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第3話 偽者

 ルエラは、箪笥の隣に置かれた小さな机に歩み寄る。

 たった一つ、写真立てが置かれていた。何処かの川の前で、どろんこになった小さな男の子がピースをしていた。その隣に立つのは、今よりずっと若いサイラ。彼女の足元には、泥で作られたやけにクオリティの高い城や兵隊がある。

 ルエラはふっと微笑む。きっとサイラの傍は、唯一ディンが普通の男の子でいられる場所なのだろう。


 私服に着替え、しばらく部屋を見回していたが、元々最低限の家具しか無い部屋。直ぐに見る物は尽きてしまった。かと言ってする事も無く、手持ち無沙汰なルエラは部屋を出る。


 廊下の片側は人形で埋め尽くされていた。もう一方の壁には扉が並び、その間にも人形は置かれている。

 体格の目視が得意と言うだけあって、サイラの作った人形は様々な形をしていた。細身の女性、ふくよかな男性、ただそれだけでも、微細な差異によって幾多の種類がある。子供から老人まで、本当に老若男女が並んでいた。


「リン、と言ったっけね」


 階段の途中まで来ていたルエラを見つけ、サイラが階下から声を掛けた。ルエラは頷き、残りの段を降りる。

 サイラは、どこか嬉しそうだった。


「あの子が友達を連れてくるなんてねえ。

 ほら、ディンって王子さんだろう。ずっとお城で暮らしていて、同年代の子と遊ぶ機械なんて無かった訳だ。

 ハブナやリムみたいに兄弟がいればまだ違ったんだろうがね。もっとも、リムの方はある程度大きくなってからだけれども……。

 何にせよ、ここに誰かを連れて来る事なんて無くてね。城にはそりゃあもしかしたら目を掛けてる臣下とかいるかも知れないけれど、あくまでも臣下は臣下だ。ここを教える事は出来ない。そう思っているんだろうね」

「脱走先が無くなるからな」


 そう言って、ルエラは笑う。サイラも笑った。


「そりゃあねぇ。行き先を知れば、護衛の立場じゃ放置する訳にいかないだろう。

 リン、あの子と仲良くしてやっておくれよ」


 ルエラは無言で頷いた。


「……ディンは、何処の店に行ったのだろうか」

「ああ、大通りに店が並んでいてね――ちょっと待ちな。地図を描くよ」

「ありがとう」


 メモを取りに行くサイラの後に、ルエラは続く。


 ――ディンも、ルエラと同じだったのだ。



* * *



 レポスの町並みは、リムに比べ無骨だ。同じような白い壁が並び、中には屋根さえも四角い建物もある。ルエラは不思議そうにそれらを眺める。

 雨水や積雪は、一体どうしているのだろう。リムの三角屋根でさえ、冬場は雪掻きが必要だと言うのに。


 少し歩くと、車の行き交う大きな通りに出た。駅から続いている通りだ。

 サイラに書いてもらったメモを折り畳み、懐にしまう。

 通りの両側には、低い石での区切りが作られていた。車道と歩道で分けられているようだ。少し先で、人だかりが歩道を塞いでいた。


 ルエラは、人垣の隙間から中を覗き見る。人々に囲まれているのは、こぎれいな飲食店のテラスだった。レンガの上に並んだ、白い机と椅子。

 人垣が出来ている割には、客はたったの一人。白銀色の髪を上品に結い上げ、白い絹のワンピースを着た少女が、静かに紅茶を啜っていた。その大人びた横顔は、果たして彼女を少女と呼んで良いものか迷わせる。

 この町の貴族か何かだろうか。ぼんやりと眺めていると、少女と目が合った。少女は振り返り、手招きをした。


「そこの銀髪に青いコートの少年。来なさい」


 明らかにルエラの事だ。人垣は割れ、ルエラは輪の中へと通された。

 机の前まで来たルエラを、少女はまじまじと見つめる。そして、クスクスと笑った。鈴の音が鳴るような、女の子らしい笑い声だった。


「きれいな子ね。あなたみたいな人が傍にいてくれたら、毎日がどんなに楽しいかしら」


 そう言ってまた、クスクスと笑う。


「突然ごめんなさい。急いでいたかしら?」


 彼女は上目遣いで話す。熱い視線を向けられている事に、ルエラは気付かざるを得なかった。

 だが、言葉では気遣う素振りを見せつつも内心はそんなつもりさらさら無いらしい。


「今日はお忍びなの。だから、ここにいる事は内緒にしてね?

