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第5話 魔女への恐怖

「あの軍部は、白だな」


 ルエラとアリーが宿へ帰ったとき、既にブィックスは戻っていて女性客と共に酒を飲んでいた。ルエラらが軍部に行く前にもブィックスに言い寄っていた、あの女性だ。

 彼女が帰り、客もいなくなった薄暗い店内でブィックスは言った。手近にあった椅子の背もたれに半ば腰掛けるようにして、足を組む。


「どうやら、ノーヴァ氏の推測で大方当たっているようだ。見張りの者が消える前にも、軍からの失踪者は出ていたらしい。

 彼らも最初から連続失踪事件を放置していた訳ではない。元よりあの城は、関係者以外立入禁止だった。したがって初めの内は失踪者が出てもどこで消えたなどと言う事は分からず、例え分かっても被害者と共に城に侵入した者達はそれを軍に正直に話さなかった。

 しかし、ある時『城に向かうと話していた』と会話を耳に挟んでいた第三者の密告があり、その事件について調べていたら我も我もと頻発する失踪が全てあの城で起こっていたと判明したそうだ。そこで軍は、城の捜索を行った。そして――」

「捜索隊の中から失踪者が出た……」


 ルエラが後を継ぐようにして言った。ブィックスはうなずく。


「その通りだ。まだ若く、力のある軍人だったらしい。

 そして何より、普通では考えられないような消え方をした。直前まで彼は、同僚と話していたそうだ。会話を終えて、同僚の者は一つ言い忘れていた事に気が付いた。直ぐそばの角を曲がった彼を追って……しかしそこには、長い廊下が続くのみで誰もいなかった。もちろん近くの部屋も探したが、どこにも彼の姿は見つからなかったそうだ。

 捜索は打ち切られ、魔女の関連する事件の可能性有りとして、首都に提出する報告書をまとめようと言う話になった。城の周りには見張りが置かれ、誰も中に忍び込めないように注意を払った」

「そして、見張りの軍人さんが消えたんだね」


 次に続きを言ったのは、アリーだった。


「だから、軍は調査をやめちゃったんだ……見張りもやめて、事件自体を無かった事にして、城との関わりを絶とうとした。もう、これ以上自分達も消えたくないから。確かに、ノーヴァさんの言ってた通りだ。

 それじゃ、どうしてサフィンさんはあんな、軍を疑うような事……」

「いくら軍も始めは調べていたとは言え、結果的には自分の息子の失踪事件を揉み消されたんだ。軍に不信感を抱いても無理はあるまい。

 それに事件の事がなくとも、元々この町は軍への反発が強いようだ」


 足の上で組んだ手の指をくるくると動かしながら、ブィックスは続ける。


「二十七年前の内乱まで、この地はサントリナと言う別の国だった。内乱の要因は、サントリナの王族に対する市民の暴動。王女は魔女であり、国や軍はそれをかばっている――そう、彼らは主張していたそうだ。

