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第2話 疑心

 日は沈みかけ、空は闇に包まれようとしていた。通りの街灯がぽっと燈る。

 宿は古びた安い所を選んだ。朽ちかけた木製の壁、薄暗い室内、汚れた机、ひびの入った窓。それらを見回し、メアリーが口を尖らせる。


「何よ、ここ。大通りに行けば、もっと良い宿があるじゃない。どうしてこんな所に泊まらなきゃいけないの? こんなんじゃ、寝られるようなベッドも置いて無さそうね。服も汚い物に着替えさせられるし、散々だわ」

「文句を言うなら、護衛なんて頼むんじゃねーよ」


 答えたのはディンだ。ルエラは何も答えず、部屋を三つ頼む。

 ディンとメアリーの口論は続いていた。どうにも、この二人はそりが合わないらしい。

 ルエラは溜息を吐き、振り返る。


「静かにしろ。他の客に迷惑だ」

「だってこの女、ふざけた事ぬかしやがって……」

「何もふざけてなんかいないわ。あなた達は、私の護衛を引き受けたの。当然の仕事でしょう」

「一体、今度は何だ?」

「あなたとディン、交互に私の部屋の前で見張るのよ」


 そう言って、メアリーは踏ん反り返る。


「寝ぼけた事、言ってんじゃねぇよ。何で俺達がお前の部屋の前なんかに、ずっといなくちゃなんねーんだ」

「あなた達は、私の護衛なの。お金だって渡したじゃない。それ相応の仕事は当然よ」

「金はお前が無理矢理押し付けただけだろ。大体、そんな護衛が欲しいなら、俺達みたいなたまたま町で出会った子供じゃなくて、ちゃんとしたプロを雇えよ」

「それが出来たら苦労しないのよ」

「……私が部屋の前で見張っていよう。ディン、お前は部屋で寝ていると良い」


 ルエラは言って、奥にある階段へと向かう。二人もそれに続く。

 ディンが、呆れたように言った。


「リン、お前とことんお人好しだなぁ……。言っとくが、俺は絶対に夜中の見張りなんて手伝わねーぞ」

「構わない」


 ルエラは素っ気無く返す。

 メアリーはご満悦な様子だった。それがディンには、尚更気に食わなかったらしい。舌打ちをし、彼女から顔を背けた。



* * *



 それぞれの部屋に入り、荷物を落ち着かせる。コートを脱ぎ、荷物の上に掛けると、ルエラは部屋の外へと再び出た。

 古びた宿に明かりは少なく、夜が訪れると殆ど真っ暗になる。部屋にも廊下にも、明かりはたった一つずつ。ランプから離れた、例えば部屋の隅や廊下の奥は、暗闇に包まれている。

 時折、大通りを通る車の音が幽かに聞えて来る。それ以外には、何の音も無い静寂の暗闇。


 こんこん、と内側から部屋の戸を叩く音がした。そして、か細い声が問いかける。


「……リン? いる?」

「ああ、いる」


 床に座り、部屋の扉に持たれかけてルエラは返事をする。

 途端に、メアリーの声は先程までと同じ高慢な調子になった。


「そう。約束は守っているみたいね。それじゃ、今晩は頼んだわよ。居眠りしたり、勝手に部屋に戻ったりしないのよ。良いわね?」

「その事なのだが」


 ルエラは肩越しに部屋の扉を振り返り、切り出す。


「メアリー、部屋を出てきてくれ」

「……え?

 ……何言ってるのよ。私はこれから寝るのよ」

「良いから、出て来い。君が部屋に入った時、部屋のカーテンは開いていただろう?」

「ええ……」

「小さく狭い宿だから、中に隠れる事は出来ない。カーテンが開いていた限り、外から君の泊まる部屋を確認する事は可能だった」

「……」

「身を守って欲しいのだろう」


 カチャリと鍵の開く音がした。そして、キィと小さく音を立てて扉が開く。

 部屋の中から、メアリーがおずおずと出てくる。


「あなた……」


 何か言いかけたが、メアリーは口を噤んだ。そして、手をルエラに伸ばす。


「鍵を渡しなさい」

「鍵を渡してしまったら、何かあった時部屋に入れないが」


 メアリーは口を真一文字に結び、ルエラを見据えていた。

 ルエラは、ぽんとメアリーの頭に手を置く。


「会ったばかりで難しいかも知れないが、私を信用しろ。君自身が護衛に雇ったんだ。信用されなければ、君を守るのも難しくなる」

「……その口ぶりが、信用出来ないのよ」


 言って、メアリーはルエラの手をやんわりと払った。


「私とあなたは、会ったばかりだわ。私は何の説明もせずに、あなた達に護衛を頼んだ。なのに、その何でも知っているかのような口ぶりは何? あなたは何者なの?」

「君の事情など、私は知らない」


 ルエラは腕を組み、壁にもたれかかる。


「だが、君がただワガママで護衛ごっこをしている訳ではない事は分かった。

 私は、旅の付き添いなら良いと言っただろう。普通、帰る家のある者は突然旅に出るなど出来ない。けれど君は、了解した」


 ルエラは横目でメアリーを見る。

 メアリーはやはり、緊張した面持ちでルエラを見つめていた。ルエラは笑みを零す。


「まだ説明したくないならば、説明しなくても良い。けれど引き受けたからには、君を守りたいからな」


 メアリーは顔を背ける。

 そして、小さく呟いた。


「……馬鹿みたい」


 ルエラの前を通り過ぎ、ルエラの部屋の扉を開ける。


「あなた、本当にただのお人好しなのね。初対面の、訳も話さない高慢な女を、『守りたい』なんて。お人好しも良いところだわ」

「そうだろうか」


 ルエラは肩をすくめて笑う。

 メアリーはふんと鼻を鳴らすと、部屋へ入り扉を閉めた。

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