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第2話 不思議な少年

 ルエラはムスッとした表情で汽車の座席に座っていた。いつもの男装姿にいつもの青コートを羽織り、いつもの旅。しかし今回ルエラの前の席には、同伴者がいた。少し離れた席にいる女性達が、そわそわとその同伴者に視線を送っている。彼は女性達に微笑いかける。小さく、押し殺したような黄色い悲鳴が上がった。

 彼は営業スマイルを浮かべたまま、ルエラに問いかける。


「どうした、ブロー大尉。随分と不機嫌だな」

「元々こう言う顔です。お構いなく」

「フン。自由に出来ないからか? 君は姫様の使命を授かって、地方の巡回をしているんだ。これは仕事だ。そう気軽にやられては困るな」

「元々そのようなつもりはございませんので、ご心配なく。しかしよろしかったのですか、城でのお仕事の方は? わざわざブィックス少佐がいらっしゃる事もないでしょうに」


 ルエラが向かうはリム国北部シャントーラ。かつては、サントリナと言う異国であった地だ。二十七年前、内乱により滅亡した。

 噂では、王女が魔女だったのだとか。噂の真偽がいかんにせよ、亡国の地だけあって治安は悪い。そんな所へルエラを一人でやる事に、ブルザが了承しなかったのだ。ルエラの事情も知っているブルザ自身が同行したいところだが、彼は先日の魔女潜入事件の捜査がある。


 そこへ名乗り出てきたのが、ブィックスであった。

 ポーラ・ブィックス、私軍に所属する魔法使い。ルエラ扮するリン・ブローを何かと目の仇にしている彼は、旅にも疑問を持っていた。

 当然ルエラは断ろうとしたが、ブルザが驚いた事に了承したのだ。


「お待ちください。勝手に決めてしまっても、姫様が了承なさるかどうか……」


 了承する気は無い。その意を込めて言ったのだが、ブルザはさらりと言った。


「これを機に、きちんと仕事をしているのだと示してみせれば良いだろう。『姫様にも』そう私から伝えておく」


 ブィックスはふんぞり返る。


「何だ? 私が一緒では不都合な事でもあるのか?」


 大ありだ。しかし、リン・ブローの姿ではそうはっきりと言う訳にもいかない。

 ブルザは事を進めていく。


「問題無いそうだ。ブィックス少佐、頼む。ただし任務についてはブロー大尉が一任されているものであるから、地位は逆であるが彼の指示に従ってくれ」

「な……っ」


 リンを敵視するブィックスにとって、これは大変なる屈辱だった。苦虫を噛み潰したような表情で、しかしブィックスは頷いた。


「い……いいでしょう。

 ただし、ブロー。地位は私の方が上だ。それを忘れるなよ」

「肝に銘じております」

「指示は受けるが、先日のように命令される筋合いはないからな」

「先日……?」


 ルエラは目をぱちくりさせる。ブィックスはキッとルエラを睨んだ。


「魔女潜入事件の時だ。私を呼び捨てにしたろう」


 ルエラはぎくりと言葉を詰まらせる。

 確かな記憶は無かった。しかし、あの緊急時だ。戸籍を見られやしないかと、ルエラ自身も焦っていた。地が出てしまった可能性は十分にある。


「危急時だったから、舌が回らなかったんだろう」


 ブルザが助け舟を出す。ブィックスはフンと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。


「まあ、そういう事にしてやろう。次は無いからな、ブロー」

「申し訳ございません」

「さて……そうなると、私も支度をしなくてはな」


 ブィックスは事務室を出て行く。ルエラはその後姿に、めいっぱい舌を突き出した。それから、キッとブルザを振り仰ぐ。皆それぞれに出払っていて、事務室にはルエラとブルザの二人のみだ。


