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第7話 霧の中の魔女

 霧の中に佇む女は、旧サントリナ城で一戦を交えた魔女に相違なかった。イオ・グリアツェフ。植物を操る魔法を得意とし、城に迷い込んだ人間を取り込み自らの力としていた魔女。

 イオはスゥッと目を細めて嘲った。


「捕まえる? 相変わらずの強気ね。その過大な自信が、仲間をも危険に巻き込んだのではなくて?」

「さて、自信過剰はどちらの方だろうな。よく見るといい。気付いていないなら教えてやるが、今回私は一人ではないし、この場に貴様お得意の魔方陣はないぞ」

「そうね。満月も、四日前に過ぎたばかり。捕らえておく事も出来ないとなれば……殺してしまうしかないわね」


 ニィッとイオの口元に笑みが浮かぶ。


「来るぞ、フレディ!」

「はい!」


 霧を抉るように襲い来る蔓の一方を、ディンの剣が薙ぎ払う。残るもう一方の蔓は、フレディによって焼き払われた。

 蔓に応戦する二人の横を駆け抜け、ルエラはイオへと肉薄する。イオは身を引き、構える。軍曹と呼ばれていたからには、彼女もかつては軍人だったのだろう。体術で来るか、魔法を使うか、どちらにしても――


「遅い!」


 ルエラの回し蹴りが、イオの横顔に直撃する。よろめいたイオの胸倉と腕を掴み、アリーが投げ飛ばした。そのまま、地面に倒れたイオを押さえつける。

 あっけなく確保――と思われたが、アリーが弾かれ地面に転がった。即座に蔓がアリーを襲い、ルエラは間に入って氷の盾でガードする。


「ごめん、リン!」

「いや。大丈夫か?」

「うん――魔女が!」


 アリーの声で、ルエラは振り返る。イオは、その場から消え失せていた。代わりにあるのは、遥か上空へと伸びる刺々しい蔓。その先は、霧の中へと消えて見て取る事が出来ない。どうやら、蔓を支えに上へと姿をくらましたようだ。


「ディン様、燃やしますか?」

「いや、待て。奴がどの位置から降って来るか分からない。こちらからも見えないが、あちらからだってこちらがどの位置だか見えないはずだ。火や光がつけば、こちらの居場所を教える事になる。飛ぶ事は出来るか?」

「いえ……。物が揃えば、炎の噴射を応用する事も出来ますが……この場では……」


 ディンの視線を受け、ルエラも首を振る。


「私も飛ぶ事は出来ない。物理的魔法を応用し飛行と同じような動きが出来る者もいるが……そう言うのは限られた、その魔法に優れた術者のみだな」

「そうか……。くそっ、奴が動くのを待つしかないか……」

「飛ぶ事は出来ないが、彼女と同じように上へ行く事は出来るぞ。私もよく使う魔法だ」


 きょとんと目を瞬く三人に、ルエラはフッと口の端を上げて微笑った。



* * *



 真っ白な中に、イオ・グリアツェフはいた。地面から伸ばした蔓は霧の中でぐねぐねと蛇行し、その先に大きな葉を広げていた。その少し前方目掛けて、氷の柱が一直線に伸びて行く。

