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第4話 絶体絶命

 日は暮れ、町に明かりが灯る。レポスの夜は、リムに比べて幾分か明るい。明かりの強さや、量が格段に違うのだ。

 大通りに出ると、そこはまるで昼間と変わらないような明るさだった。車道の向こうに並ぶ店も、難なく見える。


 ルエラは、大きな屋敷の前にいた。扉が開き、通される。しかし扉の内に、門番はいなかった。ただ一人、銀髪の少女が佇んでルエラを迎えていた。


「いらっしゃい、ブロー大尉。――こっちよ」


 偽者は背を向け、噴水を通り過ぎ奥の屋敷へと向かう。ルエラは黙って、彼女の後をついて行った。

 噴水の向こう側に回り込み、ルエラは屋敷を見上げる。

 廊下や部屋の明かりが点き、カーテンの隙間から外へと漏れて庭をちらほらと照らしている。けれども、人がいるという気がしなかった。人影も見えなければ、何の物音も聞こえない。


 青銅製のドアノブを回し、少女は玄関扉を開けた。軽く一礼して、中へと入る。

 入った所は吹き抜けになっていて、左右は細い廊下へと続き、正面には赤い絨毯の敷かれた階段があった。

 扉が閉められ、閂を掛ける音が響く。


「部屋は二階に用意しているわ。お夕飯はいかが? それとも、食べて来ちゃったかしら」


 背後から、少女の声がする。

 ルエラはふっと息を吐いた。


「回りくどい事は止めにしないか。――一体、どういうつもりでリム王女の名を騙っている?」


 返答は、聞こえない。

 ルエラは振り返る。少女の顔から、微笑みは消えていた。硬い表情で、ルエラを見つめている。


「私はリム国私軍の所属だ。当然、本人と会った事がある。

 髪や目の色はよく調べたものだと感心するが、顔も性格もまるで違う。姫様はそんなに淑やかじゃないぞ。正直、君の方が王女らしいぐらいだな」


 ルエラは肩を竦めて笑う。


「何も、君を憲兵に突き出そうと思っている訳ではない。それでも、人の名を騙るのを放って置く訳にはいかないからな」

「……止めに来た、って訳ね。拒否したら?」

「どうしてそこまで頑なになる。王女の名を騙ったところで、本人に取って代わる事は愚か、リム城に入る事も出来ないぞ。当然、偽者だと気付かれるだろうからな」

「別に、リムへ行ってどうこうするつもりは無いわ。……残念ね。あなたの事は本当に気に入ったのに」


 少女は懐に手を伸ばした。

 銃声、そしてガラスの割れるような音。ルエラの足元には、氷の破片が散乱する。

 彼女はたじろいだ。


「何が――魔法……!?」

「ああ。何も無い子供が、尉官なんかになれると思うか? その程度の腕では、私に勝る事は不可能だ。無駄なあがきは止せ」

「……」


 彼女は、降参と言うように両手を上げた。

 ルエラは息を吐きかけ、その場を飛び退いた。赤い光が、つい先程までルエラの立っていた位置を襲う。

 光が飛んできたのは、ルエラの背後――恐らく階段の上。


 ――仲間がいたのか。


 ルエラは、地を蹴った。少女の銃撃を魔法で弾き返し、玄関扉へと走る。

 閂をはずし、ドアノブを回す。しかし、扉は動きそうにない。揺れもせず、まるで貼り付けられたようにその場にずっしりと構えている。


 ルエラは振り返り様に、手をかざす。弾丸は弾かれ、床に落ちる。身を低くし、赤い光線を避けながら廊下へと駆け込んだ。


 廊下の灯りは落とされていた。光に慣れた目で暗闇を走るのは、至難の業だった。

 時に背後、時に横の扉、時に曲がり角の先から、赤い光が飛んで来る。魔法使いだか魔女だか知らないが、どうやらこの魔法しか使えないレベルらしい。

 それでも、姿を見せない相手から暗闇の中を逃げ回るのは、非常に不利だ。その上、慣れない屋敷。地の利は向こうにある。


 階段を駆け上がり、途中で横に飛び降りる。そのまま、空いている空間へ駆け込む。恐らく、廊下。

 幾つもの階段を上った。幾つもの階段を下りた。幾つもの階段を渡った。幾つもの部屋を通り抜けた。

 一体今、ルエラは屋敷のどの辺りにいるのだろう。何階にいるのだろう。途中、窓を開けようとしたが、不可能だった。扉も窓も、外への出入りは出来ないように封印されてしまっているらしい。窓は何処もカーテンが閉められ、立ち止まらなければ外を見る事は出来ない。


