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第2話 追跡者

 何処かの一室。漸く昇った太陽が、カーテンの引かれた部屋に薄い明かりを差し込ませる。

 部屋に佇むのは、二人の男女。双方、黒いマントを羽織り、手には長い杖を握っていた。女が口を開く。


「あら……珍しいわね。あなたが態々私を訪ねてくるなんて。何の用?」

「少し気になる噂を小耳に挟んでね。君も知りたい話だろうと思ったから」

「噂?」


 男の言葉に、女性は尋ね返す。

 男は自信満々に頷いた。


「リム国王女ルエラ・リムが、護衛も無しに旅をしている――ってね」


 女の顔に表情は無い。冷たい紫の瞳が、静かに男を見つめている。


「我々にとって、これ程都合の良い話は無いだろう?

 城への侵入も出来ると言えば出来るけど、リスクが多過ぎる。一人で旅をしてくれているなら、その間を狙うに越した事は無い」

「それはルエラじゃないわ」


 女は静かに言った。

 男に背を向け、カーテンを開ける。南の山脈を超えて来た弱々しい日の光が、部屋の中に差し込む。


「私の娘は、そこまで愚かじゃないわよ」

「彼女は今、レポス国にいるらしいよ」


 女の返答には構わず、男はにこにこと笑顔で話す。


「中部ローバストに立ち寄っているそうでね。陛下から、彼女の力を調べるように指令が下ったんだ。どうやら、そろそろ君の要望を聞き入れる気になってくださったようだよ。

 本当なら、私達の隊で調査するところだ。君には、リム国の少年の調査があるからね。

 けれど、会いたいだろう?」


 女は、男の笑顔を鬱陶しいとでも言うかのように冷たい視線を向けた。


「仕事をゆずると言うの?」

「まあ、そう言う事になるね」

「それなら、結構よ。あなたの任務は自分でこなしなさい。その話の女は、私の娘じゃないわ」

「そ。せっかく人が、親切で言ってあげたのに。

 それなら私は、失礼するよ。ジュリア辺りにでも頼もうかな」

「担当を教えられたところで、尾行ける気は無いわよ」


 男は肩をすくめる。そして青い光とキンという短い耳鳴りと共に、姿を消した。


 女は木製の椅子を引き、腰を下ろす。部屋の隅に置かれた植物の蔓が台所へと延び、朝食を運んで来る。トーストとハムエッグと言う簡素な食事を前に、彼女は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。

 そこに写るのは、三人の人物。癖のある銀髪の男、緑の髪をさらさらと風に靡かせた女、そして、父譲りの銀髪を背中まで伸ばした、緑の髪の女によく似た顔の小さな女の子。


 女はその写真を、愛しむようにそっと指で撫でる。

 女の指の動きに合わせ、写真の一部が切り取られていく。そして写真は、女と少女、男一人に完全に分離された。

 食事を運んで来た蔓に、凶暴な棘が生える。棘は、一瞬にして男の写真を切り裂いた。


 本当ならば、もっと前にこうするべきだった。彼が新たな女性を見つけた、八年前に。


 女は、自分と娘のみになった写真を再び胸ポケットにしまい込む。

 彼の写真は持ち続けてはいけない。彼とは、完全に縁が切れてしまったのだから。彼には、新たな妻がいるのだから。


 けれど、娘は。


 あの子の母親は、自分だけだ。娘との縁は、切れる事は無い。そして、彼女も何れは同じ道へ来るのだろうから。

 女の足元に散った写真の残骸は、風に吹かれるようにして消えて行った。



* * *



 ローバストは民家の建ち並ぶ町だった。大きな屋敷が構える通り、一般的な家々が立ち並ぶ通り。所謂、住宅街である。

 駅から離れるに連れ、立ち並ぶ家は小さく質素になって行く。

 やがて、二階建てと一階建てが混在する通りでディンは立ち止まった。ルエラも続けて足を止め、彼の視線を追って見上げる。

 古びた家屋だった。隣近所と比べればやや大きめだが、決して屋敷と言う程大きい訳ではない。木で作られた家で、塗られたペンキは所々剥がれ落ちている。窓の向こうには、薄汚れた白いカーテンが覗いていた。