 せっかくのお休みだったのに、こんなに囲まれて嫌になってしまうわ。動物園じゃないのだから。

 でも、あなたみたいな子に会えたのは良かったかも。あなた、名前は何て言うの?」

「リン・ブローと言う。お前は一体、誰だ?」


 その場の空気が凍りつく。

 一拍の後、人垣から喧々轟々と非難の声が上がった。最前列から手が伸びて、慌てたようにルエラを引き戻そうとする。

 少女が、それを引き止めた。


「構わないわ、気にしないで。その物怖じしない態度、気に入ったわ。

 そうね。リンの言う通りだわ。人に名前を尋ねる時は、まずこちらから名乗るべきだったわね」


 そして彼女は立ち上がり、胸に手を当てて言った。


「私はルエラ――リム国が王女、ルエラ・リムよ」


 ルエラ――本物のルエラは、ぽかんとその場に立ち尽くしていた。思いもよらない状況に、言葉を失っていた。

 不意に、人垣が揺れた。人々の間を割って入って来たのは、ディンだった。


「リン! お前、こっち来てたんだな。危うく入れ違うところだった。こんなところで、何してんだ?」


 ルエラの所まで駆け寄り、それからディンは少女に目を向ける。


「こいつは?」


 答えたのは、少女自身だった。ルエラの時と違い、ディンが馴れ馴れしく話しかける事が不快な様子だった。それでも、笑顔は崩さない。


「こんにちは。リンのお友達かしら? 私はルエラ・リム――あなたは?」


 茶番もここで終わりだ。そう思った。十年も前とは言え、ディンは一度ルエラに会っている。

 しかしディンは、ぱあっと顔を輝かせた。


「ルエラか! 久しぶりだな――リンから聞いてたよ。今、旅してるんだって?」


 名前を聞き恐縮するどころか更に親しげになったディンに、偽者はぽかんと口を開ける。


「何を――。ルエラ・リムと言ったのよ? リム国の――」

「あっ、ヤベ」


 ディンは、ちらりと人垣を振り返る。

 普通の少年が、王女に対してこんな態度を取る訳が無い。


「それじゃ、姫様。ここじゃ何ですから、直ぐそこの宿においでになりませんか? 込み入った話は、そこで――」


 少女は眉根を寄せた。


「どうして――あなたは一体、誰なの?」

「ディン・ブラウンと、今は言っておきます。――私達、一度会った事がありますよ。あの頃から抱いているイメージと変わりませんね、王女様」


 そしてディンは、いつもの悪戯っ子のような笑みを見せた。十年前も、再会してからも、何度もルエラに見せていたあの笑顔。

 傍に立ち尽くすルエラを、少女は振り返った。


「あなたも、一緒なの?」


 無言で、ルエラは頷く。それを見て、彼女は来る事にしたようだ。

 ディンが偽者を宿へと案内するのを、ルエラは黙って見ているしか出来なかった。



* * *



 ディンと共に入って来た清楚で上品な少女に、サイラは目を瞬いた。


「王子さん、一体その子はどうしたんだい? 今度こそ、本当にこれかい?」


 小指を立て、ニヤリと笑う。

 ディンはあっさりと却下したが、まんざらでもない風だった。


「ルエラ・リム――リム国のお姫様だよ。たまたま町で会ったんだ。今、旅をしているってのは聞いてたんだけどな。まさかレポスまで来ているとは思わなかった」

「あなたは、一体――」


 戸惑う偽者を、ディンは振り返った。そして、腰に提げている剣を投げ渡す。鞘にある紋章を見て、少女ははっと息を呑んだ。


「そう言う事。俺の本名は、ディン・レポス――一応、この国の王子だ。

 十年前、うちに来た事あったろ? 覚えてるか?」

「ええ。気付きませんでした。もう随分と前だから――」


 上手い話の合わせ様だった。誰が、彼女を偽者だと疑うだろう。


「こっちに来てるなら、教えてくれれば良かったのに」

「公にはしたくないので……。レポス王子は、偽名を使ってらっしゃるのですね」

「かったいなあ。いいよ、敬語なんか使わなくて。ディンって、呼んでくれればいい。

 旅してる時は素性隠してるし、そうでなくても堅苦しいのは性に合わないんだ。それに、同じ目線で話してくれた方が色々な人と話しやすいしな」

「……立派なのね」


 呟くように言って、少女は笑った。どこか儚げな微笑みだった。

 ディンは、くしゃりと彼女の頭を撫でる。


「お前も色々大変なんだろうけど、お互い頑張ろうぜ。

 前に言ったろ? もし挫けそうになった時は、俺の所に来ればいいから。

 民の前じゃ泣いたりとかなかなか出来ないだろうけど、ここはそう言う事気にしなくていいからさ。なあ、おばさん?」

「ああ。いつでも来るといいよ。立派なおもてなしは出来ないけれどね」

「ありがとうございます……」


 少女は感入ったように頭を下げた。


 ルエラは部屋の隅で、じっと彼らを見つめていた。

 ディンもサイラも、彼女が本物だと信じて疑わない。

 事実、彼女の身のこなしは気高く上品で、何処かの国の王女だと言っても何ら不自然は無かった。ルエラ自身、もし彼女が騙ったのがハブナ王女だったりしたら、そのまま信じ込んだだろう。


 彼女の狙いは一体何なのだろう。何の為に、ルエラの名を騙っているのだろう。

 ただちやほやされたいだけならば良いが、ディンと知り合い、あろう事かディンは信じ込んでしまった。あまり大事にならなければ良いのだが。かと言って、この場でルエラ自身が正体を明かす訳にはいかない。

 険しい表情で眺めているルエラを、ディンが振り返った。


「珍しいな、お前が緊張するなんて。さすがに直属の主だと、いつもみたいなぶっきらぼうでいる訳にはいかないか?」


 言って、ディンはニヤリと笑う。

 それから、ルエラの偽者を振り返った。


「リンはお前の勅命で各地回ってるんだってな。私軍の――えーと、中尉だっけ?」

「大尉だ」

「あ、悪ィ」

「ブロー大尉……」


 偽者は、ぽつりと呟く。

 気付いた事だろう。例えルエラが本人でなくても、私軍ならば本物の王女の顔を知っている可能性が高い。

 少女は、ルエラを見た。ルエラは、彼女の瞳が青緑色である事に気付く。


「ブロー大尉、あなた、今夜は私の泊まっている屋敷に来なさい。部屋を一つ、用意するわ。

 せっかく会ったんだもの。今後の打ち合わせをして置きたいの」


 彼女は、ルエラの様子を伺っているようだった。偽者だと分かっているからには、命令を聞く必要など無い。分かっていて行けば、口封じの為の罠である可能性もある。

 けれども、ルエラは頷いた。


 ――言い諭す、良い機会だ。騙りをやめるよう、説得出来るかもしれない。


「お前、本当リンを気に入ってるんだな」


 ディンが、からかうように言った。

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