 扉を開け、瞬時に中を見回す。風が通っている事を確認し、中へと駆け込む。大きな広間のようだった。机を回り込み、向こう側の通路へと駆ける。遅れて、背後の扉が再び開かれ閉じる音がする。

 広間を飛び出し、直ぐ左手の階段を駆け下りた。赤い光線を避け、手すりを乗り越え横に飛び降りる。


 そのまま廊下を駆けようとしたルエラの頭上で、何かが割れる物音がした。咄嗟に見上げ、息を呑んだ。大きな影が迫っている。


 ガシャンと言う鋭い物音と共に、ルエラは意識を失った。



* * *



 次に目を覚ましたルエラは、何処か広い部屋の床に寝かされていた。

 シャンデリアの直撃を受けた頭が、まだ鈍く痛む。あれで死ななかったのは、相手のコントロールによるものか、はたまた魔女故の頑丈さか。


 起き上がろうとしたが、それは叶わなかった。起き上がる事は愚か、指一本動かせない。床へと目を走らせると、魔法陣が書かれているのが分かった。そしてその上に垂れている、長い銀髪の巻き毛。

 ルエラは息を呑み、長く戻っている自分の髪を凝視した。魔法が解かれてしまっている。魔法を使おうとしたが、何も起こらない。水が出せない。内ポケットに入れている小瓶を出せない。魔法陣を消す事も、髪を元の通り短くする事も、出来ない。


 背中に括り付けていた荷物は、魔法陣の外で開かれてしまっていた。散らかされた荷を見て、ルエラは口を真一文字に結ぶ。ルエラとして城に戻る時の為のそこそこ良い女物の服や、髪飾り。そして、王女である決定的証拠となる印璽。

 カツンと、足音が響いた。目だけをそちらに向ける。あの少女が、腕を組んでルエラを見下ろしていた。


「お目覚めになったのね――王女様」


 彼女の声色には、冷たい響きがあった。

 では、やはり。彼女は気付いてしまったのだ。ルエラが、本物の王女だと――ルエラ・リムが、魔女であると。


「……何が目的だ」


 声は、出る。


「私も同じ事が聞きたいわ、魔女さん。周りを騙して王女の座について、一体何が目的なのかしら? お母さんのスパイ?」

「……」


 何も、返す言葉が無い。


「でも、こっちの目的は教えてやってもいいわ。だって今のあなたは恐るるに足らない。魔法、使えないでしょう? そう言う魔法なのよ。私も多少は彼の事手伝えるの。魔女じゃないけどね。

 魔女に対抗するには、魔法に関しても色々知らなくちゃ。魔法陣の準備や魔薬の使用は、私みたいな魔力を持たない人間でも出来る……」

「魔女への対抗……」


「私はね、ヴィルマを憎んでるの。

 父はリムで働いていたわ。そして、殺された。軍の関係者でも何でも無いのに! 

 母はそれを気に病んで、それに突然収入が無くなって苦労したのね、八年前に亡くなったわ」


「ヴィルマを捕らえようと言うなら、私と同じだ! 私も彼女を捜している。志が同じなら――」

「そんな話を、信じるとでも?」

「……っ」


 魔女だと言うだけで。


 魔女だと言うだけで、ルエラはこんなにも信用が無い。


 これは、彼女だけの場合ではないのだ。人の名前を騙ったり、人に銃を向けたりなどしない、善良な市民であっても、ルエラが魔女だと知ればこうして捕らえ敵視する事だろう。当然、ルエラが何を言おうと、それは人々にとって悪魔の囁きでしか無いのだ。


「でも実際、ヴィルマをどうにか出来るなんて思ってない……リム国の王達には腹が立ったけど、結局は他所事なのよ。でも、まさか国王様まであんな抜けた奴らと一緒なんて……」


 国王様、とはレポス国王の事だろう。シャーリン・レポス。ディンの父親。


「私達市民は、当然リムとの縁なんて切ると思ったわ! 妻が魔女だと言う事にも気付けなかった、国民を殺しても猶彼女を庇い続けた、間抜けな王達なんて!