 ディンが、家の戸を叩く。そうして暫く待ったが、返事が無い。再度叩くが、やはり返事は無かった。


「出かけているのだろうか」


 ルエラはぽつりと呟くように言う。


「そんなはずねーよ。連絡したんだから」


 ディンは言って、取っ手に手を掛けた。ノブを回すと、扉は難無く内側へと開く。どうやら、鍵を掛けていなかったらしい。

 珍しくない事なのか、ディンは何事も無くそのまま扉を押し開き、家の中へと入る。ルエラもその後に続いた。


 薄暗い室内だった。六人掛けの古びた木の机が三つ並んでいる。窓は一つしか無く、四角く切り取られた日の光が、一番右の机に少し掛かっている。

 そしてその一角に、くたびれた上着を羽織った者が机に突っ伏して座っていた。

 小柄だ。女性だろうか。白髪まじりの黒髪が、肩の辺りまで伸びっ放しになっている。

 ディンが、ゆっくりとそちらへ近付いて行った。


「おばさん、起きろ~。突然、悪ィな。こいつが、昨日、電話で言った――」


 ディンが彼女の肩に手を掛けた途端、彼女は崩れるようにして椅子から落下した。倒れた事により露になった横顔には、赤い物がべったりと付着している。


「おばさん!」

「待て!」


 声を上げ、彼女を抱き起こそうとしたディンを、ルエラが押し止めた。


「下手に動かさない方がいい。救急に電話をする。ディンは、何か手当て出来る物を探してくれ」

「一体、どうしてこんな――」

「分からない。彼女は持病でもあったか? 尤も、病気の症状には見えないが」


 逆にルエラに尋ね返され、ディンは口を噤む。

 そして、ハッと思い出したような顔をする。彼女の顔をよく見ようと、再びそちらへ近付く。

 ルエラは電話が見当たらず場所を聞こうとディンを振り返り、それに気がついた。


「何をしてるんだ? 急げ!」

「いや……だって、これ……」


 キィィと音がして、玄関口とは反対側の扉が数センチ開いた。

 ディンが、真っ直ぐそちらへ歩いていく。ルエラは慌てて駆け寄り、引き止めた。


「……待て。私が行く」


 ルエラは息を殺し、扉へと近付いて行く。

 殺気は感じない。だが、油断は禁物だ。


 開きかけた扉の前に立ち、恐る恐る手を伸ばす。

 ルエラが取っ手に触れる前に、扉は向こう側へ大きく開いた。ルエラは飛びのき、構えた。


 開いた戸口に立つ人物を見て、ルエラは目を見開いた。そこに立つのは、紛れも無く、流血していたその人だったのだ。慌てて振り返るが、やはり倒れた身体はそこにある。

 戸口に立つ方の女が、カラカラと笑った。


「どうだい。驚いたろう。

 そこの王子さんから話は聞いてるよ。私がこの家の主、サイラ・ガルコだ。よろしくね」


 返答は無かった。ルエラはただ唖然としていた。


「――ったく……」


 ディンは呆れ返ったように溜め息を吐き、こちらへと歩いて来る。


「久しぶり。しばらく会わない内に、また随分と腕を上げたもんだな」

「そりゃあ、これだけ寂れた宿だからね。暇で仕方ないんだよ」


 ディンは、呆気にとられているルエラに説明した。


「彼女が、この宿の女将。趣味は人形作りで、あれもその一つだ。悪趣味な事に、特にグロテスクなのが好きなんだよな」


 サイラは、ディンの頭を軽く叩いた。


「誤解を呼ぶような言い方をするもんじゃないよ。私は、ただリアリティを追及するのが好きなだけさ」

「ま、確かに気味が悪ぃぐらいリアルだわな……」


 ディンは、改めて人形をまじまじと眺める。


「ほんと腕を上げたよ。おばさん、プロとしてやってけるんじゃねぇか? 城で上等な彫刻や絵画に見慣れてる俺が言うんだ。間違いねーよ。

 どうだ? もしおばさんにその気があるなら、城専属で働かねえか? もちろん、こんな宿やっているよりも、生活は楽になるぜ」

「本当にありがたいけれど、お断りするよ」


 サイラは苦笑して言った。


「何度も、本当にありがとさん。でもね、この宿は両親の大切な形見だ。私の家は、ここなんだよ」

「……」


 ルエラは、ただ無言でサイラを見つめる。