 統率者がリムとなっても、彼らの中にある国への不信感は消え去らないのだろう。リムも、十年前にはヴィルマの事件があった事だしな……」

「そっか……王族に魔女がいて、それを国がかばって……同じだもんね……」


 アリーはうつむく。彼女の両親は、十年前にヴィルマによって殺されたのだ。

 ブィックスは視線を上げ、ルエラを見止めた。


「それで、君達の方は? 図書館で、何か掴めたかね?」

「手掛かりにはなるかも知れませんが、確証はありません。明日、ご説明します」


 ルエラの返答に、ブィックスは当然不服そうだった。長い眉がぴくりと動く。


「随分ともったいつけた言い方をするんだな。この場で説明したまえ。私は上官だぞ」

「この旅における主導権は私にあります」


 こう言われれば、ブィックスは黙るしかない。


「今日のところは、もう身体を休めましょう」


 言って階段へと向かい掛けたルエラの背中に、声が掛かった。


「そう言えば君は話し方と声色も、姫様に似ているな」


 ぴたりとルエラは立ち止まった。そしてやや意地の悪い笑みを浮かべて、振り返る。


「また、魔女と悪魔の間の双子説ですか?」

「な……っ。あの話は……!」

「なあに? 何の話?」


 アリーは目をパチクリさせてルエラとブィックスを交互に見る。


「……君は気にしなくていい」


 ブィックスはムスッとした表情で呟いたきり、黙り込む。それ以上話しかけて来る様子が無いのを確認すると、ルエラはふいと背を向け今度こそ二階の寝室へと向かった。



* * *



 ベッドが一つ、木製の小さな机と椅子が一つあるだけの、小さな部屋だった。

 脱いだコートを椅子に掛け、その横に荷物を置く。この部屋には荷物を一時的に出せるような引き出しなどの類は無いが、例えあったとしても荷は鞄の中のままにしておくのが常だった。その方が、万一の場合に身が軽い。


「少し緩んできたな……」


 巻き直しておいた方が良いだろう。そう思い、上着とシャツも脱いでさらしをはずす。

 きつく巻いていると言う訳ではないが、やはりはずしている方が楽だ。ルエラはそのまま、備え付けの洗面台で歯磨きを始める。じいやがいれば「はしたない」とどやされる事だろうが、この場にいるのはルエラ一人だ。

 そう思った矢先に、部屋の戸を叩く音がした。ルエラは歯ブラシをくわえたまま振り返る。聞こえて来た声は、アリーのものだった。


「リン、入ってもいい?」


 声が出せずにいる間に、ガチャリとドアノブが回った。


「……あれ? 開いてる。入るよー」

「んっ!?」


 ルエラは慌てて椅子へと手を伸ばす。黒いタートルネックのシャツを頭からかぶるのと、扉が開くのが同時だった。

 シャワーを浴びた後なのだろう。下ろした金髪は、まだ僅かに湿っている。


「あ、歯磨きしてたんだ。なあに、この大きな布?」


 どうやら、見られはしなかったようだ。ルエラは口をすすぎ、慌ててアリーの手からさらしを奪い取る。


「な、何でもない。どうしたんだ?」


 それとなく上着を羽織り、僅かなふくらみを隠すように胸の前で重ね合わせながら尋ねる。アリーはそんなルエラの様子にも気づかず、頬をかきながら苦笑した。


「ちょっと……眠れなくて……」


 そしてアリーは、爆弾発言とも呼べる発言をした。


「一緒に寝てもいい?」


 ルエラはぽかんとした表情でアリーを見つめていた。アリーは小さく首を傾げている。


「私は別に、気にしないが……でも、君は……」


 ルエラの本当の性別は女だ。だから、彼女と一緒に寝て何があると言う訳でもない。

 しかし、今は男装をしている訳で。彼女からすれば、年頃の男女と言う事になるはずだ。


「良かったーっ。大丈夫! 僕も、そう言うの気にしないから!」

「いや、君は気にしないと駄目だろう……」


 呆れるルエラにも構わず、アリーは布団へと潜り込む。

 ルエラは溜息を吐く。こうなっては、致し方ない。さらしは、アリーが寝付いてから巻くとしよう。むしろ、アリーだけでも就寝を確認する事が出来るという点では、好都合かもしれない。

 明かりを消し、ルエラもベッドに入る。暗闇の中、隣から小さな笑い声がした。


「学校のお泊りって、こんな感じなのかな」

「アリーは、学校は――」

「うん、行ってない。あの家に引き取られる前だとまだ学校に入るような年齢じゃなかったし、引き取られてからはそんな我侭言えないしね。

 学校って、どんな感じ? ユマの迎えには行った事あるけど、校門から中に入った事はなくて」

「あ……いや、私も通った事はないんだ……」

「え? 軍人さんって、学校行かなきゃなれないんじゃないの?」


 もしこの部屋が明るかったならば、大きな瞳をパチクリさせるのが見えた事だろう。アリーはきょとんとした様子だった。


「基本的にはな。ただ、私の場合は少し経緯が異なってだな……」


 ルエラは言葉を濁らせる。学業や護身のための体術などは全て城で習ったが、まさかそう話す訳にはいかない。


「あ、そっか。私軍だもんね」


 どうやら、異なる方向へ自己解決してくれたらしい。ルエラはホッと胸を撫で下ろす。


「……リンはさ……ヴィルマを追って、魔女を調べてるんだよね……。僕を助けてくれたときだったり、今回だったり、少し前にもお城で実際に魔女と戦ったって……怖く、ないの……?」