 なのに陛下は、リムとの同盟を組み続けた/……それどころか、魔女の子をこの国に招き入れさえした……。

 あんな王じゃ、私達国民は安心して眠る事も出来ないわ! いつリムの魔女事件に巻き込まれるのか、いつリムにまた裏切られるのか、魔女が……リムの魔女が、こっちにも来るんじゃないかって……!


 だから私は、あなたの名を騙ったの。ルエラ・リムがこの国に来たのは、十年も前……国王様はそれからも何度かリムへ訪問なさっているけれど、その頃にはリム王女は城にいる事がほとんど無くなっていた。当然、客人に会ったりなんてしない。

 あなたの言う通り、リム城の人達なんて騙せないでしょうね。でもレポス国側は誰も、他国のお姫様の顔なんて覚えていないわ。現に、王子様はあっさりと騙されてくれた事だしね。


 まさか、こんな町で王子様に会えるとは思ってなかったわ。それどころか、リム王女本人に出会えるなんて!」

「ディンを騙してレポス城に潜り込むつもりか!? まさか――」


「ええ、最終目的は現国王の暗殺」


 少女は、にいっと口元を歪ませる。


「あなたを捕らえられたのも、きっと神様が私に味方してくれているんだわ。どう利用するか、作戦を考えなきゃね!」


 高笑いを響かせながら、少女は部屋を出て行った。扉の向こうに、笑い声は閉め出される。

 恐れていた事態になってしまった。ルエラは、反逆者に捕まってしまったのだ。そして、彼女が反逆者になってしまった理由。


「私の……私の存在のせいじゃないか……!」


 魔女の娘であるルエラがいるから。ルエラが今も、王女だから。

 ヴィルマに続き、ルエラを庇う父。そして、それに協力するレポス国王。

 ルエラがいるせいで、彼らが民の反感を買っている。


「う……ぐ……っ」


 もがくが、やはり動けない。どんなに力を入れようとも、指一本動かせない。

 このまま捕まっていてはいけない。王女であるルエラは、何よりの足枷になる。

 逃げたところで、魔女だとばれた事はどうする? 何処へ逃げる?

 ……それでも、ルエラは捕まっていてはいけない。そう言う立場だ。


「動け……っ、動いてくれ……!」


 逃げなくてはいけないのだ。捕まっていてはいけないのだ。ここにいてはいけないのだ。

 逃げなくては。魔法さえ使えれば――


 ――私が、起きなくては。


 ――え?


 途端、大きな地響きが鳴り渡った。

 床が大きく揺れ、そして強い衝撃が突き上げた。床を転がり、咄嗟に頭を庇う。動けたと言う事に、驚く隙も無かった。


 あっと言う間に、衝撃は収まった。

 割れた床から、ルエラは息を切らして這い出る。立ち上がる事も出来ず、そのまま床に手を着いていた。酷い疲労感だ。無理に魔法を使った為か。


「う……」


 ゴホゴホとむせ返る。紅い飛沫が、床に散った。

 そのまま、ルエラはうつ伏せに倒れこむ。近くの窓が激しい音を立てて割れた。連続して、その隣も、そのまた隣の窓も割れて行く。


「ぐぁ……っ」


 傍の床が、また砕ける。

 鼓動が速い。胸が苦しい。吐き気がする。力はルエラの体力を上回っていた。体中が悲鳴を上げている。

 扉が粉砕した。散った破片が顔を切ったのも、魔法による消耗に比べれば何の痛みも感じなかった。

 このままでは駄目だ。何処まで被害が広がるか分かったものではない。


 ――落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け……!