「どう言うつもりだ、ブルザ。あいつがリン・ブローの身辺を探っている事は、お前もよく知っているだろう。事情を知らぬ者について来られては、動きにくいだけなのだが」

「権限はブロー大尉にと言う事になったのですから、どうしても都合の悪い時には待機させておく事も出来ましょう。

 彼は優秀な魔法使いです。彼ならば、万が一の場合にも姫様をお守りする事が出来ましょう。もちろん、大切な部下であっても」

「リン・ブローが彼にとって『大切な』部下かどうかは、熟考の上判断せねばならないな」

「出発を陛下にお伝えしなくてはなりませんね。また直ぐに旅立ってしまわれて、たいそう寂しがる事でしょうが」


 ルエラの嫌味をさらりとかわし、ブルザは言う。ルエラは腕を組み、フンと大きく鼻を鳴らした。



* * *



 日が暮れ、ルエラ達は駅に降り立った。

 目的地までは、まだ距離がある。今日中に到着する事は出来ないだろう。中途半端に田舎町で下車する事になっては、宿に困る。この辺りで一度何処かに泊まる必要があった。

 帰宅する人々の行き交う駅前をぐるりと見渡し、ブィックスは眉を顰める。


「この町では軍舎が無いだろう。一体どうするつもりだ」

「必要ありません」


 ルエラはスタスタと歩いて行く。ブィックスは慌ててその後を追い横に並んだ。


「この程度の規模の町であれば、駅の近くに何処かしら宿があります」

「無かったら?」

「その時は屋外ですね。時間がまだあれば、隣町へ行くと言う手もありますが。しかし、この町に無いのでしたら隣にあるという確証もありませんし……」


 ブィックスの表情が険しくなる。ルエラは肩をすくめた。


「まあ、恐らくあると思いますが」


 ルエラの読み通り、通りを少し行くと商店の間に大きな宿屋が佇んでいた。大通りに面した、三階建ての建物。窓からは中の明かりが漏れ出て、街灯に照らされた通りを更に明るくしている。カーテンの無い正面の窓からは、中のロビーの様子を見る事が出来た。


「良かったな。君の予想通りあったようだ」


 まるでルエラが野宿の心配をしていたかのように言い、ブィックスは意気揚々と中に入って行く。ルエラが止める間も無かった。

 ブィックスの後を追い、ルエラも慌てて宿へと入る。


「小さな町にしては、なかなか立派な設備じゃないか」


 軍服を着た二人の姿は、一般客の視線を集めていた。ルエラは呼び止めようと声を掛ける。


「少佐!」

「何か事件でしょうか」


 宿の従業員が、慌ててブィックスの傍らへと飛んで来る。


「いや。姫様のご命令で地域の巡回調査をしていてね。もう、遅いから。部屋の空きはあるだろうか?」

「もちろんご用意致します。申し訳ございませんが、少々お待ちくださいませ」


 従業員はへこへことお辞儀をし、別の従業員に目で合図する。


「いや、結構」


 ルエラは声高らかに、きっぱりと言い放った。


「少し寄ってみただけだ。少佐、行きましょう」

「何を言ってるんだ。宿を取りに降りたんじゃ……」


 問答無用でルエラは宿を出て行く。ブィックスはルエラと従業員とを交互に見ていたが、渋々とルエラの後に従った。

 寒々しい外へと出て、ブィックスはキッとルエラを見下ろす。


「どういうつもりだ、大尉」

「この宿では目立ち過ぎます」


 言って、ルエラは元来た道を引き返す。駅を通り過ぎ、先ほどの宿までよりも更に歩いて、寂れた宿を見付けた。


「ここにしましょう」

「は?」


 ブィックスは宿を見上げる。壁は所々塗装が剥がれ、白に灰色の斑模様を作っている。駅の傍の大きな宿とは、較ぶべくもない。門扉は錆付き、窓はくすんでいた。


「……正気かね、君は」

「我々は極秘任務を授かって、地方巡回をしているんです。あまり目立つ訳にはいきません。任務上、こちらの方が好都合ですから」


 それを言われてしまうと、ブィックスは反論出来ない。立場こそブィックスの方が上であるものの、この旅における決定権はルエラにある。


「それから、ブィックス少佐」


 ルエラはちろりと横目でブィックスを見上げる。


「明日の出発は私服でお願いします。もしくは、上に何か羽織ってください。必要に迫られない限り、一般市民として行動したいので。お買い求めになるようでしたら、経費は出しますが」

