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第3話 焼け落ちた紋章

 多くの宿屋は二階建て、大きい所では三階建てや四階建てになっている事が多い。二階より上に客室はあり、一階は料理店として宿泊客以外も受け入れている所がほとんどだ。

 ルエラが向かった宿屋も例に漏れず、一階にはいくつもの机が並び人々が食事をしていた。部屋の中央には音楽隊の一団がいて、彼らの奏でるアコーディオンや笛の音が部屋中に心地よく流れている。


「おーい、リン! こっち、こっち!」


 音楽隊の向こう側、部屋の奥で滑らかな金髪の少年が立ち上がり手を振っていた。

 ルエラは音楽隊のいる中央をぐるりと回り込み、そちらへと向かう。店内に置かれた観葉植物の陰に隠れるような位置に机があり、そこにはフレディ・プロビタスの姿もあった。


「遅くなってすまない。出掛けに、厄介な者に捕まってな」

「大丈夫、大丈夫。俺達、三日も待ってたんだぜ? 今更、五分や十分なんてどうって事ねえよ」


 ディンはルエラを迎えると、フレディの隣に腰掛けた。ルエラは、彼らの正面の席に座る。

 先にルエラが来る事を告げてあったのだろう。直ぐに店の者が食事を運んで来た。


「良かったら、お前も食って行けよ」

「悪いが、食べて来てしまった。気持ちだけもらっておく」

「そうか」


 ディンは店の者にルエラの分が不要である事を告げ、自分の前に出されたサラダにありついた。

 ルエラは、奥の席で緊張気味のフレディに目をやる。ルエラに遠慮してか、食事に手をつけようとはしなかった。


「しかし、プロビタス少佐も一緒だとはな。シャルザの件か?」

「そうでもありますし、そうでないとも言えます」


 フレディは曖昧な言い方をした。ルエラに紅茶が運ばれて来て、ディンはようやく皿から顔を上げた。既に彼のサラダはきれいさっぱり無くなっていた。


「お前、ヴィルマを探しているんだってな。フレディから聞いた。

 単刀直入に言う。俺達と、手を組まないか? お前の旅に、同行させて欲しい」


 ルエラは眉根を寄せる。


「お前、何を言っているのか解っているのか? 魔女を自ら追うという事だぞ。隣国の王子がそこまでする理由が何処にある?」

「あるんだな、それが。シャルザで、これを拾った」


 そう言ってディンが机の上に置いたのは、一本の小瓶だった。あの時拾っていたのは、これだったのか。

 中に入った半透明の液体が、部屋の灯りを受けきらきらと輝く。水よりも柔らかな固体に近いそれ。


「魔薬……シャルザに火を放った魔女が置いて行ったものか?」

「恐らくな。瓶の縁の所、よく見てみろ」


 ディンは次に運ばれて来たスープに手をつけていた。ルエラは言われるがままに、瓶に顔を近付ける。コルクで栓をされた口部分には、細く金色の縁取りがされていた。そこに彫られた模様。

 ルエラは息を呑む。


「これは……リムの……!」


 ポケットから小瓶を取り出し、隣に並べる。ルエラが持っている魔薬は、ヴィルマの部屋から拝借したもの。ヴィルマはかつて王妃だった。当時調合した魔薬は、リムの軍属魔法使いの軍服にも使われているのと同じ薔薇の蔓の彫刻が施された小瓶に入れられていた。

 並べた小瓶の模様は、確かに一致していた。


「まさか、同盟国であるリムがうちの村に魔法使いを仕掛けてくるとは思えない。ヴィルマが絡んでいると見て良いだろうな。――フレディ、お前も遠慮せずに食えよ」

「あ、はい……それじゃあ、お言葉に甘えて……」

「敬語は無しって言ったろ」


 ディンは少ししかめっ面をし、それからルエラに向き直った。


「うちも、村が一つ殲滅された。レポスにも危険が迫ってるんだ。どうせ同じ魔女を追うなら、手を組んだ方がリスクは小さくなるだろ。

 それから、フレディの兄さんも行方不明なんだ。魔法使いも一緒なら、心強いだろ?一緒に探しに行かないかって声を掛けたら乗ってくれてさ。表向きは、俺の護衛及びシャルザの村軍隊長としての犯人追跡って事になってる」