 迫り来る鮮やかな青色を、イオが見逃さないはずがなかった。


「……馬鹿ね」


 イオの足元の蔓が枝分かれし、凶悪な棘が青いコートを貫いた。

 蔓を引くと共に、コートも付いてくる。その先にあるのは、氷で作られた人間大の突起。


「な……」

「こんな初歩的な囮に引っかかるとはな」


 声に反応し、イオは振り返る。カーディガンとワイシャツ姿で氷柱の上に立ったルエラは、イオへと手をかざしていた。


「遅いと言っているだろう」


 それ以上、イオが動く事は出来なかった。一瞬にして、彼女は氷の中に閉じ込められてしまっていた。


「霧の晴れた所まで上がっていなくて助かったよ。これだけ空気中に水が充満しているんだ。私の武器に囲まれているようなものさ」


 地面へと戻ったルエラを、アリー、ディン、フレディの三人が迎えた。凍りついたイオは、地面へと横たえられる。


「さて……軍部に連絡を入れないとな。ここからだと、どちらの方が近い?」

「大分歩いたからなあ……リムとソルドの国境は目印が無いから……。中間地点だとすると、顔の効くリムへ戻った方が、話が早いかもしれない。

 僕、行きましょうか? 大尉には氷での拘束を続けてもらう必要がありますし」


 フレディはディンに問う。


「ああ、そうだな。おい、ル――リン。話通しやすいように、手紙か何か持たせられるか? いくら同盟国でも、隣国の佐官じゃ確認に手間取るだろ」

「ああ。それなら、ルエラ王女の名の入った勅命書を――」


 パリンと高い音が足元で響いた。


 ルエラらは息を呑み、そして咄嗟に後ろへ跳んで距離を取る。棘の付いた蔓が、鞭打つように虚空を刈った。


「誰かと思えば、グリアツェフ軍曹じゃない。なっさけなーい、こんな子供達に捕まってるなんて。男を落とすのはあなたの得意技でしょう?」


 霧の中から現れた人物を見て、ルエラは目を丸くする。イオよりは短く、波打つ黒髪。無邪気に笑うその顔は、忘れようはずもなかった。


「貴様は……!」

「あっ、嬉しいー、覚えててくれたのね。久しぶり、お姫様っ。返事は考えてくれた?」

「お前も魔女の仲間なんだな?」


 尋ねたのはディンだった。腰に収めていた剣の柄に手を掛ける。


「ああ、あなたはあの時のナイト君ね。悪いけど私は、その子とお話してるの。邪魔しないでくれる?」

「貴様と話す事など無い。返事ならば変わらない。魔女の味方など、断る!」

「振られたわね、ジュリア・ステイシー兵長。それから、上司に対して随分と横柄な口の聞き方なんじゃなくて?」

「残念でした。今はもう准尉です。私の方が上よ。……それに、脱走兵がイマサラ上司面?」

「……」


 二人の魔女の間に、不穏な空気が流れる。

 ルエラは眉を潜め、二人を交互に見る。彼女達は、仲間ではないのだろうか。シャントーラの城で、イオの下部として動いていたノーヴァと言う男は、彼女がかつてどこかの国の軍曹だったと言っていた。そして今は、その国には属さないと。


「ラウ国か……?」


 ルエラの呟きに、イオとジュリアが振り返る。イオが無表情でこちらを見つめる一方、ジュリアは目を丸く見開いていた。


「あら、凄い! もうそんな所まで辿り着いていたの? あ、それとも軍曹が何か漏らしちゃったのかな~っ」

「私は何も言ってないわ」


 イオがムッとしたように言う。


「まあ、いいわ。どちらにしたって、帰さなければ何も問題ないもの」


 ジュリアがルエラへと手をかざす。ルエラ達は構えた。


「そこまでだ!」


 男の声と共に、強い風が吹いた。風は竜巻となり、イオとジュリアをその中に閉じ込める。


「ちょ……ちょっと、何よこれ!」

「炎!」


 男の声に言われ、フレディが我に返ったように杖を突き出す。噴出した炎が竜巻に加わり、二人の悲鳴が上がった。

 渦が弱まり、風がやむ。倒れ伏した二人の向こうに、一人の男が立っていた。ハシバミ色の髪に、青い瞳。


「もう大丈夫だよ。私はアーノルド・ナフティ。流れ者の魔法使いだ」


 そう言って彼は、にっこりと笑った。


「まさかこんな所で魔女に遭遇するとはね。遠くから、その魔女の姿が見えたんだ。――やっと、来たみたいだ」


 アーノルドに指し示され、ルエラ達は背後を振り返る。装甲車が停車し、白と黒の軍服にカーキ色のコートを着た一団が降りて来た。


「ソルドの軍か」

「私が呼んでおいたんだ」


 ディンの呟きに、アーノルドが答える。


「こっちです。この二人ですよ」

「魔女確保のご協力、感謝します」


 ブルザと並ぶであろうがたいの良い銀髪の男が、アーノルドに敬礼する。他の軍人達はイオとジュリアを囲み、立ち上がらせていた。

 ディンがふーっと息を吐く。


「一見落着だな」

「ああ。それに、彼女達から何か聞き出せるかも知れない」


「そう言えばさっき、後から来た方の魔女がリンの事をお姫様とか言ってたけど、一体……?」

「前にレポスで、リンが反乱分子に捕らえられた事があったんだよ。んで、そこを俺が助けに行った訳だ」

「ああ、囚われのお姫様って事か。ディンの事もナイトって言ってたの、その事だったんだね」

「助けにも何も、お前が来た時には全て終わっていたけどな……」

「う゛……」


 ディンは言葉を詰まらせる。それからふと思い出したように、コートを脱いだ。

 ルエラはアリーの顔を覗き込む。


「アリー。少し顔が紅くないか?」

「そう? ちょっと動いたからじゃないかな……」

「おい、リン。その格好じゃ寒いだろ。これでも――」


 突如、横から襲い来た蔓がアリーに叩きつけられた。一瞬の出来事に、誰もが凍りついたようにただ目を見張っていた。

 アリーの身体は崖の淵を越え、ふわりと宙に浮く。


「アリー!」


 軍の隙を突き、イオが蔓をこちらへと伸ばしていた。暴れる蔓はフレディの炎で灰と化し、彼女は再び取り押さえられる。

 ルエラはアリーへと手を伸ばすも、空しく空を掴んだだけだった。大雨で増水した怒涛の水流へと、アリーの姿が飲み込まれて行く。


 ルエラは迷わず、アリーの後を追い崖から飛び出していた。

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