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灰色の王女-火刑となりし男装王女の魔女狩り譚-  作者: 上井椎
第1章 漆黒と純白の輪舞曲
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第6話 犠牲者たち

 怒号と罵声が、大理石の廊下に響く。大人達は、小さな子供を引きずるようにして連れ出そうとしていた。

 騒動に気付いた男が、彼らに駆け寄る。


「お前達、何て事をしてるんだ! 誰にそんな手荒い真似をしているのか、分かっているのか!?」

「魔女の子だ!」


 答えた声には、憎しみがこもっていた。


「私の妻は、あの魔女に殺されたんだ! 奴にも同じ苦しみを与えてやる!」

「魔女の子に生きる価値などあるものか! もしかしたら、この娘だって魔女かもしれない!」

「あの魔女をおびき出す餌にすればいい!」

「な……っ」

「嫌だ……やめて……!」


 子供は必死に抵抗するも、幼い身体で大人達に敵うはずもない。




『お母さんはね、魔女なの』


 知っていた。彼女は魔女なのだと。


『誰にも言ってはダメ』


 知っていてもなお、彼女が優しい母親である事に変わりはなかった。


『誰にも? お父様にも?』

『そう、お父様にも』

『どうして?』


 彼女は微笑んだ。

 寂しそうな笑みだった。


『魔女だと知られれば、殺されてしまうから』






 その晩の宿は、がらんとしたものだった。

 近所の者達で賑わっていた店も、客はルエラとユマの二人のみ。何も知らずに入って来ようとした客も、アリーを見るなり逃げて行ってしまう。

 静かな店内に、スプーンを置くカチャンと言う音はやけに大きく響いた。


「ごちそうさま」


 手を合わせ、ルエラは席を立つ。

 二階の宿泊客も、ルエラとユマを除けば、流浪の身の老婆が一人いるのみ。ルエラが訪れるほんの一日前からいるらしい。他にも二組の旅行客がいたが、いずれも夕方頃、アリーが宿屋に戻る前に出て行ったと言う。

 木製の床と壁、置かれた家具は、ベッドと一人用の丸椅子と丸テーブル。必要最低限がそろった、よくあるそれなりの部屋。

 青いコートを机の上に脱ぎ捨てると、硬めの小さなベッドに横たわる。


「魔女には生きる価値などない、か……」


 魔女は火刑。

 それが、世界の理だ。


 コンコンと戸を控えめに叩く音がして、ルエラは身を起こした。

 扉の先に立つのは、アリーだった。


「ユマは帰ったよ。今日は、お父さんが帰って来るみたい」


 きょとんとするルエラに、アリーは少し笑って言った。


「ユマの家、お父さんと二人暮らしなんだ。ユマのお父さん、お役人さんで。夜勤のある日は、ここに泊まる事になってるんだよ」

「なるほど……」


 あの年頃にしてはずいぶんと箱入りな気もするが、もしかしたら父親は相当な身分の人物なのかもしれない。


「……リン。もう、大丈夫?」


 不意に声のトーンを落とし、アリーは問うた。ルエラは、虚を突かれたように目を丸くする。


「さっき……学校の前でたくさんの人に囲まれた時、リン、顔色悪かったから」

「あ……」


 魔女に助ける価値などない。引っ立てろ。

 アリーに向けられたその言葉は、ルエラの古い記憶を呼び起こした。十年前にルエラ自身が受けた仕打ち。

 ルエラは、何も言えず身動きが取れなくなってしまった。ルノワール中尉の移動魔法で現場に駆け付けたにも関わらず、何の役にも立たなかった。


「すまない……私は、彼らを止めなければならない立場だったのに。何もできなかった……」

「そんな事ないよ! リンは、僕たちを助けてくれたじゃない。リンが来なかったら、僕達、門の下敷きになってぺっちゃんこになってたかもしれないんだから」

「ありがとう。そう言ってもらえると幾分か気が楽だ」


 ルエラは微笑む。


「……あまり、無理しないでね。僕で良かったら、話ぐらいなら聞くから」

「ありがとう」


 再度、ルエラは言う。

 アリーはやや心配気ながらも、階下へと降りて行った。遠ざかる足音を聞きながら、ルエラはベッドへと腰を下ろす。


 ……話せるはずもない。

 ルエラは本来、ここにいてはならない存在なのだから。






 翌朝、ルエラはコンコンと部屋の戸を叩く音で目を覚ました。


「リン。起きてる?」


 ユマの声だ。ルエラは急いで晒しを巻くと、ハイネックのTシャツを頭からかぶり、扉を開いた。


「おはよう。どうしたんだ? こんな早い時間に」


「話があるの……ちょっと、来てくれる?」


 ユマは、隣の部屋へとルエラを招き入れた。ユマが借りている部屋だ。

 部屋の中は本やぬいぐるみなど多くの私物が置かれていて、宿の一室とはとても思えない。


「私のお父さん、軍部で働いているの。お母さんはいないから、お父さんが夜勤の時は私、一人になっちゃうのよね。そう言う日は、いつもここに泊まっているの。ここならアリーもいるから。そうしている内に、この部屋、私専用みたいになっちゃった」