 ……ルエラの家は、どこだろう。


 サイラがルエラに目を向けた。目が合い、そしてサイラはディンを振り返り驚く一言を言った。


「あんたも隅に置けないねぇ――王子さんにこう言うのも変だけど。

 お嬢さんなら、電話を掛けて来た時にそう言ってくれれば良かったのに。部屋は別の方が良いだろう?」


 ルエラはぎょっとして黙り込む。

 しかしディンは、ルエラのそんな些細な反応には気付かなかった。


「何言ってんだよ、おばさん。リンは男だ。確かに、女の子みたいに小さいけどな……」


 ディンはルエラを見下ろし、にやりと笑う。


「放っとけ……」

「それは、それは、悪かったねえ。てっきり女の子かと……私の目も、まだまだだね」


 きょとんとするルエラに、ディンが言った。


「おばさん、人形作ってるからか、人の体格見極めるの上手いんだよ。何キロ太ったとか、直ぐ分かるんだぜ。これがおっさんだったら、何かえろい能力なんだけどな。スリーサイズとか目視で判る訳だから」

「初めてそれ言った時、あんた真っ赤になってたねえ。あの頃の王子さんは、まだ可愛げもあったのに」

「うるせー」


 二人のやり取りに、思わず笑みが漏れる。


「申し遅れたが、私はリン・ブローと言う。リム国私軍に属している。今日は、世話になる」


 言って、ルエラは頭を下げた。

 サイラは目を丸くする。


「おやおや。見慣れない軍服だと思ったら、お隣さんの、それも私軍さんだったのかい。王子さん拾った時と言い、何か縁でもあるのかねえ」

「拾った?」


 ルエラは尋ね返す。ディンが頷いた。


「ずっと前にさ、俺、一度家出したんだよ。今考えると、迷惑な話だけどな。

 で、当時の俺は温室育ちの、民の生活なんて書物でしか知らないようなちび助だ。外へ出たは良いが、道も分からない上に雨も降って来て、かと言って何もしないで帰る訳にはいかないとか意地張ってなあ。

 道端に座り込んでた所を、このおばさんが拾ってくれた訳だ」

「拾ったのが私だったから良かったものの、反逆者に見つかっていたりしたら大変な事になっていたよ」

「どうも感謝しています」


 ディンはおちゃらけて、仰々しく言う。それから、床に置いた荷物を抱え上げた。


「いつもの部屋、借りるよ。――リン」


 ディンは階段を顎で示す。ルエラはサイラにぺこりと頭を下げ、ディンの後について行った。


 階段を上りながら、ふとリムの小さな町での事を思い出す。あの町で出会った少女達も、片方が宿屋の娘だった。もう一人も彼女の宿に泊まる事が多く、最早自室と化していた。

 よく似ている、とルエラは思う。ディンとサイラも、あの少女達も、古くから互いに知っている。……旧知の仲とは、良いものだ。


 階段にも廊下にも、等身大の蝋人形が立ち並んでいた。どれもこれもまるで実物のようで、公式での出発や帰宅を思い起こさせる。


 ディンが向かったのは、階段を上って一番奥の部屋だった。ソファの背が倒せるようになっていて、二人で泊まる事も可能だった。

 ディンは奥にある洋服箪笥を開けると、その中身を確認していく。ルエラは荷物を置き、黒ずんだカーテンを開く。目の前にあるのは、隣の家の屋根だった。


「ここ、そんなに景色や空気良くねーぞ」

「そのようだな」


 カーテンのレースを戻し、ルエラは部屋を見渡す。自室扱いの割には、ユマの部屋程物が溢れてはいなかった。

 来る頻度や、ディンが男である事、そして王子である事が原因だろう。当然、持ち物はそれなりに値の張る物になる。気付かれ泥棒に目をつけられたら、困るのはサイラだ。

 ディンは箪笥から厚手の服を何着か出し、荷物と入れ替えていく。それから立ち上がり、ルエラを振り返った。


「俺、ちょっと買い物行って来るよ。セーターが穴開いてやがる。リンはどうする?」

「少しここで休んでいる」

「分かった」


 ディンはうなずくと、部屋を出て行った。

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