を受けている。アリーはまだ、医務室だ。

 本来ならば同じ毒を受けたルエラもまだ安静にしているべきなのだろうが、ソルドまで来てずっと眠っている訳にもいかない。それに何より、アリーと二人きりになるのは気まずかった。


「アリーの事は、あんまり気にすんなよ。あいつ一人に何が出来るとも思えない。万一あいつがまたお前に突っかかって来るようなら、俺が守ってやっからよ」


 ルエラは軽くため息を吐いて、寂しげに微笑った。


「……お前は、相変わらずだな」


 ルエラが気にしているのは、アリーによる糾弾ではない。……否、糾弾ではあるのだが、それによる己の立場や敵の増加は些細な問題なのだ。

 問題は、糾弾そのもの。

 つい昨晩までは親しかったアリーに、敵意を向けられるようになってしまったと言う事。

 「出会えて良かった」とまで言ってくれた彼に、存在を否定されたと言う事。

 ディンの心配はルエラの憂いとはややずれているが、それでも彼が気に掛けてくれていると言う事は理解できた。


「……ありがとう」


 ぽつりと呟く。

 途端に、ディンはルエラの肩に手を回し引き寄せた。ルエラは眼前に迫った胸を押しのけ突き放す。


「な、何だ」

「俺の胸で泣いていいぞ。言ったろ、泣きたい時にはそばにいてやるって」

「愚痴を聞いてやる、ぐらいのニュアンスだったような気がするが」

「細かい事は気にすんなって! ほら!」


 得意げに両腕を広げてみせるディンに、ルエラは呆れ返る。


「馬鹿か、貴様は。気持ちはありがたいが、私は別に泣きはしないし、そもそもフレディもいる前で何を言ってるんだ」


 階段下の机で書物を広げていたフレディが、慌てて立ち上がった。


「あ……あの、僕、アーノルドさんの様子を見てきます!」

「え」


 フレディに向かってグッと親指を突き立てるディンには構わず、ルエラは柵をひらりと超えると階段を一段飛びに駆け下りた。荷物をまとめ立ち去ろうとしていたフレディの首根っこを掴んで引き止める。


「ぐあっ」

「変な気を回そうとしなくていい。確かにあいつは私が魔女だとお前たちより先に知っていたが、それだけだ。何も無い」

「おいおい、何も無いって事はないだろー。一世一代のプロポーズだったってのによ」


 ディンは口を尖らせながら、ルエラが置いていった本の山を抱えて階段を降りて来る。ルエラはじとっとした視線を彼に向けた。


「三回も振られたいのか?」

「……さすがに、心折れるから勘弁」


 ルエラはディンが持って来た山から読みかけだった本を抜き取ると、フレディを振り返った。


「座れ」


 フレディは気まずげながらも、元の席に座り直す。四人掛けの長方形の机だった。ルエラは、フレディの隣の席に腰掛ける。


「え、お前そっち行くの? 俺は?」

「どうぞそちらへ」


 ルエラは正面の二席を指し示す。


「あ、ディン様、こちら――」


 立ち上がりかけたフレディの腕を、ルエラはがしっと掴んだ。


「お前はそこでいい」


 ルエラに気圧され、渋々とフレディは座り直す。ディンは本の山を机の上に置き、肩を落としながらルエラの正面に腰掛けた。


「ちぇ。アリーにばれてからしおらしいから、いけると思ったのになー……」

「あきらめろと言ったはずだ」


 短く言って、ルエラは本に目を落とす。沈黙は、長くは続かなかった。


「ディン様は、リム王女の事をいつからご存知だったんですか?」

「そんなに前の話じゃねーよ。ちょうど、お前に会いに行く前だな。途中で中部のローバストに立ち寄ったんだが、そこで反乱分子にルエラが捕まっちまったんだ。駆けつけてみたらこいつの髪が長くなってて、それで」

「魔法を無効化する魔法陣があったんだ。私の髪は、魔薬によって短くしているから、魔法陣の効果で解けてしまってな。荷物も引っ掻き回されていたから、女物の服や印璽も近くに散乱していた事だしな」