 ルエラは棚の上に置かれた写真立てに目を留める。そこには、三人の人物が写っていた。

 肩で切り揃えた茶髪の幼い女の子は、恐らくユマだろう。その後ろに立つ、大人の男女。ユマの両親だろうか。母親は、ユマにとてもよく似ていた。


「それが私の両親よ」


 ルエラの視線の先に気付き、ユマは言った。


「私のお母さん、殺されたの――ヴィルマに」


 ルエラはハッとユマを振り返る。

 ユマは目を伏せ、語った。


「お父さんの仕事で、二人で中部に行った日にね。

 アリーの両親もそう。二人共、ヴィルマに殺されたんだって。それでアリーは、この家が引き取った」

「そうか。だからアリー、『おじさん』や『おばさん』と呼んで……」

「ええ。本当の両親じゃないのよ。遠縁の親戚だって言ってたわ。苗字は違うけれど、姻戚関係か何かじゃないかって」

「もっと近い関係はいなかったのか?」

「引き取ろうとしなかったそうよ、誰も。

 アリー、ヴィルマの顔を見たらしくて。当然、ヴィルマの方もばっちりアリーの顔を見ているわ。だから、誰もアリーを自分のそばに置きたくなかった。ヴィルマがアリーを狙ってきて、自分達も巻き込まれる事を恐れたのよ」


 ルエラは黙ってユマの話を聞いていた。

 ユマはキッとルエラを正面から見据える。


「だから、アリーが魔女なんて絶対にあり得ない。アリーは、ヴィルマに――魔女に、全てを奪われたの。アリーも私も、魔女を憎んでいるわ。なのにアリー自身が魔女なんて、侮辱も良いところよ」


 ユマの声が震える。固く拳を握っているのは、涙を堪えているのかもしれない。

 それでも顔は上げ、じっとルエラを見つめていた。


「私にできる事なら何でもするわ。だからお願い、リン。アリーを助けて……!」


 その時、廊下から声が響いた。


「ユマーっ。忘れ物、見つかったー? 何だったら、僕も探……」


 部屋の扉が開く。入って来たアリーは、ルエラの姿を見て目をパチクリさせた。


「あれっ、リン?」

「おはよう、アリー」

「ちょうど部屋の前で会ったから、探し物を手伝ってもらったの。もう大丈夫よ」


 ユマは早口で言うと、アリーの背中を押すようにして部屋を出る。

 ルエラも、その後に続いた。


 ドタバタと重いものが転げ落ちるような音が響いたのは、ユマが部屋に鍵を掛けているちょうどその時だった。

 ルエラは、廊下の反対側へと賭ける。階段の下に、老婆が倒れていた。


「お客さんだ!」


 ルエラの後ろからのぞき込んだアリーが叫ぶ。

 ルエラは、幅の高い階段を駆け下りる。

 下の階では、厨房の方から宿の亭主と夫人が、何事かとのぞき込んでいた。ルエラは彼らへと叫んだ。


「医者に連絡を! 急いで!」




 医者が駆けつけ、老婆は病院へと搬送されたが、間もなく息を引き取った。

 死因は、階段からの転落。打ち所が悪かったらしい。軍が持ち物を調べたところ、彼女は持病を患っていたとの事だった。


「私も軍も調べたが、彼女の死に何ら不審な点は見つからなかった。階段を降りている際に、持病による発作があったか……あるいはただ、足を滑らせたか……不幸な事故だという事で、結論付けられた」


 軍部から帰ったルエラは、宿の亭主、夫人、アリーにそう説明した。

 ユマも気にしている様子だったが、宿にいても待つ事しかできない。ルエラは彼女に、学校へ行くよう促した。


 三人は、うつむいて話を聞いていた。ルエラの説明が終わり、亭主が席を立つ。

 そして彼は、アリーへと拳を振り下ろした。

 無抵抗だったアリーは、バタンと床に倒れる。殴られた頬を抑え、目を丸くして亭主を見上げていた。


「おじさん……?」

「この魔女が……ッ! ついに、お客様にも手を出しやがって……!」

「落ち着け! 今、説明したろう。これは不幸な偶然でしかない。これまでの事件とは違うし、アリーが魔女だと決まった訳でも――」


 ルエラはアリーと亭主の間に割って入る。

 亭主はルエラの肩越しに、ギラギラとアリーを睨み付けていた。


「店には出て来るな、迷惑だ」


 吐き捨てるように言うと、亭主は肩を怒らせ店の奥へと去って行った。

 気まずい沈黙が、店内に流れる。


「おばさん……」


 ぽつりと小さく、アリーが呟いた。

 その声に、夫人はびくりと肩を揺らす。その瞳にあるのは、怯えの色。

 彼女はふいと目を背けると、亭主の後を追うようにして奥へと去った。


「……アリー、大丈夫か?」


 ルエラは振り返り、膝をつく。

 アリーは我に返ったように顔を上げ、笑顔になった。


「あ……アハハ……情けないところ見せちゃったね。平気、平気。僕、強いんだから。あれくらい痛くも何とも……」


 明るく話そうとするその声は、震えていた。ルエラはそっと、アリーを抱き寄せる。


「……や、やだなあ……本当だよ……痛くなんか……」


 その後はもう、言葉にならなかった。

 アリーは声を押し殺し、ただただ肩を震わせていた。


 ――引き取ろうとしなかったそうよ、誰も。


 親戚全てに厄介者扱いされ、ようやく引き取ってくれた夫婦。アリーには、大切な居場所だった事だろう。その彼らさえも、魔女の噂が立てばこのありさま。

 階段にも、妙な仕掛けは見当たらなかった。これまでの事件とは異なる、不幸な偶然でしかない。しかし、人々はそうは思わないだろう。


 ついに、魔女が人を殺した。


 そんな噂が、あっという間に町中に広まった。

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