 ルエラの視線を受け、フレディは軽く頭を下げた。


「民家の焼け跡から、これが見つかった」


 次にディンが机の上に置いたのは、一枚の紙切れだった。元々は一般的な書類のサイズだったのだろう。下半分は焼け落ち、紙自体もところどころが焦げたり穴が開いたりしていて判読し難い。

 書類の上部に描かれた紋章を、ディンはトンと軽く指で叩いた。


「この印。フレディの話じゃ、ラウの紋章だそうだ」

「は……」


 ルエラはポカンとディンを見つめる。それから、フレディを振り仰いだ。フレディは、真剣な顔でうなずいた。


「ブロー大尉は、ラウ国のお話はご存知ですか? 魔女メリアの物語とも呼ばれますが……」

「待ってくれ。ラウが、実在すると言うのか? それも、古の時代ではなく、今この時代に?」


 古の時代、北方大陸にはラウと呼ばれる国があった。ラウには悪魔の子ライムが棲んでいて、人々を闇の力で脅かしていたと言う。

 メリアは、彼を討伐すると名乗り出て結果的に裏切り魔女となった女性の名前だ。

 一般的にラウと国の名前までは広まっていないが、メリアの物語はおとぎ話として子供達に語り継がれている。それなりに教養のある者ならば、メリアの話は聞いた事があるだろう。ルエラやディンも、その類だった。

 ルエラがラウの名を聞いたのは、魔法研究所を訪れた時の事だ。しかしそこの研究員も、ラウの存在は伝説でしかないと述べていた。


「火の無い所に煙は立たない。語り継がれている物語には、必ずその元となった話がある」


 フレディは至極真面目な表情で話す。

 そして、一枚の紙を焼けた紙の横に広げた。


「これは、レポスの国立図書館にあった本から古の時代の北方大陸の地図を写したものです。――そして、これが今の北方大陸の地図です」


 更に隣に、フレディは地図を広げる。古の時代のものは、今の地図のような国境や細かな地名などは描かれていない。大まかな大陸の形と、山と主だった城の位置。そして今のリムの北部に連なる山脈の更に向こうにある、広い森。


「これは……」

「ええ。広大な森の北側が、今の地図ではきれいさっぱり無くなっている。昔の地図ですから、今ほど正確ではなかったかも知れません。海面の上昇や地形の変化もあったかも。それでも、あまりにもこの部分だけ違い過ぎる。……まるで、一つの国が大陸から切り離され海の底に沈んだかのように」


 古の魔女メリアは、三日三晩、村を水に沈め続けた。そして最後には、自身が海の藻屑となった。


「国ごと、海底に消えた……?」

「あくまでもおとぎ話を元とした推測ですが。ラウ国は海底に沈んだ。そう思われていたから、学者達の間でもその存在の真偽は曖昧とされていたのでしょう。例え過去に存在していたのだとしても、今存在しないのであれば伝説であるのと同じ事。しかし、これが発見された以上、ただの伝説とは言えなくなりました」


 焼かれた紙。蔓の絡んだ十字架のような紋章。紅いインクで記されたそれは、何処か毒々しい印象を与えた。


「俺達はリムを北上して、ソルド国へ行ってみようと思ってる」


 いつの間にかメインディッシュの肉をも食べ終えたディンが言った。


「ラウ……だかどうだかは分からねーが、昔の地図と大きく形が変わってる辺りの北端は、今じゃソルドだ。北側がどうなってるのか、出来ればこの目で確かめたいところだけど、それは難しいかもしれないな。リムやレポスみたな汽車が走ってるとは限らねぇし。でも、ソルドの人に話を聞くぐらいは出来ると思うんだ。