 本を流し読みしながら、ルエラは補足する。ディンは積まれた山の一番上にある本を手に取りながら、何気なく言った。


「それにしてもフレディ、お前、ルエラが魔女だって知ってもあまり驚いた風じゃなかったな」

「あ、はい……女性の方だろうと言う事は、薄々勘付いていましたから」


 ディンの手から本が落ちる。ルエラも、ページをめくる手をぴたりと止めていた。


「嘘だろ!? なんで?」

「ディン様のルエラ様への態度で、少し『おや?』と……。

 親しいご友人だからかと思っていたのですが、チリーウィンドで廃墟に泊まった際に同室で寝る事を意識してらっしゃるようでしたので、確信しました」

「お前のせいじゃないか!」

「わ、悪ィ!!」


「それにディン様が口を滑らした際、ルエラ様が随分と睨んでいましたから……アリーからは見えなかったでしょうが、僕の方からは丸見えでしたから。これはまずかったのだろうなと」

「わ、私も原因か……。フレディも人が悪いな。気付いていたなら、なぜそう言わなかったんだ?」

「僕なんかが伺って良い話なのか判断出来なかったので……。僕は、魔女と魔法使いはただの性別の違いだと思っていますが、世間は違います。殿下が魔女と親しくしていらっしゃるとなると、あまり広めたくはないでしょうし」

「お前の主が魔女に騙されている可能性は考えなかったのか?」

「シャルザで初めて会った時、誤って攻撃してしまった僕からディン様をブロー大尉は守っていたでしょう。あれを見ていて、演技で騙しているとは思いません」


 フレディの優しい微笑みが、今のルエラには眩しかった。

 ディンは頭の後ろで腕を組み、背もたれに大きく寄りかかる。


「それにしても、アリーの事はどうするかねぇ。ルエラ、あいつには自分が王女だって事、ばらしたのか?」

「いや……まだ、言えていない。女だとばれたからには、隠し通す事は出来ないだろうから早い内に自ら話した方が良いだろうとは思うのだが……」

「だよな。それで、アリーが大人しくしててくれりゃいいんだが、問題はそうじゃなかった場合だ。いくら何の地位も権力も持たない一般市民だと言っても、あいつが敵対するつもりなら野放しにはしておけないだろ?」


 ルエラは眉をひそめる。


「野放しには……って、一体どうするつもりだ」

「まさか、考えてなかった訳じゃないだろ? お前は王女なんだ。それをあいつが魔女だと言って触れ回る気なら、選択肢は二つに一つだ」


 ディンは「よっ」と勢い付けて姿勢を戻し、すっと人差し指を立てる。


「一つ目は、お前が魔女だと認めて火刑を受け入れる」


 そして次に、中指も立てる。


「二つ目は、アリーは嘘を吐いているとして謀反人に仕立て上げる」

「な……アリーを粛清しろと言うのか!?」


 ルエラは椅子を蹴って立ち上がった。ディンは涼しい顔で淡々と話す。


「あいつがお前の事を広めるつもりならな。

 お前は王女なんだ。王女を魔女だと言うなんて完全なる謀反人だ。それを放置していれば、他の奴らだって不審に思う。

 お前に手を下す覚悟がないってんなら、同盟国のよしみで俺が引き受けてやってもいいぜ。運よく、今俺たちがいるのはソルドだ。このままアリーを連れて、あいつに馴染みのあるリムを通らずにヨノムサやハブナを経由してレポスまで連れて行って……」


 ルエラは魔法で氷の槍を作り出す。ディンへと突きつけようとしたそれは、咄嗟に立ち上がったフレディの杖に遮られた。

 杖を槍とを交差させたまま、ルエラはフレディの肩越しにディンを睨みつける。


「……魔女をかばい、アリーを殺す気か。

 見損なったぞ、ディン。お前は、己の私情よりも、民の命を、平和と安全を一番に考える奴だと思っていた」

「悪いが、アリーはうちの民じゃないんだよなあ。他国の民より、身内にしたい女性ってね」


 肩をすくめて軽い調子で言うと、ディンは机の上で両手を組み、鋭い眼光でルエラを見据えた。


「お前がどう思おうと、選ばなきゃならないのは事実だ。逃げ道はないぜ、ルエラ・リム王女様」

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