 拳を握り締め、起き上がろうとする。けれども立ち上がる事は出来ず、蹲った。廊下の床が剥がれる、バリバリと言う音が聞こえる。


「ウっ、く……!」



* * *


 どれくらい経ったのだろう。実際は然程の時間は経っていないのかも知れない。けれどもルエラには、酷く長い時間に思えた。

 漸く辺りが静かになり、ルエラはその場にどさりと倒れた。息は荒く、視界も霞んでいる。


 足音が近づいて来るが、もう起きられそうにない。例え起き上がっても、それで精一杯。直ぐにまた捕らえられる事だろう。魔法陣が破壊されたのが、せめてもの救いだ――もう一つ準備していたりしなければ。


 扉の開く音がした。

 入って来た者は沈黙する。崩壊し、悲惨な状況となった部屋。

 くすり、と笑う声が聞こえた。大人びた女性の声。


「偽者だったって知って落胆したけど、まさかの収穫だわ~」


 ルエラは戸口を振り返る。そこに立つのは、黒髪の女性。


「誰、だ……」


 女性はにっこりと笑う。


「ジュリア。よろしくね。偽者も、その部下も、片付けといたわよ。感謝してねっ」

「な……っ! 何も、そこまでする事無いだろう!」


 ルエラは手を突き、身を起こす。ぐらりと身体が傾いた。


「ああ、もう。無理しないの。これやったの、あなたでしょう? さすがはヴィルマ様の娘ね」


 女は部屋を見回し、言った。

 ルエラは目を見開く。彼女の口から出て来た名前。ずっと、捜し続けている人物。


「貴様……ヴィルマについて何か知っているのか!?」

「知っているも何も。――ああ、そっか。こっちの人達にとっては、消息不明のままなのね。彼女は、私達の上司に当たるわ。直属ではないけどね。多くの魔女に慕われてるのよ~」

「多くの……何と言った……?」


 驚愕の言葉だった。

 本物の魔女が見つかる事など、滅多に無い。逃げ隠れるからと言う事もあるだろうが、そもそも魔女の数が少ないのだ――少ないと、思っていた。


「魔女。――ねえ、あなたも来ない?」

「は……?」

「私達と一緒に来ないかって聞いてるのよ。お母さんと一緒に、仕事をするの」

「何が仕事だ! 十年前の惨劇を、今度は私が繰り返せと言うのか!? 誰が貴様らみたいな人殺し……!」


「甘いわね」


 すっと、女の声のトーンが落ちた。


「私達魔女は、追われる身。人と共存なんて出来ない。

 ……あなただって、分かっているでしょう? あなたがどんなに人と一緒にいようと思っても、人間は聞く耳も持たない。魔女だと知った途端、『殺せ』とそれしか口にしない」

「それは……っ」


 ルエラは彼女から視線を外し俯いた。

 魔女である限り、今のこの場所でいつまでものうのうと生きて行く事は出来ない。魔女は、忌み嫌われるのだから。


「リーン! どこだ!? 返事しろ! リン!!」


 ルエラはハッと顔を上げた。

 声の聞こえた方を、女も振り返る。そして、最後にルエラを見下ろした。


「考えといてね」

「待て!」


 しかしルエラの静止を聞く筈も無く、女はその場から消え去った。

 ややあって、ディンが部屋へと駆け込んで来た。


 ルエラとディン、二人の目が合う。


 ディンは言葉を失う。そして、室内を見回した。

 崩れた床、割れた窓、飛び散った扉の破片。ディンの背後は、片側の廊下が剥がれている。恐らく、そちらの方向にずっと先まで続いているだろう。そして、散らかされた荷物。それが示すもの。

 ディンは再びルエラに視線を戻す。

 うつむいたルエラの前に、手が差し出された。ルエラは目を丸くして、顔を上げる。ディンは、真っ直ぐにルエラを見つめていた。


「……立てるか?」

「……っ」


 ルエラは、ゆっくりとうなずいた。手を突き、立ち上がる。

 よろめいた身体をディンが支えようとしたが、ルエラはそれを避けた。


「大丈夫だ……ありがとう」


 ルエラは顔を挙げ、真っ直ぐに前を向いた。その目には、再び強い光が戻っている。

 もう、十年前の小さなお姫様とは違うのだ。人の手を借りずとも、一人で立ち上がる――立ち上がらなくてはいけない。守られていては、駄目なのだ。支えられては、駄目なのだ。

 ……ルエラは、魔女なのだから。

-Fin-

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