 ルエラは目を伏せる。無言のままのルエラに、アリーは続けた。


「……僕は、怖い。

 今までずっと、魔女は憎む対象でしかなかったんだ。ヴィルマを探し出してやるって、そう息巻いて旅を始めたのに……。昼間に行った城に実際に魔女がいるかもしれないって知って、人が消えてるって話を聞いて……少し、怖くなっちゃった。

 僕の部屋、窓からあの城が見えるんだ。ずっと見てたら、何だか吸い込まれそうな気がして、怖くなって……」

「……何も、無理に君が魔女を追う必要はない。私やブィックス少佐は任務があるが、怖いならば関わらないと言う選択も君にはある」


「――僕の父さんと母さんは、魔女に殺されたんだ!」


 ギシ、と古いベッドを軋ませてアリーは身を起こし、覆いかぶさるようにしてルエラの両脇に手をついた。月の無い夜。闇に慣れた目でも、その表情は見て取れない。


「もう、十分に関わっている。怖いから関わらないなんて、そんなのもう無理に決まってるだろ……!」


 押し殺したような低い声でアリーは叫ぶ。姿の見えない闇の中、声だけを聞いているとまるで変声期をまだ迎えていない少年と会話しているかのようだった。


「軍がヴィルマに気付くのが、あと一月早ければって何度思ったか……。僕はヴィルマを見たし、ヴィルマも僕を見た。あの日から、僕の人生は変わったんだ。

 僕はヴィルマを探す。どうして父さんと母さんが殺されなきゃならなかったのか、問い質してやる。どうして……」


 ぽたりと、降って来た雫がルエラの頬を濡らした。


「……すまない」

「リンが謝る事ないよ。僕こそごめん。リンの事、あの人と重ねていたのかもしれない……」


 アリーはグイと袖で目元を拭い、ルエラの横に戻った。


「私と似ていると言う、憧れの人か?」

「うん。だから思わず、弱音吐いちゃって……」

「いいんだ。それに、ヴィルマに気付けなかったのは私達の責務だ。気付かねばならなかったのに、気付けずかばい続けていた。本当に、すまない……」

「何言ってるの、リン。ヴィルマの事件って、十年も前だよ? リンはまだ軍部にいなかったでしょ」


 ルエラは黙り込む。ペブルでの魔女疑惑事件で無実の罪から救った事もあって、アリーはルエラに全幅の信頼を寄せている。しかし、ルエラがあのヴィルマの娘であると知ったら、そしてルエラ自身魔女であると知ったら。

 ルエラは、あの頃のヴィルマと同じだ。周囲の人間を、自分を信頼してくれる人達を、騙し続けている。


「……さっきの、魔女が怖くないのかと言う話の事だが」

「うん」

「……アリーは、私が怖いか?」

「え?」


 もぞ、とアリーは寝返りを打ち、ルエラの方を向く。ルエラは、天井を見つめたままだった。


「怖いわけないよ。リンは強くて優しくて……僕の、命の恩人なんだから」

「じゃあ、もし私が女だったら? 魔法使いではなく、魔女だったら……」

「え……」


 沈黙が訪れる。聞こえるのは、外からのふくろうの幽かな声だけ。


「冗談でもやめてよ、そんな話」


 ややあって返ってきた声は、やや厳しいものだった。


「信じてた人が魔女だったなんて、もうたくさんだ……」


 アリーにかけられた、魔女疑惑。事件の真犯人は、アリーの友人だった。


「……すまない」

「そっか。同じように……って言うとアレだけど、リンも魔法が使えるから、魔女の魔法なんて怖くないんだね。やっぱり凄いや、リン」

「……そう、だな……」


 ルエラは微笑む。その寂しそうな笑みは、闇に覆われアリーからは見えなかった。

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