「要らん!」


 ブィックスは一声怒鳴ると、商店の立ち並ぶ通りへと道を引き返した。



* * *



「何だ、あの態度は! 俺の事を全く上官だと思っていない!」


 ブィックスは肩を怒らせ、通りを歩く。

 店を見て回っても、この辺りの小さな店では着たいと思えるような服も見付からない。それも、ブィックスを不機嫌にしている要素の一つだった。


 何軒か回った所で漸くマシな服を見つけた。既に、二時間が経過していた。急いで購入する服を選ぶ。

 ふと顔を上げると、銀髪のおかっぱ頭の少年が目を輝かせてブィックスを見つめていた。

 ブィックスはにっこりと人好きのする笑顔を浮かべる。


「やあ。何か用かい?」


 少年は、ぱあっと顔を輝かせた。


「お兄さん、軍人さんなの?」

「ああ、そうだよ。私軍に勤めている。私軍って、分かるかな」

「知ってるよ! 王様やお妃様をお守りする兵隊さんだよね」


 少年は興奮した様子で、猶も話す。


「凄い! 私軍って、普通の軍人さんよりなるのが難しいんでしょ。兵隊さんもお城に住んでるの!?」

「建物としては別棟だけど、そうだな。敷地としては城の中かな」

「じゃあ、王様やお姫様にも会った事あるんだ!」

「もちろん。私は、姫様の護衛隊だからね」


 ブィックスはにこにこと頷く。少年は興味津々で食いついた。


「カッコイイ! ねえ、お姫様ってどんなお人? 可愛い?」

「お美しい方だよ。綺麗な銀髪が特徴的でね」

「目の色は?」


 スッと少年の赤い瞳が細くなる。ブィックスは衣服の選択に視線を戻しながら、言った。


「澄んだような翡翠色をなさっているよ。……あいつもだな」

「あいつって?」


 思わず漏らした言葉に、少年は首を傾げる。

 ブィックスは少年へと視線を戻す。きょとんとした子供らしい表情が、そこにはあった。


「私と同じ姫様の隊の魔法使いでね。同じように銀髪緑目の者がいるんだ。まあ、特徴を挙げると同じなだけで、姫様とは雲泥の差だけどね。そもそも彼は、男だから」

「同じ人だったら、お姫様が魔女って事になっちゃうもんね」

「あの姫様が魔女だなんて、可能性を口にするだけでも失礼極まりない話だ」


 ブィックスは語調をやや強くして言う。少年は素直に身を縮めた。


「ごめんなさい。

 ――魔法って、どんな事が出来るの? 飛んだりとか?」


 ブィックスは苦笑する。


「中にはそう言う人もいるけどね。私が得意なのは電流の操作かな。大尉――今言った魔法使いは、水や氷を操作している事が多いな。私の上司にも魔法使いがいてね、彼は突風を起こしたり、人の怪我を治したり、私軍で最も力のある魔法使いだ」

「ふうん」


 ブィックスは会計の方を見て、ふとその後ろの時計に目を止める。針は、十の位置を指そうとしていた。店員も、閉める準備に取り掛かっている。


「もう遅い。君、親は――」


 言いながら振り返って、ブィックスは言葉を途切れさせた。少年の姿はもう、何処にも無かった。


(帰ったか……?)


 親が迎えにでも来たのだろうか。何にせよ、帰ったならば問題ない。こんな時間に子供が一人でうろつくものではない。

 服を購入し、宿へと戻る。一応食堂も営んでいる宿屋だが、客は無く既に一階は消灯していた。ブィックスは眉を吊り上げる。出かけた客が帰って来る事は分かるであろうに。


 扉に鍵は掛かっておらず、難無く開いた。無用心極まりない。

 階段は奥であったか。暗闇の中を手探りで奥へと進む。しんとした中、幽かに声がしていた。

 近付く毎に、はっきりしてくる声。階段の前まで来て、ブィックスはぴたりと立ち止まった。


「そうか。引き続き、よろしく頼む」


 落ち着きのある、自信に満ち溢れた声。ぶっきらぼうな話し方。それは、ある人物を髣髴とさせた。


『中尉に一任しよう。よろしく頼むぞ、ブィックス』


 馬鹿な。彼女がこんな所へ来る筈が無い。


 声は階段を少し過ぎた辺りからしていた。ブィックスは、階段の手摺越しにそちらをそっと覗き込む。

 廊下の先に、人影があった。電話をしているらしい。


「ああ。大丈夫だ。こっちは問題無い。明日には着くだろう」


 人影が動き、壁にもたれる。その横顔が、月明かりに照らし出された。


(なんだ。ブローか……。)


 ブィックスは息を吐き、階段を上がって行く。

 紛らわしい話し方をする奴だ。プライベートでも、あんな堅い話し方なのか。もっと年相応な可愛げを見せれば良いものを。


「ん……?」


 個室の前まで来て、ブィックスは立ち止まる。

 プライベート。果たしてそうなのだろうか。明日には着くと、そう話していた。この任務は、王女直々に言い付けられた極秘のもののはず。プライベートの友人はおろか、リン・ブローより下の階級に任務を知る者がいるはずも無い。

 親しげな口調。話していた内容。相反するその二つ。


「あいつは、一体誰と話していたんだ……?」

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