 ソルドの北の山々からは、リムの北部にかけて大河が流れてる。ソルドとの国境はほとんどが雪山だが、その一角だけはなだらかな平地だ。昔から、人は川沿いに文明を発展させて来ただろ? 魔女も、この川を下ってこっちに流れて来た可能性がある。

 どうだ? リン、お前も一緒に行かないか? リム国内の案内がいると、俺達も楽だしな」


 そう言って、ディンは悪戯っ子のように笑った。



* * *



 一人で旅を続けるには、限界がある。ブルザやブィックスの言う事には、一理ある。シャントーラでの件にしても、最初からブィックスと二人で城に潜入していたのであればああも容易く囚われる事はなかっただろう。立入禁止の廃城に自ら立ち入っている不審な女を信用するほど、彼も愚かではない。

 ディンらの申し出は、単純に考えれば幸運だったのかもしれない。しかし、この話を素直に受けて良いのだろうか。彼らの厚意に甘えてしまって、彼らを巻き込んでしまって良いのだろうか。レポスも人事ではないとディンは言ったが、それでも王子が直々に赴く必要はあるまい。


 ラウ国が実在し、魔女が集結し何かを企んでいると言うならば、何としても彼女達の目的を突き止め潰さねばならない。

 魔女は害悪であり、滅ぼすべき対象。そう思っていた。

 ルエラ自身も、例に漏れない。ヴィルマの裏切りに打ちひしがれるマティアスを見た時から心得ていた事だ。

 しかし、アリーの涙を見て、その覚悟が揺らいでしまっていた。ルエラがいて良かった。会えて良かった。あの言葉にホッとしてしまった自分は、居場所を求めているのだろうか。魔女に居場所など、あってはならないというのに。


 ルエラはふと、足を止める。民家の立ち並ぶ、人気のない通り。どの家も高い塀を有し、貴族の屋敷には遠く及ばないがそれなりに大きい。家並みの向こうに見えるリム城は、橙色の灯りにぼんやりと照らし出されている。十年前、例の少女に出会った場所だった。

 彼女は今も、この辺りに住んでいるのだろうか。この近辺に住むのであれば、年齢によっては役人になるかあるいは結婚して他所へ行ってしまったかもしれない。名前も聞かなかった彼女の行方を追う術など、ルエラにはない。彼女が役人になり、そこそこの役職へと上り詰めれば、王女として再会する事もあるかも知れないが……。


「会って、どうしようと言うのだろうな……」

「リン?」


 掛けられた声に振り返る。

 ふわふわとウェーブのかかった金髪。大きな瞳。一瞬、あの時の少女がいるのかと思った。


「……アリー」


 ルエラは、確認するように彼女の名前を呟く。アリーは、にっこりと笑った。


「まさかその日のうちにまた会えるなんてね。お仕事は?」

「今日はもう無い。知人に会って来たところだ。アリーこそ、こんな所でどうしたんだ?」


 この辺りは、主に住宅地だ。大きなホテルならば駅前や城の前から延びる大通り沿いだし、安い宿にしても決してこの近くには無い。


「昔住んでた家に行って来た帰りなんだ。……もう、無くなっちゃってたけどね」


 ルエラは、虚を衝かれたように押し黙った。アリーは慌てて言葉を続ける。


「そんな顔しないで。十年も経ってるんだもん、当たり前だよ。ただせっかく戻って来たんだからって、ちょっと興味本位で……」


 アリーは、両親をヴィルマに殺されている。

 アリーだけではない。他にも多くの者が、ヴィルマに殺された。彼女が手を下さずとも、ヴィルマへの疑念を唱えたがために、国によって殺された者も少なくない。

 多くの子供が、路頭に迷った。


 そして今、再び魔女が動き出している。

 同じ――あるいはもっと酷い惨劇が起こりかねない。


 ルエラは顔を上げる。その瞳にはもう、迷いの色は無かった。


「アリー。私は明日、旅立つ」


 アリーにと言うよりも自分自身に対して宣言するように、ルエラは言い放った。


「歩みを止めている暇は無いんだ。ヴィルマは必ず、この手で捕らえる。ソルドへ向かい、魔女の禍根を断つ!」

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